死脈を考える1 脈と呼吸【難経一難を中心に】

鍼道五経会の足立繁久です。

前々回の「医書五経を学ぶ」講座では“死脈”がテーマとなりました。それ以来、死脈を意識して調べることが増えたのですが、文章にしてここにまとめてみようと思います。

一般の鍼灸師が死脈を学ぶ意味はあるのか?

私のような鍼灸師にとって死脈を診る機会はそうあるものではありません。普段はお子さんや産前産後の女性を診ることが主ですから。もちろん高齢の方への治療も行いますが、やはり専門ではありません。

ですから『これは…し、死脈だっ!!』とハッキリ指先に感じられた経験は正直言いましてありません。

しかし、死脈をしっかりと学び直す必要があるな…と考えるようになりました。なぜなら、死脈の理解をすることで、人の生理学や生命そのものを理解することにつながるのではないか?…と考えるからです。

まずは難経から・・・

ということで、まずは『難経』から見直していきましょう。

『なぜ難経からなの?』と思われる方も多いでしょう。

私が初めて死脈の知識に触れたのは師 馬場先生の下で『難経』を学んだ時でした。

『難経』は一難から二十一難まで脈診の章になっています。その中には死脈に関する記述がいくつもあります。

そして、『難経』には脈と呼吸との関係を非常に重視しているようにも読み取れます。一難から二十一難のうち、脈と呼吸の関係に触れているのは、【一難、四難、八難、十一難、十四難】の5つです。その5つの難のうち、人の生死に触れているのが【一難、八難、十一難、十四難】と四難を除くすべての難で論じています。

それだけ脈と呼吸の重要性、そして脈と生死の関係性について触れているのが『難経』だと言えるかと思います。

今回は難経一難から始めていきましょう。といっても『難経』から始める割に、『素問』『霊枢』を開いてみたりと資料の統一性はありませんが…。

 一難経脉営衛度数の図(『図註八十一難経』難経古註集成2 東洋医学研究会 発行 より引用させていただきました)

一難の問い…脈で人の死を判断するのは可能なの?

一難は「十二経はみな脈が動じているものなのに、寸口脈だけを診て、五臓六腑の状態や死生吉凶を決する法とするのはなぜですか?(↓原文の下線部)」という問いから始まります。

一難曰、十二経皆有動脈、独取寸口、以決五臓六腑死生吉凶之法、何謂也。
然、寸口者脈之太会、手太陰之脈動也。
人一呼脈行三寸、呼吸定息脈行六寸。
人一日一夜凡一万三千五百息、脈行五十度周於身、漏水下百刻、
栄衛行陽二十五度、行陰亦二十五度為一周也。故五十度復会於手太陰。
寸口者五臓六腑之所終始、故法取於寸口也。」

一難では書かれているのは“死脈”というよりも、脈を診るだけで五臓六腑の状態(体調)がなぜ分かるのか?また、それだけでなく死生吉凶(ヤバいのか?ヤバくないのか?)ということまでなぜ分かるのか?というテーマであります。

まずは大前提の話。
そもそも死生吉凶を診ることは可能なのか?(死脈って存在するの?)という問いでもあります。

ちなみに、「十二経にみな動脈あり(十二経皆有動脈)」の動脈を“脈の拍動部”とする考えもあります。しかし、私としては単に動脈の拍動部とするのではなく十二経というのはすべて“気が動じ、血が流れる所を持つ”…というよりも、むしろ気血が動じ流れる存在そのものが経脈である。と私は思います。

であるからこそ、その箇所を察し診ることで五臓六腑や全身の状態を知ることができるのです。とはいえ、難経では十二経で診るのではなく寸口の一ヶ所で診るというコンパクト化を図ったのです。

その寸口の一ヶ所だけで、五臓六腑や生死吉凶を知ることが本当に可能なのですか?という問いなのですね。

難経一難の答えは…呼吸!

難経一難ではその問いに対して、呼吸と脈気の流行とのつながりを提示して回答しています。

呼吸も脈気の流行もどちらが止まっても人は生きていけません。つまり呼吸も脈動も生命活動そのものなのですね。とはいえ、現代医学でも呼吸停止と脈拍停止は死の徴候に含まれるので、当たり前といえば当たり前なのですが…

しかし、見方を変えると生命活動そのものである脈の動を観ることがそのまま生死吉凶を占うことにつながるのです。

この点は、事が起きてしまってから決定・対処する現代人と、事の兆しを敏感に感じ取って判断・対応しようとする古代の人々との感覚的な違いもあるかもしれません。

ここで挙げた脈と呼吸の関係については当然のことながら『難経』だけでなく『素問』や『霊枢』にも記載されています。

『素問』平人気象論第十七

「黄帝問うていわく、平人(健康な状態)とはいかに?
岐伯答えていわく、(平人の条件は)一呼に脈は二動(二至・二拍)、一吸に脈は二動します。
呼吸定息、一呼吸で脈は五動する。なぜ五動かというと、呼(吐く息)と吸(吸う息)の間がある。その間に脈一動分なので脈五動とする。これを平人という。
平人とは病ではない状態。常に不病(病まざる)を以て病人を調える。それだけに医は不病である。これを調えるを以て法とする。(↓原文の下線部)」

黄帝問曰、平人何如。
岐伯対曰、人一呼脈再動、一吸脈再動、呼吸定息、脈五動、閏以太息、命曰平人。
平人者、不病也。常以不病調病人、医不病、故為病人平息、以調之為法。
人一呼脈一動、一吸脈一動、曰少氣。
人一呼脈三動、一吸脈三動而躁、尺熱曰病温、尺不熱、脈滑曰病風。脈濇曰痺。
人一呼脈四動以上、曰死。
脈絶不至曰死。
乍疎乍数曰死。平人之常氣稟於胃。胃者、平人之常氣也。人無胃氣曰逆。逆者死。…」

平人とは病気ではない状態(平人者不病也)。それだけに最も死から離れた存在です。

その条件として脈と呼吸の調和を第一条件として提示したのが平人気象論だと言えます。

そして医はこの調息を法として収めておかないといけない…とも記しています。

『霊枢』五十営第十五

「故に人、一呼に脈は二動、氣は行くこと三寸。一吸に脈また二動。氣行くこと三寸。呼吸定息(一呼吸で)氣行くこと六寸。10回の呼吸で氣は六尺めぐる。…
540回の呼吸で、氣は全身を二周めぐる。…
13,500回の呼吸で氣のめぐりは身体を五十周となり、ちょうど一日(24時間)にあたる。(↓原文の下線部)」

「黄帝曰、余聞五十営、奈何。
岐伯答曰、天周二十八宿、宿三十六分、人氣行一周千八分。
日行二十八宿、人経脈上下左右前後二十八脈。周身十六丈二尺、以應二十八宿。漏水下百刻、以分昼夜。
故人一呼脈再動、氣行三寸、一吸脈亦再動、氣行三寸、呼吸定息、氣行六寸。十息氣行六尺、日行二分。
二百七十息、氣行十六丈二尺。氣行交通於中、一周於身、下水二刻、日行二十五分。
五百四十息、氣行再周於身、下水四刻、日行四十分。
二千七百息、氣行十周於身下、水二十刻、日行五宿二十分。
一萬三千五百息、氣行五十営於身、水下百刻。日行二十八宿。漏水皆盡、脈終矣。
所謂交通者、並行一数也。故五十営備得。盡天地之壽矣。
凡行八百一十丈也。」

と、ここでは呼吸と脈氣のめぐりの関係について詳しく書かれています。

あまりに詳しく書きすぎているので、ちょっと受け入れにくい内容かもしれません。

『一日の呼吸数が13500回と言われてもねぇ…』と思う方も多いでしょう。(私も最初そう思いました)

でも、計算してみると、一呼吸あたりの時間が6.4秒となり、深呼吸する程度の時間になるかと思います。

以前 別記事「経脈を流れる氣の速さと呼吸」でも書きましたが、現代人の呼吸数は成人で12~16回/分(ネット調べ)とあり、計算すると一呼吸の時間が3.75~5秒となります。

息の長い人ほど長生きすると言いますし、また心拍の早い方が短命であり、心拍がゆっくりの方が寿命が長い…という話もありますよね。このようにしてみると、深呼吸のようなペースで呼吸することが平人の条件というのもうなづけます。

定説では哺乳動物の生涯拍動数は●●億回!?

さらに余談ですが、哺乳類ではどの動物も一生における心臓の拍動数は決まっているとの説があります。ゾウさんでもネズミさんでも同じ拍動数という説です。

ネットで調べてみますと…哺乳動物の生涯の拍動数は15億が定説だとありました。(他にも20億や23億という説もありましたが…)

ここから『素問』『霊枢』『難経』のセオリー(一呼吸で五動)を入れると…生涯の呼吸数は3億回。

さらに、3億回分の呼吸はどのくらいの期間かというと…3億÷13500と、生涯呼吸数を一日呼吸数で割ります。

(・・・めんどくさいのでsiriさんに計算してもらいました。)

すると…22,222.222…(2万2千222、222…)日だとsiriさんが計算してくれました。さらに年間(365日)で割る(22,222.222÷365)と…(やっぱりsiriさんにお願い)すると…なんと60.8828年との結果。(小数点以下はスミマセン…切り捨てで話を進めていきますね)

平人は不病…と言いつつも、それほど長命とは言えませんね…。というより平均寿命以下ではないですか!?

しかし、約60年という数字も還暦(天干と地支が一周する記念すべき年)でもありますので佳しとしましょうか…。でも今一つ釈然としませんね。

ということで、20億拍説を採用すると、生涯呼吸数は4億回で、相当する日数は29,629.6296日、年に換算すると81.1753年。

さらに、23億拍動説を採ると、生涯呼吸数は4億6千回、相当日数は29,630.074日、年換算すると81.178年だと。

これまた還暦60年に負けず、興味深い数字が出てきました。

約81年。

81とは9×9=81(九九 八十一)で九とは陽の極数であります。その陽の極数同士を掛け合わせた八十一とは陽極数の中の陽極数ということで、極めて強い陽性を持つ数字と言えます。例えば発展的な要素とか…。

(寿命が発展的と言われても…と思うかもしれませんが、成仏して次のステージに行くと思えば発展と言えますね。)

ですから、『素問』『霊枢』『難経』はその意を込めて81の論・篇・難に整理されていますよね。また九九(八十一)は『素問』六節藏象大論にも出てきますね。

ということで、少々死脈の話から脱線しましたが…、数字というのは意味深く神秘的な面も持っています。

ということで、今回は脈と呼吸と寿命(死期)の話に焦点を当てての話でした。

次回は脈と胃の氣について話をまとめていこうと思います。

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