補瀉の大小 鍼道五経会の実践する鍼灸 

鍼道五経会の足立です。

鍼道五経会の追究・実践する鍼灸シリーズその3です。

 「五行には大きな五行と小さな五行がある」師 馬場先生の言葉より

今回は補瀉の大小についてがテーマです。

鍼灸治療の要に補瀉がある

補瀉法にもいろいろな方法、概念が伝えられています。
主だったものに、迎随補瀉、呼吸補瀉、開闔補瀉、五行補瀉(難経六十九難、七十五難)、子午流注を使った補瀉などがよく知られているのではないでしょうか。

いずれにせよ鍼灸治療である以上、どの補瀉法を選択しようとも「経脈、経穴に対する補瀉」を行うことに尽きると言えます。

術者が患者に触れ、施術を行うことにより、経穴に補瀉を施します。このときに経脈の流れに変化が生じます。鍼灸治療の第一歩ですね。

経脈の淀み・詰まり・結ぼれが解消されたなら、それは瀉法と呼ばれ、
経脈の枯渇・弱まり・流れが改善されたなら、それを補法と呼びます。

とはいえ、この段階で治療が終わってしまっては“小さい補瀉”です。
いくら補瀉を利かしても、つまるところ経絡の流れが良くなるだけなのですから。(もちろん、経絡の流れを良くすることは証に応じているのなら正しい治療です)
この結果・現象を少し大きな視点でみると“体の中の循環を促しているだけ”とも言えます。

では大きな視点でみた場合の“大きな補瀉”とはどのような現象でしょうか?

漢方(湯液)にみられる大きな補瀉

これは漢方・湯液医学をみると分かりやすいです。いわゆる漢方医学には、汗吐下と呼ばれるように発汗法・吐法・下法があります。
発汗法は汗をかかせることで体表の邪を“汗”という形で追い出します。
吐法は体の内部・胃の腑に居座る邪を“嘔吐”という形で追い出します。
下法は身体の内部・腸胃の邪を“便”という形で追い出します。
この他にも利尿法もあり、膀胱の腑に居すわる邪を“尿”という形で追い出します。
もちろん補法もあります。(他にも様々な体の動かし方があるがここでは割愛)

このようにしてみると「体の内部の邪をいかにして体の外に追い出すか?」が治病の要点になっていることが分かります。
体外に邪を追い出すこと、これが大きな瀉法であり、
体内に必要なものを取り込むこと、これが大きな補法であります。
では、経脈に対する補瀉はどのような位置づけかというと、体(経脈)の気の行(めぐ)りを良くする行気である…と、私はそのように見ています。

鍼灸にもある大きな補瀉

しかし、この大きな補瀉を使う方法は、なにも漢方・湯液だけのものではありません。汗・便・尿という形で邪を体外に追い出す治療は 鍼灸でも十分可能です。(もちろん嘔吐も可能です、私自身にも実験しましたが実によく吐けます。)効かせ方によっては湯液よりも迅速に体が動くケースもあるのではないでしょうか。



『鍼道秘訣集』に掲載されている吐せる針と瀉する針。前述のように、私も自身に吐せる針を行ったことがある。文中にある「針先を上へなして深く立てひねるべし」という鍼法を毫鍼を用いて行ったところ、即座に吐いた。トイレに行く間もないくらい。汚い話、そばにあるゴミ箱に吐したほど、実に速やかに効いた思い出深い鍼法である。
吐瀉針の図(『鍼道秘訣集』 より引用させていただきました)

その反面「外部から足りないものを体内に取り込む」という点では湯液治療の有利なところです。そのためでしょうか、古来より「鍼には瀉ありて補なし」という言葉も伝わっています。
初めてこの言葉を見た時、私は正直言って不満を感じました。鍼にだって良質の補法ができるゾと(笑)

でもこの視点にたってみると、確かに瀉には向いているが、体内に取り込むという点では補は不得手かもしれないな…と思わざるを得ない面もあります。
しかし、もっと大きな視点ではより高次な補は鍼だからこそできるのではないか?とも思えるのですが、このテーマに関してはまたいつか・・・

医術における王道と覇道

さて、大きな瀉法についてもう少し書きます。
身体から悪いもの・不要なもの(=邪)を追い出す治療。
これは特に現代日本人にとって必要な治療だと言えます。なにしろ、ろくに体は動かさない、それでいて毎日の飲食は欠かさず、飢えるということは滅多にない。虚も抱えているのだ…とは言うものの、基本的に胃腸には常に何か詰まっている状態です。有形のもの(飲食由来の邪、湿痰・宿食 さらには瘀血なども)だけでなく無形の邪(気滞)もダブルで抱え込んでいる…となると、補法だけではもう何ともならない状態だと言えます。
このようにしてみると、むしろ瀉にも有利な鍼灸は、今の時代に向いている治療法だと言えると思えます。

このことは『医学 三藏辨解』岡本一抱が言う「王道と覇道」の覇道に当たるかとも考えます。

 汗吐下を覇道として、ややもすれば誤治の可能性にもつながることを戒めているが、李朱医学の影響を受けている岡本一抱先生らしいと言える。しかし私個人としては下法は普段の治療でかなり多用している。この点、張従正医学も深く学ばなければならない。
(『医学 三藏辨解』中焦穀腑 より引用させていただきました)

さて、このような視点に立って人体を診るとなると、五行の世界だけでは足りません。五行は循環と平衡の医学思想ですから、体外に追い出すという発想は少し不得手なのです。この点、湯液医学は六経六病位や人体を筒に見立た人体観・病理観は、人体を通じさせ、駆邪を行うに向いていると言えます。

つまり結論としては、鍼灸師は五行の人体観だけでなく、他の様々な観点でも人体・病をみる必要があるのです。
では他の様々な人体観とはどのようなものがあるでしょうか?

これに関しては、次の「多層的な人体観」に続きます。

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