江戸期の俊英 内藤敬哲の医書『医経解惑論』から、仲景立六経大意の論を学びます。
※『医経解惑論』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。
■書き下し文 「仲景、六経を立てるの大意の論」
医経解惑論 巻の中
信陽 内藤希哲師道著
男 内藤繹泉菴
東都 小島瑞伯玉 同校
遠江 鳥海寛玄達
仲景立六経大意論
仲景、『傷寒雑病論』、「六経病脈証治法」を立てる者、蓋し万病の本源を究む。万病の変態を極め、而して脈証治法の枢機を尽くす者也。夫れ天地の間、惟だ是れ陰陽二氣耳(のみ)。然るに陰中に陽あり、陽中に陰あり、而して四象立つる。四象立ち而して水火木金土を生ずる、是れ五行を為す。五行生じ而して風寒暑湿燥火の六氣と為す。或いは生成し、或いは復し、変化無窮。然る後に万物乃ち生ずる。故に万病多しと雖も、亦た六氣の致す所に非ざる者無き也。
内経に曰く、夫れ百病の生ずるや、皆な風寒暑湿燥火に於いて生ず、以て之を化し、之を変ずる也。仲景、六経の首に於いて此の奥旨を得る。六氣の病を致すことの大なる者、曰く中風は即ち風也、曰く傷寒は即ち寒也、曰く中暍は即ち暑也、曰く中湿は即ち湿也、曰く痙病は即ち燥也、曰く温病は即ち火也。夫れ六氣の変化に窮まり無し、而して其の感じて病と為る所以の者、皆な虚に襲うに由りて入らざるということ莫し。凡そ其の虚を襲いて入る也、壮実の者(といえども)一時の虚あり。(或いは熱に遇う、或いは力を労して汗出でて腠理開く、或いは房事を行いて精を亡する、或いは疾走多言して氣を亡う、或いは大飲大食して胃を傷る、或いは大渇大飢して中を衰う、或いは憂思驚恐して神を傷る、或いは壓墜跌撲して氣を傷る、或いは刀剣破傷して血を亡する、或いは天地の氣の不正(にして)人の氣これに由りて虚を致す、是れ皆な一時の虚也。)
虚弱の者、五臓の虚あり。又、素より停滞(内熱・痰飲・停酒・宿食・気滞・瘀血)ありて虚を作する者あり、是れ皆な其の六邪を感じて病を為すの由なり。凡そ其れ感じて病を為す也、其の変化、無窮と雖も、而して其の客する所、則ち表に在り、裏に在り、半表半裏に在り、上に在り、下に在り、而して虚実寒熱を作するに過ぎざる而已(のみ)。
故に六経を立て之を経と為し、六病を挙げ之を緯と為す。
太陽編では則ち六氣の表に在る者を挙げて、之を綱と為す。因りて裏和表病、裏虚表病、裏滞表病、及び邪の上に在り下に在る脈証治法を述べ、之を目と為す。
陽明編では則ち六氣の熱を作して裏に於いて実する者を挙げて、之を綱と為す。因りて表病裏実、半表裏病裏実、表和裏実、裏虚裏実、裏滞裏実、及び邪の上に在り下に在るの脈証治法を述べ、之を目と為す。
少陽編では則ち六氣の半表半裏に在る者を挙げて、之を綱と為す。因りて表和半表裏、表病半表裏、裏虚半表裏の脈証治法を述べ、之を目と為す。
太陰編は則ち六氣が脾胃虚を襲いて寒を作する者を挙げて、之を綱と為す。因りて表の病が虚を作し、及び湿熱発黄の脈証治法を述べ、之を目と為す。
少陰編は則ち六氣が腎虚を襲いて寒を為す者を挙げて、之を綱と為す。因りて表和裏寒、表病裏寒、氣滞裏寒、及び寒変じて熱を為す、上に在り下に在り裏に在り膈に在るの脈証治法を述べて、之を目と為す。
厥陰編は則ち六氣が肝虚を襲いて上熱下寒を為して、陰陽相格する者を挙げて、之を綱と為す。因りて陰陽勝復が作厥・利・嘔・噦・霍乱の脈証治法を述べて、之を目と為す。
壊病編は則ち諸病の誤汗・誤吐・誤下・誤水・誤火の而して後に表に在り裏に在り半表裏に在り、上に在り下に在り、及び裏虚・裏滞・結胸・臓結・心痞・百合狐惑・陰陽毒、并びに差後労復・陰陽易などの脈証治法を述べて以て其の蘊を尽くす。
表裏上下、寒熱虚実の脈証の変態、治法の機関、盡(ことごと)く包括して遺するところ無し。夫れ六病、万病中の大にして且つ邪の有る者也。其の大にして且つ邪の有る者とは即ち其の中に於て逃れること無し。則ち其の小なる者とは邪の無き者、此れを準とし治を為すことを過ぎざる耳(のみ)。
然るに又、脈証に参差(しんし)有り、六経を以て総括すること難き有り。故に又、別に各篇を設けて、其の証治を述べ、以て後の医者をして諸病に一遇し、而して六経証有らば、則ち六経篇中に就き、其の病原と治法を求め、壊病の証有らば、則ち壊病篇中に就き之を求しめんと欲す。
六経に非らず壊病に非ざる者は、則ち各篇中に就き求之を求む。土地を問わず、今古を弁ぜず、運氣を論ぜず、春夏秋冬に拘らず、老幼男女・貧富貴賤を択ばず、皆な各々其の当を得る。
程郊倩が謂う所の、千手千眼大慈大悲張仲景、夫子、豈(あに)然らざるや。
古今に仲景の書を読む者、或いは以て「冬時傷寒の治法と為す」と為す、或いは「外感病に詳しく、内傷病を略す」と言い、或いは「風寒病に詳しく、暑湿を略し、燥火には及ばず」と言い、或いは言「温暑及び直中伝陰は、皆な亡失して徴しも無し」と言う。諸(諸家)は此の如き輩は、皆な“瞽聵が書を読む”謂うべき者也已。
今、再び六経の大意を挙げて、以て初学の階梯を示すこと、左(以降)の如し。学者は此の篇を熟読せよ、而して後の考本書と合して則ち微かでも仲景の本旨を知ることを庶幾する也。
傷寒論の概略
この章では『傷寒雑病論』の概略を述べている。概要といっても、内藤先生は非常に重要なポイントを言及されている。
まず、天地陰陽の両儀から四象へ、そして五行さらに六氣へと広げ、六氣(天の六淫)から外感病(傷寒・中風・中暍・中湿・痙病・温病)へと其の論を展開している。
また六氣が過剰となれば、人体を傷害する外邪ともなり、外感病を引き起こす。また外邪は人体の虚に乗じて侵入するのもまたセオリーである。
これらの基本について、要点を押さえて非常にシンプルかつ的確に説いてくれている。
また冒頭の言葉「万病の本源を究む。万病の変態を極め、而して脈証治法の枢機を尽くす者也。」であるが、この言葉についても考えておきたい。
『傷寒論』とは、その名の通り「傷寒」という病について論じる書である。「傷寒」という一つの病への理解を極めることで、万病に通ずるのである。故に内藤氏は「万病の本源を究む」と記している。
事実、『傷寒論』には「痓湿暍病編」があり、痓病(痙病)・湿病(中湿)・暍病(中暍)に関する脉・証について記されている。
六経病の概略
そして、本文には六経病の概略について、内藤氏の論を簡略ながらも記されている。この点も、初学者にとっては押さえておくべきポイントだろう。
太陽編では則ち六氣の表に在る者を挙げて、之を綱と為す。因りて裏和表病、裏虚表病、裏滞表病、及び邪の上に在り下に在る脈証治法を述べ、之を目と為す。
太陽病編では外邪が表に在る病態を主に論じている。
しかし、内藤先生はこの太陽病陽明病においては、単に表病だけでなく、裏位における虚実を組み合わせている。それが「裏和表病」「裏虚表病」「裏滞表病」である。この分類については、後の章『太陽病の大意』などで詳しく学ぶことができる。
陽明編では則ち六氣の熱を作して裏に於いて実する者を挙げて、之を綱と為す。因りて表病裏実、半表裏病裏実、表和裏実、裏虚裏実、裏滞裏実、及び邪の上に在り下に在るの脈証治法を述べ、之を目と為す。
そして陽明病編では熱を主邪として、病邪が人体を侵攻する様子を記している。太陽病よりも一段階深い層に病位を移すため、病症も太陽病に比べ、激しく重くなっていく。
とくに太陽病では悪寒であったのが、陽明病位に入ると悪熱へと変化するさまは、病の性質が寒邪から(邪正相争により熱化した結果)熱邪に変質したことが分かる。また解肌や発汗では対応できなくなる変化からは病位が一層深くなったことがわかる。
そしてもう一点、陽明病について知っておくべきは陽明腑証としての裏病であろう。腑証という点では、太陽病にも腑証がある。五苓散や猪苓湯がそれに属するが、陽明腑証としては下法が適応となる点からも注目しておきたい。
これらを踏まえた上で、内藤氏のいう「表病裏実」「半表裏病裏実」「表和裏実」「裏虚裏実」「裏滞裏実」をみると、病態像が理解しやすくなるだろう。
少陽編では則ち六氣の半表半裏に在る者を挙げて、之を綱と為す。因りて表和半表裏、表病半表裏、裏虚半表裏の脈証治法を述べ、之を目と為す。
少陽病編ではその病邪の侵攻が進み、半表半裏と呼ばれる層がその病位となる。陽明位ほど陽氣の勢力は少ないため、邪正相争もさほど苛烈ではない。そのため少陽病の特徴としては、悪熱ではなく寒熱往来となる。
また少陽病においても「表和半表裏」「表病半表裏」「裏虚半表裏」と分類されている。
太陰編は則ち六氣が脾胃虚を襲いて寒を作する者を挙げて、之を綱と為す。因りて表の病が虚を作し、及び湿熱発黄の脈証治法を述べ、之を目と為す。
少陰編は則ち六氣が腎虚を襲いて寒を為す者を挙げて、之を綱と為す。因りて表和裏寒、表病裏寒、氣滞裏寒、及び寒変じて熱を為す、上に在り下に在り裏に在り膈に在るの脈証治法を述べて、之を目と為す。
厥陰編は則ち六氣が肝虚を襲いて上熱下寒を為して、陰陽相格する者を挙げて、之を綱と為す。因りて陰陽勝復が作厥・利・嘔・噦・霍乱の脈証治法を述べて、之を目と為す。
三陽を抜けて、三陰病に入る。
表から侵入してきた邪は表位を抜け、とうとう裏位にまで達する。
太陰病位では脾胃が傷害を受け、少陰病位では腎が、厥陰病位では肝がそれぞれ障害を受ける。
そして主となる病性が湿(太陰病)・寒(少陰病)とカテゴライズされている点も分かりやすい。しかしこの病性でみると、厥陰病は「上熱下寒」と表現されている点も注目しておくべきである。
この「上熱下寒」の段階に入ると、陰陽離格の状態となる。つまり人体の中で陰と陽が互いに拒み合い、離れようとする状態に至ってしまったということである。つまり非常に重篤な危証に至ったということである。
…と、以上のように三陽三陰病の概要について、この「仲景立六経大意論」では記されている。傷寒論を学ぼうとする初学者にとって、まず全体像を把握できる本章は適すると思われる。
鍼道五経会 足立繁久
原文 仲景立六経大意論
■原文 仲景立六経大意論
醫經解惑論巻之中
信陽 内藤希哲師道著
男 内藤繹泉菴
東都小島瑞伯玉 同校
遠江鳥海寛玄達
仲景立六經大意論
仲景爲傷寒雜病論、立六經病脈證治㳒者、蓋究萬病之本源。極万病之變態、而盡脈證治㳒之樞機者也。夫天地之間、惟是陰陽二氣耳。然陰中有陽、陽中有陰、而四象立。四象立而生水火木金土、是爲五行。五行生而爲風寒暑濕燥火之六氣。或生成、或復、變化無窮。然後萬物乃生。故万病雖多、亦無非六氣之所致者也。
内經曰、夫百病之生也、皆生于風寒暑濕燥火、以之化之變也。仲景得此奥旨、於六經之首。舉六氣致病之大者、曰中風即風也、曰傷寒即寒也、曰中暍即暑也、曰中濕即濕也、曰痙病即燥也、曰溫病即火也。夫六氣之變化無窮、而其所以感而爲病者、皆莫不由襲虚而入矣。凢其襲虚而入也。壮實者有一時之虚(或遇熱、或勞力而汗出腠理開、或行房事而亾精、或疾走多言而亾氣、或大飲大食而傷胃、或大渇大飢而衰中、或憂思驚恐而傷神、或壓墜跌撲而傷氣、或刀劍破傷而亾血、或天地之氣不正人氣由此致虚、是皆一時之虚也。)
虚弱者有五藏之虚。又有素有停滞(内熱痰飲停酒宿食氣滯瘀血)而作虚者、是皆感其六邪而爲病之由也。凢其感而爲病也、其變化雖無窮、而其所客則不過在表在裏在半表半裏、在上在下、而作虚實寒熱而已矣。
故立六經爲之經、舉六病爲之緯。太陽篇則舉六氣之在表者、爲之綱。因述裏和表病、裏虚表病、裏滯表病。及邪在上在下之脈證治法爲之目。
陽明篇則舉六氣之作熱而實於裏者爲之綱。因述表病裏實、半表裏病裡實、表和裏實、裏虚裏實、裏滯裏實、及邪在上在下之脈證治㳒爲之目。
少陽篇則舉六氣之在半表半裡者爲之綱、因述表和半表裡、表病半表裏、裏虚半表裡之脈證治㳒爲之目。
太陰篇則舉六氣襲脾胃虚而作寒者爲之綱、因述表病作虚及濕熱發黄之脈證治㳒爲之目。
少陰篇則舉六氣襲腎虚而爲寒者爲之綱。因述表和裏寒、表病裡寒、氣滯裏寒、及寒變爲熱、在上在下在裡在膈之脈證治㳒爲之目。
厥陰篇則舉六氣襲肝虚而爲上熱下寒、陰陽相格者爲之綱、因述陰陽勝復作厥利嘔噦霍亂之脈證治㳒爲之目。壊病篇則述諸病之誤汗誤吐誤下誤水誤火、而後在表在裏在半表裡、在上在下、及裡虚裡滯結胸藏結心痞百合狐惑陰陽毒、并差後勞復陰陽易等脈證治法以盡其蘊焉。表裡上下、寒熱虚實脈證之變態、治法之機關、盡包括無遺矣。夫六病万病中之大且有邪者也。其大且有邪者即無逃乎其中。則其小者無邪者、不過準此爲治耳。
然又有脈證參差、難以六經總括者。故又別設各篇、述其證治、以欲令後之醫者一遇諸病、而有六經證則就六經篇中求其病原治㳒。有壊病證則就壊病篇中求之。非六經非壊病者、則就各篇中求之。不問土地不辨今古不論運氣、不拘春夏秋冬、不擇老幼男女、貧富貴賤、皆各得其當矣。
程郊倩所謂千手千眼大慈大悲張仲景夫子、豈不然乎。古今讀仲景之書者、或以爲冬時傷寒之治㳒、或言詳於外感、略於内傷、或言詳於風寒、略於暑濕、不及於燥火。或言溫暑及直中傳陰、皆亡失無徴。諸如此輩皆可謂瞽聵讀書者也已。今再擧六經之大意、以示初學之階梯如左。學者熟讀此篇、而後合考本書則庻㡬微知仲景之本旨也乎。