『診病奇侅』の通腹形証について
本記事では『診病奇侅』の通腹形証、すなわち腹の形証に通ずることの大事ついて紹介します。
※画像は『診病奇侅』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※本記事は医道の日本社 刊の『診病奇侅』を主に参考にしています。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。
『診病奇侅』の通腹形証
書き下し文・診病奇侅 通腹形証
[虚実]
凡そ実とは無病の腹象にして、尋按するに自然に力有るを云う。有力とは東郭先生が曰く「脈貴有神、有神者有力也」と、是れ胃氣の脈を形容せるの語なり。今、腹部の有力無力の弁、亦た神の有無を観察すること肝要なり。
然れども未熟の人は之を観ること能わず。
故に古説に、腹に力有り、是れを水の上に板を泛べて推すに譬えたり。蓋し裡より脹るが如くの力ありて、蟠根の四辺に撓まざること、廣板を推すが如くにして、重く按すに却て牢固せざるの意、和氣自然の力を云う。是れ壮歳の実なり。
○凡そ和とは虚実の名状なし難きを云う。譬えば新たに綿を入れたる衣服を推すが如くにして、無力に似たれども、又裡より脹るが如きの力あるを云う。是れ禀弱及び老人婦女の実なり。
○凡そ虚とは、無力を云う。譬えば水上に紙を泛べて推す如く、裡にこたえ応ずる物なく、重く按せば、脊骨も模するべきに似たり。
○虚の如き実の如きあり。撫でて手の留まる処、多く推せば表軟にして裡牢く、或は表実して裡虚する類を云うなり。
○仮虚仮実もあり、病邪胸膈に聚まれば、上焦仮に実し(邪湊まれば其の氣は必ず虚するの類)、中焦は其の勢いに逆せられて虚を現わすなり。
故に久病にて数多療治を経たる者と、急卒の病人との腹診は、卒爾に虚実を決定すべからざるなり。
○陰実陽虚の腹は、手を浮して表を診するに力無くして、手を沈めて裡を診するに反て力あり。陽実陰虚の腹は手を浮して表を診するに力あり、手を沈めて裡を候うに無力なり。(対時)
○吾門、按腹を以て六診の要務と為す。何となれば則ち大概腹部を按診して、以て人の強弱を弁ずるべき也。凡そ之を按するに、腹皮厚、腹部廓大、柔而有力、上低下豊、臍凹入、任脈低両旁高、無塊物、無動氣、此れを無病の人と為し、強と為す。病人に在りても、亦た此の数項有れば、易治と為す。
凡そ之を按して、腹皮薄、腹部隘狭、無力、或いは堅硬、上高脹下低鬆、臍浅露、任脈高両旁低、多塊物、有動氣、筋攣急、虚里動高、此れを弱と為し、病人の腹と為す。病中に在りても、此の数項有るがごときは、難治と為す。此れ其の大略也。其の余に深微の意味有り。但だ口を以て伝うべし、書を以て示すべからず。敢えて秘するに非ざる也。(秀庵)
○凡そ腹裏の癥及び疝、上下左右及び中、大小長短、円扁硬軟、手一たび按著、直ちに的識するべし。邪熱肌熱を弁別すべし。腫脹を捜知すべし。潤沢枯索、満堆低減、肥痩張弛、皆な候察すべし。虚里を候うべし、動氣の上下左右及び中、掌に応じ即ち覚ゆ。妊胎血塊を試むべし。胸骨之痩を循て而して知るべし。此れ按腹の所以、必ず為さずんばあるべからず。而して大いに治事に益ある也。(秀庵)
○凡そ腹甚だ堅硬なる者は治し難し、甚だ軟鬆なる者は癒し難し。(秀庵)
○無病実人の腹は、みなはりておるうちにやはらかなり。又、腹に上は脹りたるようにあれども、却って腹内はぐはぐはとするあり。是はあしし。
腹位のよさ、腹が次第に下ふくらにして、胸前すっかりとしたるを上と為す。
女の腹はやはらかにして、よわきが上なり。男の女腹を得るは、虚としるべし。逆なり。女の男腹を得るも逆となす。
又、腹に凹凸有りて、動氣の位もあつく(きつく歟)(松井本、動氣強き者も、亦た不可なり)見ゆる人あり。是をも貴ばず。
さて何病人にても、呼吸の臍下までとどくは生く可し。大形は呼吸が胸のあたりまでにてつくるものなり。平人も常に呼吸の臍下までとどくやうに修行すべきなり。(中虚)
○腹皮の肉脱して薄く、腹の脊に着て、鳩尾両肋方へ迫り、積のようなるもの見るるは、皮膚薄くなりたるゆえ、臓腑が直に手に当たるなり。此の元氣の虚脱したるなり。(中虚)
腹力を診ることの大事
腹力の有無を診ることは重要です。では腹力の有る無しをどのように診分けるのか?
本文では「水の上に板を泛べて推すに譬えたり。」と表現しています。この表現は以下の文章を読む限り、読み手の理解力・イメージによって、腹力の有る腹証なのか?邪実の腹証なのか?解釈違いが生じるのではないか?と思える譬えではあります。(あくまでも個人的解釈ではありますが)
いずれにせよ、ポイントとなるのは「和氣自然の力」ということでしょう。
後文にも「水上に紙を泛べて推す如く」との比喩があり、水に浮かべることの重要性が腹診術に込められていたようです。この点は鍼灸師にはイメージしやすいことでもあります。
香川修庵が伝える腹診の要点
香川氏の言葉(引用文)からは、腹診のポイントとして「腹皮」「腹形」「腹力」「上下」「臍」「任脈とその両旁」「塊物」「動氣」の八項目が要点として挙げられています。
腹診では各部位の虚実(いわゆる反応点)や腹部の寒熱を感じとることで、腹診情報とすることが多いようですが、このように各項目に整理し、詳細に情報を集めることで腹証を組み立てることは非常に学びとなります。腹診の奥深さを感じる内容ですね。
「通腹形証」の章は長いので、続きは《その2》に続きます。
鍼道五経会 足立繁久
原文 診病奇侅 通腹形證
■原文 診病奇侅 通腹形證
虚實
凡實とは無病の腹象にして、尋按するに自然に有力を云、有力とは東郭先生曰、脈貴有神、有神者有力也と、是胃氣の脈を形容せるの語なり。今腹部有力無力の辨、亦神の有無を觀察すること肝要なり。
然れども未熟の人は不能觀之、故に古説に、腹に有力是を水の上に板を泛べて推に譬たり。蓋裡より如脹の力ありて、蟠根の四邊に不撓こと、如推廣板にして、重く按すに却不牢固の意、和氣自然の力を云、是壯歳の實なり。
○凡和とは虚實の名狀なし難きを云、譬へば新に綿を入たる衣服を如推にして、無力に似たれども、又裡より如脹の力あるを云、是禀弱及老人婦女の實なり。
○凡虚とは、無力を云、譬へば水上に紙を泛べて推如く、裡にこたへ應ずる物なく、重く按せば、脊骨可模に似たり。
○如虚如實あり。撫て手の留る處、多く推せば表軟にして裡牢く、或は表實して裡虚する類を云なり。
○假虚假實あり、病邪胸膈に聚れば、上焦假に實し(邪湊其氣必虚の類)、中焦は、其勢に逆せられて虚を現はすなり。故に久病數多療治を經たる者と、急卒の病人との腹診は、卒爾に虚實を決定すべからざるなり。
○陰實陽虚の腹は、手を浮して表を診するに無力して、手を沈めて裡を診するに反て力あり。陽實陰虚の腹は手を浮して表を診するに力あり、手を沈めて裡を候ふに無力なり。(對時)
吾門以按腹為六診之要務。何則大槩按診腹部、可以辨人之强弱也。凡按之、腹皮厚、腹部廓大、柔而有力、上低下豊、臍凹入、任脉低兩旁高、無塊物、無動氣、此為無病之人、為强。在病人、亦有此數項、為易治。
凡按之、腹皮薄、腹部隘狹、無力、或堅硬、上高脹下低鬆、臍淺露、任脉髙兩旁低、多塊物、有動氣、筋攣急、虚里動高、此為弱、為病人之腹。在病中、若有此數項、為難治。此其大畧也。其餘有㴱微意味。但可以口傳、不可以書、示非敢秘也。(秀庵)
凡腹裏之癥及疝、上下左右及中、大小長短圓扁硬軟、手一按著、可直的識。邪熱肌熱、可辨別。腫脹可捜知、潤澤枯索、滿堆低減、肥痩張弛、可皆候察。虚里可候、動氣上下左右及中、應掌即覺。妊胎血塊可試。胸骨之痩、可循而知。此按腹之㪽以不可不必為、而有大益于治事也。(秀庵)
凡腹甚堅硬者難治、甚軟鬆者難癒。(秀庵)
○無病實人の腹は、みなはりてをるうちにやはらかなり。又、腹に上は脹りたるようにあれども、却て腹内はぐは〱とするあり。是はあしゝ、腹位のよさ、腹が次第に下ふくらにして、胸前すっかりとしたるを上と為す。女の腹はやはらかにして、よわきが上なり。男の女腹を得るは、虚としるべし。逆なり。女の男腹を得るも逆となす。又、腹に凹凸有りて、動氣の位もあつく(きつく歟)(松井本、動氣强者、亦不可)見ゆる人あり。是をも貴ばず。
さて何病人にても、呼吸の臍下までとどくは可生。大形は呼吸が胸のあたりまでにてつくるものなり。平人も常に呼吸の臍下までとどくやうに可修行なり。(中虚)
○腹皮の肉脱して薄く、腹の脊に着て、鳩尾兩肋方へ迫り、積のようなるもの見るヽは、皮膚薄くなりたるゆゑ、藏府が直に手に當るなり。此元氣の虚脱したるなり。(中虚)
○統て人の腹のよきと云は、臍より下に力强く、下ふくらにして、鳩尾の下上脘の處柔にして動氣静にして、臍の上に滿のなきを能腹と云なり。然に悉く上へ取り上り、臍より下の力弱く、按之たわいもなく、臍より上は痞强く、左右の肋下までさし痞へ、或は袋の内へ石を入たる如くにして、腹にたるひつみ(松井本、偏歪)有て、動氣甚强く、或いは動氣かいなく、腹にかたつりの有を、變實と云て、惡き腹とはするなり。
惣て病身なるもの、腹臍より上へ取り上げたるもの多し。今時世間に多く眩暈頭痛或は疝氣の證などあるは、皆是腹のあしき故なり。さて痞類多くても、大事のなきは、中に浮て手に隨て浮沈あるものなり(○大事の痞、肋下の條に出せり)。左右ともに、大事なけれども、左より右の痞は大事と心得べし。惣て腹の痞、胃氣つきざる内は、其痞が强く按じてもさのみ不痛ものぞ。かりそめにも痞を按して痛むものは、胃氣弱きゆゑ、大事のつかへと可思。
又一旦の食傷腹痛などにて、手も難付ほど痛をなす事あり。是は又格別のことなり。食毒瘀血など滯てある故に、痛をなすことつよきなり。今此に論ずるところの痛は、内傷長病痛のことなり。
唯世間の人に、多く痞の一種あり。十人が七八人までもあるなり。疝氣とのみ言はやるは、皆この一種の痞なり。大方左の臍のわきより、左の肋下へさしこみつかへ、其さしつかへる處には、動氣つよく其動氣のひびき、胸のうちまでさしこみ、必ず左の乳中へひゞき、動氣あるものなり。或は股の附根よりさしはるものあり。此痞ある人、臍の廻り筋ばり、或は陰嚢へ引はり、或は拳の如きもの、時々に浮沈みある故に、人々疝氣のみと云は誤りなり。(良務)
○凡諸病中脘より臍下まで按して保なく、底まで無力は難治(森立夫曰、三伯同)の症なり。又腹部の箕をかきたる如く筋ばりたるは、虚極の人にありては難治なり。又腹脹滿して腹皮急、きらつきて光あるは死症なり。(壽安)
○腹のこけて背へつくに、手あたり少しやはらかなるは苦しからず、板の上にかたびらかけたるやうにかたきは、脾胃の大虚なり。(烏巢)
○めぐらぬ腹に、ぬけたるところあるは、必ずしこつた處あり、山あれば谷あるやうに、ぬけたところありても苦しからず。(烏巢)
○病に因て、腹象變ずるあり、凡病人陽腹は易治、若陰腹に變ずれば難治。(對時)
○病人の腹を診するに、譬へば病人の腹の右柔に、左拘攣など甚しきを見て、右は苦にならずやと問ふべし。左柔ならば右の方苦しきやと聞くべし。決して右の方心惡く、苦に成ると云ものなり。是も得と見ると、底でひつぱつてあるものなり。上から見て宜き處は、結句惡しきなり、心得べし。(東郭)
○總じて大病人を見るに、下地より持かヽりたる疝塊積塊などの常とは、在處の方角の變じたるは甚だ惡症なり。常は左の方堅かりしが、其痞癖俄に右にうつり、左はぐさ〱する様になりたるなど云ものは、油斷すべからず。(東郭)
○凡腹皮膩滑而有精彩者、爲血氣盛、其枯燥者爲血虚。若血熱、若皮裏有水氣也、腹皮堅厚如䐃肉、不可挑起者爲實、菲薄而可挑起者爲血氣衰。又腹中虚軟、如循爛瓜者、爲藏氣衰。(臺州)
○腹の筋あらはれ、一面に板をおす如くに、しまりたる腹は難治の證にて、後必ず水腫を發して死するもの多し。腹の皮牛皮の如く厚く、肉と一面なるは好き腹にて、大病長病たりとも、療治ありと心得べし。(玄仙)
○日頃病身なるものか、又は程なく長病を煩ふものゝ腹は、必ずそろ〱と、腹の皮うすくなり、肉と皮のへだ〱になるものなり。此腹の病人ならば、餘りむぞうさにうけ合などして、療治すべからず。事により、めた〱と大病になることのあるものぞ。心得べし。(玄仙)
○上腹は大にしてかたく、下腹は力なくやせ、手を以て按せば、たわいもなく、朝夕、胸や脇腹などに動氣ありて、顔色の蒼々たる病人は、病は輕く見えても、實は甚だ大病なり。是虚腹なり。むざとした療治すべからず。(玄仙○南陽同)
○腹部の見やうは、呼吸の腹に應ずるを候ふべし。急變のある病人は、呼吸の應じやう穩ならず。次に動悸を候ふべし。腹の一體を候の法は、腹の皮厚く肉ゆつたりとして、肥人の股の如く、皮と肉とのわからぬを善と云。腹の皮薄く潤なく、肉と皮との離て、幾つと云かずもなく、筋の見えるはあしゝとす。腹勢を診すると云は、柔ならずこはからず、呼吸の應穩に、何れの處を按じても、痛こたへたることのなきを、腹勢のよきとは云なり。(南陽)
○腹の皮が薄く、肉とはなれて背につき、肉は引張て、縫箔屋のわくに掛たる絹の如くになりたるは津液のなき人の腹なり。澼嚢吐瀉虚脱の人にあるものなり。極て津液の盡る腹は皮浮き立て羽をむしりたる鳥の胷を撫づるが如し、極虚の凶候とす。此手ざはりは、自汗つよく死に近き人の手足の肌にもあるものなり。又死人の肌を撫て覺ゆべし。又多産の婦は、腹皮肉にはなれて浮たるは、常態なり。津液を以て見わくべし。心下より痞鞕して板を按ずる如くに、指もうけつけぬは、難治多し。然ども甚だ怒りなどして、欝したる人腹も如斯なることあり。是は難治ならず。又皮の離て底の引張て如板、立筋多く見えて、任脈凹になるもの惡候にて、勞瘵に多し、引張る故、呼吸せはしく、脈も數なるものなり。(南陽)
○古方家にて、腹に拘攣と云ものは、衆筋引しまり聚りたるにて、皮の上よりは、塊の如くに手にさはりて見ゆるなり。
○腹の痞を按ずるに見えるときもあり、又隱れるときもあり、全く塊もあり。又腸の脂膜切れて浮み出て、按せばたわいもなく、隱れる、皆惡候なり。(南陽)
○腹の痞を手にて按すに、水に浮たる物をいろふ如く、手に隨て動く痞あり。是證病人當分見かけよしといへども、遂には死證となる。知らずんばあるべからず。(玄仙)
○病の半より、腹形常を變じて脊につき、削りて去りたる如くに、胸肋よりは板の如くになりて、横骨の處にて段々に高くなるは、惡候なり、疫にも痢にも、一二日のうちに如此になること多し。難治とす。動悸などあらはれて、至てあしく見ゆるまで知らずにはすまず、腹候に熟して、預め決斷すべし。(南陽)
○病の半より、腹形常を變じて脊につき、削りて去りたる如くに、胸肋よりは板の如くになりて、横骨の處にて段々に高くなるは、惡候なり。疫にも痢にも、一二日のうちに如此になること多し、難治とす。動悸などあらはれて、至てあしく見ゆるまで知らずにはすまず、腹候に熟して、預め決斷すべし。(南陽)
○腹中壅聚(大如縮、按之必不痛)、按之倏忽聚散、或雷鳴甚者、累々凝結如嚢中盛瓦石状(大如鶏卵、按之忽轉其位、必在臍近傍)、是爲陽氣不足所使、宜溫之(壅聚漸輕、而瓦石最重、此症由水多、而惡血稀云々)。(臺州)
△(引、松井本)腹皮溫厚和柔而有力、腹裏無塊無動、上低下豐、是爲無病平氣焉。若夫反之腹皮薄虚軟、或堅硬有塊有動、上高脹下低狹、任脈高起、皮肉如離、臍淺露、臍下無力、是爲病腹、有病則難愈矣。(黃山)
△(引、松井本)陽實陰虚之人、按其腹、外牢堅脹急、而内軟弱無神者、其人必死、禍雖未及、是遊魂行屍之類、形骸獨居、已爲將死之兆也。或其人素快活優長者、尚有可治。若心氣鬱結、則又不免矣。或其表和、腹皮薄而有澤按其中脘、牢且痛者、陰實陽虚之候也、亦爲凶兆(公豐按此條所載之形状、皆是屬厥證者也。或醫施汗吐下太過病少愈、後其腹象有如此者、則係正氣未復、客邪猶在之所致也。若腹象不復更爲變、則急證頓發、命期一同於前證也)(陽山)
△(引、松井本)陰實陽虚之腹、按撫之間、表柔軟而裏有力、裏有力者、非硬之謂也。不宜補藥用之、易泥戀也。宜正氣散或平胃散。是之爲腹之可者、甚尤佳者、則陰陽俱有力、表裏調和也。陽實陰虚之腹、表有力字裏無力、以爲惡候、平人且有病況於旣病者乎、往々就死矣。若用鍼、鍼尖之應、表分有力、而至裏部則無力、猶刺豆腐者。宜補脾之劑。若血燥者、加調血之品。(久野)
△(引、松井本)皮肉相離者、候衛氣之應也。衛氣不足則皮肉相離、猶老人之腹。皮肉離、則其氣不能養肌肉。肌肉不得養、故皮肉離也。衛氣有餘者、皮肉俱厚也。皮肉厚者、則相附着也。皮肉相附、故衛氣亦實也。(久野)
△(引、松井本)拘攣雖同、以分別其部位爲要、須熟習焉。又其拘攣在皮表、在皮肉間、在肉中肉下、均須細診一一分別。(東郭)
△(引、松井本)腹中如無物、腹皮着背者、脾胃元陽虚也、難治。傷寒時疫之裏證、而如此者、萬無一生。(東郭)
△(引、松井本)濕痰候、按撫其皮膚、其状如流散條麵、隱然應手者是也。皮膚間如撒大豆、或如横列條麵者、爲燥痰、此候少於常人、多於宮女、婢女。夫痰者生於鬱熱、其熱煎熬津液所致也。(久野)