リハビリ開始!その成果は…
以上のように擬似的老化現象を体験した私でしたが予想以上の気力の低下ぶりに気づき、ようやく重い腰をあげて運動を再開したのが2021年の秋(9月の重陽の日)でした。
運動は筋トレではなく、ジョギングから。とにかく足腰を動かしたかったからです。その理由は【前編】の木気や少陽の話に詳しいです。
運動開始当初は、たった3kmのジョギングでゼーゼー息を切らしていたことにショックを感じました。ショックの一方で、まだ9月の頃は流れ出る汗をみて湿濁が排除されているなーという東洋医学者ならではの達成感も得られましたが。
ジョギングを始めたといっても運動の頻度は週一回程度。成果としては下表の通りです。
9月~1月までの成果
9~10月は3km → 5kmに走行距離が伸びた程度。(心肺機能の改善はみられないが発汗が心地よい)
11月になると走行距離は7kmへ。(発汗量は徐々に減少)
12月になると走行距離が10kmに。(この頃は微発汗程度で運動後にタオルで拭くとすぐに汗が引く)
2022年1月になると12-15kmへと走行距離が更新。(12月1月は発汗量よりも涕(洟)量の方が多い気が…)
上記のように運動量は順調に伸びていますが、依然として臀部の筋肉の豊かさは戻りません。
しかし下肢の酸疼はいくぶん減ったように感じます。なにより湿痰症状は大幅に減りました。
湿痰症状は【前編】には書いていませんが、鼻塞・痰・軟便などの所見として日常的に現れていたのです。これらが大幅に改善したのは大きな成果として個人的には評価しています。
冬の養生(養蔵)の解釈に疑義あり
さてさて、ここから東洋医学の話。
実験とはいえ、擬似的老化によって衰え切った心身をリフレッシュさせるべく、運動(Run&Walk)を始めたわけですが、このリハビリ時期が以下の期間に相当します。
【秋分~秋土用~立冬~冬至~冬土用】の期間
2021年の秋~2022年の立春までの各期間・月日
秋分 ・・2021年9月23日
秋土用・・2021年10月20日~11月6日
立冬 ・・2021年11月07日
冬至 ・・2021年12月22日
冬土用・・2022年1月17日~2月3日
立春 ・・2022年2月4日
さて、運動量(走行距離)を大幅に増やしたのがちょうど冬季にあたるわけですが、東洋医学では冬季を「閉蔵」と称しています。(今季の冬は日数でみると2021年11月07日~2022年01月16日にあたります)
閉蔵とは『素問』四気調神大論の言葉で、外気温の低下が著しい冬季では、体内の陽気の漏れを最小限にし、次の季節・春に向けて力を蓄えておくべきである、と説いています。(『素問』の引用文は記事末に掲載)
以前まで私はこの話をよく自然に譬えて、植物であれば地中で春を待つ種子(タネ)、動物であれば穴ぐらで春まで眠る冬眠状態になぞらえて解釈および説明をしていました。
しかし…このリハビリ・ジョギングを通じて、「冬眠」という解釈に対して否定的にみるようになりました。もちろん『素問』が伝える養蔵法を否定するのではありません。
しかし「冬は冬眠の季節だから、安静に過ごしなさい」と解釈することには異議ありです。
このように解釈してしまうと、現代日本人の生活レベルだと「活動量・運動量は激減」「カロリー摂取量・蓄積量は激増」してしまいます。
これを陰陽・気血水でいうとどうなるでしょうか?
運動量低下のため陽気の発生量は低下、膏梁の物の過剰摂取により湿痰湿熱は蓄積し…と、「陽虚」にして「湿痰・湿熱」という複雑な病態像を形成してしまいます。
そもそも「冬は閉蔵だから冬眠のようにおとなしく過ごす」というのは本当に正しい養蔵法なのでしょうか?
養蔵で蔵するモノをどうやって生じるのか?
昨秋から始めたリハビリは冬の寒さ厳しい季節であり、走る時間帯もほとんど夜間という水の季節・水の時間帯でした。そのため気温の面でも、いくら走っていても過剰に汗が漏出することはありませんでした(仕事終わりの時間になるので、大抵は夜間に走ることになります)。
汗をあまりかかない(Run&Walkでもあるし…)とは書きましたが、それなりに必死に走っています。もうマスクの中は涕(洟)だらけ…と、それくらい人目も気にせず走ります。
なぜ汗が過剰に出ないのか?
当然ながら外寒で皮表が束表されるためです。(あとは悲しいかな、発汗過多になるほど走り込める体力が戻っていない…)
しかしそれが不幸中の(?)幸いでした。
このおかげで気づいたのですが、汗を漏出させない程度に陽気を発生させること。そして発生させた陽気を温存させること、これこそが閉蔵・養蔵ではないか?と。
運動すると熱(陽気)が産生され、熱は体表に向かいつつ、全身をめぐる。
さらに運動が続くと、過剰に産生された熱で体温上昇するため、放熱しなければならない。
通常は放熱のために発汗を行うが、上図④のように外気温の低下が著しいと、春夏秋のように発汗されにくくなる。
しかし東医的養蔵法でみると「熱がこもる」ではなく「陽気を蔵する」と言い換えることも可能である(もちろん絶妙な火加減や納気法が必要であろうが)。
【補足】発汗することで表位が虚して外寒に傷られてしまうので発汗を戒める、という外感病予防の可能性は置いておきます。この考えは病気の予防であり「養蔵」とは方向性が異なると考えるためです。
考えますに『素問』当時の人々に比べると、現代日本人は想像を絶するほど運動不足であり、当時に比べて格段に身体能力が低下しているはずです。となると、身体を動かして発生させるはずの陽気量もまた少ないわけです。しかも暖房完備なので、自力で陽気を産生させ手間もる苦労もありません。
そんな我々が冬ごもりなどしてしまったら、春になって発動させる陽気をどうやって生じさせるのでしょう?産生してもいない陽の力をどうやって蔵するのでしょう?閉蔵を冬眠や冬ごもりとして解釈すると、エネルギーの産生手段とエネルギーの収蔵場所が不明瞭なままで終わってしまうのですね。
従って春が訪れても陽気のストックはありませんので、
春を迎えても「やる気が出ない…」「朝起きれない…」「なんだかウツっぽいかも…」といった陽気・春升の気の発動不良に陥る事態が予測できます。
これを『素問』四気調神大論でいう「冬気に逆らうときは則ち少陰藏せず、腎気独り沈む。(逆冬氣、則少陰不藏、腎氣獨沈)」に相当するのでは?と解釈しています。
繰り返しますが、蔵するためにはその蔵する分だけのエネルギーを作らねばいけません。次にシーズンに備えるだけの余剰エネルギーは勝手には生まれてこないのです。生体が自然と産生するエネルギーは、その時に生体を維持するための基礎代謝量に過ぎないのではないでしょうか。
そして春に必要なのは陽気でありますが、食事や睡眠で得られるのはどちらかというと陰の性に偏っています。陽を力を産生させるのは呼吸や運動です。
『素問』四気調神大論で戒められているのは「陽気産生を過度にしすぎて発汗という形で漏出しないように注意すべし!」ということなのではないかと考えます。
しかし一つ注意点があります。
「陽気を産生させて発汗によって漏出させずに閉蔵する」ことが一つの養蔵法だと仮説を立てましたが、これを実践できるだけの循環器系のコンディションを整えておくことは必須です。
加えて筋骨も最低限の耐久性を備えておかなければなりません。
両者に不備があると「寒空のもと走って心臓麻痺(心筋梗塞などの急性心疾患)に…」や「足腰が冷えて関節痛が…」という事態になりかねませんので、この点は事前準備が必要です。
さて以上の記事内容は私個人の身体を通じて得た体験ですので、人によっては異なる見解や手応えが出てくるかもしれません。
とはいえ二年近くの運動制限(運動不足)による心身の低活性、その後の秋~初春の期間における運動再開という条件下で得難い経験であったことは間違いありません。ということで、今後もアラフィフ相応の肉体なりに運動を続けていこう!と改めて自分に言い聞かせる記事でした。
鍼道五経会 足立繁久
『素問』四気調神大論の引用
『素問』四氣調神大論の一節
冬三月、此れを閉蔵と謂う。水は冰(こお)り地は坼(さ)く、陽を擾(まだす)こと無く、早く臥し晩(おそ)く起き、必ず日の光を待つ。志をして伏するが若く匿するが若く、私意の有るが若く、已に得ることの有るが若くせしむ。寒を去り温に就き、皮膚を泄し氣をして亟(しばしば)奪わしむる無かれ。此れ冬氣の応、養藏の道也。
之に逆するときは則ち腎を傷り、春に痿厥と為す。生を奉する者少なし。
■原文
冬三月、此謂閉藏。水冰地坼、無擾乎陽、早臥晩起、必待日光。使志若伏若匿、若有私意、若已有得。去寒就温、無泄皮膚使氣亟奪。此冬氣之應、養藏之道也。
逆之則傷腎、春為痿厥。奉生者少。
『素問』四氣調神大論の一節
冬氣に逆らうときは則ち少陰藏せず、腎氣独り沈む。
・・・
所以聖人は春夏に陽を養い、秋冬に陰を養う、以て其の根に従う所以。故に萬物と生長の門に於いて沈浮す、其の根に逆するときは則ち其の本を伐(き)り、其の真を壊する。…
■原文
逆冬氣、則少陰不藏、腎氣獨沈。
・・・
所以聖人春夏養陽、秋冬養陰、以従其根。故與萬物沈浮於生長之門、逆其根則伐其本、壊其眞矣。…