『小児薬証直訣』について
小児科医学で著名な銭乙(銭仲陽)の教えをその弟子、閻孝忠が編集したとされる小児科専門医書『小児薬証直訣』、その成立は宋代の1119年とされています。
以前の『小児薬証直訣』に関してシリーズ記事を紹介しましたが、このときの資料として引用した『類証注釈銭氏小児方訣』は「熊宗立注本」と呼ばれるものと思われます。
今回の資料として引用させていただいたのは『銭氏小児直訣』、薛己による注本(「薛己注本」と呼ばれる)です。
薛鎧・薛己は父子ともに名医として知られていました。とくに薛己は、その号を立斎とし、易水派の流れを組む医家としても知られ、その著書には『内科摘要』『外科発揮』『保嬰撮要』などがあります。『保嬰撮要』(1556年)はその名の通り、小児科専門医書で、抑肝散の原典としてよく知られています。他にも母子同服・母子同治の治法など、実に興味深いことが書かれています。
漢方処方が扱えない鍼灸師でも、学んでおくべき医書でありますので、本サイトでもいくつかの記事をシリーズとして紹介しましょう。
ちなみに、本記事では前シリーズ『小児薬証直訣(類證注釈銭氏小児方訣)』と区別するため『校註銭氏小児直訣』と表記することにします。まずは本書序文からみてみましょう。
※画像は『(銭氏)小児直訣』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。
『校註銭氏小児直訣』 序
書き下し文 『校註銭氏小児直訣』 序
古の諺に云うこと有り、寧ろ十男子を医すとも、一婦人を医すること莫れ。寧ろ十婦人を医すとも、一小児を医すること莫れ。
幼科の難、昔より自(よし)あり。小児六歳以下、経に載せざる所、乳下の嬰児に病の治し難き者有るを以て、皆な承け據る所無きと為す也。
中古に始めて巫方氏ありて『顱顖経』を作りて、以て夭壽を占い、疾病死生を判(わけ)、而して小児の方が行わる。
晋宋に逮(およ)びて、江左の蘇氏、齊の徐王は僉(みな)能く相い伝えて験あり。而して後、厥(その)科を踵武(あとをつぐ)者、則ち一家に止まず。宋の神宗の時に至りて、太医丞、銭仲陽氏有りて陰陽を一理に貫き、色脈を万全に合す。偉論雄才、逈(はる)かに前列を邁(こ)ゆ。傑起して振出する者と謂うべき也。
門人、閻孝忠は其の典要を記し、直訣若干巻を輯成して、而して幼穉の色脈症治に遺漏すること無し。
先君、嘗て余に語りて曰く、幼を幼とするの薬、宜しく之を善調すべし。古に謂う、小児を芽児と為すこと、草の萌の如く、水の漚の如し。故に其の方を命じて保嬰と曰い、全幼と曰う者、蓋し峻を以て攻むことを欲せざる耳。銭氏が之に灋(のっとり)て日用に以てすべく。銭氏が之方に以て時々に省みるべき也。
愚、先人の言を服膺して、僅に年有り。遇々之を治に施して、一つでも験を得ること有る者は、輒ち自ら之を識して、用いて銭文の下に註を補う。其の幼を幼とするに同じ、敢て紫を以て朱を乱し(※)、薫を以て蘭に並(あわせ)ざる也。
特(ひと)り銭氏が峻攻を以て、用ゆべからざると為すに非ざる也。古には既に遠く元氣も亦た殊なり、直に之を今に施すこと欲せざることを視る耳。敬いて一得の愚を以て、貂尾に附続して、更に明哲の者に諸々を正さんと覬(こいねがう)時に。
小児治療の難しさ
古の諺にある「寧醫十男子、莫醫一婦人。寧醫十婦人、莫醫一小兒。」という言葉は、小児治療の難しさを数字でわかりやすく表してくれています。
単純にみると、成人男性の治療の100倍難しいということになりましょうか。
また、古の諺には「小兒爲芽児如草之萌、如水之漚。」という言葉もあります。「草の萌し(新芽・若葉)」や「水に浮かぶ泡」に喩えることで、小児の体質の不安定さや、子どもの身体・命の脆弱さを伝えています。
“芽生え”といえば、生命力に溢れた存在ではありますが、まだまだ脆弱な性質をもつことは否めません。小児の体質は、このような特徴をもつことを、私たちは忘れてはいけません。
※ちなみに「以紫乱朱(敢て紫を以て朱を乱り)」とは『論語』陽貨にみられる「悪紫之奪朱也」に由来すると思われます。この「悪紫之奪朱也(紫の朱を奪うを悪む)」とは、偽物が本物を乱す、偽物が本物にとって代わる…といった意味があります。
序文 ≫ 小児脈法 ≫ 面部症 ≫ 目部症 ≫ 五臓所主 ≫
鍼道五経会 足立繁久
原文 『校註錢氏小兒直訣』序
■原文 『校註錢氏小兒直訣』序
古諺有云、寧醫十男子、莫醫一婦人。寧醫十婦人、莫醫一小兒。幼科之難、昔有自矣。小兒六歳已下、經所不載、以乳下嬰兒有病難治者、皆為無㪽承據也。
中古始有巫方氏作顱顖經、以占夭壽、判疾病死生、而小兒方行焉。逮於晋宋、江左蘇氏、齊之徐王、僉能相傳有験、而後踵武厥科者則不止於一家矣。
至宋神宗時、有太醫丞錢仲陽氏、貫陰陽於一理、合色脉於萬全、偉論雄才逈邁前列、可謂傑起而振出者也。門人閻孝忠記其典要、輯成直訣若干巻、而幼穉之色脉症治、無遺漏矣。先君嘗語余曰、幼幼之藥、宜善調之、古謂、小兒爲芽児如草之萌、如水之漚。故其命方曰保嬰、曰全幼者、蓋不欲以峻攻耳。錢氏之灋可以日用、錢氏之方可以時省也。愚服膺先人之言、僅有年矣。遇施之治、有一得験者、輒自識之用補註於錢文之下、同幼其幼不敢以紫亂朱、以薫並蘭也。非特以錢氏峻攻為不可用也。視古既遠元氣亦殊、不欲直施之於今耳。敬以一得之愚附續貂尾、更覬明哲者正諸時。

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