水法を再考する
江戸期の俊英 内藤敬哲の医書『医経解惑論』から、約與水法を学びます。水を与える(與水)法は五苓散の条文(太陽病中編・71)に登場しています。「水を少しずつ与えること(少少與飲之)」の真意を改めて考える重要な章であります。
『傷寒論』には、この与水法の他にも様々な水法・水治法が記されています。この水治法について、改めて学んでおきましょう。
※『医経解惑論』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。
■書き下し文 水を与える法を約する
水の用に三有り。
一つは以て燥を潤し而して津液を生ず。
一つは以て熱を清し而して邪氣を解す。
一つは以て陰を長じ而して陽神を固める。
故に凡そ諸病に渇して冷水を飲まんと欲する者は、虚実に拘わらず宜しく之(水)を与うるべし。但、之(水)を与え宜しく足らずせしめて、意(欲飲水)を極わめること勿れ也。
仲景が曰く、渇して水を飲まんと欲する者、少少之を与えれば則ち愈ゆる。
王叔和が曰く、能く一斗を飲むと言う(者)には、五升を与えよ、と是れ也(王叔和は「傷寒例」件件の舛錯(せんさく)経旨に合せず。但だ与水の二條は経旨に合する耳(のみ)。学者記すべし。)。若し飲みて腹満、或いは嘔、或いは噦、或いは喘、或いは咳、或いは下利、或いは小便不利、或いは小便自利及び渇して熱湯を好み冷水を悪む者、皆な之を与うべからず。
凡そ水を用いるに宜しく新汲の清水、性潔味善き者を択ぶべし。久宿瘀濁(の水)、及び性味の佳からざる者(水)を用いること勿れ。今の医、唯だ芩連梔膏の清熱、天麦帰地の潤燥を知りて、水の最も善く燥を潤し熱を清することを知らず。況んや其の善く陰を長じ陽を固することを知らん!一概に水を畏れて与えることを禁じ、或いは之を与えても、熱湯の冷す者(湯冷まし)を用いる、愚と謂うべし。
或る人曰く、華元化(華佗)は婦人を治する(『後漢書』に見る)、徐嗣伯が房伯玉を治する(『南史』に見る)、張戴人が一婦を治する(『儒門事親』に見る)は、俱に冷水を用いて之を灌ぐ。華徐の二公は冬月以て灌ぎ、張公は時に拘らず。今、仲景の書に此の法無し、反て灌水の害を言う者何ぞ也?
(答えて)曰く、此の法已に(『素問』)「五常政大論」に詳しい。其の略を曰う、其の病これを治すること奈何?岐伯曰く、西北の氣は散じて之を寒する。故に曰く氣寒氣涼を治むるに寒涼を以て行水し之に漬す。仮者これに反する。云々。
氣寒氣涼とは西北寒涼の地を謂う也。夫れ寒涼の地では其の病に伏熱外寒の証が多い。故に之を治するに寒涼を以て以て其の伏熱を折り、行水漬水は其の外寒を重ねて、以て其の伏熱を発散する。
経に曰う、重陰必陽、重陽必陰、是れ也。夫れ二子(華氏徐氏)が諸冬月に行う者は正道也。戴人(張子和)が時(季節・時期)に拘わざる者は権道也。吁、(華徐張)三子の如きは善く経旨を得る者と謂うべし。
註する者(王冰のことか)、行水漬水を以て、単に解して“湯液を用い(水に)浸漬して以て其の外寒を散ずる”と為す也。誤れり。
夫れ内経の言、固より明らかに著わす。仲景、豈に復た之を贅せんや。而して(『傷寒論』にて)其の水の害を言う者は、其の(水法の)余意を発明せし也。凡そ『内経』『難経』の説く所、詳らかにして余り無き者、仲景は皆な略して言わず。其れ徒らに伝えず、故に紙に率すること此れの如し也。
予、以て夫の『玉函経』の間に内経の全文を載せる者を、仲景の筆による者に非ずと為すは此れの故を以て也。仲景を窺う(張仲景の真意を探求する)者は知らずんばあるべからざる也。
或る人曰く、子の言「水を飲まんと欲する者には、虚実に拘わらず宜しく之を与うべし」と。顧りみるに、実熱にして渇する者に之を与えるは固より当たれり。若し虚熱にして渇する者に之を与えるは恐らくは不可なり。請う再び之を明らかにせん。
(答えて)曰く、此れ庸なる人の知る所に非ず也。『内経』(刺熱論篇)に曰く、諸々の熱病を治するに、以て之に寒水を飲ませて乃ち之を刺せ。必ず之に寒衣させ寒処に居止させ、身寒えれば而して止まる也。「諸々の熱病を治する」とは、治有熱の諸病を治することを言う。独り実熱ならざる也。此の法也、実熱する者には固より以て其の熱を解するべし。虚熱する者にも亦た以て陰を長じ陽を固め、以て其の熱を止むべし。
夫れ実熱真火の病には、涼薬を内服して此の法を外用するときは、則ち其の熱は寒を得て乃ち解する。
虚熱、元陽浮散の病には、内は温補の薬を冷服させて此の法を外用するときは、則ち浮散の元陽は収斂して原に帰する。聖人の妙法とは此れの如し。
予、元陽浮散し表熱裏寒の病を治する毎に、四逆真武等の湯を内服し、而して温熱を好む者には之を温服させ、渇して冷水を欲する者には之を冷服させ、且つ間々に冷水を与う。其の身、熱を悪み衣被を欲せざる者は、必ず単衣して冷処に置き、身をして寒涼にせしめれば、其の回陽の功は甚だ速やか也。鍼刺の如きは証に随いて用舎(用捨)す。
諸氏、率ね此の経文を以て、単に解して実熱を治するの法と為す者、未だ深く考えざる耳(のみ)。
今の庸医は、概して病家の薄衣を戒め、夏月及び衣被を欲せざる者と雖も、強いて厚衣せしめ、病者をして怫熱に苦しめ、汗液多く出で、陽氣は愈(いよいよ)散越し、其の病は軽から重に転じ、重き者は死を致す。豈に哀れなるかな!
水治法が記載される文献
水治とはある意味最も原始的な治療法だといえると思います。それが証拠に『傷寒論』の他にも水治法(もしくは水治法に相当する治法)の記載がみられる文献として、本邦では『古事記』『竹取物語』『平家物語』が挙げられます。(個人的には水治法に相当するとみています。)
また『素問』刺熱論、繆刺論、五常政大論に記載されています。
また『史記』扁鵲倉公列伝にも水にまつわるエピソードが記されています。このエピソードは鍼灸師ならよくご存じかと思います。名医・扁鵲の誕生秘話ですね。扁鵲が、師・長桑君から秘薬を授けられたときに上池水で服用するように伝えられています。この上池水の詳細は不明ですが(『本草綱目』に上池水の記載はあるが、それと同一かは定かではない)、水の神秘性を伝える逸話かと思います。
そして上記本文にも記されているように『後漢書』『南史』にも水治法の事例が残されています。
※范曄(南北朝時代)の『後漢書』(432-439年頃)にはなく、唐の章懐太子註文(676年)に付記されている文章。『後漢書』方術列伝を参照のこと
また明代の医薬書『本草綱目』に収められている水部には、まず天水類と地水類の二部に分けられ、さらにそれぞれ13種(詳細に分けると15種)と、30種(詳細に分けると34種)に分類され、それぞれの水の効能が記されている。
『傷寒論』に記される多様な水治法
『傷寒論』(特に太陽病中編・下編)には、様々な水治法が記されています。『傷寒論』に記される多様な水治法
・水を飲む(与水)
・水を灌ぐ(灌水)
・水を吹き付ける(潠水)
・水で洗う(洗水)
などなどの法です。
残念ながら『傷寒論』に主として記されているのは、これら水治法の弊害です。(71条文の與水法を除く)そのため、水治法の意義や水の重要性が薄れがちになっているようです。
しかし、内藤氏は本文に「其の水の害を言う者は、其の(水法の)余意を発明せし也。(其言水之害者、發明其餘意也)」と、明言しています。つまり『傷寒論』に記される水治法の弊害は、誤まって水治を行ったために生じる病態、いうなれば壊病に関する情報です。誤水治の後に起こる病伝を記しているのであって、水治法が誤りなのではありません。このことは『傷寒論』に記載される焼鍼情報にも同じことが言えます。
余談ながら、水治法について触れている医家の一人に、曲直瀬道三がいます。彼の著書『啓廸集』を読んでおくこともおススメします。
・與水
・水漬
・貼水…などが記されています。
さらに、多賀法印流の書『医雑集」も水治法に詳しいです。
水がもつ役割
水法には重要な役割・用法として3つあります。
①潤燥而生津液
②清熱而解邪氣
③長陰而固陽神
の三つであることは本文に記されている通りです。
その中でも③の「陰を長ずることで陽神を固する」というはたらきは非常に重要です。これは与水法(飲水)の根本的な効能として重視すべきです。
この「長陰而固陽神」という水の性は、脈診を嗜む者であれば、よくよく実感し体験できることでもあると思います。
鍼道五経会 足立繁久
原文 桂枝湯麻黄湯論
■原文 約與水法
水之用有三。
一以潤燥而生津液。一以清熱而解邪氣。一以長陰而固陽神。
故凢諸病渇欲飲冷水者、不拘虚實宜與之。但與之宜令不足勿極意也。
仲景曰、渇欲飲水者少少與之則愈。王叔和曰、言能飲一斗、與五升是也(王叔和傷寒例件件舛錯不合經旨。但與水二條合經旨耳。學者記焉。)。若飲而腹満、或嘔或噦或喘或咳、或下利或小𠊳不利或小𠊳自利及渇好熱湯惡冷水者、皆不可與之。凢用水宜擇新汲清水性潔味善者、勿用久宿瘀濁、及性味不佳者。今之醫唯知芩連梔膏之清熱、天麥歸地之潤燥、而不知水之最善潤燥清熱。況知其善長陰固陽乎。一槩畏水而禁與、或與之而用熱湯之冷者可謂愚矣。
或曰、華元化治婦人(見後漢書)、徐嗣伯治房伯玉(見南史)、張戴人治一婦(見儒門事親)、俱用冷水灌之。華徐二公灌以冬月。張公不拘時。今仲景書無此㳒、反言灌水之害者何也。
曰、此㳒已詳于五常政大論。其略曰、其病治之奈何。岐伯曰、西北之氣散而寒之。故曰氣寒氣涼治以寒涼行水漬之。假者反之云云。氣寒氣涼謂西北寒涼之地也。夫寒涼之地其病多伏熱外寒證。故治之以寒涼以折其伏熱、行水漬之重其外寒、以發散其伏熱。
經曰、重陰必陽、重陽必陰、是也。夫二子行諸冬月者正道也。戴人不拘時者權道也。吁如三子可謂善得經旨者矣。註者以行水漬之、單解爲用湯液浸漬以散其外寒也。誤矣。
夫内經之言固著明。仲景豈復贅之乎。而其言水之害者、發明其餘意也。凢内經難經所説、詳而無餘者、仲景皆略而不言。其不徒傳故紙率如此也。予以夫玉函經間戴内經全文者、爲非仲景之筆者以此故也。窺仲景者不可不知也。
或曰、子言渇欲飲水者、不拘虚實宜與之。顧實熱而渇者與之固當。若虚熱而渇者與之恐不可。請再明之。
曰、此非庸人之所知也。内經曰、諸治熱病、以飲之寒水乃刺之。必寒衣之居止寒處。身寒而止也。諸治熱病者言治有熱之諸病、不獨實熱也。此㳒也、實熱者固可以解其熱。虚熱者亦可以長陰固陽以止其熱。夫實熱真火病、内服涼藥而外用此㳒、則其熱得寒乃解。虚熱元陽浮散病、内冷服溫補藥而外用此㳒、則浮散之元陽収斂歸原。聖人之妙法如此。
予、毎治元陽浮散表熱裏寒病、内服四逆真武等湯、而好溫熱者溫服之。渇欲冷水者冷服之、且間與冷水。其身惡熱不欲衣被者、必單衣而置於冷處、令身寒涼、其回陽之功甚速也。如鍼刺隨證用舎。
諸氏率以此經文、單解爲治實熱之法者未深考耳。
今之庸醫、槩戒病家薄衣、雖夏月及不欲衣被者、強令厚衣、使病者苦怫熱汗液多出、陽氣愈散越、其病輕轉重、重者致死。豈不哀歟。