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『幼幼集成』について
『幼幼集成』(1750年)は、陳復正による小児科医書です。虎口三関脈診について調べていたときに、目に留まった書です。虎口三関脈診についても情報量が多く、よく参考にさせていただきました。
著者、陳復正について
『幼幼集成』の著者は陳復正、彼の詳しい生没年は不詳。清代の医家で、広東は羅浮の人だとのこと。幼いころは多病の体質であったことが、医薬の探究の機になったようです。また、道家性命の学も修めたようで、“医道兼修”を実践した人物されています。(『幼幼集成』人民衛生出版社 刊 同書「導読」一、幼幼集成与作者より)
さて、本記事では『幼幼集成』の指紋晰義の章を紹介しています。
※画像は『鼎鍥幼幼集成』国書データベースより引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。
『幼幼集成』 指紋晰義
書き下し文 『幼幼集成』 指紋晰義
幼科の指紋、総じて正論無し、且つ游移不定して稽考すべきこと莫し。必ずしも用いずと謂う者有り、用いて至於怪誕不経にまで至る有り、民を誣(あざむ)き、世を惑わす者、是れ皆な未だ紋中の理に明らかならず、用不用の殊議あるの所以なり。請、一得の愚を以て、聊か其の要を発す。蓋し此の指紋と寸関尺とは同一の脈也。
内経を按ずるに、十二経絡は手太陰(即ち肺脈也)に於いて始まる。其の支なる者は腕より次指の端に出で而して手陽明(支なる者とは即ち旁支也。手腕後より食指の端に出る。而して手陽明大腸の経に於いれ栄衛を交通する)に於て交わる。即ち此の指紋是れ也。明なること景岳の如きも、猶(なお)、此の紋を手陽明浮絡と為して謂うがごとし。手太陰経の中府に起きて大拇の少商に終わり、手陽明経は食指の商陽に起きて、両経は相い値せずことを(張景岳は)知らず。若し無此の旁支、栄衛を交通すること無くば、幾(いくばく)も太陰陽明をして表裏せしめず(両経は)断絶する乎。況んや此の脈を診るべし、人の知らざる所、其の遅数、代促、太淵と一毫も異なること無し。但だ脈体との差(ちがい)旁支より小さき也。
指紋の法は、宋の人、銭仲陽に起こる。食指を三関と為すに分けるを以て、寅を風関と曰い、卯を氣関と曰い、辰を命関と曰う。其の訣に、風関は軽く氣関は重く命関は危うしと謂う。未だ必ず其の言を悉く験さずと雖も而して其の義は取るべし。蓋し位は則ち下よりして上る。邪あるときは則ち浅きよりして深し、証は則ち軽よりして重し。人、皆な信じるべし。祇(ただ)恨みて復た詭異の説を出だし、驚風門の類を謬撰して、後賢を多岐亡羊に致し、反て疑案を成す。
予、仲陽を意(おもう)に、宋の明人、孝を以て称(称賛)を見わす。豈に肯えて此れが為に世を誤らんや。大抵、後の俗子、仮に其の名を托して之を為す者なり。惟だ識ある者のみ、其の語言の𨛗俚、論証の荒唐なるを知り、便(すなわ)ち能く棄て置きて用いず。張景岳、夏禹鋳の輩の如し、皆な謂いて必ず用いざるべし。蓋し用いずに非ず、実に其の妄誕不経を悪み、而して用いるべく無し耳(のみ)。近世の医家、真偽を知らず、是非を弁えず、習いて之を行う、乃ち世を惑わし民を誣(あざむ)き、嬰幼を禍害することを致す。夫れ医事は動(やや)もすれば生命に関わる、乃ち無稽の言を聴き、貽殃(いおう)を流伝す、是れ豈に其れ可ならんや。
予は不敏と雖も、粗(ほぼ)経脈を知る、幼科指紋の説を見る毎に、髪竪に勝(た)えず、規正を為さんと欲すも、其の人に非ざるを恨む、知りて言わざる、此れ必ず未だ慊(あきたら)ず、今幸いに余閑あり、請う其の要を言わん。
蓋し此の指紋、即ち太淵脈の旁支也。則ち紋の変易も亦た即ち太淵の変易なり。必ずしも別に異説を立て、人の心目を眩さず、但だ當に浮沈を以て表裏を分け、紅紫にて寒熱を弁え、淡滞で虚実を定む、則ち之を用いて尽さざるなり。倘(もし)舎(お)きて此れを図らざれば、妄執僞説を以て是と為し、証に臨んで病源を察せず、謬り指して人驚、畜驚と為し、愚昧を誑惑す。予は恐れる、盲人翳馬(盲人が視界の遮られた馬に乗る)、終堕重淵(その果てに深い淵に墜ちる)となりて、之を出すこと能うこと莫きことを。
周虚中が曰う、指紋晰義の精は、仲陽(銭乙)より以来、七百余年、人の道(いう)に及ぶこと無し。今、此こに読み至り、夢の初めて覚めるが如く、酔いの初めて醒めるが如し、以て快人の神智を快するに足る、真に千古の特識也。
世の人、乍ち此の言を聞くも、未だ能く深く信ぜず。姑(しばらく)は其の舛謬(せんびゅう)の伝に就き、其の大要を撮り以て之を正とす。其の略に曰く、指上の青紋を弁じて、是を四足驚と認む。虎口脈の青色、是れ猪犬馬驚とし、黒色は水撲に因り、赤色は火人驚、紫色の多くは瀉と成し、黄は即ち是れ雷驚とする。又曰く(虎口脈の)青は驚、白は是れ疳、黄は即ち脾が困ずる端なり、青色の大・小・曲には人驚併びに四足(驚)云云…。凡そ此れ等の言は断じて銭氏の出す所に非ず。実に齊東野語、正人君子の歯頰に掛かる者を屑(いさぎよ)しとせず所なるも、然るに其の非を明らかに指さざれば、人は或いは以予の言を以て不実とす。今、其の最理の無き者を駁(なじり)て、以て一笑に愽せん。
其の曰い、指上、青紋を弁じて是れを四足驚と認む、虎口脈青色を是れ猪犬馬驚とし、黒色は水撲に因り、赤色を火人驚とし、紫色の多くは瀉と成し、黄は即ち是れ雷驚とす。是れ指紋の青黄赤黒、一つに皆な驚の致す所なり。然るときは則ち小児の賦禀厚薄、胎元の寒熱、以て内傷外感、雑証麻痘など数百の証に及ぶも、悉く當に驚風を以て之を称し、驚風を以て之を治するなり。然らずんば、青黄赤黒の紋を除き去りて、又、将に何れ者を其れ驚風に非ずと弁ぜんする乎。謬誤の伝、此れ最もと為すは莫し。既に云う、黄は即ち脾が困ずる端なり。是れ指紋の黄色は、脾土受傷不足の証を謂う。又曰く、黄は即ち是れ雷驚とは、雷を聞き驚き、有余の候を致すを謂うに似たり。仮令(たとえば)小児の指紋の黄なるを見て、此の時、応に脾困と為すに断ずべきか、抑(そもそも)応に雷驚と為すに断ずべきかを知らず、之を治する者は、応に脾を治すべきか、応に治其の雷を治すべきかをを知らざるなり。或いは将に一に合して治と為するか、抑(そもそも)亦た其の方を分けて晰(あきらか)にすべきか、且つ脾困を虚と為し、雷驚は実と為す。(そのため)虚を治せば実を遺(のこ)し、実を治せば虚を礙(さまたげ)る。兼治すること能わず、分治するべからず。予も亦た何れに適従する所を知ること莫し。
青色の大小曲に謂うに至りては、人驚と四足(驚)を並べ、夫れ人と四足とは、霊蠢天淵、清濁水炭、氣化の純雑は侔(ひとし)からず、断じて並列するの理は無し。今、既に人驚は四足に並ぶと曰えば、則ち是れ証に臨む時に、凡そ指紋の青なる者は、之を人驚と謂いて可也、即ち之を四足驚と謂うも亦た可也。是れ人と四足との竟は通称を以てすべくして、而して四足と人とは、幾(ほとんど)同類とせず耶。
即ち紋曲の大小を以て之を別つに、其の意を原(たずねる)に、必ず大曲は人驚と為し、小曲は四足驚と為すと謂う。又、安んぞ人驚は小曲を為さず、畜驚は大曲を為さざることを知らんや。何れの所に㨿りて、其の人驚の曲は必ず大に応じ、畜驚の曲は必ず小に応ずることを確知せん。設使(もし)大曲の中に仍お小曲あり、小曲の旁らに大曲を兼ね見れば、此れ人驚の中に之(これ)畜驚、畜驚の中に之(これ)人驚なりと曰わざるを得んや。無稽の談、目を寓するに堪えず。
其の治療を再究するに、更に是とする処無し。若し人驚・畜驚を総べて一驚と為し、必ずしも論証せず、異治を須(もちいる・もとめる)ずと謂わば、則ち今の“分大分小”、“指人指畜”という者は、譫妄に非ざるを得んや。若し謂人驚・畜驚の各々を一驚と為し、未だ同じく論ずべからずと謂わば、正に人驚とは何病か、畜驚とは何証か、(また)宜しく何物を以て人驚を治し、何物(を以て)四足驚を治すべきかを知らず。既に已上の驚名(驚風の名)有るに、応に以上の証治を立つべきに、何ぞ以て並びに一法も無く、而して徒らに此れら無稽の虚言を設けて以て俗を誑(たぶらか)す。庸妄に在りては固(もと)より責むるに足らず、而して立言の諸公などは、之を規正せずに、書に編次し、後世に遺悞することを為す。吾、有目の者が、未だ必ず之が為に眥裂せざることを恐るる也。
再び、青驚、白是疳に(ついて)曰う。“青は驚”(について)は即ち已に前に諸々説く(ゆえに)、必ずしも瑣贅せず。
“白是疳”に於いて至るは、誠に妄誕と為す。夫れ疳証は即ち、方脈の虚労、幼稚に在りては之を疳積と謂う。本(もと)脾腎両傷の候、人の五臓俱に損じ、中氣敗極すれば、則ち面目肌膚には俱に晃白見われ、形は枯骨の象の如し、故に“白是疳”と曰う。此れ形色を以て言う也。今、指紋を以て之に当たるは、謬まること甚しきなり。蓋し氣血の両傷、精神人虧の証は、其の紋は必ず淡し。凡そ虚証は皆な然り。疳証のみを特(ひとり)とせざる也。然るに其の色の淡きと言うべきに止どめ、色白と謂うべからず。蓋し指上に白紋の無きもの、予の証に臨みて四十余歳、未だ嘗て一遇せず。
後人、古人の言に一定して不易なりと謂う勿れ。必ず其の指紋白色を俟ち、始めて之を疳と為すと称するべし。若し然るときは、則ち疳証の小児に幸い無からん。故に按図索驥(按図索駿)は、終非解人(終不解人)、神にして之を明むる(ことで)、始めて匠手と称す。指紋の弁証を、詳らかに左(下)に列す。
指紋晰義の章について
ここで言う「指紋」とは言うまでもなく、虎口三関脈診の“脉紋・脈紋”を意味します。
本章を通読して受ける印象は、虎口三関脈診、ひいては小児診法・小児病態に対する陳復正の熱い想いが伝わってくるようです。実際にも、かなりの文字数にて、陳氏の論説を記していますが、虎口三関脈診に関する俗説批判がかなりの割合を占めています。
陳氏が記す虎口三関脈診の総説
虎口三関脈診に関する要点としては以下の3つではないでしょうか。
虎口三関脈診とは “寸口脈の傍流”である
「按内経、十二経絡始於手太陰、其支者従腕従出次指之端、而交於手陽明、即此指紋是也」
十二経脈はそもそもの手太陰肺経から始まるが、その支脈は腕(列缺)から出て、手陽明に交わり、手陽明の商陽に行く。すなわち食指(示指)は、手太陰の寸口部の影響を多分に受ける場であり、診候部位としても応用可能である。故に指紋(虎口三関脈紋)で同様の情報を得るのだ…という論理です。
虎口三関の脈法の基本
「指紋之法、起於宋人銭仲陽、以食指分爲三関、寅曰風関、卯曰氣関、辰曰命関。其訣謂風軽氣重命危、雖未必其言悉験、而其義可取。蓋位則自下而上、邪則自浅而深、証則自軽而重。」
指紋の法(虎口三関脈診)は宋代の医家・銭仲陽を祖とする、という言葉から始まります。
そして虎口三関脈診は、食指(示指)を(関節部をもって)三関に分け、それぞれを風関・氣関・命関と名づけます。この三関にある脈紋によって病の軽重を診るわけです。
さらに興味深い記述として、以下の3点があります。
ⅰ)脈診の位は下から上の順(風→氣→命)
ⅱ)邪は浅層から深層へと侵攻する
ⅲ)証は軽証から重証へと進行する
このように、虎口三関脈紋によっても、脈位・病位を定め、それによって証の軽重・吉凶を判断でき、診断において虎口三関脈法を機能させているという点は注目したいところです。
さらに深堀り虎口三関脈診
「蓋此指紋、即太淵脈之旁支也、則紋之変易亦即太淵之変易……但當以浮沈分表裏、紅紫弁寒熱、淡滞定虚実……」
食指の脈紋は、寸口脈の傍支である。それ故に脈紋の変化は、寸口脈の変化とほぼ同義である…というお話から始まります。続く文には以下の興味深い説があります。
ⅰ)脈紋の浮沈によって、病位の表裏を定める
ⅱ)紅紫など、脈紋の色によって寒熱の病邪を判断する
ⅲ)淡滞といった脈紋の状態から、虚実を判断する
…と、このように脈紋から得られる情報は多岐にわたるのです。
鍼道五経会 足立繁久
指紋晰義 ≫ 指紋切要 ≫ 三関部位歌 ≫ 浮沈分表裏歌 ≫ 紅紫弁寒熱歌 ≫ 淡滞定虚実歌 ≫ 紋形王病歌 ≫ 小児脈法
… ≫≫ 面部形色賦 ≫ 弁色分註 ……
原文 『幼幼集成』指紋晰義
■原文 『幼幼集成』指紋晰義
幼科指紋總無正論且游移不定莫可稽攷有謂不必用者有用而至於怪誕不經誣民惑世者是皆未明紋中之理所以有用不用之殊議請以一得之愚聊發其要葢此指紋與寸關尺同一脈也。
按内經十二經絡始於手太陰(即肺脈也)其支者從腕從出次指之端而交於手陽明(支者即旁支也從手腕後出食指之端而交通榮衛於手陽明大腸之經)即此指紋是也明如景岳猶謂此紋爲手陽明浮絡不知手太陰經起於中府而終於大拇之少商手陽明經起於食指之商陽兩不相値若無此旁支交通榮衛不幾令太陰陽明表裏斷絶乎況此脈可診人所不知其遲數代促與太淵一毫無異但脈體差小由旁支也指紋之法起於宋人錢仲陽以食指分爲三關寅曰風關卯曰氣關辰曰命關其訣謂風輕氣重命危雖未必其言悉驗而其義可取葢位則自下而上邪則自淺而深證則自輕而重人皆可信祇恨復出詭異之説謬撰驚風門類致後賢多岐亡羊反成疑案予意仲陽宋之明人以孝見稱豈肯爲此誤世大抵後之俗子假托其名而爲之者惟有識者知其語言𨛗俚論證荒唐便能棄置不用如張景岳夏禹鋳輩皆謂可不必用葢非不用實悪其妄誕不經而無可用耳近世醫家不知眞僞不辨是非習而行之乃致惑世誣民禍害嬰幼夫醫事動關生命乃聽無稽之言流傳貽殃是豈其可予雖不敏麄知經脈毎見幼科指紋之説不勝髪竪欲爲規正恨非其人知而不言此必未慊今幸餘閒請言其要葢此指紋即太淵脈之旁支也則紋之變易亦即太淵之變易不必另立異説眩人心目但當以浮沉分表裏紅紫辨寒熱淡滞定虚實則用之不盡矣倘舎此不圖妄執僞説以爲是臨證不察病源謬指爲人驚畜驚誑惑愚昧予恐盲人翳馬終堕重淵莫之能出矣。
周虚中曰、指紋晰義之精自仲陽以来七百餘年無人道及今讀至此如夢初覺如醉初醒足以快人神智眞千古特識也。
世人乍聞此言、未能深信姑就其舛謬之傳撮其大要以正之其畧曰指上辨靑紋認是四足驚虎口脈靑色是豬犬馬驚黑色因水撲赤色火人驚紫色多成瀉黄即是雷驚又曰靑驚白是疳黄即困脾端青色大小曲人驚併四足云云、凡此等之言斷非錢氏所出實齊東野語正人君子所不屑掛於齒頰者然不明指其非人或以予言不實今駁其最無理者以愽一笑其日指上辨青紋認是四足驚虎口脈青色是猪犬馬驚黑色因水撲赤色火人驚紫色多成瀉黄即是雷驚是指紋之青黄赤黑一皆驚之所致然則小兒之賦禀厚薄胎元寒熱以及内傷外感雜證麻痘數百之證悉當以驚風稱之以驚風治之矣不然除去青黄赤黑之紋又將何者辨其非驚風乎謬誤之傳莫此爲最既云黄即困脾端矣是謂指紋黄色脾土受傷不足之證又曰黄即是雷驚似謂聞雷致驚有餘之候假令小兒指紋見黄不知此時應斷爲脾困乎抑應斷爲雷驚乎治之者不知應治脾乎應治其雷乎或將合一爲治乎抑亦分晰其方乎且脾困爲虚雷驚爲實治虚遺實治實礙虚兼治不能分治不可予亦莫知何所適從乎至謂青色大小曲人驚並四足夫人與四足靈蠢天淵清濁水炭氣化純雜不侔斷無並列之理今既曰人驚並四足矣則是臨證時凡指紋青者謂之人驚可也即謂之四足驚亦可也是人與四足竟可以通稱而四足與人不幾同類耶即以紋曲之大小別之原其意必謂大曲爲人驚小曲爲四足驚又安知人驚不爲小曲畜驚不爲大曲乎何所㨿而確知其人驚之曲必應大畜驚之曲必應小設使大曲之中仍有小曲小曲之旁兼見大曲得無曰此人驚中之畜驚畜驚中之人驚耶無稽之談不堪寓目
再究其治療更無是處若謂人驚畜驚總爲一驚不必論證不須異治則今之分大分小指人指畜者得非譫妄乎若謂人驚畜驚各爲一驚未可同論正不知人驚爲何病畜驚爲何證宜以何物治人驚何物治四足驚既有已上之驚名應立以上之證治何以並無一法而徒設此無稽虚言以誑俗在庸妄固不足責而立言諸公不之規正反爲編次於書遺悞後世吾恐有目者未必不爲之眥裂也。
再曰、青驚白是疳靑驚即已前諸説不必瑣贅至於白是疳誠爲妄誕夫疳證卽方脈之虚勞在幼穉謂之疳積本脾腎両傷之候人之五臓俱損中氣敗極則靣目肌膚俱見晃白形如枯骨之象故曰白是疳此以形色言也今以指紋當之謬之甚矣葢氣血兩傷精神人虧之證其紋必淡凡虚證皆然不特疳證已也然止可言其色淡不可謂之色白葢指上從無白紋予臨證四十餘歳未嘗一遇後人勿謂古人之言一定不易必俟其指紋白色始可稱之爲疳若然則疳證之兒無幸矣故知按圖索驥終非解人神而明之始稱匠手指紋辨證詳列於左。

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