『按腹図解』候腹弁より

腹診としての按腹

『按腹図解』の候腹弁を紹介します。候腹とは、その名の通り“腹を候(うかが)う”ことです。「按腹」という言葉に入は、腹を按じることで治療を行う按腹に対し、腹を按じることで診察を行う按腹(本章では候腹)という二つの意味があるように見受けられます。そしてこの傾向は、本記事でも紹介する香川修庵の『一本堂行余医言』の「候腹弁」にも含まれているように感じます。良く言えば「診即治」であり、それだけに診と治の違いを弁える必要があります。

『按腹図解』候腹弁※画像は『按腹図解』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※本記事本文は盛文堂 漢方醫書領布會 発行の『按腹圖解』から引用していますので、京都大学付属図書館のものとは若干の違いがあります。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

『按腹図解』の候腹弁

書き下し文・按腹図解 

候腹辨

候腹の法、古医書に詳論なし。『内経』脈要精微論に「観五臓有餘不足六府強弱形之盛衰…」云々。『難経』八難に「腎間の動気也、五臓六腑之本、十二經脉之根、呼吸之門、三焦之原…」云々等の論あれども候法を詳らかにせず。其の余諸医書に腹証という事、枚挙(あげてかぞう)べからず。然れども一も候法を説かず。

我が邦、近世、香川修徳子『行餘醫言(一本堂行余医言)』を著して、其の中に候腹の法を論ず。其の説詳らかなれども、猶お未だ尽きざる処ありて、虚腹と病腹と混ずる類、少なからず。是をもって余、再び是を詳論ずるなり。凡そ按腹の術を行わんと欲する人、先ず候腹の法を弁明すべし。其のこれを候うる大綱、五道あり。
曰く実、曰く虚、曰く動悸、曰く攣急、曰く結塊なり。

其の実というは、腹皮厚く全体剛強にして、動悸高からず、攣急せず、結塊なく、潤澤あるは、壮実の腹症にして按腹用うるに及ばず。

其の虚というは、腹皮薄く全体虚弱にして、動悸高く、攣急なく、結塊なく、枯燥するは、祛虚の腹症にして、妄浪に按腹すべからず。家法、収神術を用いて元気を補住すべし。然らざれば救濟しがたし。

其の動悸は、腹裏の動脉の外表に応(こた)うるなり。静かなるを吉とし、躁(さわが)しきを凶とす。
其の攣急は、腹裏の大筋縮急するなり。
其の結塊は、食塊・気塊・水塊・血塊などの差別あれども、其の腹裏に塊を結ぶに至りては一なり。是をもって、動悸・攣急・結塊、その病状は異なりといえども、是を療ずる術に於ては一なり。

総て動悸にても攣急にもて結塊にても是を療するには、先ず其の病の所在の裏面にあたる脊部を熟(とく)と解釈し、扨(さて)其の病毒の四旁(ぐるり)を徐々(そろそろ)と解釈し、扨その病毒の上面をいかにも静かに少し圧す心にて解釈し、其の後徐々(そろそろ)と調摩すべし。
此の如くに数次するときは、動悸はよく鎮まり、攣急はよく伸び、結塊はよく消ずるなり。即効を見んとて心を燥(いら)ち、病上をゆめゆめ強く推圧(おす)べからず。理外の変を生じて、反掌(掌をかえす)の禍をいたす。慎之慎之(これを慎みこれを慎め)。

※1…願體集;『新增願體廣類集』のことか。

虚腹と実腹の対比

「腹皮の厚薄」「全体の剛強と虚弱」「動悸の高低」「潤沢および枯燥」の違いによって、腹の虚実を鑑別しています。

実腹・虚腹はともに(治術としての)按腹を要しません。しかし虚腹は虚脱の様相が強いため、按腹ではなく収神術を施すべきであると記されています。この点も興味深いですね。

結塊に関しては「食塊・気塊・水塊・血塊などの差別あれども、其の腹裏に塊を結ぶに至りては一なり」とあります。さらに「動悸・攣急・結塊、その病状は異なりといえども、是を療ずる術に於ては一なり」との記述は、異病同治の説を展開しているようであります。

この治病観は前章の活套にある「此一元気纔に流滞するときは病み…」という病理観に依るものだと推測できます。ですから、この一元気の渋滞を解釈すれば、その結果として「動悸はよく鎮まり、攣急はよく伸び、結塊はよく消ずるなり。」と、治病機序がシンプルながらも説かれているのです。

また興味深い記述としては、「即効を見んとて心を燥(いら)ち、病上をゆめゆめ強く推圧べからず。」これは鍼灸に通ずるものです。功を急ぐことで、治療どころか悪化させてしまう危険性があり、「理外の変を生じ」という言葉で、壊病を致す可能性を示唆しています。

香川修庵の『一本堂行余医言』に記される按腹

また「凡例」にもとり上げられた香川修庵(修徳)の『一本堂行余医言』。この「候腹弁」にも登場していますね。『一本堂行余医言』巻一は「診候」の章から始まります。その中に「按腹」の項目があり、次のように記されています。

吾門以按腹為六診之要務。何則大槩按診腹部、何以辨人之强弱也。凡按之、腹皮厚、腹部廓大、柔而有力、上低下豊、臍凹入、任脉低兩旁高、無塊物、無動氣、此為無病之人、為强。在病人、亦有此數項、為易治。
凡按之、腹皮薄、腹部隘狹、無力、或堅硬、上高脹下低鬆、臍淺露、任脉髙兩旁低、多塊物、有動氣、筋攣急、虚里動高、此為弱、為病人之腹。在病中、若有此數項、為難治。此其大畧也。
其餘有㴱微意味。但可以口傳、不可以書、示非敢秘也。
凡小児自四五歳、至十三四、筋肉猶未强壮、故腹皮多薄、虚里胸脉多動、此亦㪽可預知也。
凡腹裏之癥及疝、上下左右及中、大小長短圓扁硬軟、午(于?)一按著、可直的識。邪熱肌熱、可辨別。腫脹可捜知、潤澤枯索、滿堆低減、肥痩張弛、可皆候察。
虚里可候、動氣上下左右及中、應掌即覺。妊胎血塊可試。胸骨之痩、可循而知。此按腹之㪽以不可不必為、而有大益于治事也。
凡腹甚堅硬者難治、甚軟鬆者難癒。
按腹法、凡按腹専尚左手、右亦非不可、唯使左為佳。先将左手掌、上齊鳩尾、魚肉當右肋端、掌後側肉、當左肋端、指根肉、當中脘、始輕輕按過、漸漸重押、三肉逓推、左旋右還、按動無休、不宜少移、良久掌中與腹皮相合摩、其間以似熱非熱、温潤似汗為度。如是則、掌下腹裏、滯結之氣、融和解散、莫不猶開雲見日也。唯以久按靜守半時許為妙。若夫苦手溫和掌可謂賢者之富貴矣、而此固係于天資、非可强求何必之乎。
靈樞云、緩節柔筋而心和調者、可使導引行氣。爪苦手毒為事善傷者、可使按積抑痹。(官能篇○苦手温和掌見玉樞經)
近時有推挐法、即按腹之法。(見願體集)此乃古人導引按蹻之遺意。但導引按蹻、雖非治篤疾之術、亦足以為療病之末助。古稱熊經鳥伸、即華佗五禽之戯、其後稱坐功、是也。此皆自行之術耳。今之導引家、固是無學之瞽賤、閒有苦手温和掌者、幸頼奇貨得効。元非術之善者、故欲使行導引按蹻者、可試手掌而後使為之。如是則雖無術可得効。或按腹抑癥、或屈伸手足十指、或摩動背腰股關節、使氣散、體和、腹裏按穏。此按摩之㪽以有小益也。

とあり、冒頭文には「按腹は六診の要務」とあります。香川氏の一門では、「診候」に「望形」「問證」「聞聲」「切脉」「按腹」「視背」が挙げられています。今でいう「望診」「問診」「聞診」「脈診」「腹診」「背候診」という分類でしょうか。その中でも「腹診」が要となるという趣旨のことを記しています。

また腹皮・腹形・腹力・硬軟・上下・臍・任脈とその旁肉・塊物・動氣・虚里の動などで腹証の虚実を判断しているようです。他にも興味深い点は、按腹の法にある「掌中と腹皮の合摩」に関する内容ですね。非常に奥深いことが書かれているように感じます。

しかし「但導引按蹻、雖非治篤疾之術、亦足以為療病之末助。」といった記述や、後述の「今の導引家というものは…」といった批判的な内容は太田氏からすると好ましくない表現なのでしょう。

鍼道五経会 足立繁久

原文 按腹図解 候腹辨

■原文 按腹圖觧 候腹辨

候腹の法、古醫書に詳論なし。内経脉要精微論に観五臓有餘不足六府強弱形之盛衰云云。難経八難に腎間の動気也、五臓六腑之本、十二經脉之根、呼吸之門、三焦之原云云等の論あれども候法を詳にせず。其余諸醫書に腹證といふ事不可枚挙。然れども一も候法を説ず。我邦近世香河脩徳子行餘醫言を著して其中に候腹の法を論ず。其説詳なれども猶未尽處ありて虚腹と病腹と混ずる類不少。是をもつて余再是を詳論ずるなり。凡按腹の術を行はんと欲する人、先候腹の法を辨明すべし。其これを候ふる大綱五道あり。曰実曰虚、曰動悸曰攣急曰結塊なり。
其実といふは腹皮厚く全体剛強にして動悸髙からず攣急せず結塊なく潤澤あるは、壮実の腹症にして按腹用ゆるに及ばず。
其虚といふは腹皮薄く全体虚弱にして動悸髙く攣急なく結塊なく枯燥するは祛虚の腹症にして妄浪に按腹すべからず。家法収神術を用て元気を補住すべし。然らざれば救濟しがたし。其動悸は腹裏の動脉の外表に應るなり。靜なるを吉とし、躁しきを凶とす。其攣急は腹裏の大筋縮急するなり。其結塊は食塊気塊水塊血塊等の差別あれども其腹裏に塊を結ぶに至りては一なり。是をもつて動悸攣急結塊其病状は異なりといへども是を療ずる術に於ては一なり。總て動悸にても攣急にもて結塊にても是を療するには先其病の㪽在の裏靣にあたる脊部を熟と觧釈し扨其病毒の四旁を徐〃と觧釈し扨其病毒の上靣をいかにも靜に少し壓心にて觧釈し其後徐〃と調摩すべし。如此に数次するときは動悸はよく鎭り挛急はよく伸び結塊はよく消ずるなり。即効を見んとて心を燥ち病上をゆめ〱強く推壓べからず。理外の変を生じて反掌の禍をいたす。慎之慎之。

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