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天然痘(痘疹・痘瘡)を学ぶ
『博愛心鑑』(1525年 魏直)という書に関する紹介します。この書は『痘疹博愛心鑑』とも題しています。痘疹の名を冠している通り痘疹・痘瘡に関する専門医書です。痘疹・痘瘡とは現代でいう天然痘です。
天然痘といえば、1980年にWHO(世界保健機構)によって世界根絶宣言が出された伝染病です。人の手によって根絶された病、ウイルスという点では稀有な病といえるのではないでしょうか。そして根絶された要因はやはりワクチンです。ワクチンの歴史を学ぶ上でも天然痘というのは学ぶべき疾患の1つだと思います。まずは『博愛心鑑』の上巻第一章「気血交会図」から紹介していきましょう。
※『痘疹博愛心鑑』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。
書き下し文・気血交会図
『博愛心鑑痘疹』巻上
明 会稽 魏直 著
新安 呉勉学 校
気血交会図
痘毒は有生の初に中り、形臭無しと雖も之を蓄うこと、既に久し。必ず気血を仮りて発して解す。若し気血の毒の深浅を形容するに非ずんば、又焉んぞ得て其の閫奥(こんおう)を窺わんや。蓋し痘(痘瘡・天然痘)の理、一に太極隠微の妙に出づる。天地至仁の心に非ずんば、此の造化の大功を斡旋する能わざる也。
予、因りて深𢍆(しんけい)黙察して画して図式と為る。未だ以て其の万一を尽くすこと足らずと雖も、而して亦た少しく王道に志有る者に備う。究めよ。
痘疹の原因は…
天然痘は時代や地域によって、様々な呼び名がありました。小児科医書をひも解くと「痘瘡」「豌豆瘡」「麻子」「天花瘡」「癍疹」…などなどの病名があります。しかし『痘疹博愛心鑑』の名に準じて、本記事では「痘疹」との呼称に統一します。
さて痘疹は伝染病です。伝染病である以上その病因は外からの要因であることは間違いありません。(“当時はウイルスという知識はない”という前提で話を進めています)
外からの要因とはいえ、外感六淫(風寒暑湿燥火)といった外邪が痘疹の直接的な病因とはしていません。もちろん症状の現れ方など病型から、その病態に“火”が関与することは認識されていました。しかし直接的な病因としての存在を確定できずに、宋代から試行錯誤されていたように見受けられます。
伝染病という特性から、歳氣(運氣)の影響に注目した点は『なるほど…』と個人的には頷かされました。単なる外邪では個々の体質の強弱に大きく左右されます。痘に罹る人もいれば、痘に罹らない人も出てくるのです。もしくは症状の軽重や生死には個人差があります。しかしその反面、天然痘ウイルスは感染力の高さで知られています。となると個々の形質だけでなく、もっと大きな要因として運氣の影響を当時の医家たちは考えたわけですね。
とはいえ、やはり感染しない人(とくに終生免疫を獲得した人)の存在もあり、痘疹に感染しない事例も考慮せねばなりません。この要因として個々の体質として胎毒・遺毒との言葉を用いていました。
つまり痘疹は大きな天運の氣・天地の間に流布する沴氣・癘氣に触れることが第一の病因、そして生まれつき個々の体内に有する遺毒がその症状の発現に関与する第二の病因として、二段階の病態を構築したわけです。
『博愛心鑑』下巻においては「天行時氣、天地の沴氣(れいき)」と「人身の遺毒」とが「相い感じて動ず」(遇天行時氣撃動、而發者何也。天地之沴氣與人身之遺毒同一槖籥、相感而動。)として解説されています。
この二段階の病態論は温病学(呉有性が1642年に『瘟疫論』を著した)にも見られる病態構造です。このように東洋医学において感染症・伝染病をどのように研究し対処してきたかを学ぶことにも大きな意義があると考えます。
原文 『博愛心鑑』氣血交會圖
■原文 『博愛心鑑痘疹』巻上
明 會稽 魏直 著
新安 呉勉學 校
氣血交會圖
痘毒中於有生之初雖無形臭畜(蓄)之既久。必假氣血而發而解。若非氣血形容毒之㴱淺、又焉得而窺其閫奥乎。葢痘之理一出於太極隠微之妙。非天地至仁之心、不能幹旋此造化之大功也。予因㴱𢍆黙察畫爲圖式、雖未足以盡其萬一、而亦少備有志於王道者究焉。
※幹:當作斡
『博愛心鑑』の各図を読む
※『痘疹博愛心鑑』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。
書き下し文・始形図
始形図
陰始めて陽に交わる / 血初めて位を定む
● 血、毒を載せて陽を犯す。純陰の象
初出、一点の血は純陰の象なり。血は初めて毒を載せて陽を犯し、竅を循りて出づる。未だ陽制を受けざる故なり。吉凶悔吝、此こに於いて生る。
痘疹の因である遺毒はどこからきた?
始形図とは、人体を形成するときの図、との意でしょう。
そして図にある黒丸の一点が、文中にある「純陰の象」であり、「血初めて毒を載せる(血初載毒…)」を表わす絵図だと解釈します。
この“血が毒を載せる”という表現は『博愛心鑑』に頻出する表現です。
「吉凶悔吝、此処に於いて生る」とは、人間は生まれ落ちたときに先天的に遺毒を体内に保有してしまった、という宿命的な生理学を示唆しています。
原文 『博愛心鑑』始形圖
■原文 『博愛心鑑』始形圖
陰始交陽・血初定位
血載毒犯陽純陰之象
初出一點血純陰之象也。血初載毒犯陽循竅而出未受陽制故也。吉凶悔吝於此而生焉。
次に交会図にいきましょう。
書き下し文・交会図
交会図
陰中の陽 / 陽中の陰
〇 氣至り微陽が始めて形づくるの象
◉ 氣満ち微陰は漸く虧けるの象
二変は微陽の象なり。
乃ち陽は始めて陰を制す。血盛の勢い未だ隆ならざる故なり。是に由りて氣血交会の機、此れに於て而して出づる。
三変は微陰の象なり。
乃ち陰は陽制を受ける。氣盛の勢い独りなる故なり。是に由りて氣血尊卑の道正ければ、則ち邪毒自ら降りる。一つも得ざること有りて、凶咎は此に於いて定まる。
陰陽学を基盤とする発生学
本文は二変から始まりますが、一変は前述の始形図、純陰の象でしょう。
「純陰の象」から「微陽の象」そして「微陰の象」と順次、階層を変えて、人の生は発育を進めていく様を陰陽を用いて説いています。陰陽学を基盤とする発生学と言っても過言ではありません。
しかし、まだまだ続きがあります。次の成功図にいきましょう。
原文 『博愛心鑑』交會圖
■原文 『博愛心鑑』交會圖
陰中之陽・陽中之陰
氣至微陽始形之象・氣滿微陰漸虧之象
二變微陽之象也。乃陽始制於陰。血盛之勢未隆故也。由是氣血交會之機於此而出焉。
三變微陰之象也。乃陰受陽制氣盛之勢獨尊故也。由是氣血尊卑之道正、則邪毒自降。一有不得而凶咎於此定矣。。
※『痘疹博愛心鑑』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。
書き下し文・成功図
成功図
氣血の功、収まる / 乾坤の道、済(な)る
〇 純陽、毒化す。
功成り毒化す。純陽の象也。
乃ち氣は血毒を制し、両降するの故なり。是に由りて生霊保合す。斯(こ)れ太極彌綸(びりん)の道、昭らけし。
毒を化するの意とは?
氣血の功が収まることで、毒が化するというのも不可思議な表現です。まずこの文脈から“毒に変化する”ではなく「毒が化する」という解毒に近いニュアンスであると解釈します。(もちろん完全な解毒ではない)
第一変の始形図からもう一度順をおってみてみましょう。
「血初載毒、犯陽循竅而出、未受陽制…」(始形図)
「陽始制陰、血盛之勢未隆…」(交会図・二変)
「陰受陽制、氣盛之勢、独尊…」(交会図・三変)
「氣制血毒、両降之故…」(成功図)
このようにみると陰陽が互いに旺盛となる波を調和させつつ、絶妙に互いに制御し合っている様を表現していることが分かります。無形の氣と有形の血が互いに長じつつも制しながら、生命の発生を営んでいることを夢想してしまう文章です。(私だけ?)
そして陽・氣が制するのは陰・血だけではなく、血が載せた毒までも包含しつつ制御するということでしょう。この解釈の真偽については次章「氣血交会図説」を読んで確認するとしましょう。
序 ≪ 氣血交会図 ≫氣血交会図説
鍼道五経会 足立繁久
原文 『博愛心鑑』成功圖
■原文 『博愛心鑑』巻下
氣血功收・乾坤道濟
純陽毒化
功成毒化、純陽之象也。乃氣制血毒兩降之故由是生靈保合斯太極彌綸之道昭矣。