望診と死脈について【医書五経を読む】第3回

先日は【医書五経を読む】の3回目でした。

第1回は平旦(へいたん)について
第2回は海と精明の府について
そして今回(3回)は望診と死脈についてが主なテーマでした。

1回から3回ともに『素問』の脈要精微論を最初から読み進めているのですが、脈要精微論ひとつだけで随分と話は広く深く学ぶことができるものです。

午前の部は一ヶ月の成果と実技

「先月までの学びを経てどのような工夫を臨床で行っているか?」そんな発表を最初にしてもらいました。
その流れで望診の話題が上がったため、実技では望診を主体に行いました。

今まで望診を主にした実技をしてこなかったので、良い刺激になったかと思います。

前回の望診配当を含めると、望診パターンは3~4種に増えましたね。また、望診の正誤を違う望診で確かめるという方法を紹介しました。

実際の感想では・・・

「一見 怪しい…と思っていた望診もやってみるとその印象は薄れる…」
「でも、実際の治療に望診を組み込むのは難しい。」
「どこまでスムーズに望診を行うことができるか?がまだまだ課題」といった声を聴くことができました。

その通りで、実際の診療の流れに望診をどのように組み込んで、他の診察と関連させ機能させていくか?がポイントとなるでしょう。そのためには当然、望診の正確性もですが、そのスピードも上げないといけません。日々練習あるのみ!ですね。

午後の部では、陰陽四氣の消長と易と死脈と…

午後の座学は話が脱線しすぎたかもしれません。

四季の氣の消長から易の話になり、そこから脈診と易の話になり…、易のキホンのキホンを少し…。そこからいつの間にか死脈の話になって、今回の講座は終了と相い成りました。

死脈は一般の鍼灸院ではお目にかかりにくい脈といえるでしょう。しかし、万が一に備えてその存在を知っておくことは大事です。

そしてもっと大事なのは、なぜその脈証が死脈と呼ばれるのか?

脈の状態と死証とのつながりを理解することが大事なのです。病と死の間には何かが在ります。いきなり一足飛びに死ぬわけではないのです。現代日本の鍼灸は、この“病と死の間”に思いを馳せ、理解しようとする姿勢が希薄のようでもあります。これも今の鍼灸の患者さん層や日本人そのものの生活様式からみて無理もないことかもしれません。

しかし、病と死の間の“限りなく死に近い状態”を、死脈を理解することから学ぶことができるのです。

七つの死脈

死脈にもいろいろな種類があります。

陰陽に根差した死脈は難経二十一難に詳しいです。また、五行に基づいた死脈は内経や難経に記されています。いわゆる真藏脈もそのひとつでしょう。

後代になって「七死脈」という言葉が生まれました。七死脈という言葉をみたことのある先生も多いかと思います。

実際の講義では、➀陰陽を基準にした死脈、②五行を基準とした死脈、③七死脈について…と、以上の3つの死脈パターンを、各自がテーマとして選び、調べて発表してもらいました。

七死脈にについては『脈法手引草』(医道の日本)では読みやすい現代文で説明してくれています。(巻上では七死の脉の名、巻中では七死の脉の形状の論)

雀擇は連なり繰ること三五啄、是れを候うに、指の下に急に連なり来て息数なし。俄に絶して暫く来たらず。筋肉の間にありて雀の物をついばむがごとし。この脈を見(あら)わせば四五日は保つこと有りといえども、脾胃の絶脈なるが故に終には死するなり。
屋漏は半日に一滴落つ。これを候うに、筋肉の間のありて、時々踊りて相続かず、二息の間に只一動も来たり又暫く止まるなり。屋の雨漏の連なり落ちて又止まるが如し。この脈を見わせば胃の氣の絶脈なるが故に死するなり。
弾石は硬くして来たり、尋ぬれば即ち散ず。これを候うに、石に弾くが如し。按ずる挙ぐるも強く物を提(ひっさ)ぐが如く集まり来たるなり。腎と肺の絶脈なり。
解索は指を搭(う)って散乱す。これを候うに筋肉の上にあり。動はやくしてちりぢりになり集まらず。乱れ縄を解く状の如し。五臓の絶脈なるが故に死期にあらわるる脈なり。
魚翔は有るに似、又無きに似たり。これを候うに、皮膚にあり。去ること疾く、来ること遅し。寸部には脈動かずして、魚の尾ひらひらと動かす形のごとし。腎の絶脉なり。これを見わせば六時より外は生きずといえり。
※一刻を4等分して時とするから六時(ろくとき)とは、一時(30分)×6=180分、すなわち3時間というところであろうか。
蝦遊は静なる中に踊ること一躍なり。これを候うに、皮膚にあり。細く長く来たるなり。能く能く尋ぬれば失せて行方知らず、見(あら)われることは遅く、失せるは早し。蛙の水中に遊んで卒かに水の底に入り、又水の面に現わるるが如し。脾胃の絶脈なるゆえに立ち所に死するなり。
釜沸は躁(さわがし)くして定まりがたし。これを候うに、皮肉の間にあり。出ること有りて入ること無し。肥たる羹の上を探るが如し。指の下に湯の湧きたる如く覚えるなり。この脈 旦(あした、朝)に見われば夕に死し、夕に見わるれば旦に死すと知るべし。」とあります。
ただ死脈の脈状を暗記することが重要なのではない。例えば、釜沸の脈がなぜ半日で死亡するのか?を考察することにも意味がある。「出ること有りて入ること無し」という脈の動き、ひいては人体の氣の動きがヒントとなる。東洋医学における“死”の概念と条件が見えてくる。
このように脈状と症や証を照らし合わせることで、人体生理や病理を理解することができる。

以上、七死脈を始めとする死脈について『脈法手引草』から引用しましたが、死脈に関しては、ターミナルに関わる関わらないを問わず、理解を深めるべき分野であると思います。

その他、中国医学だけでなく日本医学においてもいくつか死脈に関する記述や逸話があることに触れ、今回の講座は終了となりました。

ミニ野外講座:エビ採り

講座終了後に近くの溝でエビ採りをしました。蝦遊脈を学んだ以上は、自然の蝦(エビ)に触れよう!という青空教室です。

『脈法手引草』では「蛙の水面に遊んで卒かに水の底に」隠れる様の比喩をあげており、エビではなくカエルとしていますが、他の書ではやはり蝦(エビ)のようです。

エビかカエルか?の真偽は置いておいて、実際にエビを頭から捕えようとしても、尻尾の力で素早く逃げてしまいます。

エビの素早い逃避行動は、カエルが素早く水中に潜り隠れる様子と共通しているかと思います。

エビの手触りではなく、エビに触れるか触れないかの瞬間、素早く指先から逃れ隠れて見失う感覚を表現しているのだと考えます。

   

いい年した大人が集まって溝に集まる様子は、とても一般の人の目を引いたに違いない…。

 

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