目次
胆の腑と胆経について勉強し直そう!
胆の腑と経脈の章に入りました。胆の腑は他の臓腑に比べて特殊な面があります。六腑に分類されながらも、奇恒の腑にも属します。
鍼灸学校の勉強では、胆経といえば『経穴数のやたら多い経脈…』という印象っは濃い存在ですが、ここは胆腑の生理学(腑象)と病症、そして経脈流注についてしっかりと情報を仕入れ直しましょう。
※『臓腑経絡詳解』京都大学付属図書館より引用させていただきました
※下記の青色枠部分が『臓腑経絡詳解』の書き下し文です。
膽の腑、所属の提綱
膽脉は肝と俱に左関に候(うかが)う。肝と胆と表裏たり。其の氣互いに通ず。故に膽腑の諸候は肝と異ならず。(『素問』)「霊蘭秘典論」に曰く、膽は中正の官、決断出づと云々。夫れ臓は藏也。五神の氣、舎藏する處也。腑は府也。水穀府聚(あつまる)の處たり。故に五臓は直(ただち)に水穀の濁質を受けず。只其の精氣を受くるのみ也。腑は然らず。胃は水穀の納(い)る處、小腸は胃中消化の水穀俱に受け、膀胱は其の濁液を受け、大腸は渣滓(かす)を受け、三焦は水穀の道路たり。盡(ことごとく)受けずと云うこと無し。
膽独り直(ただち)に水穀の濁質(だくしつ)を受けず。
肝葉の聞くに藏して、其の精氣を受け盛ること三合。此れを膽汁とす。其の味甚だ苦し。故に膽熱するときは苦汁を嘔吐する者は即ち其の候也。巵言(しげん)に所謂(いわゆる)膽は清浄の腑とは、其の水穀の穢濁を受けざるを以て也。此れを受けざるときは則ち其の腑清浄。清浄なるが故に中正の官、決断出づとす。中正は事の両端有りて、決し難く、其の中分を取りて正すを云う。此れ本(もと)決断に出、決断は衆(もろもろ)理の岐(ぎ)多くして断じ難し。其の正しきを取りて決定す。此れを決断という。決断は氣の剛強に非らずんば成し難し。
『類註』に曰く、膽は剛果の氣を禀(う)く云々。此れを木質果実に譬うるに、木に必ず節あり。節は木中に藏れて最も堅実。果実必ず核(かく・さね)有りて中に藏る。最も堅実なり。膽の肝葉の間に藏れ居る。木の節有るが如く、果実の核(さね)有るが如し。故に膽は肝木発生の中根、剛果の気、中正の官と成りて、此れに非ざれば決断をなすこと能わず。
是を以て肝膽の二氣、或いは衰え、或いは欝するときは則ち之が発生を伸ること能わずして、其の人喜(このん)で大息す。大息は俗に云うタメイキ也。
胆は「中正の官」というのは『素問』霊蘭秘典論の言葉でありますが、もう一つ胆の性質を表わす言葉に「胆は清浄の腑」というものがあります。この表現は『難経』三十五難に記される言葉です(膽者清浄之府也)。他にも難経四十二難において「精汁を盛る(膽在肝之短葉間……盛精汁三合。)」という役割も記されています。これは次々章において触れられていますね。
また胆の性質を表わす言葉に「胆は中精の腑」というものがあります。この言葉は『霊枢』本輸篇にあります。
また本文では『巵言』という用語が登場しますが、これはおそらくは『医学統宗 滑伯仁巵言』のことと思われます。この書にも胆を清浄の腑としての表現がこのように記されえています。「膽者澹也、清浄之府。無所受輸。淡淡然也。」とある。とはいえ、ここでなぜ『巵言』の言葉を引用したのかは不明です。
膽の腑補瀉温涼の薬
[補]
皈(当帰) 酸(酸棗仁) 萸(山茱萸) 味(五味子)
[瀉]
柴(柴胡) 青(青皮) 樋(木通) 芍(芍藥)
[温]
田(半夏) 生姜(生姜) 貴(陳皮) 芎(川芎)
[涼]
連(黄連) 茹(竹茹)甘微寒 芩(黄芩) 蘢(竜胆草)苦大寒
東垣先生 報使引経の薬
芎(川芎)上に行く
柴(柴胡)本経
青(青皮)下に行く
生薬は『鍼灸師には縁が薄いかも』と思われる人もいるだろうが、東洋医学を研鑽する上では必須・必知の基礎知識である。このような形で少しずつ記憶に留めておくことをおススメします。
膽府の図
『膽府の図』本記事では不掲載。『臓腑経絡詳解』を参照のこと。
華元化(かげんか;華佗)曰く、膽は中清の府、號(ごう)して将軍と曰う。肝の短葉の間に在り。
(『素問』)「六節蔵象論」に曰く、凡そ十一臓皆決を膽に取る也。
膽の腑象
(『難経』)四十二の難曰く、膽は肝の短葉の間に在り。重さ三両三銖(しゅ)。精汁を盛ること三合云々。
膽の腑の象(かたど)り瓢(ひさご)の如く、肝の臓葉の間に藏(かく)れ居る〔肝の臓、木の葉の如く、大葉二つ小短葉五の凡て七葉〕。其の腑の重きこと三両三銖〔一両を十四に分けて一銖とす。『難経俗解』に三銖。秤るに是、今の一銭二分半〕有りて、背の十椎に附着す。腑中常に精汁を受け盛ること三合。此れを膽汁とす。精汁とは、水穀の精液なり。其の穢濁(けがれにごる)は受けず〔膽は水穀の濁気を受けざるの義。右(上記)に詳なり〕。故に華元化(かげんか)が曰く、膽は中清の腑と云々。
膽に盛る所の精汁、其の味(あじわい)甚だ苦し。苦は五行の火に属す。膽は肝と表裏して木に属す。木の味(あじわい)酸(す)くして反て膽汁苦きものは何ぞ。
火は木に生ず。木を鐟(もん)で火を作(なす)。故に肝は木味の酸を藏し、膽中自(おのず)から火を孕(はらん)で其の汁は苦し。是、火は木中に藏るの象(しょう)。理の自然也。
こうしてみると『難経』には肝胆の生理学が記されています。『難経』に記される臓象腑象といえば“命門”ですが、肝胆についても生理学も目を通しておく必要があるのかもしれません。
そして胆と相火の関係にも触れています。岡本一抱は李朱医学の影響を強く受けていますので、やはり肝胆と相火の関係に触れないわけにはいかないようです。それが「胆中自ずから火を孕んでその汁は苦し。これ火は木中に藏るの象。理の自然也。」という言葉によく表れています。
相火について学ぶには、まず『格致余論』(朱丹渓)を読む必要があると思います。
『臓腑経絡詳解』に足少陽胆経の図あり 本記事では不掲載。『臓腑経絡詳解』を参照のこと。
足の少陽膽経の指南
○足の少陽膽経は氣多くして血少し。
前の手の少陽三焦経の義と同じ。
○(『霊枢』)「経脉篇」に曰く、膽は足の少陽の脉、目の鋭眥に起り、上りて頭角に抵り〔『十四経絡発揮』に頭の字なし〕、耳後に下る。
[鋭眥] 俗にいうマジリ也。
[頭角] 頭(かしら)の竪(たて)の髪際額角を云う。
○此の経行、経の本旨と伯仁『十四経絡発揮』の意と大いに同じからず。
今、経の本旨を詳にするに、膽は足の少陽の脉にして、目の鋭眥を去ること五分。瞳子髎に起り、此れより後(しりえ)に却(しりぞい)て頭の竪(たて)の髪際を上りて、懸釐〔額髪の下、俗にいう小額(こひたい)の下廉、起骨の上に有り〕、懸顱〔頭の竪の髪際、懸釐と頷厭との中央。俗にいうコメカミに有り〕を経(へ)て、頭角の頷厭の穴に抵り〔穴は頭の額角胃経の頭維の穴の前、髪際の骨解に有り〕、頷厭より前の髪際の中を循り上りて臨泣の穴に上り〔穴は目の直瞳子の上、前髪際を入ること五分に有り。膀胱経の曲差の旁ら七分五厘にあり〕、臨泣より直に目窓〔臨泣の後え一寸〕、正営〔目窓の後え一寸〕、承霊〔正営の後え一寸〕を循りて後えに下り、脳空穴〔膀胱経の玉枕の穴と相対す。直ちに承霊の通りにあり。『十四経絡発揮』に、脳空は承霊の後え一寸とは非なり〕を歴(へ)て、耳後の風池に下り〔膀胱経の天柱穴の旁らの大筋の外廉、項の横の髪際、按すときは則ち耳中に引く處也〕。
○以上「経脉篇」の本旨、此の如しにして直行也。
伯仁『十四経絡発揮』に記す所、此れと大に異なり。如何となれば、右(上記)の「経脉篇」の経行に従て、此れを直行の者となすときは則ち此の間の経行に附く者緫(すべ)て十穴也。亦た『甲乙経』其の外鍼灸空穴の諸書に載する、膽経頭部に於いて主る所の空穴凡て二十穴。過(よ)ぎる所の会、凡て三穴、都合二十有三穴。此れを以て膽経循る處を分つに、経の本分に見せざる者を尋ね求めて、膽脉の頭部に行くこと凡そ三折と作(なす)。
『十四経絡発揮』に曰く、此の経の頭部瞳子髎より風池に至りて凡て二十穴、三折と作(な)して外に向うて行く。瞳子髎に始まり完骨に至る。是、一折。又、完骨より外に折れ上りて陽白に至り、睛明に会す。是、一折。又、睛明より上行して臨泣風池を循る。是、一折云々。
『医学綱目』にいう、内経 脉の曲折朦朧(もうろう)の者を直行と為す也云々〔「経脉篇」本文の如くなるときは、経行直(すなお)にして正といえども、『甲乙経』等に載する所の膽経に繋(けい)する会穴を以て其の経行を求むるときは則ち「経脉篇」の本文に合わざると雖も、此の如く三折と成りて流れざるときは則ち其の穴餘りて此れに附くことを得ず。故に伯仁『十四経絡発揮』の膽経の註義、本文に合わざる者は此れに由る也〕。
今、此の穴会に従うて膽の行途を云うときは則ち伯仁氏の『十四経絡発揮』の註義と同じ。乃ち請う之を言わん〔以下『十四経絡発揮』と同じ〕。
○足の少陽膽経は目の鋭眥瞳子髎に起り、此れより後(しりえ)に却(しりぞい)て聴会の穴〔耳珠(じじゅ)の下の少し前、口を開けば空(あな)あり。口を閉じれば骨蔽(おお)う〕に行き、聴会より前に向かい上りて客主人の穴〔胃経の下関穴の上、下関と上関一骨を間(へだ)つ。下関は骨下に有り。客主人は骨上に有り。口を開きて空(あな)有る動脉の中〕を循り、此れより直ちに頭の竪の髪際の前を行て、頭角の頷厭に入り、此れより竪の髪際を下りて、懸顱懸釐を循り〔頷厭・懸顱・懸釐の三穴、右(上記)に見えたり〕、懸釐より外に却て耳上の髪際に行きて、曲鬢の穴〔俗に云う小額陥中、頷(おとがい)を鼓(たたき)て孔有る中〕、曲鬢より率谷穴に行き〔穴は耳上の髪際を竪に入ること一寸半の前に如(ゆく)こと三分に有り〕、率谷より外に折れて、耳後に下り、天衝・浮白・竅陰・完骨を循る〔天衝は耳後の髪際を入ること二寸の前に如(ゆ)くこと三分に有る也。浮白は天衝の下一寸に有る也。竅陰の穴は耳の後え完骨の上、竪の髪際の中、手を以て模(さぐ)れば空(あな)有る中也。完骨の穴は、耳の後え、髪際を入ること四分、完骨の旁ら口を開きて空ある中也。完骨とは、耳の後えに鶏の足を挙げたる象(かたち)の如き起骨を完骨と云。此の骨の上廉に竅陰の穴有り。此の骨の旁ら竪の髪際の中に完骨の穴有る也。以上、睛明より完骨の穴に至るの間を以て少陽膽経の頭部を行くこと、三折の中(うち)第一折とするなり〕、
完骨の穴より又外に折れ上り〔外とは前の完骨の穴に下る者の下、髪際に近く流れて、耳上へ上るを行く所を云う〕、手の少陽の角孫の穴に過ぎり〔角孫は耳角の髪中に有り。三焦経に見えたり〕、角孫より上りて頭角の頭維の穴〔胃経の穴なり〕の旁らを行きて、本神の穴を循り〔穴は督脉の神庭穴の旁ら三寸、髪際を入ること四分にあり〕、足の太陽経の曲差穴を過ぎり、曲差より額に下りて陽白の穴に至り〔穴は直瞳子眉の上一寸にあり〕、足の太陽経の睛明穴に下り会す〔睛明は目の内眥に有り。膀胱経の本穴也。以上完骨より折れ上りて睛明に下るの間を以て少陽膽経の頭部を行くこと三折の第二折とす〕。睛明の穴より又上行して、前の陽白に下る者の外を行き〔外とは眉の後の方を云う〕、前髪際に上り、臨泣・目窓・正営・承霊・脳空・風池に下るなり〔臨泣より風池に至るの六穴前に見たり。此の一折を以て膽経頭部を流るること凡て三折とする也〕。此れ『甲乙経』等に述ぶる所の、少陽膽経に繋属(けいぞく)する空穴を以て其の経行の求めて『十四経絡発揮』に注釈する所此の如く也。
十四経絡発揮 膽経頭部三折の図
『膽経頭部三折の図』本記事では不掲載。『臓腑経絡詳解』を参照のこと。
頸(くび)を循り、手の少陽の前を行き、肩上に至り、却て手の〔『十四経絡発揮』に手の字無し〕少陽の後に交わり出て、鈌盆に入る。
此れ即ち項(くび)の風池の穴より下る者を云う。
[頸] 両耳の下の通りを頸と云。項(うなじ)の左右也。
風池の穴より頸を循りて、手の少陽三焦経の天牖穴より鈌盆に入る者の前を流れ行て、肩上の肩井の穴に至り〔穴は肩上陥中に、三指を並べて中指の當る所也〕、肩井より却て〔「経脉篇」の本旨の如くに見るときは則ちカエリテと読む。『十四経絡発揮』の意に従うときは則ちシリゾイテと當に読むべし也〕前に流れ、手の少陽三焦経の天髎より鈌盆に流る経の後えに交わり出て、俱に缺盆に入る也。
以上「経脉篇」の本旨、此の如し。
『十四経絡発揮』伯仁氏の意は然らず。風池より別れて頸を循り手の少陽の天牖の穴を過ぎりて手の少陽の脉の天牖より大椎に流るる者の前に行き、天牖より下りて肩上の肩井の穴に至り、肩井の穴より左右に相交わりて左の者は右に却(しりぞ)き、右なる者は左に却きて、手の少陽の脉の大椎により鈌盆に入る者の後えに出て督脉の大椎に会し、大椎より又左右に別れて、足の太陽経の大杼〔膀胱経の本穴〕に出て、大杼より秉風の穴に入り〔秉風の穴は手の太陽の本穴〕、秉風の穴より前に流れて、缺盆に入るとする也。
○其の支なる者は耳後從(よ)り耳中に入り、出て耳前に走り、目の鋭眥の後に至る。
此の支なる者は、耳後風池の穴より別れ出て横行し、耳中を貫き出て、耳前に走りて聴会の穴〔穴は前に見えたり〕を行(めぐ)り、聴会より客主人〔穴は前に見えたり〕を循り、目の鋭眥の後(しりえ)瞳子髎に至る。
以上は「経脉篇」の本意、此の如し。『十四経絡発揮』の意は然らず。耳の後え顳顬(しょうじゅ)〔即ち風池の穴の地也〕の間より別れ出て、耳後翳風の穴の〔三焦経の本穴〕分を過ぎり横に耳中に入り貫きて耳前に走り、手の太陽の聴宮〔小腸経の本穴〕を過ぎり、聴宮より聴会に下り、聴会より又斜めに上りて、目の鋭眥瞳子髎の分に至る〔聴会、瞳子髎は前に見えたり〕。然るときは則ち「経脉篇」の本旨は聴会・客主人の二穴は、此の支なる者に繋る。『十四経絡発揮』の如きは、聴会客主人の二穴を以て前の三折の内の第一折に繋る。且つ此れに於いて聴宮翳風の二穴を過ぎると為す者は、此の二穴を以て『甲乙経』に手足少陽の会と云うが故也。
○支なる者は鋭眥に別れ〔『十四経絡発揮』に目鋭眥に作る〕、大迎に下り、手の少陽に合し、䪼(せつ)に抵り、下て頰車に加り、頸(くび)に下り、鈌盆に合し、以て〔『十四経絡発揮』に以の字無し〕胸中に下り、膈を貫き、肝を絡い、膽に属す。
[鋭眥] 俗にいうマジリ。
[大迎] 足の陽明胃経の穴。
[手少陽] 三焦の経也。
[䪼] 目下を云。
[頰車] 胃経の穴。
[鈌盆] 又、胃経の穴也。
○此の支なる者は、目の外鋭眥・瞳子髎より別れ下りて、頤(おとがい)の後えの大迎に下り、大迎より上りて手の少陽と合して䪼(せつ)に抵り、即ち手の太陽小腸経の顴髎の穴の分に當る也。䪼(せつ)の顴髎の穴の分にして、手の少陽と合する所より、曲頰(きょくきょう・みつすい)に下りて頰車に加臨(かりん・くわわりのぞむ)し、頰車より左右の頸を挾(さしはさ)みて下り、前の風池より肩井に流るる経の前を行きて、前の鈌盆に入る者と相合し、鈌盆より又下りて胸中を循り、膈膜を貫き下りて裏(うち)肝を絡い膽に属す。
○以上「経脉篇」の本旨、此の如しは又『十四経絡発揮』の意は然らず。其の目の鋭眥に別れて鈌盆に入る者は経意と同じ。鈌盆より胸中に下るに手の厥陰の天池の穴の外を行きて、膈膜を貫き下り、期門の所にして肝を絡い〔期門は肝経の本穴。日月の上五分に有り〕、日月の分にして膽に属す〔日月は下文に見たり〕。
按するに、『甲乙経』に期門は肝の募也、日月は膽の募也と云うを以て、其の肝を絡い、膽に属するの位を示すか。凡そ臓腑陰陽の気、彼より出て此に聚(あつま)る。是を輸と云い、募と云う。其の背に在る者を名づけて輸とす〔輸と兪は同じ〕。腹に在る者を名づけて募とす。皆、臓腑の氣の聚る處也。
○ ■(月+列)裏を循り、氣街に出て毛際を繞(めぐ)る。横に髀厭(ひえん)の中に入る〔『十四経絡発揮』に氣街氣衝につくる〕。
[■(月+列)] 胠(く・わき)なり。胠は腋の下、■(月+列)の上也。腋と章門との間を■(月+列)と云う。俗にワキバラと呼ぶ。(※本記事では以下 ■(月+列)を“脇”と表記する。)
[氣街] 足の陽明胃経の本穴。一名に氣衝。
[毛際] 陰毛の生え際を云う。
[髀厭] 腰の左右帯の繋る處の高骨を捷骨(しょうこつ)と云う。其の捷骨の下、人つくばうときに腰と髀(もも)の二つに折るる横文の地を髀厭(ひえん)とす。これを髀枢(ひすう)とも云う也。
○此の支なる者は、前の膽に属する所より分かれ〔即ち日月の穴の分より別る〕下りて、脇裏を循り〔脇の裏を深く流るるが故に脇裏という。『十四経絡発揮』には此の脇裏を循るの間の足の厥陰の章門を過ぎるとす。蓋し『甲乙経』に章門は足の厥陰少陽の会と云うを以て也〕、股(もも)の付け根の動脉、氣街の穴に出、氣街より又出て陰毛の生え際を繞(めぐ)り〔陰毛の股の方の生え際を繞る〕、横に背の方へ却(しりぞ)き行くに、髀厭の中すなわち環跳の穴に入る也〔穴は髀厭の横文の頭に有り。髀厭の註は前に詳也〕。
○其の直(すぐ)なる者は鈌盆從(よ)り腋に下り、胸を循り、季脇を過り、下りて髀厭の中に合し、以て下りて髀陽を循り、膝の外廉に出づ。
[季脇] 季は末なり。脇の肋骨の終わる處を季脇と云う。即ち京門の穴の地なり。
[髀陽] 俗に云うソトモモ也。
○此の直(すぐ)に行く者は〔即ち本経也〕又、鈌盆より流れて腋に下り、胸肋を循りて淵腋の穴〔直に腋下三寸に有り〕、輒筋の穴〔淵腋と相並びて、淵腋の前一寸に有り〕を歴(へ)、輒筋より日月の穴に下り〔穴は期門の下五分にあり〕、日月より季脇を過ぎり下りて斜めに京門の穴を循り〔穴は章門の少し下の少し後え、季肋の本に有り〕、京門より帯脉・五枢・維道・居髎の四穴を循り下り〔此の四穴の間長きこと八寸三分。側脇の諸穴とす。今、骨度の寸を以てするに、季脇より髀枢まで長きこと六寸とす。六寸を以て八寸三分の穴を求るが故に、直(ただち)に取るときは居髎の穴 髀陽の骨に下りて側脇の穴とし難し。故に之を求るときは則ち一穴づつ次第に斜めに求め取る。帯脉の穴は直に章門の穴の下一寸八分。五枢の穴は帯脉の前斜めに下三寸に在り。維道の穴は五枢の前斜めに下五分に在り。居髎の穴は維道の前斜めに下三寸に在り。此の如く次第に斜めに前に下り求るときは則ち自ら側脇の穴と成る也。左に図あり。之を以て察して知るべし也。 ※本記事ではこの図は不掲載。『臓腑経絡詳解』を参照のこと。〕、居髎の穴より後え、背の方へ却きて横に髀厭の中、環跳の穴に入りて、前の髀厭に入るものと相合す〔『十四経絡発揮』の意は然らず。如何となれば上髎・中髎・長強の三穴、俱に足の少陽の会たるを以て、所謂る居髎の穴より後えに却きて脊の十七椎の左右へ横行して、足の太陽の上髎・中髎を過り、下りて督脉の尾骶骨の下、長強の穴に会し、長強より左右に別れ、又前へ流れ出て、横に髀厭の中に入りて、前の経と相合す。然れども、「経脉篇」の本旨と合わず。此れ惟だ交会の穴に由り従うて、経脉の流行を求る者欤〕。
髀厭の環跳の穴より直(ただち)に下り流れて髀陽(そともも)を行て、足の太陽の環跳より下る者の前、足の陽明の髀関の穴より下る者の後、二経の間を下行して中瀆〔膝外の横文の上五寸にあり〕、陽関〔外輔骨の上膝蓋(ひざかしら)の旁ら、筋骨の間にあり〕二穴を歴て膝の外廉に出づ〔按するに『十四経絡発揮』に膝の外廉に下る所に於いて、陽陵泉の穴に抵るとす。然ども、陽陵泉は外輔骨の尖骨の下、筋骨の間、足の太陰の陰陵泉の穴と内外に相對す。然るときは則ち下文の外輔骨の下に下ると云うの所に於いて此の穴を繋(か)くべし。此の所に於いて陽陵泉の穴繋かるべからず。恐らくは伯仁氏の知者の一失か。暫く此(ここ)に記して後学の再論を待つ。管見此の如し。〕。
○外輔骨の前に下り、直(ただち)に下りて絶骨の端に抵り、下りて外踝の前に出て、足跗上を循り、小指の次指の間に入る。
[外輔骨] 足膝の内外に突出する高骨を輔骨と云う。外に在るを外輔骨とし、内に在るを内輔骨とす。外輔骨の前とは輔骨の下を云う。
[絶骨] 外踝の上四寸ばかりにして止(とどま)る所の小骨を絶骨とす。俗に云うヤクジホネ。絶骨の端とは即ち陽輔の穴の地なり。
[足跗上] 足面を云う。俗にアシの甲と呼ぶ。
○陽関の穴より外輔骨の前に下りて陽陵泉の穴を循り〔穴は前に註す。伯仁は陽陵泉をもって前経にして註するものは誤り也。義は前に見えたり〕、陽陵泉より直(ただち)に陽交〔陽陵泉の通りに少しく前䯒骨の方に向きて、外踝上七寸に有〕、外丘〔陽交と相並びて、陽交は後に有。外丘は前の䯒骨の方にあり〕二穴に下り、外丘より光明の穴に下り〔穴は直(ただち)に陽交の通り、外踝の上五寸に在り。此の穴より別に別れて厥陰に走る者在り。「経脉篇」に曰く、足の少陽の別を名づけて光明とい曰うと。踝を去ること五寸、別れて厥陰に走り、下りて足跗を絡う云々〕、光明より斜めに少しく前䯒骨の方に向い下りて、陽輔の穴に行き〔穴は絶骨の推端(おしはずれ)内踝の上四寸。外丘の通りに有〕、陽輔より又斜めに少しく後え、踹の方に向い下りて、懸鐘の穴に行き〔穴は外踝の上三寸、陽交の通りに有り〕懸鐘より下りて、外踝の前丘墟の穴に出て〔穴は外踝の下廉の前足跗の解(かい・とけめ)中にあり〕、此れより足の跗上に下りて臨泣地五会の二穴を循り〔臨泣の穴は足の小指の次指の外間の通り、横に足の陽明の衝陽と對す。地五会の穴は足の小指と次指との間、次指の本節の後えに在り〕、地五会より、小指の次指の間俠谿の穴を歴て、小指の次指の外廉の端、竅陰の穴に入りて終わる〔俠谿の穴は小指の次指の本節の前の外間にあり。竅陰の穴は小指の次指の外廉の端、爪甲角を去ること一分にあり〕。
○其の支なる者は跗上に別れ、大指の間に入り、大指の岐骨の内を其の端に出て還(かえっ)て貫き〔『十四経絡発揮』に貫入に作る〕、爪甲を三毛に出づ。
[岐骨] 足跗の足の陽明衝陽の穴の前、大指と中指の両骨の相い分るる岐(ふたまた)なる骨を云う。
[其端] 大指の端を云う。
[三毛] 大指の爪甲の後え、俗に云う七つ毛。一には聚毛(じゅもう)と名づく。
○此の支なる者は足の跗上臨泣の穴より別れ出て、大指の方へ斜めに向かい行きて、大指と中指の間に入り、足の陽明衝陽の穴の前に行きて大指と次指の岐骨の内を循り、即ち其の大指の端に出て、還って爪甲を貫き、却りて三毛の大敦の穴に出て、足の厥陰肝経に交わり終わる。大敦は肝経に見えたり。
やはり胆経流注はボリューム満点ですね。そして胆経流注といえば、左右の交差でしょうか。
胆経といえば「維筋相交」です。しかしこれは胆の経筋のはなし。(『霊枢』経筋篇をどうぞ)「維筋相交」の言葉の通り、(左右の)経筋が相い交わる(交差する)ことを示しています。
しかし岡本一抱の文章には「肩井の穴より左右に相交わりて左の者は右に却き、右なる者は左に却きて、手の少陽の脉の大椎により鈌盆に入る者の後に出て督脉の大椎に会し、大椎より又左右に別れて、足の太陽経の大杼に出て…」とあり、左右の胆経脈が大椎において交差している様子を記しています。
この岡本氏の説は何から採用しているのかというと、滑伯仁の『十四経発揮』のようです。
そもそも『霊枢』経脉篇においては「循頸 行手少陽之前、至肩上、却交出手少陽之後、入缺盆。…」とあるのですが、滑伯仁氏の『十四経発揮』にはこの文に対して次のように註しています。
「自風池循頸、過天牖穴、行手少陽脉之前、下至肩、上循肩井、却左右相交、出手少陽之後、過大椎、大杼、秉風。当秉風前、入缺盆之外。」とあります。
滑伯仁は『十四経発揮』において、『霊枢』経脈篇記される経脈流注を基に滑氏オリジナルの説をしばしば盛り込んでいます。その是非はさておいて、どちらも頭に入れておくべき情報でしょう。
膽の腑是動所生の病症
○是れ動ずるときは則ち病、口苦く、善(このんで)大息、心脇痛みて轉側(てんそく)すること能わず。甚だしきときは則ち面(おもて)微(すこ)しく塵(あかつくこと)有りて、體に膏沢(こうたく)なし。足の外反(かえり)て熱す。是を陽厥(ようけつ)と為す。
[口苦] 膽汁を吐するが故也。
[善大息] 膽病むときは則ち木の升発の気欝して伸びず。たまたま舒(のびる)ときは大息(ためいき)す。
[心脇痛、不能轉側] 膽経は胸裏を循る。季脇に過ぐ。故に心脇痛むこと甚だしくして、身を輾転(てんてん)反側(はんそく)すること能わざる也。
[面微有塵] 膽経専(もっぱ)ら面を循る。今、少陽の木気欝し、燥金の邪乗するが故也。
[體無膏澤] 此れ又木陽の気欝して燥金の気勝つが故に形体陽光を失うて、膏沢無し。
[足外熱] 経脉皆な足の外廉を循る。且つ木病むときは則ち火の化を生じて熱す也。
[為陽厥] 木は少陽に属して陽火を生ずるの母たり。膽は木に属す故に以上の諸症は、少陽膽木の陽氣の厥逆(けつぎゃく)に生ずるを以て是を陽厥の症と為す也なり。
○是、骨を主として生ずる所の病は
膽は一身の剛果(ごうか)を主る。膽氣盛んなるときは則ち骨強し。膽気祛(よわき)ときは則ち骨弱し。故に膽は骨より生ずる所の病を主る也。
○愚按するに、足太陽膀胱経に所謂る筋を主るとは、疑うらくは此の骨の字と誤錯(あやまりまじわる)の者か。膀胱は腎の表、當に骨を主ると謂うべし。膽は肝の表、當に筋を主ると謂うべし。蓋し肝は筋を主るが故也。
○頭痛み〔『十四経絡発揮』には角と作る〕頷(おとがい)痛み、目の鋭眥痛み、鈌盆中腫れ痛み、腋下腫れ〔(『十四経絡発揮』に瘇と作る。瘇(しょう)と腫と通用す〕、馬刀俠癭(ばとうきょうえい)し〔『十四経絡発揮』に俠を挾に作る〕汗出て、振寒して瘧(ぎゃく)す。胸脇肋・髀膝の外、脛・絶骨・外踝の前及び諸節に至るまで皆な痛み、小指の次指用いられず。
[頭痛、頷痛、目鋭眥痛] 経脉、頭を循り、頷(おとがい)の頰車に加わう。目の外鋭眥、瞳子髎に起こる故に此の所皆な痛む。
[鈌盆中腫痛、腋下痛] 本経は鈌盆に入り、支なる者は缺盆に合し腋に下るが故に此の所皆な腫れる。
[馬刀俠癭] 馬刀は瘰癧(るいれき)の一名。皮膚の下に菓核(かかく)の如き者、結滞(けったい)して其の形長く、馬刀(まて)と云える蛤(かい)に似て、頸腋の間に生ずる者なり。俠癭(きょうえい)は『十四経絡発揮』に挾癭に作る者、是也。瘰癧(るいれき)の生ずる頷(おとがい)より始まりて、頸に連なり冠の纓(お)の挾む處に在る者を云う。癭は纓也。蓋し馬刀挾癭(ばとうきょうえい)の生ずる所、皆な膽経の循るに當れり。
[汗出振寒瘧] 膽は少陽の経也。少陽は半表半裏とす。故に陽勝つときは則ち汗出て、陰勝つときは則ち振寒して瘧(ぎゃく・おこり)の病す。瘧は寒熱往来して少陽の経に属す。
[胸脇肋髀膝外、脛絶骨外踝前及諸節皆痛] 肋は俗に云うアバラボネ。脛は俗に云うハギ。此れ皆な膽経の循る處。故に盡(ことごと)く痛を為す。諸節痛は何ぞや。骨節は筋を以て之を結ぶ。筋は肝膽に属す。故に諸節に至るまで皆な痛みを為す。
[小指次指不用] 足の小指の次指は、膽経の終わる所故に小指の次指倦怠(けんたい)して挙用すること能わざる也。
○盛んなる者は人迎大なること寸口に於いて一倍し、虚する者は人迎反て寸口に於いて小なり。
陽経は人迎を以て本とす。膽は少陽の経故に人迎を以て主として候(うかが)う。少陽の数は二にして今一倍する者は、膽は厥陰肝の腑たり。厥陰の数は一故に膽経に邪盛んなる者は、肝臓の厥陰に従いて人迎大なること寸口に一倍す。膽虚するときは則ち人迎反て寸口よりも衰小(すいしょう)なり。
臓腑経絡詳解 巻之四 終
胆の腑経に関する病症には、やはり胆の生理が関与しています。
「面微有塵」「體無膏澤」については、胆の升発の作用が関与し、「口苦」には胆がもつ相火の性質が関与しています。他にも「馬刀俠癭」「諸節皆痛」などの症状には、少陽としての性質を考慮すべきものがあると思われます。
鍼道五経会 足立繁久
心包絡と手厥陰心包経 ≪ 三焦腑と手少陽三焦経 ≪ 胆腑と足少陽胆経 ≫ 肝臓と足厥陰肝経