二十四節気について・その2

なぜ二十四節気なのか?

前回の記事『二十四節気について・その1』では「二十四節気は“太陽を基準”として一年の変化を観測する法」としてまとめました。
また二十四節気を定める法には、2種類あり、一つは平気法、二つは定気法であること。そして両法の違いについてもまとめました。本記事では、もう少し二十四節気について紹介していきましょう。

まず二十四節気の名称で、よく知られているものとしては、春分・夏至・秋分・冬至、そして立春・立夏・立秋・立冬があります。

・冬至・夏至を「二至」
・春分・秋分を「二分」
・立春・立夏・立秋・立冬を「四立」といいます。
・これら二至・二分と四立を合わせて「八節」と呼びます。

これらの二十四節気の各名称は『素問』『霊枢』『難経』に登場します。『素問』『霊枢』『難経』三書に登場する「二至」「二分」「四立」を以下にピックアップしました。

『素問』
診要経絡論第十六・・・「冬分」「春分」「夏分」「秋分」の記載が確認できる。
※「冬分」「夏分」はいわゆる「二至」のことと推察すると、二至二分の記載。

脈要精微論第十七・・・「冬至」「夏至」の二至が記される。

『霊枢』
九宮八風第七十七・・・「冬至」「春分」「秋分」「夏至」(本文記載)
※絵図には二至二分の他に、四立(立秋・立冬・立夏・立春)が確認できる。

九鍼論第七十八
「立春」「春分」「立夏」「夏至」「立秋」「秋分」「立冬」「冬至」の二至・二分・四立の八節が記される。

歳露論第七十九
「冬至」「立春」の節気名称が確認できる。

『難経』
七難 ・・・ 「冬至」が確認できる。

『素問』『霊枢』『難経』を通覧してわかることは、『素問』『霊枢』には二至二分は記載されているということ。また『難経』を含めると、三書に共通して登場する節気は「冬至」ということです。

冬至について

冬至は一年の中で昼が最も短い日であり、陰から陽に転ずる転機といえます。
このことは易卦の地雷復にもその思想はみられます。復卦は五陰一陽の卦であり、五つの陰爻の下に陽爻が一つ。この卦の象りから、地中に潜んでいた一陽が再び浮上してくる…そんな“一陽来復”の意もまた復卦には込められています。

当時の人たちは、冬至の日にもそのような “陰極まって陽に転ず” “一陽来復” といった希望を抱いていたのではないか、と想像せずにはいられません。例えていうなれば、現代の私たちが元旦や節分・立春に感じる節目のような気持ちに近いのかもしれませんね。

このように冬至が重要な“機”として認識されていたことは、暦法のみならず医書である『素問』『霊枢』『難経』からもみてとれます。

平気法は一年を単純に24区分した暦法…とはいえ、当時はどうやって二十四節気を定めていたのでしょう。単に一年を24で割っても基準となる日がないと、暦は作れません。
『暦の大事典』(岡田 芳朗 編者代表)によると 「初期の中国暦では、平気法(1年を24分の1に等分し、それを冬至から累加していく方法)が用いられた」(レファレンス共同データベース調べ)とあり、やはり冬至が重要な基準であったことがわかります。

歴史的にみて二十四節気は…

前述の八節(二至・二分・四立)に相当する概念は、すでに春秋時代には存在していたといいます(暦Wikiより)。
さらに二十四節気は、前漢代の太初暦(紀元前104年)には、そのほとんどは記録されていたとのこと。また同じく前漢代の『淮南子』天文訓には二十四節気について記されている箇所があります。

下記に『淮南子鴻烈解』よりその部分を引用しておきます。

 『淮南子鴻烈解』天文訓

……(略)……日行る一度十五日を一節と為す、以て二十四時の変を生ずる。斗が子に指せば則ち冬至なり。音、黄鐘に比す。十五日を加えて癸に指せば則ち小寒なり。音、応鐘に比す。十五日を加えて丑に指せば則ち大寒なり。音、無射に比す。十五日を加えて報徳の維に指せば則ち陰を越えて地に在り。故に曰く日の冬至を距(へだ)てること四十六日にして立春なり。陽氣、凍解く。音、南呂に比す。十五日を加えて寅を指せば則ち雨水なり。音、夷則に比す。十五日を加えて甲に指せば則ち雷、蟄を驚(驚蟄)する。音、林鐘に比す。十五日を加えて卯に指せば縄に中る。故に曰く、春分には則ち雷行す。音、甤賔に比す。十五日を加えて乙に指せば則ち清明風至る。音、仲呂に比す。十五日を加えて辰に指せば則ち穀雨なり。音、姑洗に比す。十五日を加えて常羊の維を指せば則ち春分尽く。故に曰く、四十六日有りて立夏大風済(や)む。音、夾鐘に比す。十五日を加えて巳に指せば則ち小満なり。音、太蔟に比す。十五日を加えて丙に指せば則ち芒種なり。音、大呂に比す。十五日を加えて午に指せば則ち陽氣極む。故に曰く四十六日有りて夏至なり。音、黄鐘に比す。十五日を加えて丁に指せば則ち小暑なり。音、太呂に比す。十五日を加えて未に指せば則ち大暑なり。音、太蔟に比す。十五日を加えて背陽の維に指せば則ち夏の分尽く。故に曰く四十六日有りて立秋の涼風至る。音、夾鐘に比す。十五日を加えて申を指せば則ち処暑なり。音、姑洗に比す。十五日を加えて庚に指せば則ち白露降りる。音、仲呂に比す。十五日を加えて酉に指せば縄に中る。故に曰く秋分雷戒して蟄蟲北に郷(むか)う。音、甤賔に比す。十五日を加えて辛に指せば則ち寒露なり。音、林鐘に比す。十五日を加えて戌に指せば則ち霜降なり。音、夷則に比す。十五日を加えて蹏通の維に指せば則ち秋分尽く故に曰く四十六日有りて立冬なり。草木、畢(ことごと)くに死する。音、南呂に比する。十五日を加えて亥に指せば則ち小雪なり。音、無射に比す。十五日を加えて壬に指せば則ち大雪なり。音、応鐘に比す。十五日を加えて子に指さす。
故に曰く陽は子に於いて生ず、陰は午に於いて生ず、と。故に十一月、日の冬至に鵲は始めて巣を加え、人氣は首に鐘(あつま)る。陰は午に於いて生ず、故に五月を小刑と為す、薺麦葶藶枯れる、冬に生ずる草木は必ず死す。……。

■原文 『淮南子鴻烈解』天文訓
……(略)……日行一度十五日爲一節以生二十四時之變斗指子則冬至音比黄鐘。加十五日指癸則小寒音比應鐘。加十五日指丑則大寒音比無射。加十五日指報徳之維則越陰在地、故曰距日冬至四十六日而立春陽氣凍解音比南呂。加十五日指寅則雨水音比夷則。加十五日指甲則雷驚蟄音比林鐘。加十五日指卯中繩。
故曰春分則雷行音比甤賔。加十五日指乙則淸明風至音比仲呂。加十五日指辰則穀雨音比姑洗。加十五日指常羊之維則春分盡故曰有四十六日而立夏大風濟音比夾鐘。加十五日指巳則小滿音比太蔟。加十五日指丙則芒種音比大呂。加十五日指午則陽氣極、故曰有四十六日而夏至音比黄鐘。加十五日指丁則小暑音比太呂。加十五日指未則大暑音比太蔟。加十五日指背陽之維則夏分盡故曰有四十六日而立秋涼風至音比夾鐘。加十五日指申則處暑音比姑洗。加十五日指庚則白露降音比仲呂。加十五日指酉中繩故曰秋分雷戒蟄蟲北鄕音比甤賔。加十五日指辛則寒露音比林鐘。加十五日指戌則霜降音比夷則。加十五日指蹏通之維則秋分盡故曰有四十六日而立冬、草木畢死音比南呂。加十五日指亥則小雪音比無射。加十五日指壬則大雪音比應鐘。加十五日指子。故曰陽生於子、陰生於午。故十一月日冬至鵲始加巢、人氣鐘首。陰生於午、故五月爲小刑、薺麥葶藶枯、冬生草木必死。……
……。

本文をみると分かるように、15日単位で二十四節気が配当されています。この点は『素問』六節蔵象論と同じ。そして15日単位という点から“平気法”を用いていたことがわかります。

さて、平気法、次いで定気法という暦法が考案され、暦に実施されてきた歴史もみてきました。前回の記事でのまとめから、二十四節気というのは(平気法・定気法ともに)“太陽の運行”に基づく暦法だといえます。
つまりは月の運行には関与しないということです。この点、鍼灸治療においても注目すべき点だと私は思います。

日・月・星辰の中で、二十四節気は “日” すなわち太陽の運行を専らとした暦法として、人体への影響を考慮すべきでしょう。そのようにみると、例えば、衛氣か?営氣か?どの氣に深く関与する暦なのか?といったヒントにもなります。
そして、それがわかれば、鍼法や選穴なども自ずと変わってくるはずだ、と考えるのです。

鍼道五経会 足立繁久

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