原南陽の医学(1)『叢桂亭医事小言』より

原南陽の医学観

以前、原南陽の脈論について本サイト記事にて紹介した。(「原南陽の脈論」)。この脈論をきっかけに原南陽の医学について興味が湧いたのだが、となると、原南陽の医学観をまずは知らねば!と思い立ち『叢桂亭医事小言』の第一章「医学」について記事にした次第である。少々長い章なので、五分割にして記事している。
原南陽の人体観を知るだけでなく、江戸期の医学の歴史も垣間見ることができる内容でもある。


※『叢桂亭医事小言』(「近世漢方医学書集成 18」名著出版 発刊)より引用させていただきました。
※以下に現代仮名書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

医学 『叢桂亭医事小言』より

腹候叢桂亭医事小言 巻之一 原南陽先生 口授

門人  水戸 大河内 政存 筆記
常北 丹 彜 校正

医学

医の学び難きことは儒学と違い正典の無き故①にて、世々の医師その見る所に依りて己々の見識を以て道理を推て薬験を試みて、是にて違いなきと思う所を説き出す故に多端になり、後学の者は何れに適従することを知らず。
又、何れの書も方薬を取りて用ゆるに一つ二つは異験あるものなれば、文盲の人は書に載せたるほどなれば、これに極めて他を顧みるに及ばずと思て励ばざるに至る。畢竟、徴(しるし)を取るの書なければなり。内経難経は古書なれば、徴を取るべきものなれども、是又、聖経と違い後人の作を雑(まじえ)て運気五行に陥り治療の際に至りては却て害になることも多し。

然れども内経は古書なれば要語各所に散在す。故に悉く読まねばならず。又悉く取ることならず。程子の説に此書戦国の間に成れりと云えば、大儒の見にてさも有るべし。又、淮南子と同作ならんと七修類稿に見ゆ。又、徂徠先生の素問評には各篇に文章の違いあることを評せり。此の如くなれば一人の作にては無きと見えたり。
愚按するに、家語の文にも似たる所多し。又、三四部を集めて素問内経と名づけたりと云う説もあり。史記の倉公伝に「公乗陽慶、尽く黄帝扁鵲の書を収めて淳于意に伝う、是れ脈書上下経、五色診、奇咳術、揆度陰陽外変、薬論石神接陰陽禁書」とあり、又、受け読みて、之を験すること解き一年ばかりなる可しと云いにて見れば、今の素問霊枢の事ならんと云う説もあり。
又、後漢の鍼医 郭玉が師を程高と云い、程高が師を涪翁と云う。涪翁は其の出づる所を知らず。常に涪水に釣するに因て涪翁と号して、其の術 世に称せらる鍼経診脈法を著して世に伝ふ。疑らくは今の素霊難経の書は涪翁の著する所ならんと云う説もあり。
つまる処が明徴なきことにて、其の人々の見なり。何れにも一部の中に一理になり難き所ありて、是を註するに同意にせんとするは不案内なる事なるべし。
難経は一人の作にて是も古書なれども、全く今の素問の読みたる人にて無きと思う所あり。難経を療治本なりと云う古説あれども、今古学ぶがの異にや、さて此れの如き事は鹿門先生の医官玄稿に論じて詳らかなり。医書の考は玄稿を読みて知るべし。
又、近ごろ桂山先生の素問解題に家々の説を具せり。黄帝岐伯の自作のように覚えたる目にては古今論弁しても盲者の五彩に於けるに斎(ひと)し、方薬は素難二書に出でざれば、今の治療に其の道理を弁(わきまえ)るのみなり。
方薬は仲景氏の傷寒論に出でたるを医方の鼻祖とす。仲景氏の事跡、并びに傷寒の名義のことは先きに著わす所の『叢桂偶記』に詳らかに載せたり。蓋し仲景の組立てられたる方なるや、又後漢の頃まで通用したる古方なるや、其の徴する所無けれは仲景方と唱うる外に云うべき言葉なし。ややもすれば古方、今人に宜ろしからずと云うことを以て口実となし、權貴(けんき)の後庭(≒後宮)、或いは富𩜙(ふじょう)の人を惑わす。一体、病にも古今無く人身にも古今の相違なし。世人或いは言う、古人は質朴にて寡慾なり。故に肌膚五内も厚しと是また古今のわけには非ず。古より天地にかわりなければ天地の間に生育する人間に違いあるべき理なし。若し違うとならば天地の間に生産する薬石草木も其の性やわらかに成りて、人間とよきほどに釣り合うべきの理なり。豈に夫れ人間ばかり天地古今の違いあらんや!
今を以て見るに市民は奸〇(女へんに虽)、山民は淳朴なり。然れば風俗によりて古今によらず、病に至りては風土異なれば、病を異にす。是また古今の違いたるに非ず。淳朴の民は五内厚きに非ず。奸〇(女へんに虽)とて脾胃薄弱に非ず。厚薄は稟賦に在りて山民必壽ならず。市民必夭せず。
予、嘗て医訓と云う文を書きて是を論じたりき。さて傷寒論も全書にあらざることは先輩往々にこれを論ずる通り、闕文錯簡多くありて晋の王叔和(鄭樵が通史氏族略に曰く、周の王叔虎が裔、王叔を以て姓と為す。此れに因りて之を観るに、王叔は復姓なり)、撰次を経て今に伝うと雖も王叔和の文も本文に誤入して、今の本は王叔和の撰次せられたる時の本とも違うなり。然しながら此の傷寒論に熟せざれば湯薬の始まる所を知ること能わず。古今の方の変化を見わけることもならず。

(より)て余が門にて初学の童子には先ず傷寒論を暗記さするなり。治療は傷寒こそ治しにくし②。表裏の証あればなり。此の病を理会(理解)すれば、その他は准じて治療成る②’べし。又、傷寒は証を以て之を治すものなれば、方証相い適することを貴ぶなり。譬えば、詩を作り歌をよむより連歌俳諧に至るまで古人の句を広く覚えて居る故に自己の句は胸中より出づれども、古人の句を覚えたる力を以て佳句の出ると同前にて、胸中に種のなき人にては句弱くて下手なるものなり。医療もその通りにて方証のこと、胸中になければ下手なる道理なり。
傷寒に熟たる人は仲景の風に方もつき、『万病回春』に熟したる人は龔廷賢の様に方もつく。則ち唐を学べば唐詩に似、宋を好めは宋風に出来る。その格調は人々異なれそも平仄韻字は違わず、詩は詩なり。此の理と医療も同味なり。
然るときに初心の人、『万病回春』などに據(よ)れば桂枝麻黄の所へ、参蘇飲・敗毒散と処剤すれば唐と宋との風に違いたるばかりなれども、見えもせぬ所に工夫が附いて、新婚或は妾多き(人を)を見れば、水蔵不足(腎虚)を兼ねたりと思い、劇職の人を見ては氣虚を帯びたりと、邪毒盛んにして脇目も振ることならぬ最中に他証の方を投ず③。凡百の事、両端を持して宜しき事無きにて知るべし。
是を以て初心には傷寒論より学ばするは表裏の規則を知るのためなり。眼前の敵を敗れば民の塗炭は後に仕方の有る道理也。先ず傷寒を治して腎虚氣虚は後に治すべき也③’。是にて平仄(ひょうそく)の違わぬ療治なる所也。然れば『回春』を読むは悪しきかと思へば、五宝散など云う神方は多くの先達、『回春』より取り用いるを以て、『回春』も読まねばならぬことは知るべし。

(続く)

医学に正典なし

東洋医学の原典といえば『黄帝内経』『難経八十一難』『傷寒雑病論』などが挙げられるだろう。

しかし原南陽は本文冒頭(下線部①)にて「医学に正典無し」としている。その心は、儒学と違って正典(教科書)が無いことが医学の難しいところだと言っている。
この言葉は多くの鍼灸師が口々に言っている印象がある。
「臨床では学校で習ったようにはいかない」「東洋医学の理論だけでは現場に対応できない」といった言葉は今も10年前も20年前も変わらない気がする。おそらく私の上の世代の先輩方も同じような愚痴やボヤキ、または批判を耳にしつつも、東洋医学・伝統鍼灸に邁進していたのであろう。

さて、本文では『黄帝内経(素問・霊枢)』『難経』『傷寒論』を挙げつつ、特に『黄帝内経』の歴史的な成り立ちを紹介している。これら原典こそあれども、その成り立ち・医学史的な背景を知ったうえで学ぶべきという姿勢が記されている。筆者も医学史的な知識の重要性は以前にも増して実感できるようになった。「医学史など臨床の技術には関係ない」「臨床家は学者ではないのだから、この手の知識は不要だ」と思う人もいるだろうが、伝統医学を学ぶ以上は、最低限の伝統医学、すなわち先人たちの医学の歴史を知るべきであろう。

傷寒論を学ぶ意義・その1

「治療は傷寒こそ治しにくし」(下線部②)とあり、傷寒の治法を会得する重要性を述べている。
また「傷寒病を理解すれば、その他は准じて治療成る」(下線部②’)とし、傷寒治法の体得が他の病症の治療に通じることを指摘している。

筆者も同様の意見である。
傷寒が他病態と全く同一の病理ではないことは承知しているが、病伝・病機が目まぐるしく変化する傷寒を学ぶことは大いに意義があるとみている。伝統医学にはいくつもの病理観があるが、傷寒医学も学ぶべき病理観の一つである(もちろん鍼灸師が)。

傷寒論を学ぶ意義・その2

下線部③④も同様に傷寒論を学ぶ意義が記されている。特に臨床的な内容であるので鍼灸師は理解しておくべきであろう。

「邪毒盛んにして脇目も振ることならぬ最中に他証の方を投ず」とは、傷寒における三陽病などの実証において、補剤を加味することを戒めている。その具体例として前文に「腎虚」や「気虚」を兼ねている虚実挟雜のような状態を挙げている。慢性的な虚実挟雑であれば治法は補瀉双施であろう。もしくは「先補後瀉」という治則も選択されるであろう。しかし傷寒のような急性病はそうはいかない。
治療に優先順位が必要なのである。それぞれの病態に対し、治療の先後を判断することが診断である。ずばり下線部③’に書かれていることである。急性感染症ではなく、慢性病を主たる対象疾患として治療する鍼灸師には不慣れな治病観かもしれない。

「凡そ百の事、両端を持して宜しき事無きにて知るべし。」
患者さんの苦しみを除くにために、アレもしたい、コレも必要…とばかりに、精いっぱい共感してサービスを詰め込んでも治療にはならない。本当に必要なもの見極めることが診断なのである。とくにシビアな見極めが重要となる局面がある。それを『傷寒論』から学ぶことが肝要である。

鍼道五経会 足立繁久

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原文 醫學 『叢桂亭医事小言』より

■原文 醫學

醫の學ひ難きヿは儒學と違ひ正典の無き故にて、世〃の醫師其見る所に依て巳〃の見識を以て道理を推て藥驗を試て、是にて違ひなきと思ふ所を説き出す故に多端になり、後學の者は何れに適従するヿを知らす。
又何れの書も方藥を取りて用ゆるに一つ二つは異驗あるものなれは、文盲の人は書に載せたるほとなれは、これに極て他を顧るに及はすと思て勵さるに至る。畢境徴を取るの書なけれはなり。内經難經は古書なれは徴を取るへきものなれ𪜈、是又聖經とちかひ後人の作を雜て運氣五行に䧟り治療の際に至りては却て害になるヿも多し。

然れ𪜈内經は古書なれは要語各所に散在す。故に悉く讀子はならす。又悉取るヿならす。程子の説に此書戰國の間に成りと云は、大儒の見にてさも有へし。又淮南子と同作ならんと七修類稿に見ゆ。又徂徠先生の素問評には各篇に文章の違いあることを評せり。如此なれは一人の作にては無きと見えたり。
愚按するに、家語の文にも似たる所多し。又三四部を集て素問内經と名けたりと云説もあり。史記の倉公傳に公乗陽慶盡収黄帝扁鵲之書傳淳于意、是脉書上下經、五色診、奇咳術、揆度陰陽外變、藥論石神接陰陽禁書とあり、又受讀て、解驗之可一年所と云にて見れは、今の素問靈樞の事ならんと云説もあり。
又、後漢の鍼醫郭玉か師を程髙と云、程髙か師を涪翁と云。涪翁は其出る所を知らす。常に涪水に釣するに因て涪翁と號して、其術世に稱せらる鍼經診脉法を著して世に傳ふ。疑らくは今の素靈難經の書は涪翁の著する所ならんと云説もあり。
つまる處が明徴なきヿにて、其人〃の見なり。何れにも一部中に一理になりかたき所ありて、是を註するに同意にせんとするは不案内なる事なるへし。
難經は一人の作にて是も古書なれ𪜈、全く今の素問の讀たる人にて無きと思ふ所あり。難經を療治本なりと云古説あれ𪜈、今古學かの異にや、さて如此事は鹿門先生の醫官玄稿に論して詳なり。醫書の考は玄稿をよみて知るへし。
又、近ころ桂山先生の素問解題に家〃の説を具せり。黄帝岐伯の自作のやうに覺たる目にては古今論辨しても盲者の五彩に於けるに齊し、方藥は素難二書に出てされは、今の治療に其道理を辨るのみなり。方藥は仲景氏の傷寒論に出たるを醫方の鼻祖とす。仲景氏の事跡并に傷寒の名義のことは先きに所著の叢桂偶記に詳に載せたり。蓋し仲景の組立てられたる方なるや。又後漢の頃まて通用したる古方なるや、其徴する所無けれは仲景方と唱る外に云へき言葉なしやゝもすれは古方今人に不宜と云ヿを以て口實となし、權貴の後庭、或は冨𩜙の人を惑す一體病にも古今無く人身にも古今の相違なし。世人或は言ふ、古人は質朴にて寡慾なり。故に肌膚五内も厚しと是亦古今のわけには非す。自古天地にかはりなけれは天地の間に生育する人間に違ひあるへき理なし。若し違ふとならは天地の間に生産する藥石艸木も其の性やわらかに成りて人間とよきほとに釣合へきの理なり。豈夫れ人間ばかり天地古今の違ひあらんや。今を以て見るに市民は奸〇(女へんに虽)、山民は淳朴なり。然れは風俗によりて古今によらす病に至りては風土異なれは、病を異にす。是亦古今の違ひたるに非す。淳朴の民は五内厚きに非す。奸□(女へんに虽)とて脾胃薄弱に非す。厚薄は稟賦に在て山民必壽ならず。市民必夭せす。予嘗て醫訓と云文を書て是を論したりきさて傷寒論も全書にあらさるヿは先輩往〃是を論する通り、闕文錯簡多くありて晋の王叔和(鄭樵通史氏族畧曰周王叔虎之裔以王叔為姓、因此觀之、王叔復姓也)、撰次を經て今に傳ふと雖も王叔和の文も本文に誤入して今の本は王叔和の撰次せられたる時の本とも違ふなり。然しなから此傷寒論に熟せされは湯藥の始まる所を知るヿ不能、古今の方の變化を見わけるヿもならす。

仍て余か門にて初學の童子には先つ傷寒論を暗記さするなり。治療は傷寒こそ治しにくし。表裏の證あれはなり。此病を理會すれはその他は准して治療成るへし。又傷寒は證を以て之を治すものなれは方證相適するヿを貴ふなり。譬は詩を作り歌をよむより連歌俳諧に至るまて古人の句を廣く覺へて居る故に自己の句は胸中より出れ𪜈古人の句を覺へたる力を以て佳句の出ると同前にて胸中に種のなき人にては句弱くて下手なるものなり。醫療も其通りにて方證のヿ、胸中になけれは下手なる道理なり。傷寒に熟たる人は仲景の風に方もつき、萬病回春に熟したる人は龔廷賢の様に方もつく。則ち唐を學へは唐詩に似、宋を好めは宋風に出来る。其格調は人〃異なれ𪜈平灰(平仄)韻字は不違、詩は詩なり。此理と醫療も同味なり。
然るときに初心の人、回春などに據れは桂枝麻黄の所へ、参蘓飲敗毒散と處劑すれは唐と宋との風に違ひたるばかりなれ𪜈、見へもせぬ所に工夫が附て、新婚或は妾多きを見れは、水蔵不足を𠔥たりと思ひ、劇職の人を見ては氣虚を帯たりと、邪毒盛にして䏮目も振るヿならぬ最中に他證の方を投す。凡百の事、両端を持して宜き事無きにて知るへし。
是を以て初心には傷寒論より學はするは表裏の規則を知るのためなり。眼前の敵を敗は民の塗炭は後に仕方の有る道理也。先つ傷寒を治して腎虚氣虚は後に治すへき也。是にて平仄の違わぬ療治なる所也。然れは回春を讀むは惡きかと思へは五寶散なと云神方は多の先達、回春より取り用ゆるを以て、回春もよま子ばならぬヿは知べし。

 

(續く)

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