三焦と手少陽三焦経 『臓腑経絡詳解』より

三焦はミステリアスな存在

三焦といえば「名有りて形無し(有名無形)」という言葉を連想します。
そもそも『内経』『難経』には、三焦の性質や機能を表わす言葉に「中瀆の腑(本輸篇)」「孤の腑(本輸篇)」「水穀の道路(三十一難)」「原氣の別使(六十六難)』などがあります。
後代になるろ、三焦に関する説はさらに紛々とし、無形説だけでなく有形説まで唱えられるようになります。歴代の医家たちをそこまで翻弄する存在が三焦であります。
いかに三焦がミステリアスな存在であるかがわかると思います。そんな三焦について、しっかりと学んでいきましょう。


※『臓腑経絡詳解』京都大学付属図書館より引用させていただきました

※下記の青色枠部分が『臓腑経絡詳解』の書き下し文です。

三焦の腑所属の提綱

三焦の脉は右尺に候(うかが)う。『霊枢』「本臓篇」に曰く、腎は三焦膀胱に合すと。今、腎は尺に候う。左尺は腎中の元陰を候う。右尺は腎中の元陽を候う。故に三焦は相火の氣。亦た当に右尺に候うべし。

凡そ六部の脉位を分ち云うに、左尺の腎水は左関の肝木を生じ、肝木左寸の心火を生ず。心は君火也。君火は火の氣。相火は火の質也。質は重くして下に位す。故に左寸の心火、右尺の命門三焦の相火に類従(るいじゅう)し、右尺の火、又右関の脾と土を生じ、右関の脾土を以て右寸の肺金を生じて、六位全(まった)し。

『類経附翼(ふよく)』三巻「十二臓脉候部位論」に詳らか也。『霊枢』「本臓篇」を按するに、人の皮理(かわめ・ひり)密厚(みつこう・こまかにあつし)の者は三焦厚し。皮理、麤薄(そはく・あらくうすい)なる者は三焦薄し。腠理疎(おろそか)なる者は三焦緩(ゆる)し。皮腠急にして毫毛無き者は三焦急也。毫毛羔(うるわし)くして皮麤(そ・あらき)者は三焦直(なお)し。毫毛稀(まれ)なる者は三焦の氣(むすぼ)る。

(『霊枢』)「論勇篇」を按するに、勇健(ゆうけん・いさみすこやか)の士は三焦の膜理(まくり)剛急にして横(おう)也。怯弱(くじゃく・よわし)の士は、三焦の膜理柔弱(じゅうじゃく)にして縦(じゅう)也。凡そ三焦の氣は腠理毫毛に候う。

(『霊枢』)「本臓篇」に曰く、三焦膀胱は腠理毫毛(そうりごうもう)其の應(おう)也云々。何如となれば、三焦は諸の臓腑の外廓(がいかく)。三元の氣の薫焦(くんしょう)する所、相火の舎る処にして、氣を出して以て皮肉を温充(うんじゅう)すれば也。故に「五癃津液別論」に曰く、三焦は氣を出して肌肉を温め皮毛を充つ也云々。

冒頭では六分脈位における五行配当を示しています。五行(木火土金水)ですが、これに相火が加わることで、六分が全きものと成るのです。五行の相生循環と脈位の関係を述べています。

また『霊枢』論勇第五十を挙げていますが、論勇篇では「勇健の士」「怯弱の士」と区別して、心身の強弱について論じています。以下に論勇篇の一節を引用しておきます。

「少兪曰、夫忍痛與不忍痛者、皮膚之薄厚、肌肉之堅脆緩急之分、非勇怯之謂也。
勇士者、目深以固、長衡直揚、三焦理横、其心端直、其肝大以堅、其膽満以傍…。
怯士者、目大而不減、陰陽相失、其焦理縦、…」

痛みに耐えるのは、腠理肌肉の剛いタイプの人であり、痛みに弱い人は腠理肌肉の柔である。この皮膚(皮毛・肌肉)の強弱と、三焦の強弱はリンクしているということが示唆されています。

同じ論勇篇には、酒が“人の勇怯”に影響する様子も記されていて実に興味深いです。これも以下に引用しておきましょう。

「黄帝が曰く、怯士が酒を得ると、怒して勇士を避けざるは、何れの臓によるものか?
少兪曰く、酒とは水穀の精、熟穀の液です。その氣は剽悍にして、胃中に入れば、則ち胃脹り、氣上逆して胸中を満たす。肝が浮いて胆は横する。當にこのとき、勇士に比する。しかし氣が衰えれば則ち悔む。…」
■原文「黄帝曰、祛士之得酒、怒不避勇士者、何藏依然。
少兪曰、酒者、水穀之精、熟穀之液也。其氣剽悍、其人於胃中、則胃脹、氣上逆、滿於胸中、肝浮膽横。當是之時、固比於勇士、氣衰則悔。與勇士同類、不知避之、名曰酒停也。」

と、このようにお酒の力を借りてヤラカシテしまう可能性(危険性?)を示しています。酒と三焦、さらには精神との関係をも指摘しています。

三焦の腑、補瀉温涼の薬

[補]
(黄耆)  國(甘草)  益(益智仁)辛温  参(苦参)  朮(白朮)

[瀉]
(枳殻)  實(枳実)  青(青皮)  澤(沢瀉)  烏(烏薬)  曲(神麴)

[温]
(附子)  丁(丁香)  乾(乾薑)  茴(茴香)  沉(沈香)  厚(厚朴)  呉(呉茱萸)  破(破故紙)

[涼]
(石膏)  骨(地骨皮)  芩(黄芩)  栢(黄柏)  梔(山梔子)  知(知母)  滑(滑石)  樋(木通)

東垣先生 報使引経の薬

(柴胡)上に行く
(川芎)上に行く
(青皮)下に行く

生薬は『鍼灸師には縁が薄いかも』と思われる人もいるだろうが、東洋医学を研鑽する上では必須・必知の基礎知識である。このような形で少しずつ記憶に留めておくことをおススメします。

『三焦の図』本記事では不掲載。『臓腑経絡詳解』を参照のこと

三焦の腑象

二十五難に曰く、心主と三焦と表裏たり。俱に名有りて形無しと云々。此の如くなるときは則ち心包三焦俱に空(むな)しく名のみ有りて形無しと云々。然れども心包は心を包むの膜(まく・あぶらかわ)、形無きにあらず。即ち右の手の厥陰心包の臓象に記す所の如く也。

近き明の張景岳、内経の『類註』三十二巻を著(あらわ)し、又附(ふ)するに『図翼』『附翼』の二帙(ぢつ)有りて、発明する所の理、最も深切也。其の『附翼』三巻「求正録」に、三焦包絡命門の弁有りて、心包三焦俱(とも)に名有りて形有ることを弁詳(べんしょう)す。その言、幽淵(ゆうえん)にして盡(つく)し難しと雖も、後学啓蒙の便(たより)に請(こ)う之を述べん。三焦は臓腑の総司(そうし)たり。空しく名を立て形無き者ならんや。夫れ名は形に従うて経つことを得(う)。果たして名有りて形無しと云うは、内経の言と。皆な鑿空(さっくう)たらん。

『霊枢』「本輸篇」に曰く、三焦は中瀆の腑、水道出づと。
「本臓篇」に密理(みつり)厚皮(こうひ)の者は三焦膀胱厚しと云々。「論勇篇」に曰く、勇士目深くして以て固く長衡(ちょうこう)直揚(ちょくよう)し、三焦の理横なり云々。
「決氣篇」に、上焦開発して五穀の味を宣(の)べ、肌を薫じ、身を充ち、毛を澤(うるお)す。霧露(むろ)の漑(そそ)ぐが若(ごと)し云々。
「栄衛生会篇」に曰く、営は中焦に出て、衛は下焦に出づと云々。

『素問』「五臓別論」に曰く、胃大腸小腸三焦膀胱、此の五つの者は天氣の生ずる所。其の氣、天に象る。故に瀉して蔵さず云々。
「六節臓象論」に曰く、脾胃大腸小腸三焦膀胱は倉廩(そうりん・こめつみくら)の本。営の居(きょ)也云々。

以上の諸篇の如き、皆な形無くして此れを言うことあらんや。
「本輸篇」に所謂る中瀆とは、水穀口より入りて便より泄る。上焦よりして下焦に下りて三焦を歴(ふ)。川の如く瀆の如し。膀胱、其の水液を受けて疏泄す。故に水道出づ。

又「本臓篇」に所謂る三焦の理、或いは横、或いは縦の如き、形無くして横を成し、縦を成すこと何者か従うや。其の外(ほか)五味を宣(の)べ、栄衛を出し、瀉して蔵さず。倉廩の本とは、盡(ことごと)く形有るよりして成る所の者、疑い無し。

宋の陳無擇(ちんむたく)『三因方』に始めて云ることあり。人の膀胱と相い対して、一つの脂膜(しまく・あぶらかわ)有りて、手の大きさの如し。二つの白脉、中(うち)より出て、脊を夾(さしはさ)み上りて頭脳を貫く。此れを以て三焦と成して云う。一挙子(きょし)除道あり。嘗て病を医療するに精思有り。曰く、齊の大饑に当たりて、一人皮肉尽きて而して骨脉全(まった)き有り。右腎の下を見るに脂膜有りて手の大きさの如く正に膀胱と相対す。二つの白脉有りて其の中より出づ。脊を夾て而して上て脳を貫く。此れ正に所謂る三焦也。之を観るときは則ち三焦の形有ること照照たり。〔孫思邈、李時珍、馬玄台、みなこれに同じ〕

又、李東垣、手足の三焦を分ち、華佗が『中蔵経』には、三焦は人の三元の氣也。
除陳の謂う所の脂膜を以て三焦と爲さば、其の三と云い、焦と云いて上中下に分つ者何の従って然るや。
又、何ぞ一つの三焦を以て手足の二つに分つや。其の或いは三元の氣たりとは、是れ亦た空しく氣を以て形無き者と爲さんや。皆な内経の深理明らかならざるに始まりて、後世の惑(まど)いを啓(ひら)く。夫れ三焦は三焦と名(なづくる)の字義を以て之を求めるときは則ち自らから之を得。三は三才に象る。上を際(きわ)め、下を極(きわむ)るの云い也。焦は陽火の薫焦(くんしょう)に象(かたど)る。
今、夫れ人一身臓腑筋骨の外、皮肉の内、状(かたち)大嚢(だいのう・ふくろ)の若(ごと)き者は果たして何の物ぞや。其の内に著くの一重は形色最も赤くして、陽火の象り照然(しょうぜん・あきらか)たり。この大嚢の如き、周(あまね)く身の上下を圍(かこ)みて、天地六合に似たり。三の名、之に従う。

其の色赤くして外廓たる諸陽を護(まも)りて火の位たり。焦の名、之に従う。然るときは則ち其の大嚢の如き者、是れ三焦に非ずして何ぞ形無しとは誤り也。

虞天民『医学正伝』の或問に云う。三焦は腔子(こうす)を指して云う。総べて三焦と曰う。其の躰、脂膜有りて腔子の内に在り。五臓六腑の外に包羅(つつみまとう)すと云々。
此の説、張氏が理に近しと雖も、臓腑の外の脂膜と云うときは則ち別に一層を添ゆるに似たり。且つ焦の字義、未だ尽くさず。

○それ三焦は、上焦中焦下焦とす。上焦は胸中也。陽分也。心肺の藏(かく)るる所。人々の大氣、此(ここ)に積む。この氣を名(なづけ)て宗氣とし、真氣と云。呼吸を行(めぐら)し、栄を導き、乳哺水穀の精氣、胃の氣とならびて一身に充(み)つ。膚を薫(くん)じ、毛を澤(うるお)す者也。此の氣、上焦に発して身を温養する。譬えば霧露(むろ)の温潤して万物を漑養(がいよう)するが如し。

故に「決氣篇」に曰く、上焦開発して五穀の味を宣べ、膚を薫じ、身を充し、毛を潤す。霧露の漑(そそ)ぐ若(ごと)し。是を氣と謂う。又「営衛生会篇」に曰く、上焦は霧の如し云々。
「三十一難」に、上焦は心下下膈に在り。胃の上口に在り。内(いれ)て而して出さず。云々。
水穀口に入りて、胃に納(い)り、其の入るの間上焦に在り。故に入りて出さざることを主るものは上焦に有る也。中焦は臍の上膈の下、陰陽氣交の分、
脾胃の居る所、水穀此こに於いて腐熟し、其の氣の精(くわし)き者は此れより経隨に入り、赤色に変じて栄血と成り、肺脉より始まりて肝経に終わる。環(たまき)の端無きが如し。故に「決氣篇」に曰く、中焦は氣を受け汁を取り変化して而して赤し。是を血と謂う。

「栄衛生会篇」に曰く、中焦は漚(あわ)の如し云々。言う心は泡は本(もと)水也。水にして沈まざる者は、氣を得て水上に在りと。今、栄血中焦に化して、氣に従うて流行する者は漚の浮沈の間に處(お)るが如し。「三十一難」に曰く、中焦は胃の中脘にあり。上(のぼさ)ず、下(くだ)さず、水穀を腐熟することを主る云々。

下焦は胃中消化の水穀泄(も)れ出るの所。臍(ほぞ)の下、小腸大腸膀胱の位(くらい)、陰分なり。水穀の悍氣(かんき)。陰中の陽を此(ここ)に受て衛と成り、晝夜(昼夜)五十度の環周(かんしゅう)有り。故に「栄衛生會篇」に曰く、下焦は瀆(とく)の如し云々。言う心は川瀆(せんとく)の流れて反(かえら)ざるが如し。三十一難に曰く、下焦は膀胱の上口に當る。清濁を分別することを主る。出して而して内(い)れざることを主る云々。

然るときは則ち水穀上焦より入り、中焦に消化し、下焦に出づ。且つ宗氣は上焦に積む。栄氣は中焦に始まり、衛氣は下焦に発す。是を以て三十一難に曰く、三焦は水穀の道路、氣の終始する所と云々。

三焦とは、腎や心主(心包)と同様に、その本質を理解するには非常にミステリアスな存在です。

三焦の性質・機能を言い表す言葉として、上記では「有名無形」「中瀆の腑」「水道出づ」「人の三元の氣」「水穀の道路」「氣の終始する所」といったように一見すると掴みどころのない表現が多いですね。
また、三焦を上中下に分け、上焦を如霧、中焦を如漚、下焦は如瀆といった言葉でも表現しており、水との関わりを暗示しています。自在に変態する水をなぞらえる表現は秀逸であります。まさに「有名無形」だと思いますね。

しかし、その反面「無形」ではなく“有形”であるという説を提唱する人もいます。陳無択は「脂膜と二白脈」を三焦であるとし、虞天民は「腔子」であるとしています。

三焦に関する各医家の説は数々ありますが、その文量は膨大でありますので、また別の機会に紹介するとしましょう。

『臓腑経絡詳解』には手少陽三焦経の図あり 本記事では不掲載。『臓腑経絡詳解』を参照のこと。

手少陽三焦の経の指南

○手少陽三焦の経は氣多くして血少なし。少陽は主氣を以て之を言う。
四月の中小満より六月の中大暑に至るの間、少陽相火三の気之を主る。此の間天地の氣候、陽熱の化多くして、陰涼の候最も少(まれ)也。故に人の手足の少陽の経は常に陽氣は多くして陰血の少しきなること知んぬべき也。

(『霊枢』)「経脉篇」に曰く、三焦は手の少陽の脉、小指の次指の端に起り、上りて両指〔『十四経絡発揮』次指に作る〕の間に出て、手の表腕を循り、臂外(ひがい)両骨の間に出て、上りて肘を貫く。

[小指の次指] は無名指也。俗にいうクスリユビ。
[表腕]腕は、俗にいうウデクビ也。表とは、手の甲表(おもて)をいう。
[臂外両骨] 腕と肘との間を臂(ひ)とす。臂に大指の通りと小指の通りとに両骨ありて相い並ぶ。三焦経は此の両骨の間、臂外を行く也。
[貫肘] 肘後の骨、高く起りて鋭(するど)也。三焦経はこの高骨の下を貫き行く也。貫くとは、骨の表(うえ)をつたわず、深く骨の下をくぐり行くを云う也。

○三焦は手の少陽の経脉たり。手の小指の次指の外の側(かたわら)の端、爪角(つめのはえぎわ)を去ること一分、関衝の穴に起り、此れより指の外廉(がいれん・そとかど)を上りて、小指と次指と両指の間、液門の穴に出〔穴は次指の本節(もとふし)の前にあり〕、中渚の穴を〔次指の本節の後(しり)えにあり〕歴て、手表腕の陽池の穴を循り〔穴は小指の次指の外間の後え表腕の横文の解中にあり〕、此れより臂外(ひがい)両骨の間を行きて外関の穴〔陽池の後(しり)え二寸、天井を目的(めあて)にして求む〕、支溝の穴〔外関の後へ一寸、天井を目的にして求む〕、会宗の穴〔支溝と一筋を間(へだて)て相い並び付く。支溝は小指の方に有り。会宗は大指の方にあり〕、三陽絡〔直に支溝の上一寸に有〕、四瀆の穴〔三陽絡の上三寸半〕を経(へ)、上りて肘の大骨を貫きて、天井の穴に出〔穴は肘の突骨(とつこつ)の後(しりえ)一寸に有り。両手を交えて自身の膝頭を指(おし)て、他人を以て肘の突骨の後えを模(さぐ)るに、両筋骨の鏬中(かちゅう)是穴なり〕

臑外を循(めぐ)り、肩に上りて而して〔『十四経絡発揮』而の字無し〕少陽の後(しりえ)に交わり出て、鈌盆に入り、膻中に布(し)〔『十四経絡発揮』布を交に作る〕、散じて心包を絡(まと)い、膈に下り循りて三焦に属す〔『十四経絡発揮』循を偏に作る〕

[臑外] 肩と肘との間を臑(じゅ)とす。臑の後え、背(せなか)と對する方を外とす。
[交出少陽之後] 少陽は足の少陽膽の経也。此(ここ)に於いて(滑)伯仁『十四経絡発揮』の意と、(『霊枢』)「経脉篇」の本旨と同じからざること有る也。(滑)伯仁氏の意は、臑兪、肩髎、天髎を循りて、天髎より足の少陽胆経の秉風より鈌盆に流るる経の後に出で、秉風にして少陽胆経と交わり、秉風よりまた胆経の肩井を過ぎるに、また足の少陽経の後えを出て缺盆に入るとす。「経脉篇」の本意は然らず。天髎より秉風肩井等に過らず、天髎より直(ただち)に前は鈌盆に流るるに、少陽胆経の肩井より、缺盆に流るるの後に出て、鈌盆にして足の少陽と相い交わるとす。

○肘後の天井の穴より臑外を循り、清冷淵の穴〔天井の上一寸にあり〕、消濼の穴〔肘をねじけて、蛇頭の分肉に有〕を歴て、肩に上り、臑会の穴〔顴髎の下三寸にあり〕、肩髎の穴〔肩の端、肩髃の穴の外の側らの廉(かど)、陥中〕、天髎の穴に行き〔肩井の外の後え、毖骨(ひこつ)の止る陥中に有る也。毖骨は頚根(くびのね)より流れ下る小骨、肉中に深く蔵(かく)るるを云う〕、天髎より前鈌盆に下り出るに、足の少陽胆経の肩井より、鈌盆に下る者の後に交り出る也〔この間の経行、『十四経絡発揮』の意は此の如くならず。詳らかに右に図註あり。缺盆は胃経の本穴なり〕。既に鈌盆に入りて、此れより胸に下り、両乳の間、膻中に流布し、深く散入して、心包絡を絡う〔三焦と心包と表裏の象をなす〕。膈膜を下りて偏(あまね)く三焦に属す〔『十四経絡発揮』には、鈌盆より胃経の外を下り、膻中にして二経交会して心包を絡い、亦た膈を下りて、上脘にして上焦、中脘にして中焦、臍下一寸陰交にして下焦に属すとす。上脘中脘陰交、俱に任脉の本穴。三焦の分治也〕

○其の支(えだ)なる者は、膻中從(よ)り上りて缺盆に出て項(うなじ)を上り耳後に繋がり〔『十四経絡発揮』に繋を挾に作る。『甲乙経』に同じ〕、直(ただ)ちに上りて耳の上角に出て以て屈して頰を下りに䪼(せつ)に至る。

[䪼] 目の下を云う也。

○此の支(えだ)なる者は、前の心包を絡う膻中より、別れ上りて鈌盆に出て〔『十四経絡発揮』には、胃経の鈌盆の穴の外側に出とす〕、頚根(けいこん・くびのね)を挾(さしはさ)み、項(うなじ)に上り出て、督脉の大椎の穴にして二経交会し、大椎より亦た左右に別れ出て、上りて耳後の天牖の穴に繋(かか)〔穴は項の髪際の少し上、直の髪際の下、足の太陽の天柱の前、完骨の下、大筋の外にあり〕、天牖より猶(なお)直ちに耳後(みみのしりえ)を循り上りて翳風〔耳後の下の尖り、按(おし)て耳中に痛む所なり〕、瘈脉の穴〔耳後の正中、鶏の足を挙ぐるが如き骨の陥中に有り〕、顱息の穴〔耳後の上の尖る骨陥の中にあり〕を経て、耳の上角角孫の穴に上り出て〔穴は耳を前に按し折りて、耳の角の當る處の髪中にあり。以上の五穴別に左に圖有り〕、角孫より自らを以て曲屈して頬に下り、目下䪼(せつ)に至る。即ち頰に下るとは小腸経の顴髎穴に下る也。

○以上「経脉篇」の本旨、此の如し。亦た『十四経絡発揮』伯仁氏の意は此の如くならず。天牖より角孫に行くの間は経旨と異ならず。角孫より少陽胆経の懸釐、頷厭二穴を過ぎて、直の髪際を循り頷厭より眉上の陽白を過り下り、陽白より睛明に下り〔陽白は胆経の本穴、睛明は膀胱経の本穴、まがしらに有り〕、睛明より曲屈して頰に下り、䪼に至りて、顴髎に会すとす。
按ずるに、伯仁の如きは『甲乙経』に記す所の氣穴の会経を尋ねて註解す。然れども、睛明より曲屈して下るときは則ち䪼なり。顴髎に至るは頰に下るなり。本文の字、䪼に至り、頰に下ると有らば、伯仁の註義當れりとす。今、経に頰に下り䪼に至ると云うときは則ち伯仁の註、其の旨當らざるに似たり。ただ角孫より自然に曲屈して頰の顴髎に下り、䪼に至りて自然に終わる者ならん欤〔頰は下に位す。䪼は頬より上の分なり〕

○支なる者は耳後従(よ)り耳中に入り、出て耳前に走り、客主人を過ぎり、前頰に交りて目の鋭眥(えいし)に至る〔『十四経絡発揮』に其の支なる者は耳後従り耳中に入り、却りて出て目の鋭眥に至るに作る〕

[入耳中] 耳中を貫き出る也。
[過客主人] 過とは、己が本穴に非ず。他経の穴に過ぎり行くを云う。客主人は足の少陽の本穴なれば也。
[交前頰] 交とは前に進みて頰に出て、目の鋭眥瞳子髎に至るの間、少陽胆経と交れば也。一説に交るとは只頰に出るを云うと。尤も是なり。

[鋭眥] 俗にいうマジリ也。

○此の支なる者は耳後の翳風の穴より耳中に入り貫きて耳の前に走り出て、聴宮の穴〔小腸経の本穴〕を過(よぎ)り、聴宮より耳前を登り、耳門の穴〔耳前の起肉の缺(かけ)たる處なり〕、和髎の穴〔耳門の前、兊髪(はえさかり)の下の後、起骨の上廉、動脉の中に有り〕を歴て、和髎より横に胆経の客主人の穴に過り出て、客主人より前頰部に交り出て、目の鋭眥瞳子髎に至り終わる〔眉の後、陥中に絲竹空の穴ありて、手の少陽に属す。故に『十四経絡発揮』には、瞳子髎より眉の後、絲竹空に上りて、足の少陽胆経と交り終るとす。経旨と同じからざるなり〕

○按ずるに『十四経絡発揮』に、客主人を過り、前頬に交り(過客主人前交頬)の七字を缺(か)くもの是なるが如し。学者、詳察(しょうさつ)して自ずから知らんぬべき也。

是動病と所生病

三焦の腑是動所生の病症

○是れ動ずるときは則ち病、耳聾(ろう)渾々(こんこん)焞々(とんとん)たり。嗌腫れ、喉痺(こうひ)す。

[耳聾] 耳とおきを云う。経脉、耳中に入ればなり。
[渾々] 水水濁る貌(さま)
[焞々] 火盛んなる貌。
渾々焞々は三焦の相火、耳中に塞がりて、耳中明らかならずを云う。耳中の気渾濁(こんだく)し、耳内焞然として、火の盛んに鳴動するが如くなるときは則ち、其の聾を成すこと自ら知るべし。
[嗌腫喉痺] 経脉、鈌盆より頚根を挾み上り、又大椎より翳風に行く。皆な咽喉(いんこう)の分を挾む。故に病此れの如し。痺は閉なり。嗌腫れ喉痺するは火病也。

○是れ氣を主として生ずる所の病は
三焦は氣の終始する所、陽気薫焦(くんしょう)の地也。故に三焦は氣分を主として生ずる所の病を為すなり。實は三焦を主として生ずる所と云うの義也。

○汗出で、目の鋭眥痛み、頰痛み(馬氏が本、腫に作る)、耳の後へ、肩臑肘臂の外皆な痛み、小指次指用いられず。

[汗出] 汗は陽氣に出づ。三焦は陽気の舎(やどる)所。外肌肉を温め皮膚を充(みた)しむ。今三焦の氣和せざるときは則ち皮膚疎(おろそか)にして汗液自ずから出る。
[目鋭眥痛] 経脉瞳子髎に行く也。
[頰痛耳後肩臑肘臂外痛] 以上、皆な三焦経に行く處。故に痛むことを成す。
[小指次指不用] 手の小指の次指は三焦経の始まる處。故に挙用(あげもちいる)こと能わざる也。

○盛んなる者、人迎大なること寸口に一倍す。虚する者は人迎反りて寸口より小也。

陽経は人迎を以て主とす。三焦は手の少陽経。故に三焦経に邪盛んなるときは則ち人迎大なること、寸口に三倍し、正気虚するときは則ち、人迎反りて寸口よりも衰小也。
少陽の数は二也。三焦は手の厥陰心包の腑たり。厥陰の数は一。故に三焦は手の厥陰に従いて、其の脉一倍す

余談ですが、本章では虞天民(虞摶)の名が登場します。虞天民の『医学正伝』は日本の医学に大きな影響を与えた書の一つといえるのではないでしょうか。

虞天民は李東垣・朱丹渓の医学(特に朱丹渓)の影響を強く受けています。そしてこの虞氏の影響は曲直瀬道三の医書にも確認することができます。
本書『臓腑経絡詳解』の著者、岡本一抱の師、味岡三伯は曲直瀬玄朔の弟子であります。つまり、虞氏の強く影響を受けた曲直瀬道三の子の弟子の弟子、つまり曲直瀬道三の曾孫弟子に当たるのが岡本一抱だと言えます。

鍼道五経会 足立繁久

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