見病知源の論『医経解惑論』より

江戸期の俊英 内藤敬哲の医書『医経解惑論』から「見病知源の論」を紹介します。この章は“病の源を把握する”ための極意を記しています。
『傷寒論』の根底にある治病と病源を診るための真意を、『素問』『霊枢』の理をもとに説いているのが本章です。
私自身、臨床に出て数年間は常に不安が付きまとっていました。しかし、本章を繰り返し読むことでその意を理解し、臨床治療における不安が払拭された記憶があります。ぜひ、漢方を用いない鍼灸師であっても、熟読して勉強して欲しいと思える章です。


※『医経解惑論』京都大学付属図書館より引用させていただきました。

※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

■書き下し文 「病を見て源を知るの論」

仲景が序(傷寒卒病論集)に曰く

雖未能盡愈諸病、庻可以見病知源。若能尋余所集、思過半矣。

「未だ盡く諸病を愈すこと能わずと雖も、庶ば以て病を見て源を知る可し。若し能く余が集める所を尋ねば、思い半ばに過ぎん)。」と。分けて其の書に諸方を列する所、雖未だ盡く諸病を愈すること能わずと雖も、而して万病の本源に於いては則ち盡く挙げて遺すこと莫しと明示す。本原(本源)既に明らかなるときは則ち其の治法も亦た其の中に盡く在らざるということ莫し。若し能く其の集むる所を尋ぬれば、而して其の本旨を得、則ち医道は皆な盡く其の中に在る也。今、其の大概を論ず。

夫れ百病の起こるや、皆な虚に於いて生ず。虚すれば而して邪を受ける、而して後に病の虚実が生ずる。虚実已に生ず、而して後に百病窮まり無し。凡そ其の邪を受けるも、邪を受ざるも、或いは表に之を受け、或いは裏に之を受け、或いは表裏俱に之を受けるに過ぎざる耳(のみ)。
表に之を受くる者は、三陽の経気の虚に因る也。裏に之を受ける者は、三陰の経氣の虚に因る也。表裏俱に之を受ける者は、三陰三陽俱に虚するに因る也。然るに三陽の虚は、三陰の虚に因る。而して三陰の虚は、本は五臓の虚に因る也。

已に『素問』調経論に曰く

夫邪之生也、或生於陰、或生於陽。其生於陽者、得之風雨寒暑。其生於陰者、得之飲食居處、陰陽喜怒。

「夫れ邪の生ずるや、或いは陰に生じ、或いは陽に生ずる。其の陽に生ずる者は、之を風雨寒暑(雨は即ち湿なり)に得る。其の陰に生ずる者は、之を飲食(飢飽美悪)居処(寒暖湿燥)陰陽(房事)喜怒(憂思悲驚恐を包みて言う)に得る。」

『霊枢』百病始生篇に曰く

黄帝問於岐伯曰、夫百病之始生也、皆生於風雨寒暑清濕喜怒。喜怒不節、則傷藏。風雨則傷上、清濕則傷下。三部之氣、所傷異類、願聞其會。岐伯曰、三部之氣各不同、或起於陰、或起於陽、請言其方。喜怒不節則傷藏、藏傷則病起於陰也。清濕襲虚、則病起於下。風雨襲虚、則病起於上。是謂三部、至於其淫泆、不可勝数。

黄帝問うて曰く、夫れ百病の始生や、皆な風雨・寒暑・清湿(清涼)、喜怒(飲食居処、陰陽七情を包みて言う。古文では簡省すること此の如き類は甚だ多し)に於いて生ずる。喜怒不節なれば則ち臓を傷る(飲食居処、陰陽七情不節すれば則ち五臓を傷るを言う也。此の義、詳しくは邪氣藏府病形篇に見る。今は後に載せる)。風雨(寒暑を包みて言う也)は、上を傷る(表に中ることを言う也)。清湿の気は則ち下を傷る(裏に中ることを言う也)。三部の氣(臓と表裏とを言う也)は、傷る所類を異にする。願くば其の会を聞かん(会とは帰一することを謂う也)
岐伯曰く、三部の氣は各々同じからず、或いは陰に起き、或いは陽に起きる(三部の氣、各々同じからず。雖或いは陰に起き、或いは陽に起きると雖も、而して其の会する所は則ち一つのみを言う)。請て其の方を言う(方とは道也)。喜怒不節は臓を傷り(飲食居処、陰陽・喜怒の不節は則ち五臓を傷る)、臓傷れば則ち病は陰に起きる(五臓傷れば則ち三陰経氣が虚す、此れ病の陰に起きる所以なり。所謂帰一なる者なり。)清湿が虚を襲うときは則ち病は下に起こる(三陰経氣が已に虚し、而して寒湿其の虚を襲うときは則ち邪は裏に入り、病が下に起きる也。)。風雨が其の虚を襲うときは則ち病は上に起こる(三陰已に虚すれば則ち三陽は其の配を失い而して亦た虚する、而して風雨は其の虚を襲えば、則ち邪は表に客し、病は上に起きる也)。其の淫泆(いんいつ)の至れば則ち勝(あ)げて数うべからず(其の淫泆の至りて諸病に変化すること則ち勝げて数うべからざる也)。

『霊枢』邪氣臓腑病形篇に曰く

黄帝問於岐伯曰、邪氣之中人也、奈何。岐伯答曰、邪氣之中人高也。黄帝曰、高下有度乎。岐伯曰、身半已上者、邪中之也。身半以下者、濕中之也。故曰、邪之中人也、無有常。中於陰則溜於府、中於陽則溜於経。黄帝曰、陰之與陽也、異名同類、上下相會、経絡之相貫、如環無端。
邪之中人、或中於陰、或中於陽、上下左右、無有恒常、其故何也。岐伯曰、諸陽之會、皆在於面。中人也、方乗虚時、及新用力、若飲食汗出、腠理開而中於邪。中於面則下陽明、中於項則下太陽、中於頬則下少陽。
其中於膺背両脇、亦中其経。

「(黄帝問うて曰く、邪氣の人に中るや、奈何に。岐伯答て曰く、邪氣の人に中るや、高し。(高の字の下に、疑うらくは当に下の字あるべし。)
帝曰く、高下に度ありや。岐伯曰く、身半已上は、邪これに中る也(邪とは風雨寒暑を包みて言う)。身半已下は湿これが中る也(湿も亦た寒を包みて言う)。」
故に曰く、邪の人に中るや、常の有ること無し。陰に中るときは則ち腑に流れ、陽に中るときは則ち経に流れる。
帝の曰く、陰と陽とは、異名同類(或いは三陰と曰い、或いは三陽と曰う。其の名、異なると雖も而して其の実は則ち血氣これ一経脈を流行するのみ。故に同類と曰う也。)上下相会(三陰三陽、上は則ち面と手指に会し、下は則ち足指に会する也。)経絡の相貫すること環の端の無きが如し(十二経絡の相貫は環の端の無きが如し)邪の人に中るや、或いは陰に中り、或いは陽に中る。上下左右、恒常あること無し。其の故は何ぞ也。(経絡相貫すること、如環無端なるときは則ち邪の人に中ること、陰陽の別無く応じ、而して或いは陰に中り、或いは陽に中るの別あり。上下左右、恒常あること無きの其の故は何ぞ也。)
岐伯曰く、諸陽の会は皆な面に在り。人に中るや、方に虚時(或いは天地の氣の虚時、或いは空腹薄衣の時、或いは憂悲驚恐の時、或いは行房精泄の時、或いは病後血氣虚の時を謂う也)及び新たに力を用いるに乗じる。
若し飲食して汗出るときは則ち腠理開き而して邪に中る。面に中るときは則ち陽明に下る。項に中るときは則ち太陽に下る。頰に中るときは則ち少陽に下る。
其の膺背両脇に中れば亦た其の経に中る。(膺は陽明、背は太陽、両脇は少陽の経也。仲景、得斯の旨を得て、乃ち三陽直中の脈証治法を立てる。所謂大陽中風・陽明中風・少陽中風、是なり。)

帝曰く、其の陰に中ること何如に?
岐伯答て曰く、陰に中る者は常に臂胻より始まる(胻は足の脛也)。夫れ臂と胻、其の陰は皮薄く、其の肉は淖澤(柔潤也)なり。故に俱に風(寒湿を包みて言う)を受け、独り其の陰を傷る。
帝曰く、此れ故に其の臓を傷るのか?(三陰は即ち五臓の経なれば、則ち三陰が邪を受くれば、当に其の臓が傷れるのか?然るや否や?)
岐伯答えて曰く、身の風に中るや、必ずしも臓を動ぜず(三陰は五臓の経、三陽は六腑の経。臓腑互いに氣を通ず。陰陽互いに相い輔ける。故に三陰が邪を受けるときは則ち腑の陽が之を助く。三陽が邪を受けるときは則ち臓・陰が之を助くる。俱に邪をして其の臓を動じせしめず、故に必ずしも臓を動ぜざる也)。故に邪が陰経に入るときは(腑の陽、其の臓氣を助く)則ち其の臓氣は実して邪氣入りても客すること能わず。故に之を腑に還す。(此れ三陰より其の邪を送り、之を腑に還す。
○或る人が問う、腑の陽能く臓の力を助くること有れば則ち其の氣も亦た実す。応に其の邪を受けず而して反て之を受る者は何ぞや?
(内藤氏)曰く、臓は神の舎、其の職は皆な納れて出さざることを主る。若し邪が之に入れば則ち神は去る故に死する也。腑は水穀の倉、其の中は空にして能く納れ能く出し、物を受けざること莫し。故に其の氣実して邪を受けるときは則ち実と為し熱と為す。之を清し、之を吐し、之を下し、之を滲して、乃ち愈ゆる。若し其の氣が虚し邪を受けるときは則ち虚と為し寒と為す。之を補し之を温めれば乃ち愈ゆる。此れ腑が邪を受ける所以なり。仲景、陽病伝陰の諸証を取り、名を陽明病と為す。蓋し此れに本いて、又三陰直中の諸篇を立つる。而して陰病伝熱の諸証を述べるも、亦た此の一部に本づく。金匱も此の義を発明するに非ざること莫し。此れ万病の陰陽・虚実・寒熱の本源。学者、心を尽くし深思せよ。其の本旨を得るときは則ち病を見て源を知るの方に於いて、殆ど余功無きのみ。従来諸氏の書、愈(いよいよ)多ければ愈誤まり、愈弁じて愈晦き者なれば、則ち此等に於いてて深思せざる処の故なり。)
故に陽に中るときは則ち経に流れ(三陽経に流伝し而して後に陰に入る)、陰に中るときは則ち腑に流れる(陽より陰に伝入する者は、陰経に直中する者と俱に皆な経に随いて腑に入る)。
帝曰く、邪の人の臓に中ること奈何に?(陰に中らず、陽に中らずを謂い、臓に直中する者なり。)
岐伯曰く、愁憂恐懼すれば則ち心を傷る(本病論に云く、愁憂思慮則傷心)。形寒飲寒すれば則ち肺を傷り、以て其の両寒相い感ず。中・外皆な傷れる故に氣逆上行して堕墜する所あり、悪血が内に留まる。若し大怒する所あれば、氣上りて下らず、脇下に積するときは則ち肝を傷る。撃仆する所あり、若し酔いて房に入れば、汗出で風に当るときは則ち脾を傷る(本病論に云う、飲食労倦するときは則ち脾を傷る)。力を用い重きを挙げる所あり、若し房に入ること過度、汗出でて水を浴びるときは則ち腎を傷る(本病論に云う、湿地に久坐し強力して水に入るときは則ち腎を傷る。○已上、皆な臓氣自ら傷れ而して邪に中る者なり。百病始生篇の謂う所の喜怒不節すれば則ち臓を傷る是なり。)
帝の曰く、五臓の風に中ること何如?(風とは六氣を総べて言う)
岐伯曰く、陰陽俱に感ず、邪乃ち往くことを得る。(陰陽俱に感ずるときは則ち腑臓は能く互いに通氣相助すること能わず。故に邪をして五臓を往くこと得る也。『素問』熱論に謂う所の両感の病、是なり。)

三篇を合して之を観れば、則ち万病、内傷・外感の本源、都(すべ)て盡く遺すこと無し。再び仲景の旨を詳らかにすれば、大抵は表の一辺が邪中るときは、則ち衛が之を受く。此れを表虚中風と為す。裏の一辺が邪中るときは、則ち営が之を受く、此れ三陰病を為す。表裏俱に邪中り、而して其の人素より実する者は、暫時臓氣自ら復する。其の邪は三陰に客すること能わず、乃ち太陽の表に浮出する。

初め表に中るの邪は衛分に在り、後に浮出するの邪は営分に在る。営衛俱に病めば、骨節煩疼す、乃ち表実傷寒と成る。若し其の表氣が素より虚し、氣弱血少なる者は臓氣自ら復すると雖も、其の邪は浮出し、而して尽く太陽に達すること能わず。但だ少陽に留連し、乃ち少陽の傷寒に属するを成す。
仲景の所謂(いわゆる)傷寒、脈弦細、頭痛、発熱する者は少陽に属する(条文265)。傷寒、陽脈濇陰脈弦、法当腹中急痛す(条文100)。傷寒二三日、心中悸而煩者、小建中湯主之(条文102)。傷寒脈結代心動悸者、炙甘草湯主之(条文177)。是なり。

若し其の人が素より虚し、表裏俱に弱き者は、其の臓氣は自ら復すること能わず。其の表寒は亦た暫時内に入り、乃ち少陰の陽虚極寒の証を成す。仲景、謂う所の臓厥、及び通脈四逆湯、四逆加人参湯などの証の如し、是なり。

若し其の人、臓氣が素より虚し、三陰は已に衰えて、但だ三陽未だ甚だ虚さざる者、其の裏に於いて中るの邪は、三陰に留まり伏する。其の表に於いて中る邪は、表陽尚お微かに之を拒みて熱と為す、三陽に流伝し、乃ち表熱裏寒の病を成す。然るに其の虚の軽く其の邪の緩き者は、数日は延べ引く。
此の時、急ぎ其の陽を補し、其の裏を温め臓氣をして自ら復せしむれば、則ち病は必ず愈しむる。
此れ世に謂う所の夾陰傷寒なる者。而して仲景の謂う所の不可汗・不可下・不可吐・不可火・不可水など諸々証、是なり。
此れらの病、世間には甚だ多く、而して魏晋以来、諸医たちは曚然として知らず。漫たること種種の陋説を為す。陶節庵(陶華)、張通一(張景岳)らは内経・仲景(傷寒論)に兼ね通ぜず、唯だ臆度を以て、微かに其の膚を得、而して盲が象を摸るの如き論を為す。(陶氏の論は『傷寒家秘』の伏陰條、『傷寒瑣言』陰証條に見る。張氏の論は『類経』十五巻、傷寒部熱論篇の註に見る。)
今の世医は雑薬を浪用し、多くの人を夭殺す、而して曰く傷寒の伝変は測り難し、乃ち其の死は天命に帰する、と。
予、独り諸々仲景・内経(の意)を得、百発百中す。危を救い廃を起し、人をして感服せしめる者なり。(其の方法、皆な仲景の成す説を、今、その盡くを『傷寒雑病論類編』の太陽中篇・陽明下篇・少陽篇・壊病篇に載する。)

若し其の病重く、其の邪急なれば、三日にして六経が徧(あまねく)病みて、水漿は入らず、人を知らざる者は必ず死を免れず。所謂(いわゆる)両感の病、六日に死する者は是なり。(凡そ六病傷寒の中、其の必ず死する者は、但だ此の一証のみ。其の余、諸病の初め病を覚える若し、即ち之を治するときは則ち陽に発する者は七日に愈える、陰に発する者は六日に愈える。若し其の稍(やや)日を経て而して脈証転変する者は、必ずしも六日七日に愈え難く、而して亦た皆な愈を得て治するべし。未だ一人も死する者あることなき也。今の世、多くの傷寒に死する者、此の重証急証に非ず。悉くは皆な医者の殺する所なり。但だ医に非ざる者が之を殺す。実に魏晋以来の儒医の書が之を殺する所なり。此れ予が叨叨(とうとう)と論を弁じて已むを得ざる所以なり。学者は『玉函経』に心を潜めて、則ち必ず予の言を信ぜよ。若し然らざるときは、則ち必ず予を以て狂妄と為せ。孟子に曰く、『吾、豈に弁を好まんや。予(われ)已むを得ざる也(豈好辨哉、予不得已也)(『孟子』滕文公章句下)と。予は類さずと雖も、竊かに以て此に比して云う。)

若し其の臓氣が各々自ら傷れば、而して其の邪は陰経陽経には中らず、臓に直中する者、邪が微なれば則ち驚悸・怔忡・健妄・失心(此れら皆な心の病)、喘嗽・咳逆・吼哮・短氣(此れら皆な肺の病)、心脇痛・疝瘕(此れら皆な肝の病)、心腹痛・吐蚘・傷食・腰痛・霍乱・吐利・瀉痢・嘔噦などの証(此れら皆な脾腎の病)を為し、邪が甚しければ則ち卒厥・暴死・陰毒・客忤・飛尸・鬼撃などの証を為す。
然るに神氣が還れば邪氣出でて則ち愈ゆる。
神氣が復せず、邪氣が出でざるときは則ち重き者は死して不治。軽き者は留著して五臓中風中寒及び熱病を為し、労損虚祛を為し、瘧を為し、疝と為し、積聚・癥瘕・腸癰・失血・水氣・黄疸及び諸雑病を為す。

其の陰経陽経に中り、亦た留著して去らざるときは、則ち積聚・疝瘕・氣痞・瘀血・癰疽・諸瘡・癱瘓・痿躄(やまいだれ)・痎瘧・痛痺、及び諸雑病を為す。其の大なる者は六病を為し、六経に伝変するなり。
凡そ其の六経に伝変するは、之を約すれば則ち夫れ在表・在裏・在半表裏・在上・在下にして作虚実寒熱を作するに過ぎず
之を治するの法、不過夫れ在表の者には之を汗し、在裏の者には之を下し、在半表裏の者には之を和解し、在上の者には之を吐し、在下の者には之を滲し、虚する者には之を補し、実する者には之を瀉し、寒する者には之を温め、熱する者には之を涼し、微なる者には之を逆し、甚なる者には之を従す。大小緩急各々其の当を量る。之を奇にして去らざるときは則ち之を偶する。之を偶して去らざるときは則ち反佐して以て之を取るなり(※『素問』至真要大論に「奇之不去則偶之、是謂重方。偶之不去、則反佐以取之。所謂寒熱温涼、反從其病也。」とある)。
其の大なる者は此の如しなれば、則ち其の小なる者も亦た此の如し。其の邪ある者は此の如しなれば、則ち其の邪の無き者も亦た是の如きに過ぎざるのみ。

是れ即ち岐黄扁鵲一貫の正法にして、万病は此の彀率(こうりつ;『孟子』尽心上より)を遁れること能わず。若し此の法に中らざる者は、此れ死病なり。今、仲景の書の中に、盡く其の脈証と治法を述べること委曲繊悉(せんしつ)にして、復た余薀(ようん)無し。是れ豈に万病通治の枢機に非ざるかな!
故に凡そ此れを以て不足と為し、而して他に求め、此れを以て然らずと為して新たに意を自立する者は、是れ狂愚なるのみ。
此を以て有余と為して之を抄略する者は、是れ醯雞(けいけい;『荘子』田子方編)なるのみ。

世の仲景書を読む者は、以て傷寒一病の治法と為し、風寒に詳しく暑湿を略すると為し、外感に詳しく内傷を略すると為し、冬月の治法と為し、清平の世の治法を為し、汗下攻撃の法を為し、立法の最善にして用薬の未善と為して、別に新たな意(説)を自立する。火熱を主り、氣滞を主り、痰飲を主り、汗吐下を主り、陰虚火動・湿熱相火を主り、大宝真陰を主り、或いは其の諸法を兼ね取り、而して書を著わすこと数十百巻に至る者、所謂(いわゆる)醯雞(けいけい)・狂愚に非ざれば、則ち是れ聾盲なるのみ!学者これを察せよ!

臓から腑へ、腑から経へ

本章における要の一つが『霊枢』邪氣臓腑病形篇の身体観です。

譬えていうなら“病は生き物”です。
病邪の伝変を理解することで、臨床における診察と診断がより的確に精密なものとなります。

いわゆる「臓腑弁証」や「病邪弁証」などは非常に分かりやすいものではありますが、その中に“動き”を含めたものではありません。病の動きを“輪切り”にしてしまったものです。
しかし、病というのは“生き物”のようなもので、動きや変化があります。それを病態といいます。

病を診断するには、「病因」「病位」「病性」「病勢」「病理」「病態」といった各要素を理解することが必要となります。これらを理解するために、『霊枢』邪気臓腑病形篇の臓腑経絡観が非常に有益です。

病位を理解することの大事

本章でのポイントの一つが以下の文章です。

凡其伝変於六経也。約之則不過夫在表在裏在半表裏在上在下、而作虚実寒熱矣。治之法、不過夫在表者汗之。在裏者下之。在半表裏者和解之。在上者吐之、在下者滲之。虚者補之、実者瀉之。寒者温之、熱者涼之。

ここでは六経における病の位置(病位)を簡潔にまとめてくれています。
六経の観点でみれば、病というのは「表」「裏」「半表半裏」「上」「下」に区分することができるのです。診察でみるべき要素のひとつは病位です。その病位は上記の五区画に大別することができるのです。(もちろん、さらに細分化する必要はありますが)
そして病位が決まれば治療方針が決定できます。これはシンプルなことにみえますが、非常に重要なことです。

この文章には診察と診断の鍵が含まれていると思います。

微者逆之、甚者從之。大小緩急各量其當。奇之不去則偶之。偶之不去則反佐以取之矣。其大者如此、則其小者亦如此。其有邪者如此、則其無邪者亦不過如是而已。

この文章には治療の細やかな調整・加減の法が記されています。

『素問』至真要大論の一節「奇之不去則偶之、是謂重方。偶之不去、則反佐以取之。所謂寒熱温涼、反從其病也。」を基にしています。この点についてもさらに研究を要しますね。

また「其有邪者如此、則其無邪者亦不過如是而已。」という一節もまた臨床において大いに有益な意味を含んでいます。鍼灸師でも『傷寒雑病論』を学ぶべき意味が含まれているのです。

鍼道五経会 足立繁久

原文 見病知源論

■原文 見病知源論

仲景序曰、雖未能盡愈諸病、庻可以見病知源。若能尋余所集、思過半矣。分明示其書所列諸方、雖未能盡愈諸病、而於萬病之本源、則盡擧莫遺。本原既明、則其治法亦莫不盡在其中。若能尋其所集、而得其本旨、則醫道皆盡在其中也。今論其大槩。

夫百病之起也、皆生於虚。虚而受邪、而後病之虚實生。虚實已生、而後百病無窮矣。凢其受邪也、不受邪也、不過或表受之、或裏受之、或表裏俱受之耳。
表受之者、因三陽之經氣虚也、裏受之者、因三陰之經氣虚也。表裏俱受之者、因三陰三陽俱虚也。然三陽之虚、因三陰之虚。而三陰之虚、本因五藏之虚也。
已調經論曰、夫邪之生也、或生於陰、或生於陽。其生於陽者、得之風雨寒暑(雨卽濕也)其生於陰者、得之飲食(飢飽美惡)居處(寒煖濕燥)陰陽(房事)喜怒(包憂思悲驚恐而言)。
百病始生篇曰、黄帝問曰、夫百病之始生也、皆生於風雨寒暑清濕(清涼)喜怒(包飲食居處陰陽七情而言。古文簡省如此之類甚多)。
喜怒不節則傷藏(言飲食居處陰陽七情不節則傷五藏也。此義詳見邪氣藏府病形篇今載于後)風雨(包寒暑而言也)傷上(言中表也)清濕則傷下(言中裏也)三部之氣(言藏與表裏也)所傷異類。願聞其會(會謂帰一也)
岐伯曰、三部之氣各不同、或起於陰、或起於陽(言三部之氣、各不同、雖或起於陰、或起於陽而其所會則一而已)請言其方(方道也)喜怒不節傷藏(飲食居處陰陽喜怒不節則傷五藏)、藏傷則病起於陰(五藏傷則三陰經氣虚、此病之所以起於陰也。所謂帰一者也。)清濕襲虚則病起於下(三陰經氣已虚、而寒濕襲其虚則邪入於裏病起於下也。)風雨襲其虚則病起於上(三陰已虚、則三陽失其配而亦虚矣、而風雨襲其虚則邪客於表病起於上也。)至其淫泆變化諸病則不可勝數也。)
邪氣藏府病形篇曰、黄帝問曰、邪氣之中人也、奈何。岐伯答曰、邪氣之中人也、高。(高字下、疑當有下字。)
帝曰、高下有度乎。岐伯曰、身半已上者、邪中之也。(邪者包風雨寒暑而言)身半已下者濕中之也。(濕亦包寒而言)
故曰、邪之中人也、無有常中於陰則流於府、中於陽則流於經。
帝曰、陰之與陽也、異名同類(或曰三陰、或曰三陽。其名雖異而其實則血氣流行之一經眽耳。故曰同類也。)上下相會(三陰三陽上則會於靣與手指、下則會於足指也。)經絡之相貫如環無端(十二經絡相貫如環無端)邪之中人、或中於陰或中於陽、上下左右無有恒常、其故何也。(經絡相貫如環無端則邪之中人、應無陰陽之別而有或中於陰、或中於陽之別、上下左右無有恒常其故何也。)
岐伯曰、諸陽之會、皆在於靣。中人也、方乘虚時(謂或天地氣虚時、或空腹薄衣時、或憂悲驚恐時、或行房精泄時、或病後血氣虚時也)及新用力、若飲食汗出、則腠理開而中於邪、中於面、則下陽明。中於項、則下太陽。中於頰、則下少陽。其中於膺背兩脇亦中其經。(膺陽明背太陽両脇少陽之經也。仲景得斯旨乃立三陽直中眽證治法、所謂大陽中風陽明中風少陽中風是也。)
帝曰、其中於陰何如。
岐伯答曰、中於陰者、常從臂胻始。(胻足脛也。)夫臂與胻其陰皮薄、其肉淖澤。(柔潤也。)故俱受風(包寒濕而言)獨傷其陰。
帝曰、此故傷其藏乎。(三陰卽五藏之經則三陰受邪、當傷其藏。然乎否。)岐伯答曰、身之中風也、不必動藏(三陰五藏之經、三陽六府之經。藏府互通氣。陰陽互相輔故三陰受邪則府、陽助之。三陽受邪則藏陰助之。俱使邪不動其藏、故不必動藏也。)故邪入於陰經(府陽助其藏氣)則其藏氣實邪氣入而不能客。故還之於府。(此自三陰送其邪還之於府。○或問府陽能有助藏之力、則其氣亦實應不受其邪而反受之者何也。曰、藏神之舎、其職皆主納而不出。若邪入之、則神厺故死也。府水穀之倉、其中空而能納能出莫物不受。故其氣實而受邪則爲實爲熱。清之吐之下之滲之、乃愈。若其氣虚而受邪、則爲虚爲寒。補之溫之乃愈。此府之所以受邪也。仲景取陽病傳陰、諸證名爲陽明病、葢本於此又立三陰直中諸篇、而述陰病轉熱諸證、亦本於此一部。金匱莫非發明此義。此万病陰陽虚實寒熱之本原。學者盡心深思、得其本旨則於見病知源之方。殆無餘功耳。從來諸氏之書愈多愈誤愈辨愈晦者則於此等處不深思故也。)故中於陽則流於經(流傳三陽經而後入陰)中於陰則流於府(從陽傳入陰者、與直中陰經者俱皆隨經入府。)
帝曰、邪之中人藏奈何。(謂不中於陰不中於陽、直中於藏者也。)
岐伯曰、愁憂恐懼則傷心(本病論云、愁憂思慮則傷心。)形寒飲寒則傷肺、以其兩寒相感。中外皆傷、故氣逆上行有所堕墜、惡血留内。若有所大怒、氣上而不下、積于脇下則傷肝、有所撃仆、若醉入房、汗出當風則傷脾(本病論云、飲食勞倦則傷脾)有所用力擧重。若入房過度、汗出浴水則傷腎(本病論云、久坐濕地強力入水、則傷腎。○已上皆藏氣自傷而中邪者也。百病始生篇、所謂喜怒不節、則傷藏是也。)
帝曰、五藏之中風何如。(風者總六氣而言)
岐伯曰、陰陽俱感、邪乃得往。(陰陽俱感則府藏不能互通氣相助、故使邪得往於五藏也。熱論所謂両感病是也。)合三篇觀之則万病内傷外感之本源、都盡無遺矣。再詳仲景之旨、大抵表一邊中邪則衛受之、此爲表虚中風。裏一邊中邪則營受之、此爲三陰病。表裏俱中邪而其人素實者、暫時藏氣自復。其邪不能客三陰、乃浮出於太陽之表。初中於表之邪在於衛分、後浮出之邪在於營分。營衛俱病、骨節煩疼、乃成表實傷寒。若其表氣素虚、氣弱血少者、雖藏氣自復、其邪浮出、而不能盡達於太陽。但留連於少陽、乃成屬少陽之傷寒。
仲景所謂傷寒脈弦細、頭痛發熱者屬少陽。傷寒陽脈濇陰脈弦、法當腹中急痛。傷寒二三日、心中悸而煩者、小建中湯主之。傷寒脈結代心動悸者、炙甘草湯主之。是也。若其人素虚、表裏俱弱者、其藏氣不能自復、其表寒亦暫時内入、乃成少陰陽虚極寒之證、如仲景所謂藏厥及通脈四逆湯、、四逆加人參湯等證、是也。若其人藏氣素虚、三陰已衰、但三陽未甚虚者、其中於裏之邪、留伏於三陰。其中於表之邪、表陽尚微拒之爲熱。流傳於三陽、乃成表熱裏寒之病。然其虚輕其邪緩者、延引數日。此時急補其陽、溫其裏使藏氣自復、則病必可使愈。此世所謂夾陰傷寒者、而仲景所謂不可汗不可下不可吐不可火不可水、諸證是也。此病世間甚多而魏晉以來諸醫、
曚然不知。漫爲種種陋説。陶節菴、張通一、不兼通内經仲景。唯以臆度微得其膚、而爲如盲摸象之論。(陶氏之論見于傷寒家秘伏陰條瑣言陰證條。張氏之論、見于類經十五巻傷寒部熱論篇之註。)
今之世醫、浪用雜藥、多夭殺人、而曰傷寒傳變難測、乃歸其死於天命。予獨得諸仲景内經、百發百中、救危起廢使人感服者也。(其方㳒皆仲景之成説今盡載之於類編太陽中篇陽明下篇少陽篇壊病篇)若其病重其邪急、三日而六經徧病、水漿不入。不知人者、必不免於死。所謂兩感病、六日死者是也。(凢六病傷寒之中其必死者、但此一證耳。其餘諸病若初覺病、卽治之則發於陽者七日愈、發於陰者六日愈。若其稍經日而脈證轉變者、難不必六日七日愈、而亦皆可治得愈、未有一人死者也。今之世、多死於傷寒者、非此重急證、悉皆醫者之所殺也。但非醫者殺之。實魏晋以來儒醫書之所殺也。此予之所以辯論叨叨不得已也。學者潜心於玉函、則必信予言焉。若不然、則必以予爲狂𡚶焉。孟子曰、吾豈好辨哉、吾不得已也。予雖不類竊以比於此云。)
若其藏氣各自傷而其邪不中陰經陽經、直中藏者、邪微則爲驚悸怔忡健𡚶失心(此皆心病)、喘嗽咳逆吼哮短氣(此皆肺病)心脇痛疝瘕(此皆肝病)心腹痛吐蚘傷食腰痛霍亂吐利瀉痢嘔噦等證(此皆脾腎病)、邪甚則爲卒厥暴死陰毒客忤飛尸鬼擊等證。然神氣還邪氣出則愈。
神氣不復邪氣不出則重者死不治。輕者留著爲五藏中風中寒及熱病、爲勞損虚祛、爲瘧爲疝爲積聚癥瘕腸癰失血水氣黄疸及諸雜病。其中陰經陽經、亦留著不去則爲積聚疝瘕氣痞瘀血癰疽諸瘡癱瘓痿躄(やまいだれ)痎瘧痛痺、及諸雜病。其大者爲六病、傳變於六經焉。凢其傳變於六經也。約之則不過夫在表在裏在半表裏在上在下、而作虚實寒熱矣。治之法、不過夫在表者汗之。在裏者下之。在半表裏者和解之。在上者吐之、在下者滲之。虚者補之、實者寫之。寒者溫之、熱者涼之。微者逆之、甚者從之。大小緩急各量其當。奇之不去則偶之。偶之不去則反佐以取之矣。其大者如此、則其小者亦如此。其有邪者如此、則其無邪者亦不過如是而已。
是卽岐黄扁鵲一貫之正法、而萬病不能遁此彀率焉。若不中於此法者、此死病也已。今仲景書中、盡述其脈證治法。委曲纎悉、無復餘薀。是豈非万病通治之樞機乎哉。故凢以此爲不足、而求于他、以此爲不然而自立新意者、是狂愚耳。以此爲有餘而抄畧之者、是醯雞耳。世之讀仲景之書、以爲傷寒一病之治法、爲詳於風寒、略於暑濕、爲詳於外感、略於内傷、爲冬月之治法、爲清平世之治法、爲汗下攻撃之法、爲立法之最善、而用藥之未善、而別自立新意。主火熱、主氣滯、主痰飲、主汗吐下、主陰虚火動濕熱相火、主大寶眞陰、或兼取其諸法、而著書至數十百巻者、非所謂醯雞狂愚、則是聾盲耳。學者察之。

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