目次
『古方節義』(1771年 内島保定)の腸胃承気湯についてみてみましょう。
※『(経験)古方節義』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。
※下記文はできる限り原文引用しておりますが、ヿや𪜈などの合略仮名は現代仮名に変換しています。
書き下し文・小承気湯
『古方節義』 小承気湯
陽明病、脉遅、汗出ると雖も、悪寒する者、その身必ず重く短氣し腹満して喘ずる。潮熱ある者は、此れ外は解せんと欲す。裏を攻むべき也。手足濈然として汗出る者は、此れ大便已に鞕し也。大承氣湯これを主る。若し汗多く微発熱悪寒する者、外は未だ解せざる也。潮せざれば未だ承氣湯を与うべからず。若し腹大いに満ちて通ぜざる者には、小承氣湯を与うべし。微しく胃氣を和せよ。大いに泄下せしむること勿れ。
大黄(四両) 厚朴(二両) 枳実(三枚)
右(上記)三味、水四升を以て、煮て一升二合を取りて滓を去る、分ち温めて二服す。初め湯を服して、当に更衣すべし。爾(しか)らざる者は、尽くこれを飲むべし。若し更衣する者はこれを服すること勿れ。
傷寒、陽明に伝えて脉遅、汗出ると云ども悪寒せず。此れ外証解せんと欲す。
脉実ならざる者は攻下すべからず。若しその人の身重く熱を困(くるし)み、短氣にして喘するものは熱上に塞がるなり。腹満ちて潮熱するものは此れ熱が中に聚るなり。又、手足濈然として汗出て大便通ぜざる者は熱が下に結ぼるなり。此れ外邪已に解して内実已に成るものなり。故に大承氣湯を以て攻下すべし。
若し亦汗出て少しにても発熱悪寒あるものは、此れ外未だ解せざるなり。その上、潮熱せざる者は裏未だ実せず、承氣を与うべからず。
潮熱と云うは、昼八つ時より暮れ過ぎの間に、潮のさす如く日に一度ずつ(熱が)出るを云う。日に二度も熱出るは発熱にて表熱とす。潮熱は裏熱なり(下線①)。故に腹大に満ちて通ぜず。そこで少しく小承氣湯を用いて、胃氣を和すべし。
大承氣湯などを用いて、大いに攻下すべからず。此れは初めに脈遅とある故、下すといえども小承氣湯を以て下して胃氣を和せよとなり(下線②)。
傷寒論中に、陽明の病、必ず潮熱し大便難くして通ぜざる者は承氣湯を与うべし。若し大便鞕からざるものに与うべからずと云う。此れ潮熱ありと云えども、その大便の鞕きを試みて、大承氣湯を与うべし。潮熱ばかりにては大承氣湯は用いられず。
然れども又、大便不通計(ばかり)にても、大承氣湯与えられず。
大便通ぜざること六七日にして、そこで燥屎あることを知るべし。
此れを知んと欲する時は先ず小承氣湯を与えて、転失氣する者は此れ燥屎あるを知る。此の時、大承氣湯を用いて攻下すべし。
小承氣湯を与えて転失氣せざる者は、此れ胃の氣虚す故に、初め大便鞕と云えども、後に必溏(くだ)るもの也。此れを攻むべからず。此れを攻むる時は胃の氣愈(いよいよ)虚して脹満して不食するようになるものなり。或いは噦するようにもなるものなり。
只、大便の鞕くして通じ難き者は、津液渇きて水穀減ずる故に通ぜざるあり。此の時は小承氣湯を与えて和すべしと云へり。
後人、小承氣湯は攻下の剤と計(ばかり)に覚えるは麁(粗・あら)きこと也。
仲景の和すると云うを見るべし。下して後、再び大便結せんとするものは小承氣湯を用いて和すべしと云へり。
又、大承氣湯を用いんと欲せば、先ず小承氣湯を用いて試よとあるを能く見るべし。下すと云えども先ず指扣(さしひかえ)て試むる也。
後世、妄りに攻下すべからざることを示せり。
又、論中に「陽明の病、譫語、潮熱を発し脉滑にして疾なる者、小承氣湯を用ゆ」(214条文)と云えり。
是は脉を以て譫語の虚実を弁ずるものなり。陽明の譫語にも虚あり実あり。若し潮熱を発して脉滑にして疾、大便通ぜざる者は、此れ陽明の証なり。小承氣湯を用ゆべし。其の上、腹中の転失氣を候いて其の虚実を弁して後、与うべきか、与うべからざるかを見るべし。
若し大便通ぜずと云えども、脉滑疾ならず、反って微濇なる者は、微は氣衰え、濇は血少きものなり。此れ裏虚して邪盛んに正氣衰うるもの。此れは難治の証とす。妄りに承氣湯を与うべからず。
又、論中に「汗多、譫語するものは小承氣湯を与えて下すべし」(213条文)と云うものは、汗多き時は津液外に出て、胃乾燥して胃実の証となる故に下すべしと云う。されども其の人汗出ること多き時は、汗液外に耗(へる)故に大承氣湯を用いずして、小承氣湯を用いて其の胃を和すべし。すれば譫語自ら止むものなり。若し剤を過せば、復た津液を傷るゆえ後服を止(とど)むと云うなり。
又、金匱に「下利譫語者、有燥屎也。宜小承氣湯」(嘔吐噦下利病編)と云う。是れ下利は裏虚なり。若し脉大にあれば、裏急を兼ねるものなり。必ず宿食あり。其の下るもの、粘りて甚だ臭きものなり。其の上、手を以て臍腹を按(おさ)えて見るに、堅くして痛むは此れ燥屎あり。小承氣湯を用いて下すこと疑いなし。只、譫語ばかりにて燥屎の目的(めあて)なくしては用い難し。
されども傷寒時疫の証に、下利して譫語するもの小承氣湯を用うること毎々あり。能く察して考え用うべし。
按するに、傷寒の邪、已に陽明に伝うる時は少しも悪寒なく、潮熱譫語し、手足脇下濈然として汗出でて、腹満して痛み、大便通ぜず、舌黄色甚れば、則ち焦胎黒胎となる。脉沈実、或は沈数を見(あら)わす。此の時に於て、大小の承氣湯、或は調胃承氣湯を用いて邪熱を下すなり。右三方に於いて各々差別あり。
陶節庵が云う、痞・満・燥・実・堅の五証備はるものは大承氣湯を用い、
痞・満・実の三証あって燥・堅の二証なきものには芒硝を去って小承氣湯を用う。芒硝を去るは、下焦血分眞陰を傷らんことを恐る。
燥・実・堅の三証あって痞満の二証なきものには、枳実・厚朴を去りて甘草を加え、調胃承氣湯を用うるなり。枳実・厚朴を去るものは、上焦の元氣を傷らんことを恐るるなりと云う。
汪訒庵が『医方集解』に此れを詳らかにして云う、痞は胸悶不食するなり。満は胸腹膨とふくれて脹るを云う也。燥は煩渇して大便燥く也。実は腹満痛みて大便せざる也。堅は腹を按じて硬き也。訒庵が此の論、甚だ詳らかにして、
呉昆の『名医方考』、徐春甫が『古今医統』、その外、先輩皆なこれに従う。
然るに仲景の本意を考るに、陶節庵が説は非なり。
凡て右(上)に述ぶる処の陽明の症あって、その病軽く甚しからざる者には小承氣湯を与え、重く甚しき者には大承氣湯を与う。邪熱太陽より来りて中焦胃に入りて結定せんと欲するものに、その結定を俟(ま)ちて、調胃承氣湯を用う(下線③)。
大黄・芒硝は実を泄らし、熱を消し、燥を潤し、堅きを耎にする也。
甘草を用いて薬性を緩くし、胃中に薬を暫く留め邪熱をつれてソロソロと下行せしむる也。甘草が無れば薬性急に下りて熱胃中に残る。惣じて甘草は、下る薬に加れば、急に下らず。寒薬に加うれば寒性ゆるくなり、熱薬に加うれば熱勢ゆるくなる。何に加えても此の合点なり。此れ則ち仲景の本意、三承氣湯の分別也。
扨(さて)先ず小承氣湯は、潮熱出でて、脉沈実沈数にして有力、心下鞕按して痛み、眠ることを得ず、小便多し。或いは譫語、下利、口渇、舌黄胎、腹満して痛み甚しからず。発狂、煩躁、悶乱等の症なく、小熱・小実の症に用うと知るべし。
仲景、小承氣を下すと云はず、和すると云うを能々考え見るべし。
又この湯、傷寒の外、食傷、腹満、硬痛、或いは痢疾熱去りて後、裏急後重の止まざるもの、此れを用いて甚だ験あり。
尚(なお)本論、承氣湯の條下を考えみるべし。必ず謬まること勿れ。
表熱と裏熱の鑑別とその重要性
下線部①「潮熱と云うは、昼八つ時より暮れ過ぎの間に、潮のさす如く日に一度ずつ熱が出るを云う。日に二度も熱出るは発熱にて表熱とす。潮熱は裏熱なり。」
ここでいう潮熱とは『傷寒論』にある日晡所潮熱のことでしょう。日晡所潮熱とは、日晡の時間帯に起こる潮熱とのこと。そして日晡とは一般的には午後03-05時といわれています。
『古方節義』本文では、「昼八つから暮れ過ぎ」と時間指定しており、昼八つ(14時)とは未~申の刻に相当し、そこから暮れ過ぎとなると、酉の刻になりましょうか。この時間帯に決まって一度、熱を発することを潮熱と明示しています。
それに対して、日に二度三度と複数回発熱する熱型は、潮熱ではないと明言しています。これも陽明病が何処に根ざしているのか?を理解していると分かる潮熱の定義ですね。
そして表熱と裏熱の違うということは、治法がまるっきり変わることを意味します。表熱と裏熱の鑑別は重要であるということです。
小承氣湯を以て胃氣を和するということ
下線部②「初めに脈遅とある故、下すといえども小承氣湯を以て下して胃氣を和せよとなり」も重要な文です。この文は陽明病編208条文(本章、小承氣湯の条文は208条文を採っている)の解説でもあります。
208条文も一応下に引用しておきましょう。
条文208)
陽明病、脉遲、雖汗出不惡寒者、其身必重、短氣腹滿而喘、有潮熱者、此外欲觧、可攻裏也。手足濈然汗出者、此大便已鞕也。大承氣湯主之。
若汗多、微發熱、惡寒者、外未觧也(一法、與桂枝湯)。其熱不潮、未可與承氣湯。若腹大滿不通者、與小承氣湯。微和胃氣。勿令至大泄下。大承氣湯。
「陽明病、脉遅、汗出ると雖も、悪寒する者、その身必ず重く短氣し腹満して喘ずる。潮熱ある者は、此れ外は解せんと欲す。裏を攻むべき也。手足濈然として汗出る者は、此れ大便已に鞕し也。大承氣湯これを主る。若し汗多く微発熱悪寒する者、外は未だ解せざる也。潮せざれば未だ承氣湯を与うべからず。若し腹大いに満ちて通ぜざる者には、小承氣湯を与うべし。微しく胃氣を和せよ。大いに泄下せしむること勿れ。」
この208条文において内島先生は「遅脈」という脈証を目安にして、攻下ではなく和胃せよ、と主張しているようです。『傷寒論』中では小承氣湯を以て胃氣を和することを記す条文は208条文の他にも、209、250、251条文にあります。
大承氣湯のような強い攻下剤ではなく、一等弱い小承氣湯によって胃腑を通じさせることで胃氣が和するという生理学を我々は再認識する必要があります。
遅脈が示すのは寒証のみにあらず
遅脈についても少し触れておきましょう。
遅脈は『傷寒論』では太陽病編では条文134、143)、陽明病編では条文195、208、225、234に登場します。遅脈といえば、一般的(?)には寒証として認識されていますが、少なくともこの208条文(上記条文のいくつかも)単純に遅脈=寒証として読むべきではありません。
中島先生は、文脈から察するに「大承氣湯のような強い攻下剤を使うレベルではないほどの陽明腑実証」として解しているようにも読めます。
しかし『傷寒論』条文をそのままに読むと、208条文の「遅脈」はやはり「大承氣湯主之」に繋がっているように思えます。となると、この「遅脈」は“より一層深い or 強い腑実証に陥った脈証”として解釈すべきでしょう。この理解は、中莖先生の脈書に通ずると考えます。
三承氣湯の鑑別
内島先生のいう三承氣湯の鑑別も目を通しておくべきでしょう。
下線部③「その病軽く甚しからざる者には小承氣湯を与え、重く甚しき者には大承氣湯を与う。邪熱太陽より来りて中焦胃に入りて結定せんと欲するものに、その結定を俟(ま)ちて、調胃承氣湯を用う」
下線部③には大承氣湯・小承氣湯・調胃承気湯の病態鑑別を説いています。文意からは、大小承氣湯の違いは病勢の軽重、調胃承気湯は病伝の違いにある、と見受けられます。
なんだか分かるような分からないような文章です。しかし、構成生薬を考えると『なるほど』と思うところがあります。
大承氣湯と小承氣湯の違いは芒硝にあります。ここには病勢の軽重がかかってきます。
そして調胃承気湯と大小承氣湯との大きな違いは甘草の有無にあります。調胃承気湯における甘草の役割りは「薬性を緩くし、胃中に薬を暫く留め邪熱をつれてソロソロと下行せしむる也。甘草が無れば薬性急に下りて熱胃中に残る。」にあります。
内島氏の説く調胃承氣湯証は「太陽病位から病伝してきた陽明腑実証」であるうため、熱化し燥屎を形成する時間差や熱量などを考慮すると「その結定を俟ち」という表現になるのでしょう。
このように三承氣湯の各証の違いを理解することも一つでしょう。
鍼道五経会 足立繁久
原文 『古方節義』小承氣湯
■原文 『古方節義』小承氣湯
小承氣湯 陽明病脉遲雖汗出不惡寒者、其身必重短氣腹滿而喘有潮熱者、此外欲解可攻裏也。手足濈然而汗出者、此大便已鞕也。大承氣湯主之。若汗多微發熱惡寒者、外未解也。不潮未可與承氣湯。若腹大滿不通者、可與小承氣湯。微和胃氣勿令大泄下。
大黄(四两) 厚朴(二两) 枳實(三枚)
右三味、以水四升、煮取一升二合去滓、分温二服。初服湯、當更衣不爾者、尽飲之。若更衣者勿服之。
傷寒陽明に傳えて脉遲、汗出ると云へ𪜈惡寒せず。此外証解せんと欲す。脉實ならざる者は攻下すべからず。若其人身重く熱を困、短氣にして喘するものは熱上に塞るなり。腹滿て潮熱するものは此熱中に聚るなり。又手足濈然と乄汗出て大便不通者熱下に結るなり。此外邪已に解乄内實已に成るものなり。故に大承氣湯を以攻下すべし。若亦汗出て少にても發熱惡寒あるものは此外未だ解せざるなり。其上潮熱せざる者は裏未だ實せず、承氣を與ふべからず。潮熱と云は、昼八つ時より暮過の間に潮のさす如く日に一度つヽ出るを云。日に二度も熱出るは發熱にて表熱とす。潮熱は裏熱なり。故に腹大に滿て不通。そこで少く小承氣湯を用ひて胃氣を和すべし。大承氣湯などを用ひて大に攻下すべからず。此は初に脈遲とあるゆえ下すといへ𪜈先小承氣湯を以て下して胃氣を和せよとなり。傷寒論中に陽明の病、必潮熱し大便難く乄不通者は承氣湯を與ふべし。若大便不鞕ものに與ふべからずと云。此潮熱ありと云へ𪜈、其大便の鞕を試て大承氣湯を與ふべし。潮熱ばかりにては大承氣湯は用ひられず。然れ𪜈又大便不通計にても大承氣湯與えられず。大便不通ヿ六七日に乄そこで燥屎あるヿを知るべし。此を知んと欲する時は先小承氣湯を與えて、轉失氣するものは此燥屎あるを知る。此時、大承氣湯を用ひて攻下すべし。小承氣湯を與えて不轉失氣者、此胃の氣虚す故に初め大便鞕と云へ𪜈、後必溏るもの也。此を攻むべからず。此を攻る時は胃の氣愈虚乄脹滿乄不食するやうになるものなり。或は噦するやうにもなるものなり。只大便の鞕乄通し難きものは津液渇て水穀減するゆえに通ぜざるあり。此時は小承氣湯を與えて和すべしと云へり。
後人、小承氣湯は攻下の劑と計覺るは麁きヿ也。仲景の和すると云を見るべし。下して後再び大便結せんとするものは小承氣湯を用ひて和すべしと云へり。又、大承氣湯を用ひんと欲せは先小承氣湯を用ひて試よとあるを能見るべし。下すと云へ𪜈先指扣て試る也。後世妄りに攻下べからさるヿを示せり。又、論中に陽明の病、譫語潮熱を發し脉滑に乄疾者、小承氣湯を用ゆと云へり。是は脉を以て譫語の虚實を辨ずるものなり。陽明の譫語にも虚あり實あり。若潮熱を發乄脉滑に乄疾、大便不通者、此陽明の證なり。小承氣湯を用ゆべし。其上腹中の轉失氣を候ふて其虚實を辨して後與ふべき歟、與ふべからざる歟を見るべし。若し大便通ぜずと云へ𪜈、脉滑疾ならず、反て微濇なる者は微は氣衰え濇は血少きものなり。此裏虚乄邪盛に正氣衰ふるもの。此は難治の証とす。𡚶りに承氣湯を與ふべからず。
又、論中に汗多譫語するものは小承氣湯を與へて下すへしと云ものは汗多時は津液外に出て胃乾燥乄胃實の証となる故に可下と云。され𪜈其人汗出るヿ多き時は汗液外に耗故に大承氣湯を不用乄小承氣湯を用ひて其胃を和すべし。すれば譫語自ら止ものなり。若劑を過せば復津液を傷るゆえ後服を止と云なり。
又、金匱に下利譫語者、有燥屎也。宜小承氣湯と云。是下利は裏虚なり。若脉大にあれは裏急を兼るものなり。必宿食あり。其下るもの粘りて甚臭きものなり。其上、手を以臍腹を按えて見るに堅く乄痛むは此燥屎あり。小承氣湯を用ひて下すヿ疑ひなし。只譫語ばかりにて燥屎の目的なく乄は用ひ難し。されども傷寒時疫の証、下利乄譫語するもの小承氣湯を用ゆること毎々あり。能察して可考用。
按するに傷寒邪已に陽明に傳る時は少も惡寒なく、潮熱譫語し、手足脇下濈然と乄汗出腹滿して痛み大便不通、舌黄色甚、則焦胎黒胎となる。脉沉實、或は沉數を見はす。此時に於て大小の承氣湯、或は調胃承氣湯を用ひて邪熱を下すなり。右三方に於て各差別あり。陶節庵云、痞滿燥實堅の五証備はるものは大承氣湯を用ひ痞滿實の三証あって燥堅の二証なきものには芒硝を去て小承氣湯を用ゆ。芒硝を去は下焦血分眞陰を傷んヿを恐る。燥實堅の三証あって痞滿の二証なきものには、枳實厚朴を去て甘艸を加へ調胃承氣湯を用るなり。枳實厚朴を去ものは上焦の元氣を傷らんヿを恐るヽなりと云。
汪訒庵、醫方集解に此を詳に乄云、痞は胸悶不食するなり。滿は胸腹膨とふくれて脹るを云也。燥は煩渇乄大便燥く也。實は腹滿痛て大便せざる也。堅は腹を按て硬也。訒庵が此論甚詳に乄、呉昆、名醫方考。徐春甫が古今醫統。其外先輩皆從之。然るに、仲景の本意を考るに陶節庵が説非也。凡て右述る処の陽明の症あって其病輕く甚しからざる者には小承氣湯を與え重く甚しき者には大承氣湯を與ふ。邪熱太陽より來て中焦胃に入て結定せんと欲するものに其結定を俟て、調胃承氣湯を用ゆ。大黄芒硝は實を泄し、熱を消し、燥を潤し、堅きを耎にする也。甘艸を用て藥性を緩くし、胃中に藥を暫く留め邪熱をつれてそろ〱と下行せしむる也。甘艸無れば藥性急に下りて熱胃中に殘る。惣乄甘艸は下る藥に加れは急に不下、寒藥に加ふれは寒性ゆるくなり、熱藥に加ふれは熱勢ゆるくなる。何に加へても此合点なり。此則仲景の本意、三承氣湯の分別也。
扨先小承氣湯は潮熱出て脉沉實沈數に乄有力心下鞕按して痛、不得眠、小便多、或譫語下利口渇舌黄胎腹滿乄痛甚しからず。發狂煩躁悶亂等の症なく小熱小實の症に用ゆと知へし。仲景小承氣を下すと云はず、和すると云を能考え見るべし。
又此湯、傷寒の外、食傷腹滿硬痛、或痢疾熱去て後裏急後重不止もの、此を用ひて甚驗あり。尚本論承氣湯の條下を考えみるべし。必謬るヿ勿れ。