三焦を表わす言葉の一つに「有名無形(名有りて形無し)」という表現があります。三焦の正体については歴代の医家たちが様々な解を残しています。夢分流では三焦はどのように解釈されていたのでしょうか?本文を読んでみましょう。
その三十五、三焦の腑の大事
『鍼道秘訣集』京都大学付属図書館より引用させていただきました
卅五 三焦腑之大事
諸書に三焦は有名無形とも云い、又上中下と分ち三焦の腑と云う由有りて、實の事無し。しかるに當流にて明かに知る事、重寶不過之。
扨、何れの處を三焦の腑と云うなれば、即ち臍中神闕、是也。
何を以て云うなれば、父の一滴の水、母の胎内に宿る一(はじめ)、臍中に受け留め、夫れより日を重ね月を積みて人と生る。
天一水を生ずる是也。還(また)は、伊弉諾伊弉冉の夫婦の二柱の御神、豈に此の下に土(くに)なからんやとて、天の御鉾を下し搔き探り給えば、鉾の滴り凝て一の嶋となる、おのころ嶋是也と、神書に有る事、茲の義也。
臍、即ち一身のくくりとす。
設令(たとえ)ば袋の口を結(くくる)が如し、此の故に神闕とも三焦の腑とも號して生死、病の善悪を神闕の動脉にて知る事、四つの脉に證(あらわ)す。最も秘すべし。
是に付口傳数多これ有り。委しくは奥田意伯門人と成りて印可の上にて相傳あるべき也。
三焦の機能とそのすがた
「何れの処を三焦の腑と云うなれば、即ち臍中、神闕、是れ也。」と本文にあるように、なんと夢分流では“臍” “神闕”を以て三焦の腑としていたようです。
内経や難経をひもとくと、三膲に関しては以下のような説明があります。
「中瀆の腑、水道出づる」「孤の腑」(ともに『霊枢』本輸篇)
「決瀆の官、水道出づる」(『霊枢』霊蘭秘典第八)
「水穀の道路(三十一難)」「氣の終始する所」(ともに『難経』三十一難)
「原氣の別使」(『難経』六十六難)
これらの情報を受けた上で「三焦の腑を臍中・神闕」と結論づけた夢分流の独自の三焦論には興味深いものがあります。
「臍、即ち一身のくくりとす。」
前述の『霊枢』『難経』の三焦論を機能としてみるならば、『鍼道秘訣集』の三焦論は生命観としてみているのかもしれません。
本文を読むと、臍を「一身のくくり」とし、譬えていうならば「袋の口をくくる」ような存在としています。古人には臍を果物の蔕と譬える医家もおられましたが、まさにその観点に通ずるものがあります。
この“生命の括りで以て、生命を観る”という手法が夢分流でいう「四つの脉」ということになるのでしょうか。
鍼道五経会 足立繁久