『診病奇侅』小児について
本記事では『診病奇侅』の小児腹診について紹介しています。小児はりを実践する鍼灸師にとって、この小児腹診というのも知っておくべき情報でしょう。それでは『診病奇侅』の本文を読んでいきましょう。

※画像は『診病奇侅』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。
『診病奇侅』の肋下
書き下し文・診病奇侅 小児
○凡そ小児は四五歳より、十三四に至るまで、筋肉猶お未だ強壮ならず、故に腹皮多くは薄く、虚里胸脈も多くは動ずる。此れ亦た預め知るべき所也。(秀庵)
○小児は三蒸十変にも、其の時を逐て、腹象異なること有るべし。
四五歳より、少し中脘脹るべし。臓腑未だ実さずして、食用の多少に因りて、腹象変わること多し。只だ腹形、小にして、能くしまりたるを宜とすべし。
十歳比(ころ)より、漸く上脘中脘俱に細長く、三焦同じ位に板を立たる如くなるなり。俗に“丈に長する故に痩る”といえども、此の時臓腑の大体定て、実としまりて、自ら痩る如くなるなり。
思うに、初生は陽盛にして、氣常に上る。故に上に脹り、陰漸く長するに随いて、下焦も実して板の如くなるなり。『霊枢』天年篇に曰く、人生五歳、五臓始定の義に據るときは、腹部も是れより定まることを知るべし。十歳已下は、只だ其の時々の病変を診するのみなり。
十五六歳より腎氣旺して、下焦も実すべし。然れども虚弱の者は、未だ実せざる也。(対時)
○小児は十四五歳までは、上の脹りて下のすくを平とす。是れ胃腑の壮実なる故なり。(台州)
△(引、松井本)小児の脈は據るべからず、唯だ診腹で以て決すべし。熱ある者は、心下に細動あり、他の証候無しと雖も病必ず生ず。大人も亦た然り、或いは瘍腫を発し、或いは驚を発す。宜しく注意すべし。(南陽)
△(引、松井本)小児の臍下軟弱なる者、病無しと雖も、後に必ず驚風を発す。須らく乳食を減少させ脾胃を調和すべし。若し乳食飽満するときは則ち乳癖を生じ、終には驚風を為す。是れ十に一を失わず。(宗柳)
△(引、松井本)小児胎毒、心胸に着く者の腹候は診し難し。先ず之を診するに、宜しく指横を用いて肋下を按すべし。熟察するときは則ち其の毒、高く心胸に入る者、然らざる者、(その)分別するべき也。(東郭)(宜しく腹両傍の條を参えるべし)
△(引、松井本)胎毒は、臍の右傍に凝結する也、其の結の臍に在る者も、亦た毒也。(一貫)
△(引、松井本)小児、生下の時、或いは吐、或いは下、或いは瘡瘍を発するときは、則ち胎毒発泄す。若し然らざるときは、則ち神闕の四辺に附着す。(別本浅井氏の書)
○小児の発熱盛んにして、心下の動、ずっと腹中へさかのぼるものは、必ず直視の患いあり。預め病家へことわりおくべし。何ほど熱つよくとも、其の動、上にすすまず、惟だ水分臍下にあるは直視なし。此の診察、痘瘡驚風などに入用、心得ておくべし。(饗庭)
○痘疹腹候は、後の衆疾中に詳なり。
小児腹診の奥深さ
対時先生(堀井元仙)の言葉に「小兒は三蒸十變にも、其時を逐て、腹象異なること有べし。」とあります。
変蒸とは小児特有の体質であり、東洋医学の小児科の生理学として必修須知の知識といえるでしょう。そして変蒸を経るごとに小児の身体は変化します。となれば、当然その腹証が変わるというのも至極当然なのです。
対時先生は「四五歳より……」、「十歳比より……」、「十五六歳より……」と各年代を示し、そのときの体質に応じた腹証をみるべきとしています。これは実に理に適った教えであります。
ひと口に小児腹診といっても、各年代でまったく基本体質が異なります。たとえば「乳児期」「幼児期」「少年期」「青年期」と分類するとわかりやすいでしょう。「乳児期」「幼児期」とでは、そもそも摂取する食事が異なります。となれば、現れる基本腹証が変わるのは当然であります。
上記にあげた各時期における食事・運動・睡眠時間・生活環境・活動内容…などは各期においてすべて異なります。それに加えて成長期(食べ盛り)や第二次性徴期など、個々によって微妙に異なる周期をも考慮すべき必要があります。
これらの諸々の要素を加味して、小児腹診を行い、子どもの体質診断をする必要があるのです。
小児腹診における平腹
「小兒は十四五歳までは、上の脹て下のすくを平とす。是胃府の壯實なる故なり。」と、荻野臺州先生が記しています。
上脹下空、つまり上実下虚の傾向が子どもの腹証にはあるのです。それにはいくつか理由があるのですが、その理由の一つに、荻野先生は「胃腑が壮実である故」だとしています。いわゆる育ち盛りは胃腑の勢いが盛んとなります。その氣勢が腹証に表われること伝えているのかもしれません。実際に食べ盛りの時期は、子どもたちは実によく食べます。その結果、常に上腹部(心下~胃脘部)が実してしまっているケースも少なくありません。とはいえ、この場合は平腹とはいえませんが…。
他にも上実下虚の腹証となる理由は考えられますが、小児の特性を理解すると自ずと分かることでしょう。
小児の診断の難しさ
南陽先生(原南陽)の言葉
「小児の脈は據るべからず、唯だ診腹で以て決すべし。」
この言葉は実に共感できます。私も子どもの診断においては、“脈診よりも腹診の方が信頼度が高い”と感じています。小児科における脈診の難しさを指摘しているのは原先生だけではありません。小児科医書のほとんどが複数の小児脈診を挙げながらも、とくに(小児の)寸口脈診に頼らない姿勢を示しています。
例えば『銭氏小児直訣』では、小児診法に「三部五脈」という言葉で伝えています。
……又、当に三部五脈を以て参ずべし。三部とは乃ち面上氣色、虎口脈紋、寸口一指脈を看る。五脈とは、上は額前を按し、下は太衝を診る。前の三部と并せて、之を五脈と謂う也。
■原文 脉法
……又當叅以三部五脉。三部者乃看面上氣色虎口脉紋寸口一指脉。五脉者、上按額前、下診太衝、并前三部、謂之五脉也。
三部五脈の診候部位とはすなわち以下に挙げる五つの診法です。
①面部の氣色
②虎口三関の脈診(脈紋)
③寸口一指の脈診
④額前
⑤太衝の脈
実際には望診が二法、脈診が二法、切診一法の計五法が記されています。
その中に「額前(の脈)」とあります。これはあまり見慣れない言葉・診法ですが、『銭氏小児直訣』に記載される小児診法の一つです。同書「附面部三指診候図」に以下の内容が記されています。
小児半歳の間、病有らば、名中食の三指を以て、額前眉上髪際の下に曲按す。若し三指俱に熱せば、風邪を感受す、鼻塞し氣粗からん。三指俱に冷すれば、風寒を感受して、臓冷え吐瀉す。若し食中の二指熱せば上熱下冷。名中二指熱せば驚を挟むの疾。食指(のみ)熱せば胸膈氣満、乳食不消。附す。
■原文 附面部三指診候圖
小兒半歳之間、有病以名中食三指、曲按額前眉上髪際之下。若三指俱熱、感受風邪鼻塞氣粗。三指俱冷、感受風寒、臓冷吐瀉。若食中二指熱上熱下冷、名中二指熱夾驚之疾、食指熱胷膈氣滿乳食不消。附。
本文によると「食指・中指・無名指の三指で、額前・眉上・髪際の下のエリアを切診する」という診法です。この部位は脈を触れることができるので、「額前」は脈診ともいえるかもしれません。しかしその手法は寒熱を主としてみているので、脈診とはせずに切診としました。
実際に額前部の熱変化から、子どもが発熱を起こす直前に察知することもできます。私もわが子が幼い頃によくこの診法を用いて重宝したものです。
小児診法の「三部五脈」、覚えていて損はない診法です。
腹診で胎毒をみる
小児腹診で中心となるのは「胎毒」でしょう。胎毒は隋唐代のころからその存在が示唆されはじめ、宋代に「胎毒」という名称が使われ始めました。
隋唐代~宋代にかけては、三系統の胎毒が伝えられていましたが、金元四大家のひとり李東垣によって四つめの系統の胎毒が提唱されました。これらの胎毒は室町期の田代三喜・曲直瀬道三によって、日本に伝来定着しました。
…と、これらの流れは日本漢方医学の一つの大きな歴史ですが、胎毒に関しては日本の江戸期にさらに独自に発展した歴史があります。そして“胎毒を診候する技法”も、日本で大いに研究され提唱されたのです。胎毒腹診はまさに日本で発展した一大技法といっても過言ではないでしょう。
『診病奇侅』小児の章に記載されている「胎毒」はホンの一部に過ぎません。詳しくは『中医臨床』175号(Vol.44 No.4)~179号(Vol.45 No 4)に連載された拙稿『胎毒治療から生命観をさぐる』に詳しく載せています。興味のある方は是非『中医臨床』を手に取ってみてください。
腹両傍 ≪ 肋下 ≪ 心腹痛 ≪ 腹満 ≪ 婦人妊娠 ≪ 小児 ≫ 衆疾腹候 ≫ 死生
鍼道五経会 足立繁久
原文 診病奇侅 小兒
■原文 診病奇侅 小兒
○凡小兒自四五歳、至十三四筋肉猶未强壯、故腹皮多薄、虚里胸脈多動、此亦所可預知也。(秀菴)
○小兒は三蒸十變にも、其時を逐て、腹象異なること有べし。四五歳より、少し中脘脹るべし。藏府未實して、食用の多少に因て、腹象變ること多し。只腹形小にして、能しまりたるを宜とすべし。十歳比より、漸く上脘中脘俱に細長く、三焦同じ位に板を立たる如くなるなり。俗に丈に長する故に痩るといへども、此時藏府の大體定て、實としまりて、自ら痩る如くなるなり。思ふに、初生は陽盛にして、氣常に上る。故に上に脹り、陰漸く長するに隨て、下焦も實して如板なるなり。天年篇曰、人生五歳、五藏始定の義に據るときは、腹部も是より定ることを可知、十歳已下は、只其時々の病變を診するのみなり。十五六歳より、腎氣旺して、下焦も可實。然ども虚弱の者は、未可實也。(對時)
○小兒は十四五歳までは、上の脹て下のすくを平とす。是胃府の壯實なる故なり。(臺州)
△(引、松井本)小兒之脈不可據、唯診腹可以決、有熱者、心下有細動、雖無他證候病必生、大人亦然、或發瘍腫、或發驚、宜注意。(南陽)
△(引、松井本)小兒臍下軟弱者、雖無病、後必發驚風、須減少乳食而調和脾胃、若乳食飽滿則生乳癖、終爲驚風、是十不失一。(宗柳)
△(引、松井本)小兒胎毒、着心胸者、腹候難診、先診之、宜用指横按肋下、熟察則其毒髙入心胸者、不然者、可分別也。(東郭)(宜參腹兩傍條)
△(引、松井本)胎毒者、臍之右傍凝結也、其結在臍者、亦毒也。(一貫)
△(引、松井本)小兒生下之時、或吐、或下、或發瘡瘍、則胎毒發泄、若不然、則附着於神闕四邊。(別本淺井氏書)
○小兒發熱盛にして、心下の動、ずつと腹中へさかのぼるものは、必ず直視の患あり。預め病家へことはりおくべし。何ほど熱つよくとも、其動上にすゝまず、惟水分臍下にあるは直視なし。此診察痘瘡驚風などに入用心得ておくべし。(饗庭)
○痘疹腹候は、後の衆疾中に詳なり。
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