『医学節要集』の記事、「腹の見ようのこと」について、前半と後半に分けて紹介します。「腹の見ようのこと」とは、文字通り“腹診”について記されています。前回の「腹の見ようのこと・前半」では、杉山流腹診の基本的な情報として、陰陽や腹診の配当についてのみ記されていました。後半ではどのような情報が記されているのでしょうか?本文を読んでいきましょう。
Contents
腹の見様のこと・後半

※画像は『医学節要集』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。
『医学節要集』 腹の見ようのこと・後半
書き下し文・『医学節要集』 腹の見ようのこと
一医師、病人を臨んで腹を候うに、先ず左の手を以て病人の中脘の所に安(おき)、呼吸四五息が間を候い、其の後、臍下氣海の所に安(おき)呼吸四五息の間、是れを候う。上下の釣り合いを見て、元氣の強き弱きを攷(かんが)うべし。
惣じて腹に見所、数多有りと雖も略して此れを記さず。
案ずるに、医師の手を以て腹の中を診るに手意(てごころ)に軽重あり。
如んとなれば、皮めに軽く押しては衛氣を候い、重く押しては栄氣を候う故に軽重ありと云えり。是れ脉に浮中沈ある意なり。
伝に曰く、腹を候うて生死を識る事、八ヶ條あり。
一には、左右の肋の下より塊、指し出で、鳩尾の端、兜の𩋙(しころ)の如し。
二には、中脘の上手(かみて)を以て、是れを押すに碁石の如くなる物、数多あり。
三には、臍下より動氣衝き升りて左右を分たず胸の裏に乱れ入るなり。
四には、臍の廻り崖離れする者あり。
五には、臍の中より氣海の辺に塊、指し出でる者あり。
六には、惣じて腹の中を診(こころみ)るに羅(うすもの)にて大豆を裹(つつ)めるが如し。
七には、臍下氣海の辺に筆の管(じく)の如くなる塊見ゆるなり。
八には、左右とも大横の穴の上の通り期門の所、極めて陥(くぼ)く、手を以て是を押すに滑(なめらか)にして力なく、大横の下五枢の穴の辺、極めて陥(くぼ)く手を以て押すに力なし。
此の如くなる者は終には死すと云り。
凡そ此の八ヶ條を以て考うる則(とき)は、生死を見ること数多有りと雖も、推して識るべし。
又、伝に曰く、左右の髀枢、足の腨内、手の尺部の肉、脱(おつ)るものは必ず死すこと遠からずと云えり。此(かく)の如くなることを弁えて医師たる人、腹を候う則は必ず道に至るべしと伝に云えり。
腹を見るということ・後半
後半部は、実践編といえる内容が記されています。
安の意味
冒頭部分「一医師、病人を臨んで腹を候うに、先ず左の手を以て、病人の中脘の所に安き呼吸四五息が間を候い、其の後、臍下氣海の所に安き呼吸四五息の間、是れを候う。」
これも基本的な情報にみえて、実は中々奥深い一文とみうけられます。
まず「安」という文字にも目がいきますね。「按」ではなく「安」という字を敢えて選んだ点にも、筆者の伝えたい意図が感じられるように思います。
他にも「中脘から臍下氣海」への順、「呼吸」を目安にすることなども実に意義深いものがあり、単にマニュアルとして読み過ごしてはならない情報といえるでしょう。
次の文「上下の釣合を見て、元氣の強き弱きを攷ふべし。」
これも上下のつり合い(バランス)を腹部で診ることとして読み取れます。分かりやすく言えば、“上実下虚を診る”という診法にもなるでしょう。しかし、観方を変えれば「二元氣」を観る診法としても考えることができます。なにより本文に「元氣の強き弱きを考うべし」とあります。また前々章前章でなぜ「先天のこと」「後天のこと」を説いていたのか?についてもよくよく考える必要があるでしょう。
腹診は複層にわたって診るべし
「案ずるに医師の手を以て腹の中を診るに手意に軽重あり。如んとなれば皮めに軽く押しては衛氣を候い、重く押しては栄氣を候う。故に軽重ありと云へり。是れ脉に浮中沈ある意なり。」
このように、腹診にも浮沈(浮中沈)の複層構造でみるべきとの教えがあります。考えますに、切診の中で腹診ほど広い面積と深さを触知する診法はありません。
脈診は指先という極小のポイントで、脈部を寸関尺・浮中沈(脈法によってはそれ以上)に細かく区分して情報を得ます。原穴診や背候診も(脈診と同様に)指先で以って経穴という限定されたポイントから情報を得ます。複数層に分けて各層の情報を得る点も脈診と同じでありますが、浅深の範囲もまた狭く細密なものです。
このようにみると腹診の特徴は広く、面から情報を得る診法であることが分かります。しかし、臨床で腹診を行った経験がある人は分かるでしょうが、情報を得るには腹部という面はかえって広く感じるものです。とくに鍼灸師はその傾向が強いかもしれません。
広く面で把握し、それに加えて浅層・深層という複層からの情報を得るようになるまで、それなりの慣れ・訓練を要すると考えています。
死生を決する腹証・八ヶ条
後段は死証ともいえる腹証について記されています。
部位のみを列挙すると「肋下」「鳩尾」「中脘」「胸裏」「臍周」「氣海」「大横の通り(期門・五枢)」となります。これらは腹診を行う際の要所といえます。腹診における各部位の性質や特徴をぜひ調べておきましょう。
その上で「兜の𩋙の如き塊」「碁石の如くなる物」「動氣衝升および乱入」「(臍の)岸離れ」「羅にて大豆を裹めるが如き塊」「筆の管の如くなる塊」「極めて陥く、手を以て押すに滑にして力なし」などの情報が何を意味するのか?ぜひ考えてみましょう。考えることで腹診でどのような情報を得、その情報にどのような意味があるのか?臨床で正しく考え判断することができるようになるのです。
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鍼道五経会 足立繁久
原文 『醫學節要集』腹の見様之事
■原文 『醫學節要集』腹の見様之事
内經に曰く、夫人に五臓とは肝心脾肺腎なり。然るに此肝心脾肺腎の五臓の中、何れの臓なりとも大過不及無則は平人也。平人と云は則病無人の事なり。若何れの臓なりとも大過するか或は不及する則はすなはち病有人のこと也。其大過と云は其臓に邪氣盛なる事也。不及とは其臓の不足する事也。
經に曰く、五臓各主る所腹を以て是を定むるに臍を中央にして其所を定むるが故に臍の左は肝の臓の主り、臍の上は心の臓の主り、臍の右は肺の臓の主り、臍の下は腎の臓の主り、臍の中央は脾の主り。
故に臍の左恒に動氣在て是を按ば塊有ものは肝の臓に邪氣在と知べし。臍の上常に動氣在て其所に塊在ものは心の臓に病あり。臍の右常に動氣在て塊在ものは肺の臓に病あり。臍の下常に動氣强く塊在ものは腎の臓に病あり。極めて臍の中常に動氣强きものは脾の臓に病在と知べし。
惣じて左の腹に病在るものは大様大過と意得べし。何んとなれば夫人は南に向もの也。故に人の左は東也。東は春を主て陽を生ず故に大過とす。右の腹に病在る者を不及とす。何んとなれば夫人は南に向もの也。故に右は西也。西は秋を主て陰を生ず。故に不及とす。
古書に春は陽を生す故に春初て萬物生ずるとあり。何んとなれば草木は芽を出し花開け蟲獸の類までも冬三月穴して春發生の氣を受て咸其穴を出る也。春は純ら陽盛にして浮み升るが故に斯の如し。又曰く秋は陰純らにして陽は降て地中に入草木の花葉悉く落鳥獸の類皆秋の陰氣を禀て悉く毛隕るなり。是皆難經の意也。其外諸書に見えたり。
又曰くそれ人の身に陰中に陽あり陽中に陰ありと云へり。何んとなれば周易に於て坎の卦は水にして陰なり。故に上下の爻は離れて陰の卦なり。中は陽にして連る離の卦は火にして陽なり。故に上下の爻は陽中の陰と云ものなり。故に人の身にも陰中に陽陽中に陰ありと知べし。是故に左は純ら陽也といへども復中に陰あり。何んとなれば動く所を陽とし靜なるものを陰とすと云り。
然る則は左の手は陽なれば勝ちて動くことを得べきことなれども働くこと右に及ばず。是所謂陽中に陰有るに非ずや。右は極て陰たりといへども復中に陽あり。此故は靜かなるものを陰とすと云り。右の手は陰なれば靜なるべきことなり。然れども働くこと左に勝れり。是所謂陰中に陽有と知へし。足も亦斯の如し。
氣は陽血は陰たりと雖𪜈血病は左氣病は右にあり。是所謂陰中に陽病陽中に陰病有と云もの也。
惣じて陰陽の事は数多有と雖𪜈略して是を記さず。類を以て推て識べし。斯の如く源を知てその後腹を候ふべし。
一醫師病人を臨で腹を候ふに先左の手を以て病人の中脘の所に安呼吸四五息が間を候ひ、其後臍下氣海の所に安呼吸四五息の間是を候ふ。上下の釣合を見て元氣の强き弱きを攷ふへし。惣じて腹に見所數多有と雖𪜈畧して此を記さず。案ずるに醫師の手を以て腹の中を診るに手意に輕重あり。如んとなれば皮めに輕く押ては衛氣を候ひ重く押ては榮氣を候ふ故に輕重ありと云へり。是脉に浮中沈ある意なり。
傳に曰く、腹を候ふて生死を識事八箇條あり。
一には左右の肋の下より塊指出鳩尾端兜の𩋙の如し。二には中脘の上手を以て是を押に碁石の如くなる物數多あり。三には臍下より動氣衝升りて左右を分たず胸の裏に亂入なり。四には臍の廻り崖離れする者あり。五には臍の中より氣海の邊に塊指出る者あり。六には惣じて腹の中を診るに羅にて大豆を裹めるが如し。七には臍下氣海の邊に筆の管の如くなる塊見ゆるなり。八には左右とも大横の穴の上の通り期門の所極めて陷く手を以て是を押すに滑にして力なく大横の下五樞の穴の邊極めて陥く手を以て押に力なし。此の如くなる者は終には死すと云り。
凡そ此八箇條を以て考る則は生死を見ること數多有と雖𪜈推て識るべし。
又傳に曰く、左右の髀樞足の腨内手の尺部肉脫るものは必ず死すこと遠からすと云り。此の如くなることを辨て醫師たる人腹を候ふ則は必す道に至るべしと傳に云り。
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