原南陽の医学(2)『叢桂亭医事小言』より

原南陽の医学観

原南陽の著書『叢桂亭医事小言』に収録される「医学」編を5部に分けてスタートした。第一部では、医学を学ぶことの難しさや意義を医学史の観点から指摘。また傷寒論を学ぶ意義を臨床的な観点からも説いている。(詳しくは医学1へ)
今回の第2部では


※『叢桂亭医事小言』(「近世漢方医学書集成 18」名著出版 発刊)より引用させていただきました。
※以下に現代仮名書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

医学 『叢桂亭医事小言』より

腹候叢桂亭医事小言 巻之一 原南陽先生 口授

医学(医学1より続き)

鍼灸は病によりて湯薬より奇験の有るもの故に常に学び置くべし①
譬えば卒倒驚風などは灸の力を第一とす。別けて小児に異験あり。其の妙、一々に説きがたし。さて治療の際に臨みては経絡に拘わらずして新作意(おもいつき)にて灸鍼しても効をとることも有るべけれども、其の法を了解して後に新作意(おもいつき)にて灸も鍼もなるべし。
先ずその法をば『甲乙経(鍼灸甲乙経)』にて学ぶべし。古書なればなり。何故にや是れ先にも云う正典のなき故に『十四経(十四経発揮)』『大成論(医方大成論か)』『格致余論』などをさきに読ませて下手になれなれと仕込むなり。古を学ぶを学者の要とす②。儒の四書五経を教ゆる、則ち其の法なり。古書は是より古書なるは無し。終えて左国史漢(『左傳』『国語』『史記』『漢書』)、或いは老荘列(『老子』『荘子』『列子』)などと次第する。其の後には末書も思い思いに学ぶ。見識これに開いて修身の業成る。之を大にしては治国平天下なり。是れ稽古と俗に習う事に唱える通り、古よりするを学者の法とするに、経絡は『十四経(十四経発揮)』によるは如何なる事にや?『甲乙経(鍼灸甲乙経)』は素問の考えになる書なり。
医官玄稿を読みて知るべし。兪穴は余が著す所の『経穴彙解』にて学ぶべし。銅人形にて学んでは悪しし。古書は皆な頭面腹背手足にて穴処を分けたり。『十四経』に行なわれてより各経にて分けるなり。経を以て分たるは『外臺秘要』に創(はじ)まり、奇穴の任督二脈を加えて十二経を十四経にしたるが滑伯仁が作意なり。夫れ兪穴は人身の骨隙䧟罅、分肉宛々たるを尋ねて之を知るなり。必分寸にかかわらず皆な骨空分肉に求む故に銅人形にては方角ばかりを知るのみにて治療に至りて実地にかからず分寸は其の大槻に備ふ。つまびらかに『彙解(経穴彙解)』に備論せり。

四診と云うは、医家 病を治するの大綱にて是を捨てては何れにも療治することならず。四診は望聞問切なり。望とは病者の顔色・肥痩・盛衰等をのぞむ。聞とは苦痛するや、五音や、咳嗽するや等を聞く。問とは苦しむ所、飲食の多少、二便の利不利、病前よりの事、病者の問わざれば言わざるところを問う。
以上にて病証・病因を識りて之を詳らかにして其の後に脈を診する。是を切と云うなり。そこで病の軽重安危を知る。仍りて病名を設うく。脈を切にするは吉凶安危のほどを知り、治と不治とを知るの用にて、脈にて病を知ることの用には非ず。譬えば咳嗽寒熱を患うる人あり。此の証は是れ労瘵になるべき病体なり。此れにて脈を切にするに其の人の脈細数なれば難治とす。脈浮数にてあらば発汗して治すべしとす。是れ労瘵に非ざる故なり。乃ち切のところにて定むるなり。脈にて病証を知るものと思うては悪しし③。吉凶安危を知ると云う所が至りて容易に知るべきものに非ず。此こに苦心すること多年、仍りて腹診を参伍して診脈の助けとすべし。腹診も意を留めざれば知れがたきもの也。

死生有命と云うは聖人の語にてあれども、其の命の来たるや来たらざるやは、誰人にても知れず。又命数かぎり有るものならば、病とも安然として居るに極めて宜しからんに、飲にくき薬を飲みて病を治するを以て見れば、治せば生、不治は死の理なり。天命無常と云うものにて不養生不用心なれば、天命を終ること能わず半途に死す。其の死するに又、禀賦薄弱にて老壮に至ることのならず人もあり。是れ等を天命と云うべきなり。
人の病する時に是は治すと治せずと預め知りて療を施すを医と云うべし。治すか治せずかを問わず、此の証をば此の薬にて治すべしとばかりにて薬を飲むは医者を頼むに及ばす④。書籍にあるままを薬店より取り寄せて飲むと斎(ひとし)からん。夫れ医緩の晋候を診するも、扁鵲の虢の太子を診するも皆な預め死生を知る。是れ古の名医の行う所にて、今に至て医たるもの、沈思精慮(いっしんふらん)して学び習うべきの手本なり。
さて死生と云えば二つなれども、得と味えると一つなり。死なりとも、生なりとも、はっきりと片々知れば、夫れにてよし。死すと知れば生の理なく、生と知れば死の理なし。死生を詳らかに知りて人命を療すべし⑤。其の死生を知るは脈より知やすきは無し。さて脈ほど知りがたきは無し。故に望聞問切と腹診を参伍して是を定む。死生さえ明らかに知るれば天下に畏る所なし。鬼神をも哭せしむべし。

(続く)

鍼灸と漢方(湯液)は同等?

下線部①の言葉は鍼灸師にとってはうれしいものである。
「鍼灸は病によりて湯薬より奇験の有るもの故に常に学び置くべし。」当時の漢方医はこのように、鍼灸を漢方とほぼ同等にみていたとも解釈できる。となれば、鍼灸師も同じく漢方薬(湯液医学)を学んでおくべきなのだ。その意義は前回の「医学①」にて紹介した通りである。

古を学ぶということ

下線部②「古を学ぶを学者の要とす」という言葉は、伝統医学を研鑽する我々にとっては響くものがある。稽古という言葉にもあるように、古(いにしえ)を稽(かんがえ)るのである。

「我々は近代西洋医学をベースに鍼灸をしている」という立場にある諸先生方にとっては、古の医学文献から学ぶものはないかもしれない。
しかし東洋医学・伝統医学を学ぶ者にとっては忘れてはならない姿勢である。
我々は医療者でもあるが、医術者でもあり、また医学者でもあるからだ。

原南陽が説く脈診観

「脈にて病証を知るものと思うては悪しし」(下線部③)

この言葉に違和感を覚える人も多いのではないだろうか。「脈診だけで診断ができる」「脈診ですべてが分かる」という立場の鍼灸師にとっては特に『ムムッ…』と思う言葉だと思われる。

むろん「脈診でほぼ全てのことが分かるようになる」まで専門技術を磨き上げ、精進すべきである。しかしいきなりその領域にたどり着けるはずもなし。

その段階的な実践訓練法を具体的に示してくれている。「(四診によって)病証・病因を識りて之を詳らかにしてその後に脈を診する。是を切と云うなり。」ということである。脈の一診のみでは(とくに一種類の脈診法のみでは)合参にならず、総合的な診断ができない。
まずは四診によって、特に経時的な病理に基づいた問診によって病因・病理・病伝を把握すべきである。これらを把握または想定した上で脈を診ると診ないでは、脈から得られる情報はまったく異なるのだ。

その意味において「脈を切にするは吉凶安危のほどを知り、治と不治とを知るの用にて、脈にて病を知ることの用には非ず」と、かなり冷静に脈診を位置づけている。とくに臨床初心者(で脈診に傾倒したいタイプ)には必要な立ち位置でもあるだろう。

また診法合参という点では、「よりて腹診を参伍して診脈の助けとすべし」とあり、脈診と腹診の合参を奨励している。脈診と腹診では診ているものがちがうのだ。私が外部講座にて「脈腹・二診合参の講習」を行うもこの意図がある。

原南陽の戒めは現代にも通ず

下線部④「治すか治せずかを問わず、この証をこの薬にて治すとばかりに薬を飲むことは医者を頼むに及ばす。」
この文だけみると、一見したところ患者さんのことを指摘しているようにみえる。しかし、これも臨床家として謙虚に読むべきであろう。
小心者である私にとって、この文は「大した診断もせずに、この証ならこのツボとばかりに鍼をする」という風に見えてしまう。
初心のうちであれば「本に書いていたツボ」「学校や講習会で習ったツボやメソッド」で機械的に治療を行うことにも通ずる。また、ある程度の経験を重ねると、自分の経験のみに基づいてルーティンのように鍼灸を行うこともままあることである。
こうなってしまうと「この病にはこの薬に治すべしといったやり方では、医者を頼むに及ばす」
つまり、本に書いてある通り、人に言われた通りに、思考放棄した治療になると医者・鍼灸師の存在意義がそもそもなくなるではないか!と戒めている。

この原南陽の警鐘はとくに今の時代に通ずるものがある。今やAI(Artificial Intelligence)すなわち人工知能が各産業にて運用される時代である。東洋医学もその範疇にあり、中国ではかなり実践的なレベルでのAIの運用が研究開発されている。
『鍼灸は伝統技術だから、AIに仕事を奪われることはないろう』なんて胡坐をかいている人こそ、強く危機感を持つべきであろう。

揺りかごから墓場までの鍼灸だからこそ必要なもの

「死生を詳らかに知りて人命を療すべし」(下線部⑤)

死生とは表裏一体、二つに見えて一つである。死を知ることで生を知る。このことは臨床を重ねることでよく理解できる言葉である。

実際に臨床では、0歳児の子どもから90歳代のお年寄りまで鍼灸治療を行う。また見方を変えれば、妊婦さんへの治療やいわゆる不妊治療とは、生まれる前から子どもたちに治療しているのと同義である。また死の数日前の患者さんまで(先生によっては直前まで診ることもあるだろう)にも鍼灸を行うこともある。
そのような患者さん達に対して治療を行うことができる鍼灸とは非常に特殊な医療部門であり、なんとも責任の重い資格であると実感する。

それゆえに当会の講座では【生老病死を学ぶ】を開催し、人の一生について小児科では新生児の生理・病理から学び、婦人科では妊娠の機序から胎児の発生や産前・分娩・産後について、あくまでも東洋医学的に学ぶのだ。
『東洋医学の発生学など、現代医学とは異なるのだから勉強する意味がない』『鍼灸師は赤ちゃんをとりあげることもないんだから分娩についてまで勉強する必要がないのでは?』なんて思う人もいるだろうが、それは違う。
我々鍼灸師に必要なのは、東洋医学的な人体観や生命観を構築することである。これができていないと東洋医学でもって人の身体を治療することは非常に困難なのである。故に原南陽先生はいう「死生さえ明らかに知るれば天下に畏る所なし」と。

鍼道五経会 足立繁久

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原文 醫學 『叢桂亭医事小言』より

■原文 醫學

鍼灸は病によりて湯藥より奇驗の有るもの故に常に學ひ置へし。譬は卒倒驚風なとは灸の力を第一とす。別て小兒に異驗あり。其妙一〃に説きかたし。さて治療の際に臨みては經絡に不拘して新作意(おもいつき)にて灸鍼しても効をとるヿも有るへけれ𪜈、其法を了解して後に新作意にて灸も鍼もなるへし。先つその法をは甲乙經にて學ふへし。古書なれはなり。何故にや是れ先にも云正典のなき故に十四經、大成論、格致餘論などをさきに讀ませて下手になれ〱と仕込なり。古を學ふを學者の要とす。儒の四書五經を教ゆる則其法なり。古書は是より古書なるは無し。終て左國史漢或は老荘列なとヽ次第す。其後には末書も思ひ〱に學ふ見識是に開て脩身の業成る。之を大にしては治國平天下也。是れ稽古と俗に習ふ事に唱る通り、古よりするを學者の法とするに、經絡は十四經によるは如何なる事にや。甲乙經は素問の考になる書なり。
醫官玄稿を讀て知るへし。兪穴は余か所著の經穴彙解にて學ふへし。銅人形にて學んてはあしヽ。古書は皆頭面腹背手足にて穴處を分けたり。十四經行なはれてより各經にて分けるなり。經を以て分たるは外臺秘要に創まり、奇穴の任督二脉を加へて十二經を十四經にしたるが滑伯仁が作意なり。夫れ兪穴は人身の骨隙䧟罅、分肉宛〃たるを尋て之を知るなり。必分寸にかヽわらす皆骨空分肉に求む故に銅人形にては方角ばかりを知るのみにて治療に至りて實地にかヽらす分寸は其大槻に備ふ。つまびらかに彙解に備論せり。

四診と云は醫家病を治するの大綱にて是を捨ては何れにも療治するヿならす。四診は望聞問切なり。望とは病者の顔色肥痩盛衰等をのそむ。聞とは苦痛するや、五音や、咳嗽するや等を聞く。問とは苦しむ所、飲食の多少、二便の利不利、病前よりの事、病者の問はざれは不言ところを問ふ。以上にて病證病因を識て之を詳にして其後に脉を診する。是を切と云なり。そこて病の輕重安危を知る。仍て病名をまうく。脉を切にするは吉凶安危のほとを知り、治と不治とを知るの用にて、脉にて病を知るヿの用には非す。譬へは咳嗽寒熱を患る人あり。此の證は是れ勞瘵になるべき病體なり。此にて脉を切にするに其人の脉細數なれば難治とす。脉浮數にてあらは發汗して治すへしとす。是れ勞瘵に非さる故なり。乃ち切のところにて定むるなり。脉にて病證を知るものと思ふてはあしヽ。吉凶安危を知ると云所か至て容易に知るへきものに非す。此に苦心するヿ多年、仍て腹診を参伍して診脉の助けとすへし。腹診も意を留めされは知れかたきもの也。

死生有命と云は聖人の語にてあれ𪜈其命の来るや不来やは、誰人にても不知。又命數かきり有ものならは病とも安然として居るに極て宜しからんに飲にくき藥を飲て病を治するを以て見れは、治せは生、不治は死の理なり。天命無常と云ものにて不養生不用心なれは、天命を終るヿ不能半途に死す。其死するに又禀賦薄弱にて老壮に至るヿのならす人もあり。是れ等を天命と云へきなり。人の病する時に是は治すと不治と預知りて療を施を醫と云へし。治すか不治かを不問、此の證をば此の藥にて治すへしとはかりにて藥を飲むは醫者を頼むに及はす。書籍にあるまヽを藥店より取り寄せて飲むと齊からん。夫醫緩の晋候を診するも、扁鵲の虢の太子を診するも皆預死生を知る。是れ古名醫の行ふ所にて、今に至て醫たるもの沈思精慮(いっしんふらん)して學ひ□(習攵=習)へきの手本なり。さて死生と云へは二つなれ𪜈、得と味へると一つなり。死なり𪜈、生なり𪜈、はつきりと片〃知れは、夫れにてよし。死すと知れは生の理なく、生と知れは死の理なし。死生を詳に知て人命を療すへし。其死生を知るは脉より知やすきは無し。さて脉ほと知りかたきは無し。故に望聞問切と腹診を参伍して是を定む。死生さへ明かに知るれは天下に畏る所なし。鬼神をも哭せしむへし。

(續く)

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