『診病奇侅』下手の法より

まずはお腹に触れることから

続いて『診病奇侅』の「下手の法」について紹介します。「下手の法」とは、患者さんのお腹に触れる際の注意点です。
“お腹の触れ方”と聞くと『なんだ、基本的なことか…』と思う人もいるかもしれません。しかしそれは早計浅慮というもの。実に奥深い内容が豊富に記されているのです。では本文を読んでいきましょう。

『診病奇侅』下手の法
※画像は『診病奇侅』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

『診病奇侅』の下手の法

書き下し文・下手の法

○病人に向いて診腹するに、医者一毫も雑念なく、専一に病人に尋ねるに、食餌を致し来たるや、又は空腹なるやと問い、其の病人来たりし遠近をも尋ね、遠方より来たりし病人には、暫く休息させ、又大小便の通利を尋ねるなり。羸痩したる病人ならば、大便通じたる即時は、いよいよよわく見ゆるものなり。又大便燥結したる病人は、腹がいよいよ実なるように見ゆるものなり。問い尋ね、病人と医者と神氣を合わせ、さて病人を仰臥させ、胸前に手を拱せ、足跟をそろえさせ、らくにするなり。其の中にも、腹皮つよく脹りて、動氣の見え難きは、病人の左右の足を少し揚げさせ診る可しとなり。意齋の精しき教えなり。(中虚 ※1)

○病人を仰臥させ、病根の所在を尋ぬるに見えざるものあり。此の時は病人の左の方へ横臥させて見ることなり。それにても病根を知らざれば、又右の方へ横臥させ診すべし。医人の手と腹皮を和合して、死生吉凶を決すべし。中虚の南條玄什へ贈りけるに、「医者の手指と病人の皮肉を相忘(※2)し而して吉凶を認め得る也①」、と云えるは腹脈要訣にして、先生修行の上にての工夫なり。(中虚)

○凡そ腹を診するには、先ず其の人の氣を寧静にすることを教る可きなり。若し努力すれば張り、恭敬すれば堅く、笑語し氣散ずれば変動多し。幼童婦女下等の人は、恐畏して只だ呼吸せざるを寧静なりと思えり。故に呼吸平和にして眠りたる意になせと教うべし。是れ捷法なり。(対時)

△(引、松井本)凡そ診腹の法、須らく診する者は受診者(患者)と、俱に心氣平穏、胸中安定にして、而る後に手を下す。其れ(患者を)仰臥閉眼にし眠るが如きにせしむる②。徐々に胸上を撫でること二三次、手の裏を軟々にすることを要とす。呼吸に随いて行い、其の氣を阻むこと無くし、而して先に膚理の精粗疎密を察す。次に其の左右を撫で、上は缺盆より、下は乳下に及ぶ。以て其の肥痩を知り而して乳下の動を候う、動に浮沈あり、氣に緩急あり。肉厚き者は動が伏して応ぜず。次に其の心下に於いてす、軽按して其の氣を候い、重按して其の形を察する。軽按するは平穏にして衛氣を滞結させること無くし、重按するは和緩にして塊物痞鞕させる者無く、形状に於いて平と為す也。
而して中脘、而して臍中、これの部位を候うに乱さず、臓腑相配し、宗氣は内に充つる。左脇を推せば右張り、右脇を推せば左張る者は実なり。之の部位を推すに、内に移る者は虚也。病と為すものは癒え難し。臍下丹田は眞氣の聚集する所、最も力の有るを要とするに応ず。上腹は盈ちて臍下は無力、是れ失する所ある也、明らかなり。
若し之を按じて物あり、之を重按して拘攣し、上下脇胠、腎堂(公豊が按ずるに腎堂は即ち腰なり)或いは痛み、診を得ることを欲せざる者は、病已に成りて浅からざる也。此れ診腹の大要と為す。(陽山)

○下手の法、手の重さ、大抵『難経』の菽法に準ず可きなり。
○軽手にて鳩尾より臍下に至て循撫し、皮膚の潤燥を試み、部位の相応を定む可し。
○中手にて尋捫し、疼不疼を問い、病邪の有無、腸下及び諸空所の強弱、或いは動氣の有無を診す可し。
○重手にて推安し、更に疼不疼を問い、臓腑の虚実、及び沈積動氣の浅深を診すべし。
(同上○南溟、古伝より引く ※3)

○下手の次第、○先ず胸膈より撫で下し、○胃経通り、○任脈通り、○天枢、○臍下、○諸空所へ至り、(凡そ諸空所とは腹の四隅骨の際を命じて云うなり。皆な是れ臓腑の居に遠くして空軟なる所なればなり。(森立夫が曰く、四隅のこと、予が附録中に詳らかにす。))
○再び復た胃経を診すべし。其の間に大筋の候も自得べきなり。右(前述の)諸所に心を着けて察するときは、下に述ぶる所の虚実陰陽、及び男女年齢等の異別、自分けるべし。
その大意を云えば、二言あり。曰く“相応を観る”、曰く“定位を知る”なり。又、恰好を観て、つり合を知るとも云うべし。“相応”とは、男女幼児、壮老肥瘠、及び諸般の氣象、病人はその病の新久軽重の属、その人の自然の相応を見合すべきを云うなり。此の二件を以て工夫するときは、真象仮象は、自ずと分ける可きなり。(同上)

○凡そ按腹は専ら左手を尚(とうと)ぶ。(しかし)右(手)も亦た不可に非ず、唯だ左を佳と為さしむる。
先ず将に左手掌を、上は鳩尾に齊し、魚肉は右肋端に当て、掌後側肉を左肋端に当て、指根肉は中脘に当てる。
始めは軽軽に按過し、漸漸に重く押す。三肉を逓(たが)いに推し、左旋右還して、按動して休ること無し。少移するは宜らず。良久(しばらくの間)して掌中と腹皮とを相い合摩す。その間、熱に似て熱に非ざるを以て、温潤すること汗に似ることを度と為す。
是の如くなれば則ち、掌下腹裏(にある)、滞結の氣は融和解散す。猶ほ雲を開き日が見われるがごとし也(莫不猶開雲見日也)③。唯だ久しく按じ静かに守すること半時許(ばかり)を以て妙と為す。若し夫れ苦手・温和掌は賢者の富貴と謂う可し、而して此れ固より天資に係る。強いて求む可き非ず。何ぞ之を必とせん乎(「苦手※4」「温和掌」は『玉枢経』にみる○(秀庵))

○腹を診するならば、病人の右へ回りて領(えり)へ風の入らざるように心付くべし。披露するは悪し、胸を開かずこと第一なり。先ず左の肋下へ手をさしのべ窺て、心を丹田にこめうかがい、右の肋下へ引きとり、其れより中脘水分、両天枢、天枢の左右の下、氣海丹田中極までも、能々上下浮中沈の九候の心を以てさがし尋ぬるべし。その時の手障り、留滞・血積・筋攣・肉起・疙瘩の如きあるときは、不平の腹とすべし。(白竹子)

○診腹の法、正心端整にし、容貌は舒緩、手貌を安静にし、麤厲なるを最も忌む(大寒涼なる時は、爐火を請い、或いは懐手にて、先に自己の膚にて試む)、而る後に患人をして仰臥せしめ、手を安し足を伸し帯を解き、暫くその呼吸を候う。而る後に先ず胸上を摩撋し、以て腹臍に至り、その周囲及び(臍の)高下平直を診す。胸上に至り、腠理の潤枯、皮膚の堅脆、虚里の動を察す。以て心肺の虚実を知る。三脘は脾胃の部、両脇下は肝の候、以て臍下に至りては元氣の繋る所、十二経の根本、之を診するに最要の者なり。是れ其の大概、その細に至りては後に詳録して云う。(無名氏 ※5)

△(引、松井本)凡そ腹診の法、以て呼吸陰陽和を得るを至要と為す。而る後に虚里を診、以て宗氣の虚実を候う。軽手にて心下を按し、緩々に両肋を循(な)で而して脇下に及ぶ。
手法の軽重は得宜(程よく・適宜)すべし。大腹を按するに漸々に臍・小腹に及ぶ。(黃山 ※6)

○凡そ診腹、早旦に朝頓せざるの時を佳と為す。医者は須らく病者の左に坐し、心を潜めて事に就くべし。先ず食中二指を以て、虚里を候い、而る後に膻中より丹田に至る。循撫すること三二遍許(ばかり)(病人の心氣を安んじ、又逆氣をして下降せしむることを為す也)、却て乃ち心下三脘を按んじ、次いで少陽、次いで陽明、次いで両脇、次いで少腹、最後に神闕を察する。是れその大綱也。診し已みて遍く宜しく胸腹を一過摩すべし。(台州 ※7)

○腹診は手を平たくして診すべし。然らざるときは、病人せつながる(「じゅつがる」の記載もあり)なり。先ず鳩尾を診し、次に水分、それより次第に任脈の通り臍下までを診し、任脈の勢いを視る。又、動あるものには“任脈の本位の動”あり。又、左右の動氣ありて、其の響の応ずる者あり。故に此れ等の処を、綿密に分たざれば、附方のところ相違あり。故に最初に鳩尾水分、夫れより“左右積氣の胸骨に入るか入らざるか”を診し、それより左右肋骨章門を診す。此れ大法なり。虚里の動は、腹診の終わりに候うべし(東郭 ※8)

△(引、松井本)腹形を察し宜しく数回按撫すべし。或いは沈或いは浮、以て腹力 ④、及び腹の堅軟を察す。又、軽々に撫下し而して皮膚を察す。以て虚実を知る可き也。(東郭)

△(引、松井本)腹を診るに、医は先に神氣をして寧静にせしめ、而して右手掌を以て軽々徐々に、鳩尾、承満、上脘、中脘、天枢、及び臍を按撫す。以てその腹皮の緩急、(さらに)痞の有りて堅なるか、和なるか、全腹が脹れるか、将に脹らざるか、(また)痞が上に在るか、下に在るか、(また)小腹痞は而して左なるか右なるか、腹には無物にて腹皮が背に附着するが如しかを察する。
又、静かに中脘を按じ、而して寒熱・浮中沈を察する。又、三指を以て臍を按ずる。臍は人身の根本なり。臍と腎間の動、診腹の枢要なり(同上)

△(引、松井本)凡そ診腹の法は左手を用いる。患人が男なれば則ち其の左に坐し、女なるば則ち其の右に坐す。若し便ならざれば、之に反するも亦た可なり⑤
而して手掌と五指とを伸展し、平板に先ず膻中に停住す。氣の緩急を察し、遷(うつ)りて虚里に停住し、その動の高低を診す。而して徐々に左右に按過し、両側の膂肉の外に至る。此の如くにすること数次、而して鳩尾に至る。
医の手掌の魚腹・外側・指根の三肉を、病者の皮膚と相い襯着し、而して久しく停住する。初めは軽軟に漸に重墜する。手掌をして患者の肌膚と相和し、而して温融せしむ。手掌の魚肉を肋下に当て、掌側肉を肋上に当て、肋骨際を極按する。左右に排(ひら)き押し、而して両側の膂肉の外に至る、此の如くに各々十数次。以て肋下の堅軟攣緩、塊の有無・隠顕を察する。
次に大腹に至り、三指を停住する。密排して尺脈を診する⑥(尺脈とは臍上の左傍上三寸許(ばかり)の処、脈の動する是れ也。脈の根本、一身の動脈は是に於いて淵源する。)。
(次に)手掌を腹の正中に当て、以て氣の動静、動氣の有無高低、大絡の拘攣軟緩、任脈の浮漫沈整を察す。而して左右を排按して両側の脇外簾に及ぶ、此の如くにして各々数十次。以て塊の有無隠顕を察す。次に臍上に至り、掌肉を当て亦た停住す、魚腹・外側・指根の三肉を遞推し、以て臍の緊実虚軟、臍帯の有力か否か、その深淺・凸凹を按察する。
次に小腹に至り、又た停住し、氣の黙躁、力の有無、動の応否浮沈⑦、大絡の急強濡弱、任脈の浮見沈伏を察する。而して左右に排按し、両側腰髖の外に及ぶ、此の如くにして各十数次。塊の有無露伏を察す。若し胸膺・大小腹の三処の、俱に手掌にて探り求め軟き者あれば、指頭を併齊して以て之を察する。
復た再び初めの如く、手掌と五指とを伸展させ、而して病者の皮膚に襯着し、上は膻中より、下は横骨に至るまで、左右・中央の三行を排按すること各十数次。
毎時、医の氣息と患者の氣息とを照応させ、以て過不及を察す⑧。而して胸膺の肥痩、広窄高低、腹形の廓大隘狹、上豊下低、緩漫緊収、虚弱充実、肉の肥胖痩削、皮の薄軟厚強、膚の潤沢枯索、熱の浅深、有蒂無蒂、腹の満脹低減、塊の大小長短、圓扁軟硬、水の有無多少、冷の厚薄漫結を究むる。是れその梗概耳(のみ)。その繊細悉盡なる如きの者なれば、その証候を諦知し、その用薬を審らかに弁ずるに足る。是れ診法の(中で)按腹が切脈の右に於いて逈出するの所以なり。
然るにその按探押索するに、自ずと微妙存する者あり。口を以て授く可く、書を以て伝うべ可らず。敢て秘惜するには非ざる也。
上文の序次は、医者が初めに患人を診するの法。その再次、三次(再診・三診)は、則ち唯だその要を取り、而してその他を省きて可なり。若し解せざる者あれば、則ち数々に診按すること初診法の如くにして解を得て、而る後に止む。(高階枳園 ※9)

△(引、松井本)医の手心が熱する者が、無熱の人を診するに猶お有熱なるが如し。須らく自ら之を知り、手背を以てその熱を察せよ。(東郭)

○病人を仰臥せしめ、両脚を伸ばせ、両手を股の側に附けさせ、医者その左辺に就き、(此れ其の常法を以ていう。病人移動しがきものは便に随うべし、)右の膝臏を、其の肩髃にあて、膝を開き、臍下を張り、右臍を其の心上に覆安し、消息須臾にして始めて診按すべし。
其の次第、先ず其の覆安の手を、徐に左右に移して、虚里の動、及び心胸中の煩悸を候うべし。之を名づけて覆手壓按の法という。
次に、右手の食中無名の三指頭を側だて、上は缺盆より次を逐て、左右肋骨の間を細かに探下るべし。之を名づけて三指探按之法という。(此れ亦た胸中の虚実緩急を候うの法なり、すこしにても、指頭に碍るものあらば、指を留めて之を按じ、痛や否を問うべし。凡そ上部に凝結するものは、両乳の上、缺盆までの間、探按して痛み堪えがたし、又、両の肘肩際をもさぐるべし。痛み甚しきは皆血脈凝結するものとす⑨
次に其の手を蔽骨に沿うて鳩尾へ下し、一は浅、一は深、心下の虚実を候う。遂に其の指頭を左右季肋に沿うて、章門の辺に至る、却て上脘の辺より、臍下に至るまで、左右中幾行も探按すべし(任脈より始めて二行三行、及び両の脇下章門の下行まで幾行も按じ下るべし)。次に少腹の左右中も、亦た前の如く幾行も按じ、傍脾骨際、氣衝の脈までに及ぼすべし。
次に復覆手の法を用い、指頭を浮かして、掌側骨に力を用て、却て心下より臍下まで次を逐て壓按し下るべし(是の時、医者の身を前がかりにして、微しく一身の力を右手に及ぼし、徐々に腹を壓すべし。此れ腹中の動氣を候うの法なり、)。其の間、意を用いて、其の指頭を礙げるところの形状を審らかにすべし。
凡そ正に按じて痛まざるもの、斜に探りて即ち痛むものあり(芎歸膠艾湯の腹証の如き是れなり)、浅按せされば応ぜざるあり(心下臍下の悸の如き是れなり)、深按せざれば徹せざるあり(腹底の動、堅塊の類)、及び其の緩急・小大・滑濇・堅脆・寒温までを、始終実着に診して、倉卒に按ずることなかれ、(和久田 ※10)(○此の説、必しも従いがたし。但だ其の中に一二の取る可きもあり。仍(よ)りて姑(しばらく)これを存するのみ。)

※1:中虚;森中虚、「其の書、題名なし。門人の筆記なり。中虚の名、嘉内その父愚然は五雲子に学ぶ。裔孫立之が曰く、家伝の書『意仲玄奥』と名づく、其の説、ここに録する所と異同あり。本は中虚の松岡意齋より授かる所、愚然に質問して筆記するもの也。立之、余の漏引する所を録寄す仍ち亟に補入を成しぬ。」
(一作には「其の書、題名なし。門人の筆記なり。巻末に、享保十七年とあり。中虚の祖父中和、その訣を松岡意齋に受く。意齋は澤庵和尚鍼術の師なりといへり。」との記載もある)
※2:『荘子』大宗師「泉涸れ、魚相い与(とも)に陸に処り、相呴するに湿を以てし、相濡するに沫を以てす。江湖に於いて相忘するに如かず。…」の一節より、「魚は江湖に相忘する」の言葉がある。「相忘」の言葉には“彼我一体”の意がある。
※3:南溟;浅井南溟『内証診法』
※4:『一本堂行余医言』香川秀庵のいう「苦手」は『霊枢』官能篇にある「爪苦手毒」のことであろうか。「温和掌」については不明である。
※5:無名氏「其の書、名、併びに佚す。和田春長、其の説を載せたれども名氏を挙げず
。惜しむべし。」とある。
※6:黃山;畑黄山
※7:台州;萩野台州『腹診秘伝』、門人 渡邉淡 記聞漢文也。腹脈診奥、亦た門人が記す所、国字なり。
※8:東郭;和田東郭、『診腹一家伝』 別に『雑話(蕉窓雑話か)』等、数種。
※9:高階枳園;『求古館医譜』
※10:和久田;和久田寅、『腹証奇覧翼』是の書、形状を説くは吉益東洞に淵源す。東洞、診腹の図は門人の筆記なり。今、並びに採入せず。

腹診の基本を侮ることなかれ!

本章「下手の法」は、腹を診する際の基本的な心得を記している。いわば診察する前の基本ともいうべき内容である。“基本”と聞くと「な~んだ…」と思う人もいるかもしれない。しかし、本章をちゃんと読めば、実に奥深い情報が列挙されていることがわかる。さすが多紀氏が厳選した腹診情報である。

医家の掌と患者のお腹と…

「医者の手指と病人の皮肉を相忘(※2)し而して吉凶を認め得る也」(下線部①)

医の掌と患家の腹部の皮肉とを相忘させて…との言葉がある。相忘とは、互いに“相い忘れる”と解釈しがちであるが、この「相忘」の言葉は『荘子』大宗師「泉涸れ、魚相い与(とも)に陸に処り、相呴するに湿を以てし、相濡するに沫を以てす。江湖に於いて相忘するに如かず。…」の一節より用いられている言葉である。
一般的にも「魚は江湖に相忘する」の言葉があり、「相忘」の言葉には“彼我一体”の意がある。
つまりは医家の掌を患家の腹皮とを一体化させるの意である。

眠るが如くにすべし…

「仰臥閉眼にし眠るが如きにせしむる」(下線部②)
腹診をする際、患者を仰臥させるので、眠るが如く、寝るときのようにリラックスしてもらう。…と、このように読み取ると、いたって普通の内容である。
しかし、これから診察を受ける人を“眠るが如き”状態に導くというのもなかなか高度なことである。加えて“眠る”とのときには営衛はどのような状態にあるのか?このことも考えた上で腹診すべきである。「診法は平旦を以て常とする」ということである。

雲晴れて日のあらわれるが如し

「掌下と腹裏にある、滞結の氣は融和解散する。」(下線部③)
そのココロは「雲を開き日が見われるがごとし(莫不猶開雲見日也)」である。
これは「診即治」の意がある。
それ故に、何度も何度も意図なく腹部を診ることは避けるべきでもあるのだ。

意外と見落としがちな腹力

「腹力」(下線部④)
“腹力を診る”、これは意外と見落としがちなことである。
前述の「左脇を推せば右張り、右脇を推せば左張る者…」にも通ずるものがある。実邪をみるか正氣をみるか、目の付け所の違いで得られる情報がガラリと変わる。
浮沈など、腹部を按ずることの奥深さがわかる診法である。

性差と左右

「患人が男なれば則ち其の左に坐し、女なるば則ち其の右に坐す。」下線部⑤

患者の性別によって、診る者の左右(位置)が変わるという。これもまた興味深い情報であり、脈診にも通ずると思う次第である。ただし「若し便ならざれば、之に反するも亦た可なり。」とあるように、あくまでもこれに固執する必要はないとのことである。

腹部にもある尺脈

「尺脈を診する」下線部⑥
尺脈といえば、脈診の尺中脈であるが、この文から察するに、腹部に尺脈があるようである。
「尺脈とは臍上の左傍上三寸許(ばかり)の処、脈の動する是れ也。脈の根本、一身の動脈は是に於いて淵源する。」という註文と、
「尺中の腹中臍にあたる左傍微上三寸許の処の動脈也。是れ脈の根元にして一身の動脈みな此に淵源するなり。」という註文が確認できる。

動の応をみる

「小腹に至り、又た停住し、氣の黙躁、力の有無、動の応否浮沈」(下線部⑦)
「動(動氣)」の有無や浮沈だけでなく「その応否」を診る、という表現は実に興味深い。
後述にある「任脈の浮見沈伏」も同様に、普段は見落とされがちな情報ではないかと思われる。腹診の奥深さが伝わる表現である。

医と病者の息を合わせる?

「医の氣息と患者の氣息とを照応させ、以て過不及を察す」(下線部⑧)

診法において「氣息」を診ることは非常に重要である。つまりは患者の呼吸である。呼吸の遅数から、氣の生理を推し測ることができる。脈診で呼吸をみるよりも腹診の際に、呼吸をみる方がやりやすいと思われる。
しかし「医の氣息と患者の氣息とを照応させ」とあるが、一見すると「医家が患家と呼吸を合わせる」と誤解されるかもしれない。しかしこれにはくれぐれも注意も要する。

圧痛をどう考える?

「痛み甚しきは皆な血脈凝結するものとす」(下線部⑨)

腹診における“圧痛”の定義・意味が記されている。腹部を按じて患者が痛み(圧痛)を覚えることはしばしばある。この情報の意味がこの文には明記されている。

次章は『診病奇侅』平人の腹形である。

鍼道五経会 足立繁久

原文 診病奇侅 下手之法

■原文 診病奇侅 下手之法

○病人に向て診腹するに、醫者一毫も雜念なく、専一に病人に尋ぬるに、食餌を致し來るや、又は空腹なるやと問ひ、其病人來りし遠近をも尋ね、遠方より來りし病人には、暫休息させ、又大小便の通利を尋ぬるなり。羸痩したる病人ならば、大便通じたる即時は、いよ〱よはく見ゆるものなり。又大便燥結したる病人は、腹がいよ〱實なるやうに見ゆるものなり。問尋ね、病人と醫者と神氣を合せ、さて病人を仰臥させ、胸前に手を拱せ、足跟をそろへさせ、ろくにするなり。其中にも、腹皮つよく脹て、動氣の見え難きは、病人の左右の足を少し揚げさせ可診となり。意齋の精しき教なり。(中虚)

○病人を仰臥させ、病根の所在を尋ぬるに不見ものあり。此時は病人の左の方へ横臥させて見ることなり。それにても病根不知ば、又右の方へ横臥させ診すべし。醫人の手と腹皮を和合して、死生吉凶を決すべし。中虚の南條玄什へ贈けるに、醫者手指與病人皮肉相忘而認得吉凶也、と云へるは腹脉要訣にして、先生修行の上にての工夫なり。(同上)

○凡腹を診するには、先づ其人の氣を寧靜にすることを可教なり。若し努力すれば張り、恭敬すれば堅く、笑語氣散ずれば變動多し。幼童婦女下等の人は、恐畏して只不呼吸を寧靜なりと思へり。故に呼吸平和にして眠りたる意になせと敎ふへし。是捷法なり。(對時)

△(引、松井本)凡診腹之法、須診者與受診者、俱心氣平穏、胸中安定、而後下手、使其仰臥閉眼如眠、徐々撫胸上二三次、要手裏軟々、隨呼吸行、無阻其氣、而先察膚理之精粗疎密。次撫其左右、上自缺盆、下及乳下、以知其肥痩而候乳下之動、動有浮沈、氣有緩急、肉厚者動伏不應。次於其心下、輕按候其氣、重按察其形。輕按平穏無衛氣滯結、重按和緩無塊物痞鞕者、於形狀爲平也。而中脘而臍中、候之部位不亂、臓腑相配、宗氣充内、推左脇、而右張、推右脇、而左張者、實也。推之部位、内移者虚也。爲病難癒。臍下丹田、眞氣之所聚集、應要最有力。上腹盈、而臍下無力、是有所失也明矣。若按之有物、重按之拘攣、于上下脇胠、腎堂(公豐按腎堂卽腰也)或痛、不欲得診者、病已成不淺也。此爲診腹之大要。(陽山)

○下手の法、手の重さ、大抵難經の菽法に可準なり。○輕手にて鳩尾より臍下に至て循撫し、皮膚の潤燥を試、部位の相應を可定。○中手にて尋捫し、疼不疼を問ひ、病邪の有無、腸下及諸空所の强弱、或は動氣の有無を可診。○重手にて推安し、更に疼不疼を問ひ、藏府の虚實、及沈積動氣の淺深を診すべし。(同上○南溟引古傳)

○下手の次第、○先胸膈より撫下し、○胃經通り、○任脉通り、○天樞、○臍下、○諸空所へ至り、(凡諸空所とは腹の四隅骨の際を命て云なり。皆是藏府の居に遠くして空軟なる所なればなり。(森立夫曰、四隅のこと、予が附録中に詳にす。))○再び復胃經を診すべし。其間に大筋の候も自得べきなり。右諸所に心を着て察するときは、下に所述の虚實陰陽、及男女年齢等の異別、自分るべし。其大意を云へば、二言あり。曰觀相應、曰知定位なり。又恰好を觀、つり合を知とも云べし。相應とは、男女幼兒、壯老肥瘠、及諸般の氣象、病人は其病の新久輕重の屬、其人自然の相應を見合すべきを云なり。此二件を以て工夫するときは、眞象假象は、自可分なり。(同上)

○凡按腹専尚左手、右亦非不可、唯使左爲佳、先將左手掌、上齊鳩尾、魚肉當右肋端、掌後側肉、當左肋端、指根肉當中脘、始輕輕按過、漸漸重押、三肉進推、左旋右還、按動無休、不宜少移、良久掌中與腹皮相合摩、其間以似熱非熱、温潤似汗爲度、如是則、掌下腹裏、滯結之氣、融和解散、莫不猶開雲見日也。唯以久按靜守半時許爲妙、若夫苦手溫和掌可謂賢者之富貴矣、而此固係于天資、非可强求何必之乎(苦手温和掌、見玉樞經、○(秀菴))

○腹を診するならば、病人の右へ回て領へ風不入やうに心付くべし。披露するは惡し、胸を不開こと第一なり。先左の肋下へ手をさしのべ窺て、心を丹田にこめうかゞひ、右の肋下へ引とり、其より中脘水分、兩天樞天樞の左右の下、氣海丹田中極までも、能々上下浮中沈の九候の心を以てさがし尋ぬべし。其時の手障り、留滯血積筋攣肉起疙瘩の如きあるときは、不平の腹とすべし。(白竹)

○診腹之法、正心端整、容貌舒緩、手貌安靜、最忌麤厲(時大寒涼、請爐火、或(懐)手、先試自己之膚)、而後令患人仰臥、安手伸足解帶、暫候其呼吸、而後先摩撋胸上、以至腹臍、診其周圍及高下平直、至胸上、察腠理之潤枯、皮膚之堅脆、虚里之動、以知心肺之虚實、三脘脾胃之部、兩脇下肝之候、以至臍下元氣之所繋、十二經之根本、診之最要者也。是其大槪至其細詳錄于後云。(無名氏)

△(引、松井本)凡腹診之法、以得呼吸陰陽和爲至要矣、而後診虚里、以候宗氣之虚實、輕手按心下、緩々循兩肋而及脇下、手法輕重得宜、按大腹漸々及臍小腹焉。(黃山)

○凡診腹、早旦不朝頓時爲佳、醫者須坐病者之左、潜心就事、先以食中二指、候虚里、而後自膻中至丹田、循撫三二遍許(安病人之心氣、又爲令逆氣下降也)、却乃按心下三脘、次少陽、次陽明、次兩脇、次少腹、最後察神闕、是其大綱也。診已遍宜摩胸腹一過。(臺州)

○腹診は手を平たくして診すべし。不然ときは、病人がじゆつながるなり。先鳩尾を診し、次に水分、それより次第に任脉の通臍下までを診し、任脉の勢を視る。又動あるものには、任脉の本位の動あり。又左右の動氣ありて、其響の應ずる者あり。故に此等の處を、綿密に分たざれば、附方のところ相違あり。故に最初に鳩尾水分、夫より左右積氣の胸骨に入るか入らざるかを診し、それより左右肋骨章門を診す。此れ大法なり。虚里の動は、腹診の終に候ふべし(東郭)

△(引、松井本)察腹形宜按撫數回、或沈或浮、以察腹力、及腹之堅軟、又輕々撫下而察皮膚、可以知虚實也。(東郭)

△(引、松井本)診腹醫先使神氣寧靜、而以右手掌輕々徐々、按撫鳩尾、承滿、上脘、中脘、天樞、及臍以察其腹皮之緩急、有痞而堅乎和乎、全腹脹乎、將不脹乎、痞在上乎、在下乎。小腹痞而左乎右乎、腹如無物、腹皮附着背乎、又靜按中脘而察寒熱浮中沈、又以三指按臍、臍者人身之根本也。臍與腎間之動、診腹之樞要(同上)

△(引、松井本)凡診腹之法用左手、患人男則坐其左、女則坐其右、若不便、反之亦可也。而手掌與五指伸展、平板先停住膻中、察氣之緩急、遷停住虚里、診其動之高低、而徐々左右按過、至兩側膂肉外如此數次、而至鳩尾、醫手掌魚腹外側、指根三肉、與病者皮膚相襯着、而久停住、初輕軟漸重墜、使手掌與患者肌膚相和、而溫融手掌魚肉當肋下、掌側肉當肋上、極按肋骨際、左右排押、而至兩側膂肉外、如此各十數次、以察肋下之堅軟攣緩、塊之有無隱顯、次至大腹、停住三指密排診尺脈(尺脈者臍上左傍上三寸許處脈動是也。脈之根本一身之動脈、淵源於是)、手掌當腹之正中、以察氣之動靜、動氣之有無高低、大絡之拘攣軟緩、任脈之浮漫沈整、而左右排按及兩側脇外簾、如此各數十次、以察塊之有無隱顯、次至臍上、掌肉當亦停住、魚腹外側指根三肉、遞推按察以臍之緊實虚軟、臍帶有力否、深淺、凸凹、次至小腹、又停住察氣之黙躁、力之有無、動之應否浮沈、大絡之急强濡弱任脈之浮見沈伏、而左右排按、及兩側腰髖外、如此各十數次、察塊之有無露伏、若胸膺大小腹三處、俱手掌難探求者、併齊指頭以察之、復再如初、手掌與五指伸展、而襯着病者之皮膚、上從膻中、下至横骨、左右、中央三行、排按各十數次、毎時醫之氣息、與患者氣息照應、以察過不及、而究胸膺之肥痩、廣窄高低、腹形之廓大隘狹、上豐下低、緩漫緊収、虚弱充實、肉之肥胖痩削、皮之薄軟厚强、膚之潤澤枯索、熱之淺深、有蒂無蒂、腹之滿脹低減、塊之大小長短、圓扁軟硬、水之有無多少、冷之厚薄漫結、是其梗槪耳、如其繊細悉盡者、足諦知其證候。審辨其用藥、是診法所以按腹逈出於切脈之右也、然其按探押索、自有微妙存者、口可以授、書不可以傳、非敢秘惜也。上文之序次、醫者初診患人之法、其再次、三次者、則唯取其要、而省其他可也。若有不解者、則數々診按如初診法得解而後止。(高階枳園)

△(引、松井本)醫之手心熱者、診無熱人猶有熱、須自知之、以手背察其熱。(東郭)

○病人を仰臥せしめ、兩脚を伸ばせ、兩手を股の側に附けさせ、醫者其左邊に就き、(此其常法を以ていふ病人移動しがきものは便に隨べし、)右の膝臏を、其肩髃にあて、膝を開き、臍下を張り、右臍を其心上に覆安し、消息須臾にして始めて診按すべし、其次第、先其覆安の手を、徐に左右に移して、虚里の動、及心胸中の煩悸を候ふべし、之を名けて覆手壓按の法といふ、次に、右手の食中無名の三指頭を側だて、上缺盆より次を逐て、左右肋骨の間を細かに探下るべし、之を名けて三指探按之法といふ、(此亦胸中の虚實緩急を候ふの法なり、すこしにても、指頭に碍ものあらば、指を留めて之を按じ、痛や否を問べし、凡上部に凝結するものは、兩乳の上、缺盆までの間、探按して痛堪がたし、又兩の肘肩際をもさぐるべし、痛甚しきは皆血脈凝結するものとす。)次に其手を蔽骨に沿て鳩尾へ下し、一は淺、一は深、心下の虚實を候ふ、遂に其指頭を左右季肋に沿て、章門の邊に至る、却て上脘の邊より、臍下に至るまで、左右中幾行も探按すべし、(任脈より始て二行三行、及兩の脇下章門の下行まで幾行も按じ下るべし)次に少腹の左右中も、亦前の如く幾行も按じ、傍脾骨際、氣衝の脉までに及ぼすべし、次に復覆手の法を用ひ、指頭を浮かして、掌側骨に力を用て、却て心下より臍下まで次を逐て壓按し下るべし、(是時醫者の身を前がかりにして、微しく一身の力を右手に及ぼし、徐々に腹を壓べし、此れ腹中の動氣を候ふの法なり、)其間意を用て、其指頭を礙ところの形状を審すべし、凡正に按じて痛まざるもの、斜に探りて即痛ものあり、(芎歸膠艾湯の腹證の如き是なり)淺按せされば應ぜざるあり(心下臍下の悸の如き是なり)深按せざれば徹せざるあり、(腹底の動、堅塊の類、)及其緩急小大滑濇堅脆寒溫までを、始終實着に診して、倉卒に按ずることなかれ、(和久田)(○此説必しも從ひがたし、但其中一二の可取もあり、仍て姑くこれを存するのみ、)

 

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