「胎毒治療から生命観」とうとうフィナーレ!
『中医臨床』12月号(179号)に寄稿しました。
胎毒を主役にした記事(胎毒シリーズ)は、振り返れば175号の【李東垣の生命観ふたたびー命門と胎毒ー】から。
李東垣は陰火学説の提唱、補中益気湯・清暑益気湯を考案、東垣鍼法(鍼法名は後代に命名)などはよく知られるが、胎毒に関する一説を提唱したことはあまり知られていないようです。
胎毒は隋唐代の頃から概念的には存在し、宋代に「胎毒」という言葉が使われはじめ、金元代・明代に時代を経て発展してきました。それが日本に渡ってからより詳細に小児科医学の中に組み込まれてきたようすを、『中医臨床』177号,178号、そして今号179号掲載の記事にて紹介させていただきました。
写真:「胎毒治療から生命観をさぐる-診法編-」
診察法が生まれるということは…
従来の胎毒療法は、生まれて間もない新生児に拭口方や単味処方(甘草・黄連・朱砂…など)を施すことが主でした。これらはいわば対処法といえるものであり、診察法を必要としないものでもあったのです。
しかし、胎毒が小児科医学の中に組み込まれることで、日本では胎毒に対する診察法が考案されていきます。診察法が生まれたということは、理論に基づく医学として発達・発達したということを意味します。
日本医学には胎毒を捕捉するための診察法が実に豊かに伝えられています。
望診・脈診・腹診の各診法で、小児の体に潜む胎毒を診察する手段は実に多様です。この点にも驚きですが、小児診法の素晴らしい点は、高度に発達した小児科生理学を基に情報処理がなされている点です。
子どもの成長とともに刻々と変化する胎毒情報をつぶさに観察し、理論づけている点は、非常に優れた小児科医学だと唸らされるものがありました。
さらに、生理学・病理学だけでなく、生命観にまで及ぶ医家(浅井南溟)の教えも見つかった点も大きな喜びでした。その生命観は多賀法印流の教え「邪正一如」にも通ずるものがあり、まさに日本医学ともカテゴライズできる内容であったと(個人的には)位置付けています。
写真:東洋学術出版社さんの中医臨床179号
ということで、小児鍼灸と小児科伝統医学をよく理解するきっかけになればと思い、論考記事を書いています。
興味のある方は『中医臨床』(179号 vol.45-No.4)をお買い求めください。
鍼道五経会 足立繁久