『診病奇侅』の通腹形証について
本記事では『診病奇侅』の通腹形証、すなわち腹の形証に通ずることの大事・第二弾を紹介します。
※画像は『診病奇侅』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※本記事は医道の日本社 刊の『診病奇侅』を主に参考にしています。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。
『診病奇侅』の通腹形証
書き下し文・診病奇侅 通腹形証
(…続き)
○統べて人の腹のよきと云うは、臍より下に力強く、下ふくらにして、鳩尾の下、上脘の処柔にして動氣静にして、臍の上に満のなきを能き腹と云うなり。然るに悉く上へ取り上り、臍より下の力弱く、之を按してたわいもなく、臍より上は痞強く、左右の肋下までさし痞え、或いは袋の内へ石を入れたる如くにして、腹にたるひつみ(松井本、偏歪)有て、動氣甚だ強く、或いは動氣かいなく、腹にかたつりの有るを、変実と云いて、悪しき腹とはするなり。
惣て病身なるもの、腹臍より上へ取り上げたるもの多し。今時世間に多く眩暈頭痛、或いは疝氣の証などあるは、皆な是の腹のあしき故なり。さて痞の類多くても、大事のなきは、中に浮べて手に随い浮沈あるものなり(○大事の痞、肋下の條に出せり)。左右ともに、大事なけれども、左より右の痞は大事と心得べし。
惣て腹の痞、胃氣つきざる内は、其の痞が強く按じても、さのみ痛まざるものぞ。かりそめにも痞を按して痛むものは、胃氣弱きゆえ、大事のつかえと思うべし。
又、一旦の食傷腹痛などにて、手も付け難きほど痛みをなす事あり。是れは又格別のことなり。食毒瘀血など滞りてある故に、痛をなすことつよきなり。今、此に論ずるところの痛みは、内傷長病痛むのことなり。
唯、世間の人に、多く痞の一種あり。十人が七八人までもあるなり。疝氣とのみ言わやるは、皆なこの一種の痞なり。大方左の臍のわきより、左の肋下へさしこみつかえ、其のさしつかへる処には、動氣つよく其の動氣のひびき、胸のうちまでさしこみ、必ず左の乳中へひびき、動氣あるものなり。
或いは股の附根よりさしはるものあり。此の痞ある人、臍の廻り筋ばり、或いは陰嚢へ引きはり、或いは拳の如きもの、時々に浮き沈みある故に、人々疝氣のみと云うは誤まりなり。(良務)
○凡そ諸病中脘より臍下まで按して保つことなく、底まで力無きは難治(森立夫曰く、三伯も同じ)の症なり。又、腹部の箕をかきたる如く筋ばりたるは、虚極の人にありては難治なり。又、腹脹満して腹皮急、きらつきて光あるは死症なり。(寿安)
○腹のこけて背へつくに、手あたり少しやわらかなるは苦しからず、板の上にかたびらかけたるようにかたきは、脾胃の大虚なり。(烏巣)
○めぐらぬ腹に、ぬけたるところあるは、必ずしこった処あり、山あれば谷あるように、ぬけたところありても苦しからず。(烏巣)
○病に因りて、腹象変ずるあり。凡そ病人陽腹は易治、若し陰腹に変ずれば難治。(対時)
○病人の腹を診するに、譬えば病人の腹の右柔に、左拘攣など甚しきを見て、右は苦にならずやと問うべし。左柔ならば右の方苦しきやと聞くべし。決して右の方心悪しく、苦に成ると云うものなり。是れも得と見ると、底でひっぱってあるものなり。上から見て宜しき処は、結句悪しきなり、心う得べし。(東郭)
○総じて大病人を見るに、下地より持ちかかりたる疝塊積塊などの常とは、在る所の方角の変じたるは甚だ悪症なり。常は左の方堅かりしが、其の痞癖俄に右にうつり、左はぐさぐさする様になりたるなど云うものは、油断すべからず。(東郭)
○凡そ腹皮膩滑而して精彩の有る者は、血氣盛んと為す。其の枯燥する者は血虚と為す。
若し血熱、若し皮裏に水氣有る也、腹皮の堅厚なること䐃肉の如し。挑起すべからざる者は実と為す。菲薄にして挑起すべからざる者は血氣衰と為す。又、腹中虚軟なること、爛瓜を循るが如き者は、臓氣衰と為す。(台州)
○腹の筋あらわれ、一面に板をおす如くに、しまりたる腹は難治の証にて、後必ず水腫を発して死するもの多し。腹の皮牛皮の如く厚く、肉と一面なるは好き腹にて、大病長病たりとも、療治ありと心得べし。(玄仙)
○日頃病身なるものか、又は程なく長病を煩うものの腹は、必ずそろそろと、腹の皮うすくなり、肉と皮のへだへだになるものなり。此の腹の病人ならば、余りむぞうさにうけ合うなどして、療治すべからず。事により、めためたと大病になることのあるものぞ。心得べし。(玄仙)
腹診時の圧痛について
腹診に関する疑問のひとつに「圧痛」があります。本章では「按じた際の痛み」すなわち圧痛に関する記述があります。
該当文をそのまま引用しますと、「惣べて腹の痞、胃氣つきざる内は、其の痞が強く按じても、さのみ痛まざるものぞ。かりそめにも痞を按して痛むものは、胃氣弱きゆえ、大事のつかえと思うべし。」
通常であれば強く按じても痛まない“痞”が、痛むようになるのは胃氣の弱りであるからだ、といいます。となると、通常の腹診でみられる「圧痛」とは異なるものとみるべきでしょうね。
さらに続く文には「又、一旦の食傷腹痛などにて、手も付け難きほど痛みをなす事あり。是れは又格別のことなり。食毒瘀血など滞りてある故に、痛をなすことつよきなり。」とあります。
この痛みは食毒瘀血によるものですが、手も付け難きほどの痛みとあるため「圧痛ではない」痛みです。腸癰(盲腸や腹膜炎など)による痛みと解釈すべきでしょうね。
このように腹診の際にみられる圧痛にも、様々な段階があること、そしてその圧痛機序を推察することができる一節であります。
腹証によっても不可治を判断すべし
「此の腹の病人ならば、余りむぞうさにうけ合うなどして、療治すべからず。」
この文章からは不可治の腹証があることを示しています。腹証であれ、脈証であれ、このような不可治の証には「無造作に請け合うなどして、療治すべからず」と戒めています。この言葉の重みを改めて考えるべきでしょう。
鍼道五経会 足立繁久
原文 診病奇侅 通腹形證
■原文 診病奇侅 通腹形證
虚實
凡實とは無病の腹象にして、尋按するに自然に有力を云、有力とは東郭先生曰、脈貴有神、有神者有力也と、是胃氣の脈を形容せるの語なり。今腹部有力無力の辨、亦神の有無を觀察すること肝要なり。
然れども未熟の人は不能觀之、故に古説に、腹に有力是を水の上に板を泛べて推に譬たり。蓋裡より如脹の力ありて、蟠根の四邊に不撓こと、如推廣板にして、重く按すに却不牢固の意、和氣自然の力を云、是壯歳の實なり。
○凡和とは虚實の名狀なし難きを云、譬へば新に綿を入たる衣服を如推にして、無力に似たれども、又裡より如脹の力あるを云、是禀弱及老人婦女の實なり。
○凡虚とは、無力を云、譬へば水上に紙を泛べて推如く、裡にこたへ應ずる物なく、重く按せば、脊骨可模に似たり。
○如虚如實あり。撫て手の留る處、多く推せば表軟にして裡牢く、或は表實して裡虚する類を云なり。
○假虚假實あり、病邪胸膈に聚れば、上焦假に實し(邪湊其氣必虚の類)、中焦は、其勢に逆せられて虚を現はすなり。故に久病數多療治を經たる者と、急卒の病人との腹診は、卒爾に虚實を決定すべからざるなり。
○陰實陽虚の腹は、手を浮して表を診するに無力して、手を沈めて裡を診するに反て力あり。陽實陰虚の腹は手を浮して表を診するに力あり、手を沈めて裡を候ふに無力なり。(對時)
吾門以按腹為六診之要務。何則大槩按診腹部、可以辨人之强弱也。凡按之、腹皮厚、腹部廓大、柔而有力、上低下豊、臍凹入、任脉低兩旁高、無塊物、無動氣、此為無病之人、為强。在病人、亦有此數項、為易治。
凡按之、腹皮薄、腹部隘狹、無力、或堅硬、上高脹下低鬆、臍淺露、任脉髙兩旁低、多塊物、有動氣、筋攣急、虚里動高、此為弱、為病人之腹。在病中、若有此數項、為難治。此其大畧也。其餘有㴱微意味。但可以口傳、不可以書、示非敢秘也。(秀庵)
凡腹裏之癥及疝、上下左右及中、大小長短圓扁硬軟、手一按著、可直的識。邪熱肌熱、可辨別。腫脹可捜知、潤澤枯索、滿堆低減、肥痩張弛、可皆候察。虚里可候、動氣上下左右及中、應掌即覺。妊胎血塊可試。胸骨之痩、可循而知。此按腹之㪽以不可不必為、而有大益于治事也。(秀庵)
凡腹甚堅硬者難治、甚軟鬆者難癒。(秀庵)
○無病實人の腹は、みなはりてをるうちにやはらかなり。又、腹に上は脹りたるようにあれども、却て腹内はぐは〱とするあり。是はあしゝ、腹位のよさ、腹が次第に下ふくらにして、胸前すっかりとしたるを上と為す。女の腹はやはらかにして、よわきが上なり。男の女腹を得るは、虚としるべし。逆なり。女の男腹を得るも逆となす。又、腹に凹凸有りて、動氣の位もあつく(きつく歟)(松井本、動氣强者、亦不可)見ゆる人あり。是をも貴ばず。
さて何病人にても、呼吸の臍下までとどくは可生。大形は呼吸が胸のあたりまでにてつくるものなり。平人も常に呼吸の臍下までとどくやうに可修行なり。(中虚)
○腹皮の肉脱して薄く、腹の脊に着て、鳩尾兩肋方へ迫り、積のようなるもの見るヽは、皮膚薄くなりたるゆゑ、藏府が直に手に當るなり。此元氣の虚脱したるなり。(中虚)
○統て人の腹のよきと云は、臍より下に力强く、下ふくらにして、鳩尾の下上脘の處柔にして動氣静にして、臍の上に滿のなきを能腹と云なり。然に悉く上へ取り上り、臍より下の力弱く、按之たわいもなく、臍より上は痞强く、左右の肋下までさし痞へ、或は袋の内へ石を入たる如くにして、腹にたるひつみ(松井本、偏歪)有て、動氣甚强く、或いは動氣かいなく、腹にかたつりの有を、變實と云て、惡き腹とはするなり。
惣て病身なるもの、腹臍より上へ取り上げたるもの多し。今時世間に多く眩暈頭痛或は疝氣の證などあるは、皆是腹のあしき故なり。さて痞類多くても、大事のなきは、中に浮て手に隨て浮沈あるものなり(○大事の痞、肋下の條に出せり)。左右ともに、大事なけれども、左より右の痞は大事と心得べし。惣て腹の痞、胃氣つきざる内は、其痞が强く按じてもさのみ不痛ものぞ。かりそめにも痞を按して痛むものは、胃氣弱きゆゑ、大事のつかへと可思。
又一旦の食傷腹痛などにて、手も難付ほど痛をなす事あり。是は又格別のことなり。食毒瘀血など滯てある故に、痛をなすことつよきなり。今此に論ずるところの痛は、内傷長病痛のことなり。
唯世間の人に、多く痞の一種あり。十人が七八人までもあるなり。疝氣とのみ言はやるは、皆この一種の痞なり。大方左の臍のわきより、左の肋下へさしこみつかへ、其さしつかへる處には、動氣つよく其動氣のひびき、胸のうちまでさしこみ、必ず左の乳中へひゞき、動氣あるものなり。或は股の附根よりさしはるものあり。此痞ある人、臍の廻り筋ばり、或は陰嚢へ引はり、或は拳の如きもの、時々に浮沈みある故に、人々疝氣のみと云は誤りなり。(良務)
○凡諸病中脘より臍下まで按して保なく、底まで無力は難治(森立夫曰、三伯同)の症なり。又腹部の箕をかきたる如く筋ばりたるは、虚極の人にありては難治なり。又腹脹滿して腹皮急、きらつきて光あるは死症なり。(壽安)
○腹のこけて背へつくに、手あたり少しやはらかなるは苦しからず、板の上にかたびらかけたるやうにかたきは、脾胃の大虚なり。(烏巢)
○めぐらぬ腹に、ぬけたるところあるは、必ずしこつた處あり、山あれば谷あるやうに、ぬけたところありても苦しからず。(烏巢)
○病に因て、腹象變ずるあり、凡病人陽腹は易治、若陰腹に變ずれば難治。(對時)
○病人の腹を診するに、譬へば病人の腹の右柔に、左拘攣など甚しきを見て、右は苦にならずやと問ふべし。左柔ならば右の方苦しきやと聞くべし。決して右の方心惡く、苦に成ると云ものなり。是も得と見ると、底でひつぱつてあるものなり。上から見て宜き處は、結句惡しきなり、心得べし。(東郭)
○總じて大病人を見るに、下地より持かヽりたる疝塊積塊などの常とは、在處の方角の變じたるは甚だ惡症なり。常は左の方堅かりしが、其痞癖俄に右にうつり、左はぐさ〱する様になりたるなど云ものは、油斷すべからず。(東郭)
○凡腹皮膩滑而有精彩者、爲血氣盛、其枯燥者爲血虚。若血熱、若皮裏有水氣也、腹皮堅厚如䐃肉、不可挑起者爲實、菲薄而可挑起者爲血氣衰。又腹中虚軟、如循爛瓜者、爲藏氣衰。(臺州)
○腹の筋あらはれ、一面に板をおす如くに、しまりたる腹は難治の證にて、後必ず水腫を發して死するもの多し。腹の皮牛皮の如く厚く、肉と一面なるは好き腹にて、大病長病たりとも、療治ありと心得べし。(玄仙)
○日頃病身なるものか、又は程なく長病を煩ふものゝ腹は、必ずそろ〱と、腹の皮うすくなり、肉と皮のへだ〱になるものなり。此腹の病人ならば、餘りむぞうさにうけ合などして、療治すべからず。事により、めた〱と大病になることのあるものぞ。心得べし。(玄仙)
○上腹は大にしてかたく、下腹は力なくやせ、手を以て按せば、たわいもなく、朝夕、胸や脇腹などに動氣ありて、顔色の蒼々たる病人は、病は輕く見えても、實は甚だ大病なり。是虚腹なり。むざとした療治すべからず。(玄仙○南陽同)
○腹部の見やうは、呼吸の腹に應ずるを候ふべし。急變のある病人は、呼吸の應じやう穩ならず。次に動悸を候ふべし。腹の一體を候の法は、腹の皮厚く肉ゆつたりとして、肥人の股の如く、皮と肉とのわからぬを善と云。腹の皮薄く潤なく、肉と皮との離て、幾つと云かずもなく、筋の見えるはあしゝとす。腹勢を診すると云は、柔ならずこはからず、呼吸の應穩に、何れの處を按じても、痛こたへたることのなきを、腹勢のよきとは云なり。(南陽)
○腹の皮が薄く、肉とはなれて背につき、肉は引張て、縫箔屋のわくに掛たる絹の如くになりたるは津液のなき人の腹なり。澼嚢吐瀉虚脱の人にあるものなり。極て津液の盡る腹は皮浮き立て羽をむしりたる鳥の胷を撫づるが如し、極虚の凶候とす。此手ざはりは、自汗つよく死に近き人の手足の肌にもあるものなり。又死人の肌を撫て覺ゆべし。又多産の婦は、腹皮肉にはなれて浮たるは、常態なり。津液を以て見わくべし。心下より痞鞕して板を按ずる如くに、指もうけつけぬは、難治多し。然ども甚だ怒りなどして、欝したる人腹も如斯なることあり。是は難治ならず。又皮の離て底の引張て如板、立筋多く見えて、任脈凹になるもの惡候にて、勞瘵に多し、引張る故、呼吸せはしく、脈も數なるものなり。(南陽)
○古方家にて、腹に拘攣と云ものは、衆筋引しまり聚りたるにて、皮の上よりは、塊の如くに手にさはりて見ゆるなり。
○腹の痞を按ずるに見えるときもあり、又隱れるときもあり、全く塊もあり。又腸の脂膜切れて浮み出て、按せばたわいもなく、隱れる、皆惡候なり。(南陽)
○腹の痞を手にて按すに、水に浮たる物をいろふ如く、手に隨て動く痞あり。是證病人當分見かけよしといへども、遂には死證となる。知らずんばあるべからず。(玄仙)
○病の半より、腹形常を變じて脊につき、削りて去りたる如くに、胸肋よりは板の如くになりて、横骨の處にて段々に高くなるは、惡候なり、疫にも痢にも、一二日のうちに如此になること多し。難治とす。動悸などあらはれて、至てあしく見ゆるまで知らずにはすまず、腹候に熟して、預め決斷すべし。(南陽)
○病の半より、腹形常を變じて脊につき、削りて去りたる如くに、胸肋よりは板の如くになりて、横骨の處にて段々に高くなるは、惡候なり。疫にも痢にも、一二日のうちに如此になること多し、難治とす。動悸などあらはれて、至てあしく見ゆるまで知らずにはすまず、腹候に熟して、預め決斷すべし。(南陽)
○腹中壅聚(大如縮、按之必不痛)、按之倏忽聚散、或雷鳴甚者、累々凝結如嚢中盛瓦石状(大如鶏卵、按之忽轉其位、必在臍近傍)、是爲陽氣不足所使、宜溫之(壅聚漸輕、而瓦石最重、此症由水多、而惡血稀云々)。(臺州)
△(引、松井本)腹皮溫厚和柔而有力、腹裏無塊無動、上低下豐、是爲無病平氣焉。若夫反之腹皮薄虚軟、或堅硬有塊有動、上高脹下低狹、任脈高起、皮肉如離、臍淺露、臍下無力、是爲病腹、有病則難愈矣。(黃山)
△(引、松井本)陽實陰虚之人、按其腹、外牢堅脹急、而内軟弱無神者、其人必死、禍雖未及、是遊魂行屍之類、形骸獨居、已爲將死之兆也。或其人素快活優長者、尚有可治。若心氣鬱結、則又不免矣。或其表和、腹皮薄而有澤按其中脘、牢且痛者、陰實陽虚之候也、亦爲凶兆(公豐按此條所載之形状、皆是屬厥證者也。或醫施汗吐下太過病少愈、後其腹象有如此者、則係正氣未復、客邪猶在之所致也。若腹象不復更爲變、則急證頓發、命期一同於前證也)(陽山)
△(引、松井本)陰實陽虚之腹、按撫之間、表柔軟而裏有力、裏有力者、非硬之謂也。不宜補藥用之、易泥戀也。宜正氣散或平胃散。是之爲腹之可者、甚尤佳者、則陰陽俱有力、表裏調和也。陽實陰虚之腹、表有力字裏無力、以爲惡候、平人且有病況於旣病者乎、往々就死矣。若用鍼、鍼尖之應、表分有力、而至裏部則無力、猶刺豆腐者。宜補脾之劑。若血燥者、加調血之品。(久野)
△(引、松井本)皮肉相離者、候衛氣之應也。衛氣不足則皮肉相離、猶老人之腹。皮肉離、則其氣不能養肌肉。肌肉不得養、故皮肉離也。衛氣有餘者、皮肉俱厚也。皮肉厚者、則相附着也。皮肉相附、故衛氣亦實也。(久野)
△(引、松井本)拘攣雖同、以分別其部位爲要、須熟習焉。又其拘攣在皮表、在皮肉間、在肉中肉下、均須細診一一分別。(東郭)
△(引、松井本)腹中如無物、腹皮着背者、脾胃元陽虚也、難治。傷寒時疫之裏證、而如此者、萬無一生。(東郭)
△(引、松井本)濕痰候、按撫其皮膚、其状如流散條麵、隱然應手者是也。皮膚間如撒大豆、或如横列條麵者、爲燥痰、此候少於常人、多於宮女、婢女。夫痰者生於鬱熱、其熱煎熬津液所致也。(久野)