『按腹図解』導引按蹻按摩按腹推挐名弁

導引・按摩・按蹻の意味

『按腹図解』の導引按蹻按摩按腹推挐名弁を紹介します。「導引」「按蹻」「按摩」「按腹」「推挐」とそれぞれの名称がありますが、それらの定義・違いについて論じています。

また本文では『儒門事親』が登場していましたので、本記事では『儒門事親』に掲載されている按摩・按腹を用いた医案についても引用紹介しています。

按腹図解 導引按蹻按摩按腹名弁
※画像は『按腹図解』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※本記事本文は盛文堂 漢方醫書領布會 発行の『按腹圖解』から引用していますので、京都大学付属図書館のものとは若干の違いがあります。

※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

『按腹図解』の導引按蹻按摩按腹推挐名弁

書き下し文・按腹図解 

按蹻按摩按腹推挐名弁

導引按蹻の字は始めて『内経』に出づ。王冰の註に曰く、導引は筋骨を揺(うごか)し、支節(えだふし)を動かすを謂う。
按は皮肉を抑按するを謂ひ、蹻は手足を捷挙するを謂う。
按摩は類案に、臍の上下を按摩する事百数とあり。又、『涅槃経』に、病苦のとき捉持按摩すとあり。
我邦にても中昔は按摩師、按摩博士、按摩生等ありしは『令義解』に見ゆ。
按腹は『儒門事親』に、其の股を搥し、其の腹を按すとあり。
又、我が邦に昔より“腹とり”というは按腹の事なり。
推挐は『願體集』にみゆ。その余、猶お数多有るべけれども、余は未だ考え得ず。

※1…願體集;『新增願體廣類集』のことか。

按蹻・按摩・按腹

「導引は筋骨を揺(うごか)し、支節を動かすを謂う。按は皮肉を抑按するを謂い、蹻は手足を捷挙するを謂う。」とあるように、導引・按蹻の違いについて明記されています。

続いて「按摩」「按腹」についても、その由来・出典が記されています。

『儒門事親』にみる按腹

『涅槃経』『令義解』に続いて『儒門事親』に「按腹」という言葉が使われている、と太田氏は記しています。ちょっと興味があるので『儒門事親』をみてみましょう。

張子和が行った水法と按腹

『儒門事親』には「按腹」または「按」という言葉文字が用いられています。上記本文にある「其股を搥し、其腹を按す」との言葉は『儒門事親』巻七に記載されています。

感風寒 九十六

戴人之常谿也、雪中にて寒を冒し、浴に入りて重ねて風寒を感じ、遂に病みて起きず。但だ通聖散を煎じせしめ之を単服す。一二日不食、惟だ渇して飲水す。亦た多飲せず。時々人をして其の股を捶し、其の腹を按せしむ。
凡そ三四日不食、日に飲水すること一~二十度。
六日に至りて譫語妄見あり。調胃承氣湯を以て之を下す、汗出でて愈ゆる。
戴人、常に人に謂いて曰く、傷寒には妄りに用薬すること勿れ。惟だ飲水が最も妙薬と為す。但だ之を傷らしむる可からず。常に揉み散せしむ、乃ち大佳耳(のみ)と。六七日に至り、下証あるを見る。方に之を下す可し、豈に変異有らんや。
奈何、医者が人の飲水を禁じ、渇死者あるに至る。病人、若し渇せざるは、強いて水を与えて飲ましむも、亦た(病人は)肯じて飲む耳(のみ)。
戴人が初病の時、鼻塞声重く、頭痛み、小便は灰淋汁の如し。調胃承氣一兩半を服するに及びては、嘔せんと欲するの状を覚え、探して之を出す、汗出ること漿漿然として、須臾に下すこと五六行、大汗すること一日にして乃ち瘳(いえる)。
當日冰水を飲む時、水下るときは則ち痰出ること約一二椀。痰は即ち是れ病也、痰去るときは則ち病去る也。戴人時に年六十一。

■原文
感風寒 九十六
戴人之常谿也、雪中冒寒、入浴重感風寒、遂病不起。但使煎通聖散単服之、一二日不食、惟渇飲水、亦不多飲、時時使人捶其股、按其腹。凡三四日不食、日飲水一二十度、至六日、有譫語妄見、以調胃承氣湯下之、汗出而愈。
戴人常謂人曰、傷寒勿妄用薬、惟飲水最爲妙薬、但不可使之傷、常令揉散、乃大佳耳。至六七日、見有下證、方可下之、豈有變異哉。
奈何醫者禁人飲水、至有渇死者。病人若不渇、强與水飲亦不肯飲耳。
戴人初病時、鼻塞聲重、頭痛、小便如灰淋汁。及服調胃承氣一兩半、覚欲嘔状、探而出之、汗出漿漿然、須臾下五六行、大汗一日乃瘳。當日飲冰水時、水下則痰出、約一二碗。痰即是病也、痰去則病去也。戴人時年六十一。

『儒門事親』巻七 寒形より

「戴人」とは張子和のこと。どうやら張子和61歳のときの治療録のようですね。

文中には「時時使人捶其股、按其腹。」とあり、「按腹」や「捶其股(按摩術でいう叩打法のようなものでしょうか)」。を行っていたことが分かります。また傷寒・熱病の際の与水(水法)の運用に対する張子和の一家言が実に興味深いです。妄りに用薬せずに、熱を極めさせてから、一気呵成に勝負をかけるという治療戦略でしょうか。

按腹で水の動きを把握する

『儒門事親』には他にも「按摩其腹」「按摩其中脘」の言葉が登場します。同書巻一に飲水後の水の動きを促すべく按摩按腹を活用しているようです。

『儒門事親』巻一 立諸時氣解利禁忌式三(の途中)より

……(六禁也)故に凡そ此れの有る者、宜しく清房を清め榻を涼しくすべし、客熱の邪を受けさしめず。窓を明るくし室を皓にし、斑出黄生の変を見易くせしむ。
病者の食涼を喜むときは則ち其の涼に従い、食温を喜むときは則ち其の温に従う。
之を清くして擾ること勿れ、之を休して労すること勿れ。
辛温にす可きときは則ち辛温これを解き、辛涼なるべきときは則ち辛涼がこれを解く。
察する所甚微にして、彼此に拘ること無し、水を欲するの人、慎みて水を禁ずること勿れ。但だ之を飲みて後、頻りに與に其の腹を按摩するときは、則ち心下自ら動く。若し其の中脘に按摩して、久しければ則ち必ず痛む。病人痛を獲れば、若し復た水結あるときは、則ち敢えて按ぜず。止(ただ)禁に当たりて禁ぜざる者、軽ければ則ち危うし、重ければ則ち死す。緊に当たらずして緊ずる者も、亦た然り。
今の士大夫の多くは俗論の為に先ず其の心を錮する。正論ありと雖も得て入らず。
昔、陸象先の嘗て云く、天下本(もと)無事なり、庸人これを擾ぎ煩を為す耳(のみ)(『新唐書』より)。余も亦た曰く正氣は本と乱る、庸医これを擾ぎて劇と為す耳(のみ)。

■原文
……(六禁也)故凡有此者、宜清房涼榻、使不受客熱之邪、明牕皓室、使易見斑出黄生之變。病者喜食涼則從其涼、喜食温則從其温。清之而勿擾、休之而勿勞。辛温則辛温解之、可辛涼則辛涼解之。所察甚微、無拘彼此、欲水之人。慎勿禁水。但飲之後、頻與按摩其腹、則心下自動。若按摩其中脘、久則必痛。病人獲痛、復若有水結、則不敢按矣。止當禁而不禁者、輕則危重則死。不當緊而緊者、亦然。今之士大夫、多爲俗論先錮其心、雖有正論、不得而入矣。
昔陸象先嘗云、天下本無事、庸人擾之爲煩耳。余亦曰正氣本亂庸医擾之爲劇耳

『儒門事親』巻一 立諸時氣解利禁忌式三より

他にも、鍼治療と按摩を併用している診療録があります。

鍼治と按摩の併用治療

『儒門事親』巻八 内積形「痃气」の医案をみてみましょう。

痃气 一百二十六

王亭村の一童子、門に入るとき状(かたち)鞠恭の如し(腰背が曲がる様)而して行く。
戴人曰く、痃气也。
衣を解きせしめ之を揣(さぐ)る。二道(膂の筋のことか)臂の如し。其の家、戴人に療を求む。
先ず其の左を刺すも、重紙を刺すが如し、剥然として声有りて断ず。之を按摩せしむるに、立ろに軟らく。其の右も亦た然り。観る者感嗟して之を異にす。
或る(人)問う。(戴人)曰く、石関也。

■原文
痃气 一百二十六
王亭村一童子、入門状如鞠恭而行。戴人曰、痃气也。令解衣揣之、二道如臂。其家求療于戴人、先刺其左、如刺重紙、剥然有声而斷、令按摩之、立軟。其右亦然。観者感異之。或問、曰、石関也。

同書「各種の診法と本書」石原保秀識より抜粋

この他にも「按」の文字はしばしば登場しますが、按摩の意ではなく診察する意の「按」だと判断できます。いずれにせよ、張子和自身も按腹を受けていたという記録は貴重ですね。

鍼道五経会 足立繁久

原文 按腹図解 按蹻按摩按腹推挐名辨

■原文 按腹圖觧 按蹻按摩按腹推挐名辨

導引按蹻の字は始めて内經に出づ。王冰の註に曰導引は筋骨を揺し支節を動すを謂ふ。按は皮肉を抑按するを謂ひ、蹻は手足を捷挙するを謂ふ。按摩は類案に臍の上下を按摩する事百数とあり、又涅槃經に病苦のとき捉持按摩すとあり。我邦にても中昔は按摩師、按摩博士、案摩生等ありしは令義解に見ゆ。按腹は儒門事親に其股を搥し、其腹を按すとあり。又我邦昔より腹とりといふは按腹の事なり。推挐は願體集にみゆ。その餘猶数多有べけれども、余は未考得ず。。

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