『按腹図解』の「癇症疝気論」の章を紹介します。癇症・疝気ともに、従来の医書においては主要病症とされず、あまり注目されることのない疾患との印象があります。
しかし、本文中にもあるように江戸期において「癇症」は非常に多く見られた疾患でありました。癇症の治療に注力した医家として和田東郭などがいます。太田氏も癇症に注目していたとみえて、本章では実に癇症・疝気に関する情報が記されています。
※画像は『按腹図解』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※本記事本文は盛文堂 漢方醫書領布會 発行の『按腹圖解』から引用していますので、京都大学付属図書館のものとは若干の違いがあります。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。
『按腹図解』の癇症疝気論
書き下し文・按腹図解
癇症疝氣論
夫れ癇症疝気の病、近世最多し。其の病因と病名の如きは種々の異説あれば、其の論は暫く措く。然して其の癇といい疝というも、一源の病根にして現在見る所、その肩背より胸腹腰臀までの大筋縮急して諸病患を為すの総称なり。
其の肩背胸肋の大筋攣急するときは、上(かみ)は神経・心・肺、下(しも)は膈膜・肝・脾等に逼迫するをもって其の部位の諸器其の位に安んぜず故にかならず情識に係る病を生ず。此の病症を世に癇症という。
其の病、千状万態に定まらずといえども、其の大略を斯(ここ)に挙るなり。其の軽症といえば、平生肩背強急し、或いは氣むつかしく、起居懶倦(らいけん)、物に凝滞(とどこおり)、或いは物を思いつめ、根気薄く、物に退屈し、何事につけても泪もろく、善く怒り善く悲み、健忘(ものわすれ)し、時々心細くなり、時に死に着くか如く氣弱し、物事憶病になりさわがしきを嫌い、又さびしきも嫌らい、過ぎ去りし事を後悔し、又行末を深く案じ憂い、或いは暦日の吉凶、或いは方位・夢見・烏啼狗吠までの事まで心にかかり氣すまず。人の言の端々瑣細の事も心にさわり、或いは奇麗好きし死亡等の事を見聞きを深く忌み悪くみ、又は世を倦んで早く死たき心になり、或いは其の家業を勤むるが懶(ものう)く、または人に応対するを厭(いと)い、或いは物に撰り嫌い多く、或いは夜寝苦しく、或いは昏睡多く夢見亦おそわれ、亦遺精し、或いは時となく四肢厥冷し振慄鼓頷(こがん)し、或いは戸障子の立あけ身に響きて振揺し、瑣細の物音にも驚悸し、物事に思慮決断定まらず。或いは人群集の所を㤨(おそ)れ、或いは人を疑い、或は猜みなど。兎角(とかく)情識にかかる病多端なり。
其の深重に至りては、飲食無味、四肢倦怠、咽乾、衄血、便血、身熱、発熱、肌熱、潮熱、五心煩熱、自汗、咳嗽、吐紅(吐血)、心中煩悶等の労瘵に疑似する症となり非命の死を致す人少なからず。嘆ずべきなり。
又は自ら高賢とし、或いは罵詈(ののしり)親疎を避けず、狂言・妄語・喜笑悲哭し、歌を唱い、時無く垣を踰(こ)え屋に上り衣を棄て奔走し、昼夜寝(いね)ず、顚倒(てんとう)錯乱し、精神恍惚、目清(す)み神舎を守らず等の狂症に類似して生涯廃人となる人最も多し。
又は半身偏枯し、肢体頑麻し、手足癱瘓し、舌強不語、言語蹇渋、手足不遂、口眼喎斜、痰涎壅盛などの中風に類似し、又、飲食或いは痰涎清水を嘔吐し、或いは胸郭不利、胸中否塞、吞酸噫氣などの膈噎及び反胃疑似する症、数多ありて枚挙すべからず。
多くは癇症にして背胸の大筋攣急の致す所なり。又、此の滞礙攣筋ある人は適(たまたま)微邪に感じても邪氣除き難きこと多く、労疫風労虚労と成り、●(やまいだれに黴)毒の有る人は●毒労と成り、産后にては褥労となり、小児にては疳労となり、命を損うものすくなからず。
又、其の腹腰の大筋攣急するときは上(かみ)肝・胆・脾・胃・大小腸、下(しも)腎・膀胱・精嚢・子宮等に逼迫するをもって、其の部位の諸器、是が為に其の位に安んぜず。故に多くは二便の通塞、腰脚、前後二陰等に係わる諸患をなす。此の病症をすべて疝氣という。
此の病症も亦た多端なれども、其の標的とすべきもの数條を挙ぐ。腰脚強直、腿脚攣急疼痛、少腹拘急、睾丸偏大小、膝臏痼冷等の如きは俗人も其の疝氣なるを知れども、其の余、諸雑病に疑似の症に至りては肘背疼痛、四肢麻痺、臍腹絞痛死せんと欲し、或いは肋骨より横骨まで繩を張りし如し攣(ひきつり)、或いは心下に衝逆し、或いは噫気、吐酸、或いは反胃、噎膈の如し、或いは半身不仁、或いは脚弱萎濡、或いは痿癖となり、或いは骨節疼痛、或いは肌膚不仁、四肢麻痺、或いは大便久秘、又は久瀉、或いは清穀下利し、小便渋濇、或いは清利頻数し、或いは二十歳比(ころ)より四十歳前後にて陰茎衰弱して交合不遂、或いは夢交失精、或いは赤白濁、或いは淋疾、或いは五痔脱肛、或いは便血尿血、或いは情慾妄動、或いは纔(わずか)に粉香(おしろい)の薫(かおり)をきけば春情発動し或いは老年に至りて春情却って妄動し、或いは陰頭陰嚢冷え、男女とも陰器燥臭或いは疼痛湿痒、婦人経水不順或いは少なく或いは過多、或いは不孕、或いは姙娠しても堕胎流産し、或いは生子不育、赤白帯下、或いは崩漏となり其の余種々の病状枚挙に遑あらず。
已に論ずる如く癇と疝とは同病根なる故に、其の病症も治法も大同小異なり①。扨(さて)此の二病、其の病勢緩慢なるときは病者医者共に油断して困篤にいたり、或いは佗病に疑似するをもって誤治し、或いは廃人と成る、或いは嗣続を断ち、或いは天命を折く人比々(ひひ)数うべからず。長大息すべきものなり。
よく又、医俗ともに癇疝なることを知るといえども、其の治術旨綮(肯綮“こうけい”のことか)に中らざるときは何の益なく、又治術も薬湯鍼灸のみにては効験速やかならず、唯だ按腹導気の術をもって其の病根たる胸背腹腰の攣急を調和し、臓腑を通達し、其の証に応じて調肝抑肝の剤、或いは治疝の剤を兼ね用いるときは、いか程歳久しき痼疾沈痾又何とも名状しがたき危症というとも速やかに治するなり。
是れ亦た自ら修して知るべし。総て何病にても施(ほどこす)に治術易簡(いかん)にして其の効速やかなれども別して此の癇と疝の二病は此の手術を専用せざれば、終に十分の全快を得ること能わず。是をもって特に是を論挙するなり。
癇症・疝気について
太田氏は癇症・疝気の病因には諸説あるため、詳しい議論をさておき、「(癇・疝ともに)一源の病根にして……その肩背より胸腹腰臀までの大筋縮急して諸病患を為すの総称なり。」と総括しています。
つまりは“背部の過緊張によって引き起こされる心身の不調”とまとめることができます。この表現だと、具体的な病理は挙げられておらず、背部の緊張という身体に現れる反応・反射と諸症状の対応・対比が示さされるに過ぎません。しかし、この点は太田氏も「其の論は暫く措く」として、まずは暫定的に癇疝二病の“症候と治術にのみ”焦点を当てています。まずは癇症・疝気の諸症状について目をむけてみましょう。
癇疝二病の諸症状について
本章では癇症・疝気それぞれの諸症状が具体的に挙げられています。これら愁訴群をみると実にリアリティ溢れる情報だと感じます。そしてこれら愁訴群に目を通せばわかると思いますが、これら愁訴群は江戸時代の人たちだけに起った疾病ではありません。現代人にもあてはまる症状であることに驚かされます。
上記諸症状をみると、癇症では心身の不調が主軸になっており、心身症・鬱・自律神経失調症・双極性障害…と現代では診断されるであろう病症が示されています。
また疝気症状は、身体の不調が主軸になっており、自律神経失調症・身体症状症(身体表現性障害)などの診断名が下されるであろう病症が挙げられています。
癇疝二病の病態について
本章に示される癇疝二病の病態が示されています。「(癇疝二病は)一源の病根にして…」と異病同根であることを示しています。その上で癇症・疝気のそれぞれの病態を次のように記しています。
癇症の病態を「肩背胸肋の大筋攣急するときは、(諸器官・諸臓腑を圧迫し)諸器諸臓はその位に安んぜず故に情識に係る病を生ず。」と定めており、
疝気の病理は「腹腰の大筋攣急するときは、(諸器官・諸臓腑を圧迫し)諸器諸臓はその位に安んぜず。故に多くは二便の通塞、腰脚、前後二陰等に係わる諸患をなす。」と定めています。
癇症の対象(器官・臓腑)を「上は神経・心・肺、下は膈膜・肝・脾」とし、
疝気の対象(器官・臓腑)を「上は肝・胆・脾・胃・大小腸、下は腎・膀胱・精嚢・子宮」としています。
病位でみると、癇症は“上部”、疝気は“下部”への緊張・逼迫を主因としています。そのため身体上部にへの逼迫(緊張)を主とする癇症は心神(現代でいう脳・神経系)に影響する病症を示します。また、身体下部への逼迫(緊張)を主とする疝気は、下部臓腑(大小腸・泌尿器系・生殖器系)の閉塞を主とする病症を示します。「下焦は瀆の如し」との言葉にも通ずる病態ですね。
癇症と疝気の病理
太田氏は癇症と疝気は似て非なる病にみえて二病同根だと主張しています。この点、実に興味深い着眼点であります。しかし残念な点は、二病の病理を明確にしていない点であります。
本文にある「肩背胸肋および腹腰の大筋攣急」が諸器官・諸臓腑に悪影響を及ぼし、諸々の愁訴を招くという機序は“病理”と呼ぶには不十分であり、太田氏もこの点は認めているようです。
しかし詳細な病理よりも、この“大筋の攣急を解除することが癇・疝を軽減治癒させることに繋がる”という治病観はより実践的なものだといえます。
この背腰膂筋の緊張を解くことが治病の鍵となることは、按摩鍼灸にとって非常に有利な情報であるといえます。細かな知識はさておき、治病の術を施したいという療法家にとっても受け入れやすい考え方だと思われます。
強いて病理を含む情報を本文から挙げるならば、治法として「調肝抑肝の剤」を用いるべきとの記述から病理が推測できると思われます。つまり「抑肝」を要すること、背部膂筋を治療対象とすることから、(太田氏の提唱する)癇症・疝気の病理を推察することができるかと思います。
ちなみに江戸期の癇症に対して力を注いだ医家として、真っ先に思い浮かべる人物は和田東郭です。彼の書『蕉窓雑話』には癇症患者に対し、その治療・養生指導に力を尽くしていたようすが克明に記されています。いずれ機会をみて和田東郭の癇症治療も紹介したいと思います。
鍼道五経会 足立繁久
原文 診病奇侅 癇症疝氣論
■原文 按腹図解 癇症疝氣論
夫癇症疝氣の病近世最多し。其病因と病名の如きは種々の異説あれば、其論は暫く措く。然して其癇といひ疝といふも一源の病根にして現在見る㪽その肩背より胸腹腰臀までの大筋縮急して諸病患を為の總称なり。其肩背胸肋の大筋挛急するときは上神經心肺下膈膜肝脾等に逼迫するをもつて其部位の諸器其位に安んぜず故にかならず情識に係る病を生ず。此病症を世に癇症といふ。其病千状万態不定といへども其大畧を斯に挙なり。其輕症といへば平生肩背強急し或は氣むつかしく起居懶倦物に凝滞、或は物を思ひつめ根気薄く物に退屈し何事につけても泪もろく善怒善悲健忘時〃心細くなり時に死に着くか如く氣弱し物事億病になりさはがしきを嫌ひ、又さびしきも嫌らひ過去りし事を後悔し、又行末を深く案じ憂ひ、或は暦日の吉凶、或方位夢見烏啼狗吠までの事まで心にかヽり氣すまず。人の言の端〃瑣細の事も心にさはり、或奇麗好し死亡等の事を見聞を深忌悪み、又は世を倦で早く死たき心になり、或其家業を勤むるが懶く、または人に應對するを厭ひ、或物に撰り嫌ひ多く、或夜寐苦しく、或昏睡多く夢見亦おそはれ、亦遺精し、或は時となく四肢厥冷し振慄鼓頷し、或戸障子の立あけ身に響て振揺し瑣細の物音にも驚悸し物事に思慮決断定まらず、或人群集の㪽を㤨れ、或は人を疑ひ、或は猜みなど、兎角情識にかゝる病多端なり。其深重に至りては飲食無味四肢倦怠咽乾衄血便血身熱彂熱肌熱潮熱五心煩熱自汗咳嗽吐紅心中煩悶等の勞瘵に疑似する症となり非命の死を致す人不少。嘆ずべきなり。
又は自髙賢とし、或罵親疎を避ず、狂言妄語喜笑悲哭し、歌唱無時踰垣上屋棄衣奔走昼夜不寐顚倒錯乱精神恍惚目清神舎を守らず等の狂症に類似して生涯廢人となる人最多し。
又は半身偏枯し肢體頑麻し手足癱瘓し舌強不語言語蹇渋手足不遂口眼喎斜痰涎壅盛等の中風に類似し、又飲食或は痰涎清水を嘔吐し、或は胸郭不利胸中否塞吞酸噫氣等の膈噎及反胃疑似する症数多ありて枚挙すべからず。
多くは癇症にして背胸の大筋挛急の致所なり。又此滞礙挛筋ある人は適微邪に感じても邪氣難除多く、勞疫風勞虚勞と成、●(やまいだれに黴)毒有人は●毒勞と成、産后にては褥勞となり、小児にては疳勞となり、命を損ものすくなからず。
又其腹腰の大筋挛急するときは上肝膽脾胃大小腸下腎膀胱精嚢子宮等に逼迫するをもつて其部位の諸器是が為に其位に安んぜず。故に多くは二便の通塞腰脚前後二陰等に係る諸患をなす。此病症をすべて疝氣といふ。此病症亦多端なれども其標的とすべきもの数條を挙。腰脚強直腿脚挛急疼痛少腹拘急睾丸偏大小膝臏痼冷等の如きは俗人も其疝氣なるを知れども其余諸雜病に疑似の症に至りては肘背疼痛四肢麻痺臍腹絞痛死せんと欲し、或肋骨より横骨まで繩を張し如し挛、或心下に衝逆し、或噫気吐酸或は反胃噎膈の如し、或半身不仁或脚弱萎濡或痿癖となり、或骨節疼痛或肌膚不仁四肢麻痺或大便久秘又久瀉或清穀下利し小便渋濇或清利頻数し或二十歳比より四十歳前後にて陰莖衰弱して交合不遂或夢交失精或赤白濁或淋疾或五痔脱肛或便血尿血或情慾妄動或纔に粉香の薫をきけば春情彂動し或老年に至りて春情却て妄動し或陰頭陰嚢冷男女とも陰器燥臭或疼痛湿痒婦人経水不順或少なく或過多、或不孕或姙娠しても堕胎流産し或生子不育赤白帯下或崩漏となり其余種々の病状枚挙に遑あらず。已に論ずる如く癇と疝とは同病根なる故に其病症も治法も大同小異なり。扨此二病其病勢緩慢なるときは病者医者共に油断して困篤にいたり、或佗病に疑似するをもつて誤治し、或は廢人と成、或は嗣續を断或天命を折く人比〃数ふべからず。長大息すべきものなり。よく又醫俗ともに癇疝なることを知るといへども其治術旨綮に中らざるときは何の益なく、又治術も薬湯鍼灸のみにては効験速ならず唯按腹導気の術をもつて其病根たる胸背腹腰の挛急を調和し臓腑を通達し其証に應じて調肝抑肝の剤或治疝の剤を兼用るときはいか程歳久しき痼疾沈痾又何とも名状しがたき危症といふとも速に治するなり。是亦自ら脩して知るべし。總て何病にても施に治術易簡にして其効速なれども別して此癇と疝の二病は此手術を専用せざれは終に十分の全快を得ること能はず、是をもつて特に是を論挙するなり。