栗園医訓五十七則(橘窓書影より)その1

幕末から明治にかけて活躍した医学界の巨頭

浅田宗伯という江戸後期から明治にかけて活躍された医家のひとり。この名を既にご存じの方々も多いでしょうが、簡単に浅田先生の略歴を紹介しましょう。

浅田宗伯先生(1815-1894年)は信州の生まれ、名を惟常(これつね)、号を栗園(りつえん)としました。
「国医」とも称えられた浅田先生は数々の偉功を持っていますが、
その名声を著しく挙げた出来事として、国の要人中の要人である将軍、天皇を診察治療したことです。

1866年(宗伯52歳のとき)将軍、徳川家茂を往診し、「これは脚気衝心の症候が悉く具わっている。恐らくは近日不測の変が起こるであろう」との診断を行い、まさにその4日後に将軍家茂は逝去された。
その診断の正しさにより、和宮(かずのみや)様、天璋院(てんしょういん・篤姫の名で有名か)夫人をはじめ大奥の信頼を集め、宗伯は法眼(ほうげん)の位を賜り、幕府医官となった…とあります。

1879年(宗伯65歳のとき)明宮嘉仁親王(のちの大正天皇)をご降誕されるも、生後間もなく全身痙攣を繰り返し、危篤状態に陥ったときに、尚薬侍医であった浅田宗伯が治療にあたった。
その時の処方が走馬湯(!)と、頂門に破敵膏を貼付して危機を脱することができたという。また、要人治療だけではありません。
少し時を戻して…
1868年(明治元年)、王政復古・明治維新となるや、江戸幕府討伐の命が下り、江戸は大混乱に陥った。
宗伯はこのとき和宮と天璋院の命を受けて、和宮の密書を携え、征東総督官 熾仁(これひと)親王と西郷隆盛に面会し、江戸鎮静を乞い、その大役を果たした。
…江戸城明け渡しは、一般には西郷隆盛と勝海舟の功績とされているが、その裏面史として和宮と天璋院の尽力、これを助けて密使の役を果たした宗伯の行動があった。
…宗伯こそは名実ともに、病を治し、国の憂いを治する「国医」の典型であった。
また温知社運動をも興し、東洋医学の伝統保存、基礎理論の確立を企図し…宗伯は二代目温知社の社首となったという。以上は矢数道明先生の解題(『名著出版 近世漢方医学書集成95 浅田宗伯』)から一部を要約引用

浅田宗伯の略歴(かなり略しましたが)を紹介しました。
なぜこのエピソードを紹介したのかというと、漢方医学(もちろん鍼灸医学も含む)が過去日本において誠に重要な役割を果たし、国に貢献することができていたという事実を知っておいてほしいのです。
もちろん宗伯のように大働きまで望まなくても良いですし、政治的な活動も不要です。

しかし譬え時代が変わったからと言っても、伝統医学そのものは変わっていないのですから(我々の勉強量は格段に劣化しましたが)。鍼灸師は自分たちの医学をもっと掘り下げ、それを信じられるようにならないといけない…と思う次第です。

さて、前置きが長くなりましたが、浅田宗伯先生の書の中に『橘窓書影』があります。この『橘窓書影』に収録されているのが『栗園医訓五十七則』、すなわち「浅田流 臨床訓」です。

『湯液家の臨床経験だから鍼灸師には必要ないのでは…』って???とんでもない!
鍼灸師にとっても学ぶべきことが数多くあります。57ヶ条あるため、一カ条ずつ紹介していきます。(また一挙に紹介できないので分割で投稿します。)


『橘窓書影』画像は京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下、青枠内が本文です。

その1、常に須らく此れを識るべきこと

栗園醫訓五十七則(橘窓書影より)

一、常須識此勿令誤(常に須らく此れを識り、誤らしむること勿れ)と云うこと、平生油断すべからず心得べし。

此の義、詳らかに釋(釈)して学規に載す。故に贅せず。

「識る」ということの重みですね。以上、これらの五十七則をわきまえ、常に油断することなく治療や生活に臨むべし!と、厳しいお言葉が聞こえるようです。

また「常須此識勿令誤」という語は『傷寒論』太陽病編にみられます。

「太陽病三日、已(すで)に発汗、若しくは吐法、若しくは下法、若しくは温鍼して、なお解せざる者は、これを壊病となす。
その脈証を観て、何れの逆を犯したかを知り、證に随い之を治せ。
桂枝の本は解肌を為す、若し其の人脈浮緊、発熱、汗出ざる者、之を與う可からざる也。常に須らく此れを識り、誤らしむる勿るべき也。」
(■原文 太陽病三日、已発汗、若吐、若下、若温鍼、仍不解者、此為壊病、桂枝不中與之也。観其脉證、知犯何逆、随證治之。桂枝本為解肌、若其人脉浮緊、発熱、汗不出者、不可與之也。常須識此勿令誤也。)

「観其脉證(その脈と証を観て)、知犯何逆(何が逆を犯したのかを知り)、随證治之(証に随いこれを治す)」
このフレーズを指して浅田宗伯は“処方の大綱領”であると言っています。(『傷寒論識』より)

漢方家だけでなく、私たち鍼灸師も望聞問切の四診は治療における必須要綱です。さらに切診では脈診・腹診・背候診・経穴・切経…などを詳細に行います。
「観其脉證」です。
これら各診法により情報を集め、発病のきっかけ・悪化緩解要因など…をもとに病因・病伝・病機などを含む病理ストーリーを構築しなければなりません。
「知犯何逆」です。
これにより随証治之、証に随いこれを治すのですが、上記のことができなければただの対症療法になります。方証相対ならぬ方症相対です。

診察はしたけど診断できない…。治療してるけど診断はできていない…という訳のわからない状態になります。
訳の分からない状態になると、譬えばもし治療が無効だった(誤診誤治)ときに、それを再検討し方向修正することができません。
治療する以上は常に此れらを識っておくべきあり、油断し手を抜くことなかれ…ということです。

その2、弁脈証 定治のこと

一、脈證を審らかに辨じて治法を定むる事、醫の第一に研究すべし。

随證治之と以法治之と云う事、経語を熟読すべし。

医の第一に研究すべきこと、それは「診法から診断へのプロセス、この精度を上げること」です。

ここは鍼灸師はよくよく熟読熟考すべきでしょう。
最重要であることは治療法・治療技術ではなく、診断能力であるということです。「高度な鍼法」「複雑な処方」ができるようになる前に、まずは冷静に正確な診断ができること、臨床家の本分はここにあります。

その3、病には因と源と証がある

一、病因と病源と病證とを詳らかにすべき事。

因は外因、内因、不内外因の類、又、水氣瘀血邪氣の類也。
源は風寒暑湿燥熱、又は表裏 内外 虚實 寒熱 陰陽の類也。
症は頭痛、発熱、吐、利、煩躁の類なり。

病因・病源・病症…これらを明確にすることで病理ストーリーを構築することができます。
この分類は各臨床家により一家言を持っていることでしょう。

今の私が挙げるなら「病位」「虚実」「病邪」「病勢」「病機」の5つになるでしょうか。当然、これら診断にはそれぞれ(基本的に)対応している診察があるのです。(脈診の五要素『脈診の三機』を参照のこと)

その4、自分のペースを失っていることに気づかない…

一、虚心にして病者を診すべし。何病を療治するにも兎角 早見えの為る時、拍子に載せられて誤るものなり。

診断の重要性を説いた後に「虚心」という言葉で戒めています。

「早見えのなる時、拍子に載せられて」とは、「予想以上にスムーズに病態把握ができた場合」や「治療の結果が早く出た場合」でしょうか。
「好事魔多し」という言葉もありますが、人間の心理として最も隙(すき)が生じやすいのが、自分のペースを見失うとき、即ち「拍子に載せられる」ときです。

「油断すべからず心得べし」ということです。

ここまでは臨床家としての実践的な心得という内容です。

次に治則治法の話に入ります。

その5、病の先後、新旧

一、 新病と痼疾とを別ち、先づ新病を治して而後に痼疾を療すべし。

「新病を先に治し、旧病を後にせよ」これは鉄則です。

新病と旧病の鑑別は症状だけでみると簡単にみえますが、症状に関連する諸情報を新旧に整理することは往々に混乱しやすいものです。しかもその混乱に気づき難いというのも曲者です。

また、鍼灸師に関していうと、その治療傾向が慢性疾患に偏る傾向の強いかと思います。
そのため「新病と旧病に分ける」という作業を日々体験していないと、ピンとこない感覚かもしれません。

発熱や嘔吐下痢などの急性疾患を診ることは鍼灸院にとってはレアケースかもしれません。
しかし急性痛(新病)と慢性疼痛(旧病)を鑑別して治療することでイメージしやすいかもしれませんね。
病の先後、治療の先後を見極めることは大切です。

その6、キホンは大事な基盤

一、古方を主として、後世方を運用すべき事。

古方とは傷寒雑病論の医方医術のことです。この古方を主軸に治療を組み立てる。
しかし実際の運用に於いて、時に後世方の処方を用いることも辞さず、現場での治療は自在に行う…という意味でしょうか。

古方で学ぶの基本として「汗法・吐法・下法」が挙げられます。
しかし、これらの治法をそのまま使うのではありません。この治法を基本として、複雑な治療を組み上げるのです。この考え方は私の鍼灸治療で行っていることです。

譬えるなら、古方は基本技、後世方は複合技といったところでしょうか。
武道武術スポーツの経験を持つ人は分かると思います。
基本は大事です。しかし実戦や試合では基本通りに戦いませんね。でも試合の最中では応用の中に基本技の要素が必ず含まれているのです。
もしくは基本技を行使するにも、そこまでには相当に複雑な駆け引きや隠された要素を隠し含めているものです。

その7、医の三権とは?

一、其の人の強壮、羸弱と病の軽重、緩急とを権(はか)りて薬の大小多少の剤を定むべし。

此れを医の三権という説、傷寒名数解に詳らかなり

『傷寒名数解』(中西深斎 著)という書の「三権」の章には次のような記述があります。
「医の術に臨むや三権あり。何をか三権というか。
一に体位、二に病位、三に薬位。
体に強壮、羸弱の分あり。
病に軽重緩急の勢あり、
薬に大小多少の略あり。…(後略)…」

「病人の虚実」とは正気の虚実を推しはかること。
「病の軽重緩急」で分かることは、病邪の質や病勢を判断します。
「薬の大小」これは鍼灸治穴の深浅にそのまま適応できます。
これら3要素(三権)は、治療を構成する要素であることは異論のないことだと思います。

その8、三陰三陽は経といえる

一、傷寒 雑病といえども三陰三陽を定むべき事。

善く金匱を讀まざれば雑病に三陰三陽あるを知らず痙病に太陽の冒首あり。中暍に太陽と云う水氣に陰水と云う。其の他、陰に在、陽を去るの語、類推して知るべし。

三陰三陽とは三陰病・三陽病の病位、いわゆる六経弁証・六病位のこと。

六病位は傷寒(外感病)の診断に用いられますが、宗伯先生いわく、雑病にも用いる医学概念であるとのこと。
雑病に使えるということは、当然我々鍼灸師の現場でも使えるということです。

五行は循環・平衡をあらわす病理観・治療観ですが、六経はまた異なる病理観・治療観を持つと考えます。(『五行と六経-循環系と開放系-』を参照のこと)
治療の幅を広げるのは、技術の種類ではありません。病理観・治病観の多様さであります。

その9、ワールドワイドな現代だからこそ必要な観点

一、各国の風土、病情を審らかにすべき事。

住居や職場など、患者さんを取りまく環境を把握することは重要です。その如何で診断の方向性が左右されることも多いにあります。

これよりもさらに大きな環境が「地域・風土」となります。
「地域性や気候」はもちろん「県民性」「風習」「好まれる食事」などなども知っておくと良いでしょう。

例えば、信州の山間部の近くで臨床されていた鍼灸師の先生の言葉を借りますと
信州・長野県は非常に寒冷の気が強く、通常のお灸では太刀打ちできない程の寒邪が強い…とのこと。

また、日本と外国を行き来する患者さんもおられます。
例えば、高温多湿の夏季日本と、乾燥の強いオーストラリア中央部を行き来される患者さんもおられました。

以上のように、現場では地域特有の気候、習慣など諸条件を考慮に入れた診断を要する局面はよくあることです。

その10、病には情と機があり

一、病情、病機と云うことを辨別して、其の情機を失うべからず

病情の字、素問に出て、病の寒熱 虚實 皆これを情と云う故に情は猶 性と云うが如し。後世、病人の苦喜を以て情とするは非也。
病機の字、本草序例に見て邪の進退消長、勢の緩急劇易、皆これを機と云う也

病情と病機は同じではありません。両者を混同してはならないと浅田宗伯は戒めています。

宗伯先生いわく、病情とは寒熱や虚実、これを病性と言い換えてもよく、しかし患者の苦痛や楽の類ではないとしています。
そして病機とは、病の進退消長や病勢といった動きを含めた要素が含まれています。即ち病機とは病の経時的な変化を含めた病理ストーリーをだと言えるでしょう。

経時的なストーリーを把握していないと病態予測ができません。
病機をつかむことは、予後の予測にも必要ですし、治療計画を立てることにも必須となるのです。

その11、正邪不可紊

一、 正氣と邪氣とを紊(みだれ)るべからず。

正気と邪気について分別をつけること。

邪気は「正気の虚」の裏返しです。正気のすき間(虚)に、邪は侵入し居座ることが可能となります。
そのため大抵の場合は虚と実は交錯しているものです。

そのため邪と正の分別をつけるということは、虚実を弁えるということでもあります。
虚証といって、単純に補法一辺倒に偏るのも片手落ちですし、
実証といって、瀉法のみでフォローしないのもまた然り。

鍼灸でありがちなケースとしては、「わずかな正気の虚をみては、何はともあれ補法を選択すること」です。
一般的に鍼灸院に通院される患者さん・疾患群は、正気を補うだけでは解決にならないことが多いと思います。

言い換えると、虚実の交錯した状態ですので、補法も可、瀉法も可なのです。重要なのはその順番、組み合わせだと思います。

その12、六不治のうちの二不治

一、巫を信じて醫(医)を信ぜざるものと、財を重くして命を軽くするものは速やかに辞し去るべし。

「巫を信じて医を信じない。」これは扁鵲倉公列傳にある言葉、世にいう「扁鵲六不治」の内の二不治と六不治に当たります。扁鵲の時代から、浅田宗伯の江戸期、そして我々平成令和の現代にと通じる言葉でもあります。

時を越え国を越えて通じるということは、人間の共通の心理であり、真理でもあるのでしょう。
詳しくは「扁鵲の六不治 『扁鵲倉公列伝』より」をご覧ください。

その13、老若男女によって変わること

【一、少年壮盛老衰に拘りて治法を誤るべからず。】

少年期と壮年期そして老年期では治療が異なるのは当然です。
「同病異治」は男女の差のみならず、年代によっても大いに起こります。

風邪(発熱)といった急性外感病ですら、実際の治療では治療に違いが出てきます。
鍼灸治療でイメージしやすい症例だと「痛み」を想像すると良いでしょう。ひと口に「痛み」といっても、疼痛治療は各年代によって治療内容が変わることは分かってもらいやすいと思います。

互いに対極にある幼少期と老年期の体の違いを理解すると、それぞれの年代の治療が全く異なることが理解できると思います。

具体的にいうと、年代によって素体の虚実が異なりますし、伏在する邪気の質や規模も変わります。これらを考慮すると治療方針は大きく変わるのは当然であります。
このことを当会講座の【生老病死を学ぶ】では丁寧に勉強しています。

その14、病に可治、難治、不可治あること

一、諸病 先ず必ず順険逆を定むべき事。

順證は論なし。険證は周時油断すべからず。逆證は不治。速やかに辭し去るべし。

順逆の判断は大事です。
ここでは可治と難治、不可治(治すべからず)について区別されています。

一般的な鍼灸院では、逆証(不可治=ヘタに手を出してはいけない!)に遭遇することは稀かもしれません。
しかし、常にリスクは潜んでいるもの。
浅田先生が仰るように、難治と不可治の違いを弁え、その判断ができるようになる必要があります。
鍼灸師ができる逆順の診立てとしては…陰陽の順逆と、五行の順逆が分かりやすいと思います。

現時点の自身における難治と不可治の境界・線引きを確認しておくことも大事な訓練です。
そして、この線引きは腕・レベルが向上するたびに変わっていくはずです。

その15、医家の心法

【一、陰陽 表裏 虚實 寒熱は醫家の心法なり。萬病に臨みて此の八つを精細に辯ずべし。】

いわゆる八綱弁証の綱目そのものです。

八綱弁証だけでは、詳細な診断は難しいと思います。これに「全体と個(局所)」「経時的な観点」「人の心理・心情」「病のベクトル」「病邪の追い出し口」…などなど明確に情報整理する必要はあります。
しかし、あくまでも診断するための基本的な思考だと考えると『医家の心法』という言葉は良い表現かもしれませんね。

その16、女性の診断で大事なこと

一、 婦人を診する必ず先ず経期の當否、胎産の有無を詳かに問うべし。

これ重要なことです。
月経中か否か、妊娠中か否か、お産の経験の有無…これによって診断も治療も変わる可能性がありますね。

「脈で生理中かどうか分かる」とか「脈で妊娠しているかどうか分かる」とか聞くこともありますが、私は脈診で生理・妊娠を判定するのはあまり賛成しません。
脈診は当て物ではありません。正しく問診、正しく脈診すべきです。

鍼灸院に来られる患者さんは「病んだ状態の人」です。
そして、妊婦さんの脈と言われる滑脈は健康時の妊婦さんの脈です。

治療を受けにくる妊婦さんで滑脈を示さない妊婦さんはたくさんおられます。
中には弱脈や濇脈をあらわす妊婦さんも珍しくありません。

「脈で分かる」「不問診」といった姿勢が相応のリスクを孕んでいることを理解しておくべきでしょう。

その17、男性の診断のときは…?

一、 壮男を診する黴毒の有無を諦視すべし。

黴毒とは梅毒のこと。
梅毒はコロンブスが新大陸より持ち帰った病として知られています。新大陸発見から日本に梅毒が入り込むのはさほど時間はかからなかったようで、日本の文献に梅毒のことが記されるのは16世紀の初め。『月海録』( 1512年)という書には唐瘡(からかさ)、琉球瘡(りゅうきゅうかさ)という呼称であったそうな。(※1)

さて、江戸期には梅毒の感染者数は急増したことも良く知られています。(※2)
浅田宗伯先生の頃も同様に男性における梅毒罹患率が高かったことがこの医訓、とくに諦視という言葉からもよく分かります。

今は当時ほど梅毒の広まりは高くありませんが、男性の問診時に常に念頭に置くべきことは何か???
このように考えておくと良いでしょう。

■参考文献
※1;中村昭、多聞院英俊の病跡-梅毒を中心として-、日本医史学雑誌第33巻第4号(リンク
※2;加藤茂孝、人類と感染症との闘いー「得体の知れないものへの怯え」から「知れて安心」へー(続)第6回「梅毒」)-コロンブスの土産、ペニシリンの恩恵、モダンメディア62巻5号2016、173-183(リンク

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