按腹図解の凡例について
『按腹図解』の凡例についても紹介しておきます。按摩という医術の源流を古典文献に求めています。『素問』異方法宜論、『霊枢』官能篇、『金匱要略』を挙げ、さらには本邦の医学からは『一本堂行余医言」(香川修徳)、『産論翼』(賀川玄迪)の医書の名を挙げています。
※画像は『按腹図解』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※本文は盛文堂 漢方醫書領布會 発行の『按腹圖解』から引用していますので、京都大学付属図書館のものとは若干の違いがあります。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。
『按腹図解』の凡例
書き下し文・按腹図解 凡例
一、導引按腹の術、和漢とも古昔(いにし)ありて後世中絶せしと見ゆ。漢土の書には『素問』異法方宜論、『霊枢』官態篇(官能篇のことであろう)、金匱要略等の書に導引按蹻の目見えたり。然れども、其の術の如何なる事とも知るべからず。『荘子』に出でし熊経鳥伸或び華佗の五禽の戯の如きは後世に謂う独り按摩の類いなるべし。はるか後、明の代に至りて、龔居中の『百効全書』に手足推撃の法を図論せり。然れども、煩雑にして則とすべきにあらず。又清の代の『願體集(※1)』に小児急驚推挐の論あり。我が邦にも中昔の頃、此の術の行れしこと、物語文に見えたり。其の術は彼も此も如何とも知るべからず。又、其の術を紀せる書もなし。近世刊行にせる『導引口訣集』、『導引秘伝抄』の二書は同書同文也。而して其の『秘伝抄』は『口訣集』を剽竊(ひょうせつ・ぬすと)せしものと見ゆ。其の書粗浅(そせん)なれども、我が邦にて此の術を書に筆せしは、実に此の書を以て嚆矢とす。此の道の陳渉といふべし。続いて広川氏藏板の『按腹伝』あり。其の文易簡に過ぎて遺る㪽あり。藤林氏の『按摩手引』あり。其の文、太甚(はなはだ)踈漏(そろう)只だ初学の為に設しものなり。特(ひとり)賀川子啓子の『産論翼』に出る按腹の法のみ厳然として法律あり①。則とすべし。然れども只だ按腹のみを説きて其の佗の手術に論及せず。遺憾というべし。香河修徳子の『行余医言(一本堂行余医言)』に出でし按腹の法は孟浪(もうろう)にして亦た則とし難し、此の外、導引按腹の術を筆紀せるものをいまだ見聞せざるなり。亦た腹診書といえるあれども按腹術を論ぜる書にあらざるなり。
一、此の書、もとより大家の為に著述せるに非ず。只だ初学の徒、或いは婦女子童僕まで見て容易に其の旨を領会せんを欲す故に尤も俗諺俚語を以てす。看る者これを察せよ。
一、人生養生の第一義は按腹導引にしくものはなし。たとえ無病たりとも平生導引按腹して元氣を鼓舞し氣血を循環し飲食を消化し腸胃を調理し二便を快通し無病壮健にして天壽を全うするに過ぐるはなし。世に養生を論ぜし書すくなく、適あるも只だ飲食起居の事のみ論じて、いまだ導引按腹の術に論及せず。是を以て余、特に挙論ずるなり。俚諺に“四百四病より貧程つらき物なし”と最大なる誤りなり。世人病によりて死せる人百人に九十九人までにて、貧窮にて死する人百人に一人もなし。此の多寡を以て準知すべし。
病は誠に恐るべし、貧は憂るに足らず。たとえ富貴にして何事も心に任す身なりとも、平生虚弱多病ならば何の生るかい(甲斐)あらんよし。貧賤にて何事も心に任せぬ身にても、平素無病壮健ならば、是にまさる幸あらんや。まして拤(かせぐ)に追附(おいつく)貧乏なし、との俚諺あるをや。是を以て司位髙き方々はいうも更なり。下が下の匹夫匹婦まで此の手術を以て真神を調養し、形體を潤沢し、無病壮強にして以て百年の寿命を全うせんと欲する而已。
一、此の書中論ずる所の手術は、唯だ実用を尚(たっと)んで更に虚技を假(か)らず故に折指(せっし)鼓動(こどう)等の手術一切兼ね用いず。読人それこれを訝かる事なかれ。
一、此の書中に癇症と疝氣の二病の治術を挙ぐるものは、此の二病は近世之を患うる人最多く且つ亦た治法も手術に非ざれば全愈せざるを以て特に是に表出するなり。尚、其の余、外邪・内傷及び沉痾・痼疾の療法と試功の治験の如きは後篇に論ず。
按腹図解目次
・導引按腹活套
・候腹弁
・導引按蹻按摩按腹推挐名弁
・癇症疝氣論
・家法導引三術図解
・家法按腹十三術図解
・孕婦按腹図解
・小児按腹図解
・乳汁不下療術図解
・自行療術図解
・収神術
・帰元術
按摩の源流を求めて…
まず“按摩・按腹”という医術の源流を古典文献に求めています。
『素問』異方法宜論には、中央部における治術として「導引按蹻」が指摘されています。この点はよく知られていることだと思います。
また『霊枢』官能篇に記される「爪苦毒手」「手甘なる者」などを挙げています。
そして『金匱要略』、同書・臓腑経絡先後病編には「導引」「吐納」「肓摩」の治術が記されています。
人が病を受ける原因を三つに挙げ、「一者、経絡受邪、入臓腑爲内所因也。」「二者、四肢九竅、血脉相傳、壅塞不通、爲外皮膚所中也。」「三者、房室金刃、蟲獸所傷。」としています。
さらには「若人能養慎、不令邪風干忤経絡、適中経絡、未流傳腑臓、即醫治之、四肢纔覚重滞、即導引吐納、鍼灸肓摩、勿令九竅閉塞。…」と、病理・病伝を踏まえた上で、吐納・導引・肓摩(按摩)・鍼灸という養氣・養生・治術を記している点は注目すべきことでしょう。
他にも雑療方篇にも「按」「摩」「按其腹」の字が[救自縊死]にも記されていますが、一部は心臓マッサージのような趣きを感じます。
賀川玄迪氏の按腹について
下線部①「『産論翼』に出る按腹の法のみ厳然として法律あり」という記述は興味深いですね。
『産論翼』とは賀川子啓(玄迪)氏による書です。太田氏の言葉「法律」とは、どのような意味があるのでしょうか。
まず賀川玄迪(1739~1762年)という人物について紹介しましょう。玄迪とは、賀川玄悦の弟子にあたります。賀川玄悦・玄迪の両氏は産科で有名な医家であります。とくに師の賀川玄悦が正常胎位をこの時代において指摘している点は知っておくべきことでしょう。他にも産科領域において様々な治術理論の開発整備を行っています。
そして賀川玄迪、師の玄悦が著した『産論』の不備を行い、『産論翼』を著しました。1775年のことです。『産論翼』では一番に「按腹」を挙げています。以下に原文を抜き出しおきます。
按腹
此婦人孕三四月際、善用此乃必得其腹内欝氣大散脈絡調理、而惡阻之患亦得速除矣。其餘不問老幼男女諸病兼用之。其益不少。且此爲産科所用、諸手法之本源。諸手法皆由此而生。故凡欲通産科之諸術者、此不可不最先練習熟慣也。其用手之法凡七。凡欲施此術者、先令其婦人仰臥、醫須就左邊、以左膝頭、抵承其髀樞。少帶推壓之意。以令不得移動。然後先用兩手於婦胸腹、左手覆安心下、右手掌當婦胸間以候其虚里之動。消息須臾、始入按腹之術。
其初第一手法、先以左手掌安心下、右手分排指頭、從膺上至心下、左右拊循其肋骨之間、漸下至心下左手視右手之拊循下亦遂勢漸次下迄臍下而安住焉。
次第二手法、左手仍安臍下、而用右手食中無名指頭、從鳩尾沿季肋、向右脇下章門、強按下之。又用右手大指頭、從鳩尾向左章門、強按下之。左右各三遍作之。
次第三手法、左手仍安前處、而用右手大次指、從鳩尾、分夾任脉、迄臍下、強按下之三遍。
次第四手法、醫先聳腰、將左手以其指頭用力。覆拘婦人右章門(冝作背後下同)遍、右手食中無名三指頭用力。沿右季肋推進向其右不容穴而強按之。左手却逐其勢抅勒腹皮、而擧提之、又將左手仰拘其左章門(当作背後)邊。右手大指頭用力、沿左季肋推進、向其左不容穴而強按之。左手如前逐其勢拘勒腹皮向外而擧提之。各三遍。
次第五手法、兩手中、食指頭斜𢪷(當作按住二字)、向婦人右小腹上、而其八指頭皆用力按住、而抅拽向内、復(当作又)用兩大指相向、從左小腹上起、指頭用力按住、推送向外。作之三遍、勢若搖櫓之状。
次六手法、醫臨竪、左膝聳身、將兩手、從婦人兩脇、向其背後、以其兩指頭、分夾其脊骨第十二三椎、按抑之。使指骨節間有聲、而下至十六七椎邊。兩手如擁抱状、而擧提之、至章門邊。兩手用力束勒向腹前相聚。作之三遍。是時醫冝面婦人下部、而坐、而當其擧提之時、捩腰以頭反顧。却面婦人上部。
次第七手法、用兩手食中無名指頭、用力當任脉左右幽門穴、迭換徐徐按之、沿季肋而下、至不容至章門、漸漸按下。
已上凡七法、其用手須着實爲之、不可倉卒爲之。倉卒則無功矣。凡第四第五等用手法。切不可倉卒、使腹皮牽急、先須毎於指下、微蹙其腹皮以使有餘裕。然復徐取引之前、乃得其無牽急之患。
『産論翼』乾之巻より
『産論翼』では「妊娠三~四カ月の際に、腹部内の氣鬱が起こり、脈絡を散じ調理することで悪阻の患いを除くことを得る」とあります。そして妊婦さんに施す按腹に七つの手法を示しています。要所として「心下(鳩尾)」「不容」「季肋」「章門」「臍下・小腹」を挙げ、種々の手法を細かに記しています。
太田氏が言う「法律あり」とは、技術・技法という点での「法律」なのでしょう。個人的な希望としては「法律」とは「理」のことです。須らく技術には“術理”があるべきです。伝統医術・医法を学ぶ者は須らく術理を重視すべきと私は考えます。
『産論翼』には、「按腹」の他にも「整胎」の項があり、この「整胎」とはおそらくは外回転術のこと、逆子を治す主技が記されています。いずれまた詳しく紹介するかもしれません。
その他、貧しさと癇症と疝気と…
他にも「病は誠に恐るべし、貧は憂るに足らず。」という言葉は太田氏の実体験にも基づく言葉なのでしょう。たしかに四苦、生老病死にも“貧”はありません。人によっては八苦の一つ、求不得苦に貧困を当てて解釈するかもしれませんが…。
「書中に癇症と疝氣の二病の治術を挙ぐる」との言葉も興味深い点です。その理由として「此の二病は近世之を患うる人最多く且つ亦た治法も手術に非ざれば全愈せざるを以て特に是に表出するなり」とあり、江戸後期に「癇症」と「疝気」が流行していたことがわかります。江戸患いと呼ばれる「脚気」と併せて江戸期の医学・医術を学ぶ上で知っておくべき情報かもしれませんね。
鍼道五経会 足立繁久
原文 按腹図解 凡例
■原文 按腹圖觧 凡例
一、導引按腹の術、和漢とも古昔ありて後世中絶せしと見ゆ。漢土の書には素問異法方宜論、霊樞官態篇、金匱要畧等の書に導引按蹻の目見えたり。然れども、其術の如何なる事とも知るべからず。荘子に出し熊經鳥伸或華佗の五禽の戯の如きは後世に謂独按摩の類ひなるべし。はるか後、明の代に至りて、龔居中の百効全書に手足推撃の法を圖論せり。然れども、煩雑にして則とすべきにあらず。又清の代の願體集に小児急驚推挐の論あり。我邦にも中昔の頃此術の行れしこと、物語文に見えたり。其術は彼も此も如何とも知るべからず。又其術を紀せる書もなし。近世刋行にせる導引口决集、導引秘傳抄の二書は同書同文也。而其秘傳抄は口决集を剽竊せしものと見ゆ。其書粗淺なれども、我邦にて此術を書に筆せしは、實に此書を以て嚆矢とす。此道の陳陟(書き下しでは“陳渉”とすべきであろう)といふべし。続て廣川氏藏板の按腹傳あり。其文易簡に過て遺る㪽あり。藤林氏の按摩手引あり。其文太甚踈漏只初學の為に設しものなり。特賀川子啓子の産論翼に出る按腹の法のみ厳然として法律あり。則とすべし。然れども只按腹のみを説て其佗の手術に論及せず。遺憾といふべし。香河脩徳子の行餘醫言に出し按腹の法は孟浪にして亦則とし難し、此外導引按腹の術を筆紀せるものをいまだ見聞せざるなり。亦腹診書といへるあれども按腹術を論ぜる書にあらざるなり。
一、此書もとより大家の為に著述せるに非ず。只初学の徒或婦女子童僕まで見て容易に其旨を領會せんを欲す故に尤俗諺俚語を以てす。看者これを察せよ。
一、人生養生の第一義は按腹導引にしくものはなし。たとへ無病たりとも平生導引按腹して元氣を鼓舞し氣血を循環し飲食を消化し腸胃を調理し二便を快通し無病壮健にして天壽を全ふするに過るはなし。世に養生を論ぜし書すくなく適あるも只飲食起居の事のみ論じていまだ導引按腹の術に論及せず。是を以て余特に挙論ずるなり。俚諺に四百四病より貧程つらき物なしと最大なる誤なり。世人病によりて死せる人百人に九十九人までにて、貧窮にて死する人百人に一人もなし。此多寡を以て準知すべし。病は誠に恐るべし、貧は憂るに足らず。たとへ冨貴にして何事も心に任す身なりとも平生虚弱多病ならば何の生るかひあらんよし。貧賤にて何事も心に任ぬ身にても平素無病壮健ならば、是にまさる幸あらんや。まして拤に追附貧乏なしとの俚諺あるをや。是を以て司位髙き方ゝはいふも更なり。下が下の匹夫匹婦まで此手術を以真神を調養し形體を潤澤し無病壮強にして以て百年の寿命を全うせんと欲する而已。
一、此書中論ずる㪽の手術は唯実用を尚んで更に虚技を假らず故に折指鼓動等の手術一切兼用ひず。読人それこれを訝かる事なかれ。
一、此書中に癇症と疝氣の二病の治術を挙るものは此二病は近世之を患ふる人最多く且亦治法も手術に非ざれば全愈せざるを以て特に是に表出するなり。尚其餘外邪内傷及沉痾痼疾の療法と試功の治験の如きは後篇に論ず。
按腹圖觧目次
・導引按腹活套
・候腹辨
・導引按蹻按摩按腹推挐名辨
・癇症疝氣論
・家法導引三術圖觧
・家法按腹十三術圖觧
・孕婦按腹圖觧
・小児按腹圖觧
・乳汁不下療術圖觧
・自行療術圖觧
・収神術
・帰元術