『奇経八脈攷』その4 二維為病について

陰陽維脈の病

前回まで陰維脈・陽維脈の性質や特徴について学びました。陽維は衛分を上行し、陰維は営分を上行する。以前の記事で陰陽維脈は謎めいた存在だ(『謎めいた存在、維脈』)といった趣旨のことを書いたことがあります。
今回もミステリアスな維脈の魅力が深まることだろうと思います。

※『奇経八脈攷』(『重刊本草綱目』内に収録)京都大学付属図書館より引用させていただきました
※下記の黄色枠部分が『奇経八脈攷』の書き下し文、記事末青枠内に原文を引用しています。

書き下し文・二維為病

越人曰く、陽維陰維なる者、身を維絡す。溢畜すれば諸経に還流灌漑すること能わざる者也。故に陽維は諸陽の会に起き、陰維は諸陰の交に起きる①
陽維は陽に於いて維し、陰維は陰に於いて維す。陰陽自ら相い維すること能わざるときは、則ち悵然として志を失い、溶溶として自ら収持すること能わず②
又曰く、陽維は病寒熱に苦しむを為し、陰維は病心痛を苦しむと為す。(溶溶とは、緩慢なる貌)

張潔古曰く、衛は陽と為し、表を主る。陽維が邪を受けば病在表を為す、故に寒熱に苦しむ。
營は陰と為し、裏を主る、陰維が邪を受けば病在裏と為す、故に心痛を苦しむ。
陰陽相い維するときは、則ち營衛和諧す。營衛諧せざれば、則ち悵然として志を失い、自ら収持すること能わず矣。何を以て之を知る?

仲景云う、病常に自汗するは、是(これ)衛氣と營氣と和せざる也、宜しく桂枝湯之を和すべし。
又云く、桂枝を服して反って煩し解せざるには、先ず風池風府を刺して、却って桂枝湯を与う。此の二穴は、乃ち陽維の会也。
謂く桂枝の後も、尚(なお)自汗発熱悪寒するは、其の脈寸浮尺弱、而して反って煩するは、病 陽維に在ると為す、故に先ず此れら二穴に鍼する。
仲景又云う、藏に他病無く、時に発熱し自汗出て而して愈えず、此れ衛氣不和也。桂枝湯これを主る。
又曰く、陰維の病 心痛に苦しむを為す、治は三陰の交に在り、太陰の證は則ち理中湯、少陰の證は則ち四逆湯、厥陰の證は則ち当帰四逆湯、呉茱萸湯これを主る。

李瀕湖曰く、陽維の脈、手足三陽と相い維す、而して足太陽少陽、則ち始終相い連り附く者、寒熱の證、惟だ二経これ有り、故に陽維の病 寒熱に苦しむことを為す。蓋し衛氣は昼に衛に於いて行き、夜には陰に於いて行く。陰虚するときは則ち内熱し、陽虚するときは則ち外寒す。
邪氣の経に在るは、内、陰と争い而して悪寒す。外、陽と争い而して発熱す。則ち寒熱の表に在りて太陽證を兼ねる者は、汗有れば當に桂枝を用うべし、無汗なれば當に麻黄を用うべし。寒熱の半表半裏にして少陽證を兼ねる者は、當に小柴胡加減を用いて之を治すべし。
若し夫れ營衛惵卑し、而して寒熱を病む者は、黄耆建中及び八物湯の類これを主る。
潔古、獨り桂枝一證を以て之(これ)陽維に属するは、未だ擴充せざる似る。至於陰維に於いて病、心痛を主ると為るを、潔古、獨り三陰温裏の薬を以て之を治する、則ち寒、三陰に中る者の宜しき矣。而して三陰熱厥して痛を作するは、未だ備わざるに似る矣。
蓋し陰維の脈、三陰に交わり而して行くと雖も、実に任脈と同帰す。故に心痛多くは少陰 厥陰 任脈の氣上衝するに属し而して然り。
暴痛而して無熱、久痛して無寒、之を按じて少しく止む者は虚と為し、按じ近づくこと不可なる者は実と為す。
凡そ寒痛して、少陰及び任脈を兼ねる者は、四逆湯。厥陰を兼ねる者は、当帰四逆湯。太陰を兼ねる者は、理中湯之を主る。
凡そ熱痛して、少陰及び任脈を兼ねる者は、金鈴散、延胡索散。厥陰を兼ねる者、失笑散。太陰を兼ねる者は、承気湯之を主る。(※太陰證に承気湯を用いるのは誤治に見えるが、奇経の特性を考えると誤りではない)
若し營血内傷して、夫の任衝手厥陰を兼ねる者は、則ち四物湯、養營湯、妙香散の類に宜し。
病に因りて之を薬す、此の如くなるときは則ち陰陽虚実、庶ば乎其れ不差矣。

王叔和の脈経に曰く、寸口脈、少陰従(よ)り斜めに太陽に至るは、是れ陽維脈也。
動(ややもすれば)肌肉痺癢、皮膚痛み、下部不仁、汗出而して寒するを苦しむ。又、顛仆、羊鳴、手足相引に苦しみ、甚しき者は音を失い言うこと能わず。宜しく客主人〔耳前の起骨上廉に在り、口を開いて空有り、乃ち手足少陽、陽明の会〕を取るべし。
又曰く、寸口脈、少陽従(よ)り斜めに厥陰に至る、是れ陰維脈也。動(ややもすれば)癲癇僵仆、羊鳴に苦しむ。又、僵仆、失音、肌肉痺癢、時に應じて自ら汗出を発し、悪風、身洗洗然たるを苦しむ也。陽白、金門〔前に見えたり〕、僕参〔陽蹻に見えたり〕を取る。
瀕湖曰く、王叔和は癲癇を以て陰維、陽維に属し、霊枢経は癲癇を以て陰蹻陽蹻に属する。二説の義は異りて旨は同じ。
蓋し陽維は外踝由り而して上る、陽分を循り而して肩肘に至る、耳額を歴て而して終わる、衛分、諸陽の会に於いて行る。
陰維は内踝由り而して上る、陰分を循り而して脇に上り咽に至る、營分に於いて諸陰の交に行く。
陽蹻は跟中に起き、外踝を循り股外に上行し、脇肋肩體に至り、一身の左右に行り、而して目内眥に終わる。
陰蹻は跟中に起き、内踝を循り股内・陰器?に上行し、一身の左右に行り、咽喉に至り、任脈に会して、而して目内眥に終わる。
邪、陰維陰蹻に在るときは則ち癲を発す。邪、陽維陽蹻に在るときは則ち癇を発する。
癇は動にして陽に属す、陽脈之を主る。癲静にして陰に属す、陰脈之を主る。
大抵、二疾は當に之を四脈の穴に取るべし、其の陰陽を分かちて而して已む。
王叔和曰く、陽維脈の浮なる者を診し得て、暫く起目眩、陽盛んに実する者は、肩息し、洒洒して寒するが如くに苦しむ。
陰維脈の沈大而して実なるを診し得る者は、胸中痛、脇下支満、心痛に苦しむ。其脈の貫珠の如くなる者は、男子は両脇下実し、腰中痛む。女子は陰中痛むこと、瘡状の有るが如し。
素問 腰痛論に曰く、陽維の脈、人をして腰痛せしめ、痛み上怫然腫。陽維の脈を刺すは、太陽と合腨の間、地を去ること一尺。

王啓玄の曰く、陽維は陽に於いて起こる、則ち太陽の生ずる所。並び行き上りて腨下に至る、復た太陽と合して上る也。地を去ること一尺、乃ち承山穴也。鋭腨腸下に在り、分肉の間陥中。七分刺すべし。
肉里の脈、人をして腰痛せしむ、以って欬すること不可。欬するときは則ち筋縮急す。肉里の脈を刺すは、二痏と為す、太陽の外、少陽絶骨の後に在り。
王啓玄の曰く、肉里の脈、少陽の生ずる所、陽維の脈氣の発する所。絶骨の後、陽維の過ぎる所、分肉の穴也。足外踝の直上絶骨の端に在り、如後二分筋肉分間、刺すこと五分なる可し。
飛陽の脈、人をして腰痛せしむ、痛むこと拂拂然、甚しきときは則ち悲以恐。
啓玄曰く、此れ陰維の脈也。内踝を去ること上五寸腨分中、少陰経に並びて上る也。
飛陽の脈を刺す、内踝の上五寸に在り、少陰の前、與陰維の会、築賓穴也。甲乙経に云う、太陽の絡、別れて少陰に走る者、名を飛陽と曰う。

維脈の為す病…その前に

もう一度、陽維と陰維の起きる所、発する所、そして郄を比較・整理しておきましょう。

陽維起於諸陽之會、其脉発於足太陽金門穴…。上外踝七寸會足少陽於陽交、為陽維之郄。

陰維起於諸陰之交、其脉発於足少陰築賓穴、為陰維之郄。

この文から、維脈における“起”と“発”はその所を異にすることが分かります。

素直に読むと、陽維は金門穴に発しますが、陽維の起きる所は金門とは別にあると書かれています。
陰維もまた同様に諸陰の交に起こりますが、郄門に発し、ここを郄としています。

陰維では発と郄を同じ穴処(築賓)としています。
郄とは“隙間”であり、岡本一抱氏が言うには「郄とは血氣の深く陂(たまる)所の名なり。」(『陽蹻脈 経穴密語集より』にて)と注しています。
すなわち血気の深くたまる隙間である故、陰の維脈ではその郄と発は同じくしても、さほど違和感は感じません。深い(陰)層から発する維脈ということです。対する陽維は陽を維絡する脈ですので、陽から発し、郄(深い隙間)は別の穴処(陽交)にある…と、私は解釈します。

まだまだほじくり返しましょう。

転じて相い灌漑するということ

下線部①の文は多くの場合「越人曰く、陽維陰維なる者、身を維絡す。溢畜すれば諸経に環流灌漑すること能わざる者也。故に陽維は諸陽の会に起き、陰維は諸陰の交に起きる。(陽維陰維者、維絡於身、溢畜不能環流灌漑諸経者也。故陽維起於諸陽之會、陰維起於諸陰之交)」という表現は実に興味深く感じます。

通常は諸経に氣が溢れてしまうと、正常に周流することはできません。ましてや諸経各経に氣血を送り諸器官を養うことは不可能となります。昨今の災害級の豪雨を思い起こせば理解が早いでしょう。『奇経八脈攷』の総説にある「天雨降下、溝渠溢満、霶霈妄行」という言葉がまさにそれです。

…ここまでが下線部①の前半文です。

この文の後に「故に」という言葉があります。以下の文にて“維脈の起こる部位の説明”が続くのですが、即ち維脈の機能や特性を示していると考察できます。

「諸経に氣が溢れかえった場合、正常な経の運行が不能となる。だから陽維陰維は陰陽の交会に起こるのだ」
要約すると、このような文意になります。

つまり陰陽維脈は諸経で受け止めきれない程の「流溢の氣」を処理する機能を持っているということを強調していると考えられます。

冒頭「奇経八脈・総説」では「…その流溢の氣は奇経に入り“転じて相い灌漑”し、内は藏府を温め、外は腠理を濡す。」と奇経全体の機能として「転相灌漑」を提示していました。
しかし難経二十八難に遡れば、転相灌漑のはたらきは陰陽維脈がより積極的に行うものとして強調されているようです。

これにより少し陰陽維脈の姿が見えてきました。

諸陽諸陰の交会に起きるということ

「故に陽維は諸陽の会に起き、陰維は諸陰の交に起きる。」という表現をもう一度みてみましょう。

上記の触れましたが「故に」という語句が大きな意味を為すと思うのですが、全体を意訳すると「転じて相い灌漑することができる脈である故に、陰維は諸陰の交に、陽維は諸陽の会に起こる」と読むことができます。

さらに表現を変えてみますと…
諸陰の交・諸陽の会は陰陽維脈の起点として記されていますが、転相灌漑するための機能点としても存在すると読み取れるのではないでしょうか。
そしてその機能点こそが李時珍が挙げた32穴(滑伯仁は24穴)があるのではないでしょうか?

滑伯仁の説
〔金門・陽交・臑腧・天髎・肩井(5×2)、陽白・本神・臨泣・正營・脳空・風池(6×2)、風府・瘂門(2)〕
計24穴李時珍の説
〔金門・陽交・居髎・臂臑・臑会・天髎・肩井・臑兪(8×2)風池・脳空・承霊・正營・目窓・臨泣・陽白・本神(8×2)〕督脈を外している
計32穴

李時珍と、攖寧生こと滑伯仁の陽維脈観は以上の通り、どうも違いがあるようですが、ここでは触れずに先に進みます。

また「諸陽の会」「諸陰の交」についてですが、両者を「諸陰諸陽の交会」と言い換えることも可能だと思います。(※『霊枢』邪氣藏府病形第四には「歧伯曰諸陽之㑹、皆在于面。」とあるが、ここではこの概念は不採用とします。)

では諸陽諸陰の交会は人体にはどれくらいあるでしょうか?
記事『諸陰諸陽の交会について』にて各鍼灸書に記される交会穴についてピックアップしました。これらの交会穴と上記の陽維32穴とを比較すると、両者は全くの一致をみせるわけではありませんが、起点と機能点としての差としてみることも可能であると思います。

まとめますと「維脈は線ではない」との仮説を『奇経八脈攷 その2 -陰維・陽維はルートではない-』にて述べましたが、その根拠の一つとして広範囲に及ぶ複数の諸陽諸陰の交会穴を提示した次第であります。ここから陽維は衛氣衛分を担当し、陰維は営氣営分を担当するという性質を考慮に入れて、さらに陰陽維脈を理解すべきでしょう。

維脈為病が伝えること

「悵然として志を失い、溶溶として自ら収持すること能わず(悵然失志、溶溶不能自収持)」という病症の指摘があります(下線部②)。

これまで今一つ理解納得できなかったのが、この病症でした。
コレはかなり重篤な状態です。文字だけを表面的にみても精神に異常をきたしていることがわかります。
身体的な所見としての「不能自収持」この言葉は難経十四難の四損の病としても記載されています。

維脈を病むということはこれ程にシビアなことなのか?
いや、陰陽維脈の存在が重要なのでは?
…と、いろいろ考えました。

陽維は陽を為し表を主るため、陽維が病めば寒熱に苦しむ。これは分かります。
陰維は陰を為し裏を主るため、陰維が病めば心痛に苦しむ。これもまぁ分かります(難経六十難にも近いことが書かれていますし、李時珍は六経病、張仲景の医学でもって解説しています)。

そして上記症状「悵然失志、溶溶不能自収持」です。
これにはどう理解しようか、思案していました。
しかし奇経を見直し、維脈の機能を考えていくと分かるような気もしてきました。

まず本文には「陰陽自ら相い維すること能わざるとき(陰陽不能自相維)」に上記症状が起こる、と書かれています。
簡単に言い換えると衛分と営分の交流に支障をきたすと、このような症状に至るということです。
もちろん軽度の陰陽栄衛不和もあります。(※)
しかし本文では、衛氣と営氣の心身を含めた陰陽の交流・安定・維持に障碍が起こるとこのような状態になることを示唆しています。営衛和諧、そして営衛不和にも複数の段階があるということでしょう。

しかし…衛氣と営氣の交流がここまで阻害されることってあるのでしょうか?
一つの可能性として人為的に起こした衛氣と営氣の偏差と障碍があるのではないでしょうか。
このように見ていくと、奇経全体の機能や病症が見えてきそうな気がします。

「失志、不能自収持」といった病症については、後代の張元素や李時珍は意外と触れていません。
「癲癇」や「悲以恐(素問)」といった症候名が挙げていますが、本質的には前症と同質のものだと思われます。が、これについても詳しい病理は説かれていない点も残念でもあり、興味が尽きない点でもあります。

※軽度の営衛不和としては、桂枝湯証を一例として挙げることができる

53)病常自汗出者、此為榮氣和。榮氣和者、外不諧、以衛氣不共榮氣諧和故爾。
以榮行脉中、衛行脉外。復発其汗、榮衛和則愈。宜桂枝湯。

『傷寒論』太陽病中編より

 

 

鍼道五経会 足立繁久

■原文

二維為病

越人曰、陽維陰維者、維絡於身、溢畜不能環流灌漑諸経者也。故陽維起於諸陽之會、陰維起於諸陰之交。
陽維維於陽、陰維維於陰、陰陽不能自相維、則悵然失志、溶溶不能自収持。又曰、陽維為病苦寒熱、陰維為病苦心痛。 (溶溶、緩慢貌)

張潔古曰、衛為陽、主表。陽維受邪為病在表、故苦寒熱。
營為陰、主裏、陰維受邪為病在裏、故苦心痛。
陰陽相維、則營衛和諧矣。營衛不諧、則悵然失志、不能自収持矣。何以知之。
仲景云、病常自汗、是衛氣不與營氣和也、宜桂枝湯和之。
又云、服桂枝反煩不解、先刺風池風府、却與桂枝湯。此二穴、乃陽維之會也。
謂桂枝後、尚自汗発熱悪寒、其脉寸浮尺弱、而反煩、為病在陽維、故先鍼此二穴。

仲景又云、藏無他病、時発熱自汗出而不愈、此衛氣不和也。桂枝湯主之。

又曰、陰維為病苦心痛、治在三陰之交、太陰證則理中湯、少陰證則四逆湯、厥陰證則當歸四逆湯、呉茱萸湯主之。

李瀕湖曰、陽維之脉、與手足三陽相維、而足太陽少陽、則始終相連附者、寒熱之證、惟二経有之、故陽維為病苦寒熱。蓋衛氣晝行於陽、夜行於陰。陰虚則内熱、陽虚則外寒。
邪氣在経、内與陰争而悪寒、外與陽争而発熱。則寒熱之在表而兼太陽證者、有汗當用桂枝、無汗當用麻黄。寒熱之半表半裏而兼少陽證者、當用小柴胡加減治之。
若夫營衛惵卑、而病寒熱者、黄芪建中及八物湯之類主之。

潔古獨以桂枝一證属之陽維、似未擴充。至於陰維為病主心痛、潔古獨以三陰温裏之薬治之、則寒中三陰者宜矣。
而三陰熱厥作痛、似未備矣。
蓋陰維之脉、雖交三陰而行、實與任脉同帰。故心痛多属少陰 厥陰 任脉之氣上衝而然。

暴痛而無熱、久痛無寒、按之少止者為虚、不可按近者為實。
凡寒痛、兼少陰及任脉者、四逆湯。兼厥陰者、當歸四逆湯。兼太陰者、理中湯主之。
凡熱痛、兼少陰及任脉者、金鈴散、延胡索散。兼厥陰者、失笑散。兼太陰者、承気湯主之。
若營血内傷、兼夫任衝手厥陰者、則宜四物湯、養營湯、妙香散之類。
因病薬之、如此則陰陽虚實、庶乎其不差矣。

王叔和、脉経曰。寸口脉、従少陰斜至太陽、是陽維脉也。
動苦肌肉痺癢、皮膚痛、下部不仁、汗出而寒。又苦顛仆、羊鳴、手足相引、甚者失温不能言、宜取客主人〔在耳前起骨上廉、開口有空、乃手足少陽陽明之會〕。

又曰、寸口脉、従少陽斜至厥陰、是陰維脉也。動苦癲癇僵仆、羊鳴。又苦僵仆、失音、肌肉痺癢、應時自発汗出、悪風、身洗洗然也。取陽白、金門〔見前〕、僕参〔見陽蹻〕。

瀕湖曰、王叔和以癲癇属陰維、陽維。霊枢経以癲癇属陰蹻陽蹻。二説義異旨同。
蓋陽維由外踝而上、循陽分而至肩肘、歴耳額而終、行於衛分諸陽之會。
陰維由内踝而上、循陰分而上脇至咽、行於營分諸陰之交。
陽蹻起於跟中、循外踝上行於股外、至脇肋肩體、行於一身之左右、而終於目内眥。
陰蹻起於跟中、循内踝上行於股内、陰器、行於一身之左右、至咽喉、會任脉、而終於目内眥。
邪在陰維陰蹻、則発癲。邪在陽維陽蹻、則発癇。
癇動而属陽、陽脉主之。癲静而属陰、陰脉主之。
大抵二疾當取之四脉之穴、分其陰陽而已。

王叔和曰、診得陽維脉浮者、暫起目眩、陽盛實者、苦肩息、洒洒如寒。診得陰維脉沈大而實者、苦胸中痛、脇下支満、心痛、其脉如貫珠者、男子両脇下實、腰中痛。女子陰中痛、如有瘡状。

素問 腰痛論曰、陽維之脉、令人腰痛、痛上怫然腫。刺陽維之脉、與太陽合腨間、去地一尺。

王啓玄曰、陽維起於陽、則太陽之所生。並行而上至腨下、復與太陽合而上也。去地一尺、乃承山穴也。在鋭腨腸下、分肉間陥中。可刺七分。

肉里之脉、令人腰痛、不可以欬。欬則筋縮急。刺肉里之脉、為二痏、在太陽之外、少陽絶骨之後。

王啓玄曰、肉里之脉、少陽所生、陽維脉氣所発、絶骨之後、陽維所過、分肉穴也。在足外踝直上絶骨之端、如後二分筋肉分間、刺可五分。

飛陽之脉、令人腰痛、痛拂拂然、甚則悲以恐。

啓玄曰、此陰維之脉也。去内踝上五寸腨分中、並少陰経而上也。

刺飛陽之脉、在内踝上五寸、少陰之前、與陰維之會、築賓穴也。甲乙経云、太陽之絡、別走少陰者、名曰飛陽。

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