督脈 奇経八脈詳解

いよいよ督脉に入ろう。以下に青枠に書き下し文の形で引用する。慣れない人にとっては少し長く感じるが、奇経を治療に応用する鍼灸師にとっては必読の内容だと言えよう。
データ画像の紹介は引き続き京都大学貴重資料デジタルアーカイブから引用させていただいた。

督脉の書き下し文

△督脉経の圖、及び其の穴法に於いては前集藏府経絡詳解に見たり。又、贅せず。

○督脉 張潔古が曰く督は都なり。陽脉の都綱と為すと。督脉は背脊頭面陽部の中行を流れて、諸陽脉の都綱たればなり。

素問の骨空論、王冰が次註に云う、任脉、衝脉、督脉は一源三岐なり。故に経に、或いは衝脉を謂いて督脉と為す者なり。何を以てこれを明かしむれば、今 甲乙および古の経脉流注図経に、任脉を以て脊を循る者をこれを督脉と謂う。少腹より直上する者をこれを任脉と謂い、亦これを督脉と謂う。これ則ち背腹の陰陽を以て別て名目を為す云々。
又云く、任脉衝脉督脉、名異にして而して同体なりと。任督衝の三脉は倶に子宮血海に生じて、その外脉は別れて三岐となる者なり。譬えば、海に西南東北の別ありと雖も、実は只一つの水流なり。人身の督任衝もその行く所を以て名を異にすと雖も、実は只一つの子宮の流れなり。
或る人問う、督任衝の脉は即ち督の別名のみ。これ深く三岐の情を得たりとす。経に論ずる所を考えるに任督衝の三脉の中に於いてもっとも督脉総綱たり。故に衝任を以て直ちに督として云う。且つ骨空論に独り督脉の治のみを挙げて任衝に及ぼさず。又、督脉の治に曲骨陰交の両穴を取る。これ任脉の本穴なり。督を治するに任脉を取る者も亦 督は任衝の綱領たるを以てなり。因て按ずるに会陰の一穴、任脉の本穴と雖も、疑うらくは督脉の本穴ならんか。如何となれば会陰は任督衝の三つの者の外脉分かれる所の源にして、任はこれより分かれて腹に行き、衝はこれより分かれて足の少陰に並び、督はこれより分かれて背に行く。実に会陰は外脉の復た一源三岐の位なり。然るときは則ち督を以て任衝の綱領とするに於いてはその外脉の本源たる会陰の穴も亦た督脉の本穴たらん者か。

素問の骨空論に曰く、督脉は少腹に於いて起こり、以て骨の中央に下り、女子は入りて延孔に繋ぐ。その孔は ○上の延孔を釈して云う 溺孔の端なり。
少腹に於いて起こるとは、王冰、馬玄台倶に会陰の分とす。按ずるにこれ督脉の発源を云うなり。会陰は外脉の起こる所にして、実に起発の所に非ず。言う心は督脉は少腹の裏、子宮胞中に起発して、以て陰毛際の裏なる横骨の中央に下りて、女子は入りて延孔に繋るなり。その延孔と云うは、前陰 溺出る所の孔を云う。
督脉の延孔に繋るとは、溺孔の上端に繋るを云うなり。蓋し延は正なり、直なり。前陰正中の直孔、溺出る門なり。
入 とは前陰の部に入るなり。

その絡は陰器を循り、簒間に合し、簒後を繞り、別れて臀を繞る。
簒は纂の略字なり。内経にこの如きの略字、間々存す。或いはここに作り、粱を梁に作る。上古の略伝なり。纂間は大小二便の争い行く處。前後二陰の間、俗に云う“ありのとわたり”。会陰の分なり。この言う心は督脉の別絡なる者は延孔に繋るより別れて前陰器を循り、又纂間にて相合し、纂後後陰の分を繞り、又別れて臀を繞る。
蓋し陰器を循るときは則ち両つに別れて循る。故に纂間に合すと云うなり。
○或る人問う、上文に独り女子の延孔に繋る者を云いて男子に及ばざるは何ぞや?
曰く、男子は茎(けい)垂(すい)蔽(おお)うて溺孔見(あら)われず。女子の先ず見(あら)わる者を以て文をなす。これを以て下の文に重ねて云う。男子は茎下を循りて簒に至る。女子と等しと、この義なり。

少陰と巨陽中絡の者とに至る(※本書の一二点に従って書き下し文を書写しています。)
巨は大なり。巨陽は足太陽膀胱経を指す。中絡は膀胱経の背の第二行を流れて、下りて腎を絡う者を指すなり。言う心は督脉の臀を繞るに於いて足少陰腎経と足太陽膀胱経の中絡の者とに至り合す。

少陰の股内の後廉に上り、脊を貫きて腎に属すると、太陽の目の内眥に於いて起り、額に上りて巓上に交わり、入りて脳を絡い、還り出て別れて項に下り、肩髆の内を循り、脊を挟みて、腰中に抵り、入りて膂を循り、腎を絡すると合す。

これ上文の少陰と巨陽の中絡の者とに至る と云うの釈義なり。督脉の別絡なる者は臀を繞り、少陰に至るとは、足少陰腎経の股の内の後の廉、陰谷穴より上りて臀を経て、督脉の長強穴に入りて、脊の尾骶骨を貫きて、裏腎に属する者に至るを云うなり。
又、巨陽の中絡の者に至るとは、足太陽膀胱経、目の内眥 睛明穴に起りて、額の督脉 神庭穴に上りて、頭巓の頂上、督脉の百会穴に行きて、左右両行の者 一つに交わりて、これより絡却穴を経て、枕骨の下に入りて、脳海を絡い、還りて又浮かび出て左右に相い別れて、項の天柱穴に下り、それより肩髆の内を循り、脊の左右各々一寸半を挟みて、背の第二行となりて、下て腎兪に當たりて腰中に抵る。これより入りて膂肉を循り、深く達して腎を絡う者とに至るを云うなり。

脳 頭の骨中の髄液なり。
肩髆 俗に云う手打繋(てうちかけ)なり。肩髆の内は背の第二行、大杼、風門等の流れを云う
膂 脊の左右に高く起こる肥肉を云うなり。
以上、少陰太陽の行は、詳らかに前の臓腑経絡詳解に註釈す。故にここにはその大概を辨ずるのみ。

その男子は茎下を循りて簒 これ亦 纂の略字 に至る。女子に等し。
等とは同じ義なり。この上文に女子は延孔に繋ると云いて、男子に未だ及ぼさず。故に督脉その入りて延孔に繋り、陰器を循り、纂間に合し、纂後を繞る者は、男子も前陰茎の下に於いて、延孔の上端に繋りて、纂間纂後に至る。前の女子と等しき者となり。蓋し女子は延孔露わにして見ゆ。男子は茎垂蔽うて見えずと雖も、その循りは茎下に於いて女子と等しき者となり。

その少腹より直ちに上る者は齊 臍と同じ 中央を上り心を貫き、喉に入り、頤を上り、唇を環り、両目の下の中央に繋る。
督脉の少腹より直に上る者は、臍の中央、神闕を貫き上りて膻中に行き、心胸を貫き、天突、廉泉に至りて、喉嚨に入り、頤に上りて、承漿に行き、唇を環り絡い、別れ上りて両目の下の中央、陽明胃経の承泣穴に繋がるなり。

○按ずるに、これ任脉行く所の道、何を以てか督とするや?
五音五味篇に曰く、任脉、衝脉は皆な胞中に於いて起こり、背裏を循り、経絡の海と為る。背裏を循る者とはこれ督脉なり。然るに彼に於いては任衝 背裏を循る者と云う。
当篇に於いては、督は少腹を上るとす。これ一源三岐の意。任督衝は行く所の背腹、陰陽を以て、その名を異にすと雖も、実は一つの胞中の流れなり。故に経中に任の行を論ずれば、督の行をも総べて云う。督の行を論ずれば、任の行をも総べて云うなり。
王啓玄子が云く、任脉の背を循る、これを督脉と謂う。少腹より直に上る者、これを任脉と謂い、亦 これを督脉と謂う。これに由りて言うときは則ち、これ背腹を以て陰陽を分かち、而して任督と言う。三脉の者のごときは則ち、名を異にすと雖も、体は則ち一つのみ。云々。
註證発微に曰く、督脉任脉名也、異なると雖も、氣脉は殊ならず。その督脉の行く所の者は一つにして任脉の行の如し。

霊枢 経脈篇に曰く、督脉の別名 長強と曰う。膂を挟み項を上り、頭上に散じ、下りて肩胛の左右に當りて、別れて太陽に走り入りて膂を貫く。
これ亦 督脉の別絡を云う。長強穴は尾骶骨の端に在るなり。
膂 詳義、右(前)に見えたり。
肩胛 俗に云う“かりがねぼね”。膏肓穴の旁に蔽う所の骨を云うなり。言う心は督脉の別なる者は長強より別れて膂肉を挟み、上りて項に行き、頭上に散布す。散とはその経行、自然に微細なるを以て云う。頭上に散じて復た背に下り、肩胛骨の左右に當たりて別れて足太陽膀胱経に走り行きて、太陽経と倶に背肉に入りて膂を貫く者なり。
按ずるに、別れて太陽に走ると云うときは則ち、これより別れて裏に達する者と、太陽に走る者と、両脉ある者ならん。且つその長強より上る者は太陽の二行に従い、その下りて肩胛の左右に當りて別れる者は太陽の三行に注ぐ者か。

難経二十八難に曰く、督脉は下極の兪に於いて起こり、脊裏に並びて、上りて風府に至り、入りて脳に属す。
下極の兪とは、丁徳用は長強穴とす。滑伯仁は会陰穴とす。
按ずるに、任脉は中極の下に於いて起こると云うを、丁氏、滑氏、倶に註して曲骨穴とす。会陰は本と任脉の本穴たり。然るに何ぞ任脉に於いて会陰を云わずして、豈 反て督脉にして会陰を云うの理あらんや。伯仁の註義、未だ得ざるに似たり。實に丁氏が註を以て得たりとす。

風府 督脉の本穴。後髪際を入ること一寸に在るなり。
脳 頭骨の中の“あぶらち”なり。これ言う心は、督脉は任衝と倶に胞中に発し、会陰に浮かび別れて下極の兪、長強穴に起こり。これより脊骨の裏に並びて上行し、頭中に走り、風府穴に至りて、これより深く頭骨に入りて、脳海に属する者なり。

甲乙経に曰く、督脉は下極の兪に於いて起こり、脊裏に並びて、上りて風府に至り、入りて脳に属し、巓に上り、額を循り、鼻柱に至る。陽脉の海なり。
脳に属すと云うまでは、右(上)の難経の義と同じ。脳に属するより、巓頂の百会に上り、額を循り下りて、鼻柱に至る。これ督脉は陽脉の海なり。蓋し人身の陰陽は背を陽とし、腹を陰とす。督脉は脊背陽部の中行を流れて、頭面の陽處に走り至る。且つ長強穴にして足少陽太陽に合し、大椎穴にて手足の太陽少陽、手の陽明に会し、風府瘖門の両穴にて陽維と会し、百会穴にて足太陽と合し、水溝穴にて手の陽明と交会す。然るときは則ち、督は諸陽の脉の会する所の合海たり。
○十四経にこの数語を載せて属・於の二字なし。柱の字の下に属の字あり。
(☞督脉者起於下極之兪、並於脊裏、上至風府、入脳上巓、循額至鼻柱。属陽脉之海也。)
○按ずるに以上、督脉の行を考えるに、督脉の腹を行く者は、即ち任脉の流れなり。その脊を挟みて両行する者も亦 太陽経に並びて流れるときは則ちこれ皆 督脉の別なる者なり。その本経に於いては脊の中行、難経甲乙経に述べる所の者たり。且つ氣府論に謂ゆる督脉の氣の発する所の者、二十八穴の序次に従いて推し求めるときは則ち益々督脉の本経流れる所の行度、昭然として見るべし。

素問、氣府論に曰く、督脉の氣の発する所の者、二十八穴、頂中央二つ。髪際の後の中八つ。面の中三つ。大椎より以下、尻尾および傍らに至りて十五穴。
頂の中央二つとは、風府瘖門の両穴なり。髪際の後の中とは、前髪際より後髪際に至るまでの間に在る八穴を云う。神庭、上星、顖会、前頂、百会、後頂、強間、脳戸を云う。面の中三つとは、素髎、水溝、兌端の三穴なり。尻尾は亀の尾を云う。傍らとは長強の傍らなる会陽の穴を指して云う。会陽は足太陽の本穴たりと雖も、督脉氣の会穴たるを以て故に連ねて云う。大椎、陶道、身柱、神道、霊台、至陽、筋縮、中枢、脊中、懸枢、命門、陽関、腰兪、長強、これ督脉の脊中に存する者の十五穴、これに会陽の両穴を連ねるときは則ち十六穴にして、総べて督脉氣の発する所、二十九穴となるなり。然るときは則ち本経に督脉氣の発する所の者、二十八穴と云うに合わず。因りて考えるに、後世甲乙経等の書に督脉の脊中を流れる者に於いて十四椎の下に命門の一穴を存す。この穴、疑うらくは上古なき所にして後世に加うる者か。如何となれば、内経に本と右腎命門の名なし。内経に命門と云う者は皆 目を指して云う。越人の難経に初めて腎命門の号を云うときは則ち、素問に大椎より以下、尻尾及び傍らに至りて十五穴とは、命門を立てずして脊中十三穴と、及び長強の傍らなる足太陽膀胱の両穴とを連ねて十五穴とする者ならんか。

十四経発揮に曰く、按ずるに内経 右の氣府論の文を指す 督脉の発する所の者、二十八穴法に據るに 氣府論の王冰が次註に於いて、二十八穴を数えし所の法によりて、滑伯仁も今また督脉主る所の兪穴を考えるに 十椎の下の一穴を中枢と名づく、陰尾骨 亀尾の骨を云う 両傍らの二穴を会陽と名づく。共に二十九穴有り。今、齦交の一穴を多くして、中枢の一穴を少なく、会陽の二穴は則ち督脉の別絡に係り、太陽に会す。故にただ二十七穴を載せる。
氣府論の次註に、王氏が数える所の法によれば、十椎の下に一穴と、会陽の両穴と共に数えるが故に、督脉の主る所の者二十九穴ある也。詳義、前の註の如し。然れども、今 滑伯仁は氣府論の任脉氣の発する所の中より、齦交の一穴を取りてこれを督脉の穴に数え多し。又、王氏が数える所の中枢の一穴を少て数えず。且つ会陽の両穴は督脉の別絡に係ると雖も足太陽の本穴たるを以て故に滑氏、十四経発揮には、督脉の本穴ただ二十七穴を載せるとなり。
或る人問う、滑氏、何ぞ齦交を多くして中枢を少くや?
曰く、氣府論、任脉氣の発する所に云う、齦交一と。王氏が次註に云う、督脉の穴、任脉の会と。齦交は素髎、水溝、兌端を流れて下り至る所の督脉の本穴たり。又、中枢の一穴は氣府論の督脉氣の発する所の大椎以下云々…の王氏が註に存すといえども、皇甫謐が按じた甲乙経にも、この穴あることを載せず。故に伯仁、齦交を取りて中枢を少く者なり。後世皆これに従う。
十四経発揮に曰く屏翳 会陰の地 より起こりて長強穴を歴て、脊裏に並びて而して上行し、腰兪、陽関、命門、脊中、筋縮、至陽、霊台、神道、身柱を循り、風門を過ぎり、陶道、大椎、瘂門を循りて、風府に至り、脳に入りて、脳戸、強間、後頂を循り、巓に上って、百会、前頂、顖会、上星、神庭に至り、額を循りて、鼻柱に至り、素髎、水溝、兌端を経て、齦交に至りて而して終わるなり。

以上は滑伯仁、内経、難経を以てたずねて督脉の本経行く所の次序を明せり。およそ督脉の行、腹背に流れて多しと雖も、ただその長強より齦交に至る中行の者を以て本経とすべし。
○按ずるに右の伯仁氏の説に、督脉の身柱より上る者、風門を過ぎりて陶道に会すとは、真説に非ず。甲乙経に風門は足太陽の穴、督脉の会と云うに従いて、伯仁の言、この如しと雖も風門は足太陽の本穴にして、督脉別れてここに行くことなし。ただその督脉の氣会する所のみ。実に脉会には非ず。かの風府は督脉の本穴にして實に足太陽の脉行にあずからずと雖も、経中に多く足太陽の風府に属することを云う者もまた太陽の氣の会たるを以ての故なり。實に経脉、ここに会するには非ず。甲乙経に風門を以て督脉の会とするの義、これに倣って知らんぬべし。詳らかに前集臓腑経絡詳解に見えたり。

時珍が曰く、督はすなわち陽脉の海、その脉は腎下胞中に於いて起こり 胞中は子宮中なり 少腹に於いて至り 胞中より少腹に下り至る すなわち却って腰横骨圍の中央 陰上より腰に横たわり圍む所の骨を腰横骨圍と云う。陰毛際、俗に云うイチノキザなり。 溺孔の端に繋る これ婦人よりして云う詳義は前に詳らかなり 男子茎下を循りて 陰茎の下を云う 簒による。女子は陰器を絡いて簒間に合す。倶に ○陰器を絡えば則ち両つに別れて絡う。故に簒間に合し、両経倶に 簒後、屏翳の穴を繞りて 前陰後陰の間なり。○屏翳の穴は会陰の穴を云う 別れて臀を繞り、少陰と太陽中絡の者に至り、少陰の股の内廉を上るに合す。 以上の註義、前に詳らかなり。 会陽によりて 陰尾尻骨の両方陥かなる中に二穴在り。○足太陽の穴なり。 脊を貫き長強穴に於いて会す。骶骨の端 陰尾尻骨。骶骨は倶に亀尾の名なり に在り。少陰と会す。 長強にして足少陰経と会す。 脊裏に並びて 長強より脊骨に並びて行く 上行し腰兪 二十一椎の下 陽関 十六椎の下 命門 十四椎の下 懸枢 十三椎の下 脊中 十一椎の下 中枢 十椎の下 筋縮 九椎の下 至陽 七椎の下 霊台 六椎の下 神道 五椎の下 身柱 三椎の下 陶道 大椎の下 大椎 一椎の上 を歴て、手足の三陽と会合し、瘂門 項の後ろ髪際に入ること五分 に上りて、陽維に会し、入りて舌本 瘂門の位にして深く入りて舌本に繋ぐなり に繋げ、上りて風府 項後、髪際に入ること一寸。大筋の内宛々中 に至りて、足太陽陽維に同じく脳中に入り 風府と瘂門の間にして脳中に入る 脳戸 枕骨の上に在り 強間 百会の後三寸 後頂 百会の後一寸半 を循り、巓に上りて百会 項の中央旋毛の中 前頂 百会の前一寸半 顖会 百会の前三寸。即ち顖会 上星 顖会の前一寸 を歴て、神庭 顖会の前二寸、直に鼻上。髪際に入ること五分 に至り、足太陽、督脉の会と為す。額中を循り、鼻柱に至て素髎 鼻の準頭なり 水溝 即ち人中 手足陽明と会し、兌端 唇の上端 に至り齦交 上歯の縫中 に入り、任脉、足陽明と交会して終わる。 氣府論に齦交穴を以て任脉発する所の穴とす。故に李氏、この如く齦交に入りて任脉と交会すと云う 凡そ三十一穴、督脉の別絡、長強より任脉に走る者 ○以上は李時珍、深く内経の諸篇に達して、督脉行く所の度を盡せり。然れどもその小腹によりて上る者は即ち任脉なり。その別れて項に下り脊を挟みて下行する者は即ち足太陽の流れなり。これ皆 任と太陽に合して督脉の別絡なる者。本経には非ざるなり。 小腹より直ちに上りて臍の中央を貫き、心を貫き、喉に入り、頤に上り、唇を環り、上りて両目の下の中央に繋る。 ○以上は即ち任脉の行にして督脉にかかる者は一源三岐なればなり 太陽と目の内眥睛明穴 陰蹻の下に見えたり に於いて会し、額に上りて足厥陰と同じく、巓 百会の穴にして会す に於いて会し、入りて脳を絡い、又 別れて脳より項に下り肩胛 膏肓穴の左右に在る両片骨を肩胛と云う を循り、手足の太陽少陰と 按ずるに手足の太陽と会すべし、少陰の義未だ詳らかならず 大杼に於いて会す、第一椎の下の両旁、脊中 按ずるに中の字、誤りか を去ること一寸五分陥中。内、脊を挟みて腰中に抵り、入りて、膂を循り、腎を絡う。

○以上はこれ足太陽の行にして、督脉にかかる者は前に引く所の骨空論に、督脉は少陰と巨陽中絡の者に至るが故なり。前註と互いに詳察すべし。
○或る人問う、経に少陰と巨陽中絡の者と至ると、然るに吾子が右(上)の細註に云う、少陰の義 未だ詳らかならずとは何ぞや?
曰く、内経に少陰に至るとは、足少陰経の股内より長強穴に入る者と合するを云う。李時珍は然らず。肩胛を循りて、手足太陽少陰とに会すとす。肩胛は足太陽膀胱、手太陽小腸 両経の行く所。何ぞ、手少陰心経、足少陰腎経の行。これに流れて会せんや。汝それこれを如何。
○以上の細註、愚が臆註はその首に圓(円)してこれを別つ。圓(円)なき者は皆 本より李氏が細註なり。
王海蔵が曰く、任脉督脉は同じく、中極の下に起こりて、すなわち水溝にて相い接がる。
この説、疑うらくは誤りか。任脉はすなわち水溝に会する義、未だ詳らかならず。海蔵が意を按ずるに、水溝は督脉の本穴なり。任脉の上りて唇口を繞りて目下に繋がる。その左の口吻より上る者は右に行き、右の口吻より上る者は左に行く に於いて、水溝穴にして左右入り違いて督脉と任脉相い接るの義なるべし。然れども、経に水溝穴を以て任脉に数えず。氣府論に齦交穴を以て任脉に数えるときは則ち明かに知らんぬべし。任脉の上りて唇口を繞りて両目の下に繋がる者は、齦交穴にして左右入れちがうて目下に出ることを。故に名づけて齦交と云う。その穴、齦(はぐき)に在りて、任督交脉の位たればなり。
○李瀕湖が八脉攷に尽く奇経を以て、仙家丹術に及ぼして詳論することありと雖もこれ皆 常人の至る所に非ず、道家至真の義。故に今これを略する者なり。
霊枢脉度篇に曰く、督脉任脉、各々四尺五寸、
十四経発揮に曰く、督脉、頭より脊骨を循り骶に入る。長きこと四尺五寸。
督脉の齦交穴より頭中を経て、脊骨を循り、尾骶骨長強穴に入る。その経の長きこと四尺五寸なり。
或る人問う、督脉は会陰に別れ、長強に上行す。然るに、何ぞ滑氏のいわゆる頭より脊骨を循るとの反て下行の者として量り云うや?
曰く、これ脉度の法なり。経脉の終始に拘らずして、その経脉長短の度を量るが故に、経行の始末に拘らずして頭より順に度りてただその尺寸を明らかにすのみ。多く疑うことなかれ。

督脈為病

骨空論に曰く、督脉の病を生ずる、少腹より上りて心を衝き、痛み、前後することを得ず、衝疝と為す。その女子は孕せず。癃、痔、遺溺、嗌乾く。
これ督脉より生ずる所の病状を云いて、兼ねるに任衝両脉の生ずる所の病を云う。
癃 小便閉じて通ぜざるなり。
痔 肛邊に悪肉を生ずるなり。
遺溺 溺を覚えずして出るを云うなり。
督脉の少腹より上る者は、心を貫く故にその邪、少腹より逆上して心に衝いて胸痛す。督脉は前陰を循り臀を繞る故に前に小便、後に大便すること能はずなり。これを衝疝の病と名づく。蓋しこの症は逆氣衝心が故なり。
衝心は衝脉の病。少腹より上るは任脉の病なり。
これを以て類註に云う、衝任を兼ねて病を為す者と。一源三岐の義なり。督脉の少腹より上ると云う者は任脉なり。任脉は婦人胎孕の本たる流れ。故にこれが病むときは則ち女子は孕むこと能はずなり。督脉は陰器を循る故に癃閉遺溺を患うなり。臀を繞る故に痔瘡を致すなり。その小腹より上る者、喉に入る故に嗌乾くことを致す。
○正氏が曰く、任脉は女子これを得て以て任養するなり。衝脉は以てその氣上衝するなりと。以上は督脉の病と雖も一源三岐たるを以て衝任の病も亦 相い兼ねて見れるものなり。

督脉、病を生ずれば、督脉を治す。治、骨上に在り。甚だしきは齊 齊は臍と同じ 下の營に在り。
以上の如き督脉病を生ずるときは則ち督脉を治す。督脉の治は横骨の上端、陰毛際、任脉の曲骨の穴に在り。若しその病、甚だしき者は臍下一寸、任脉の陰交の穴に在り。
營 字、疑うらくは衍文か。
○按ずるに、督は任衝の綱領。任衝は督の別名か。如何となれば骨空論に任督衝三脉の行を分つといえどもその治を論ずるに於いては、独り督脉の治のみを云いて、任衝に及ぼさず。且つ督を治するに直ちに督脉を取らずして任脉の穴を以てする者は、蓋し任は督に従うことを明らかにすの意なり。

又曰く、督脉の病を為す、脊強ばり反折す。
督は脊裏に並びて上行す。故にその病を致すや、脊強ばりて反張す。その反張甚だしきときは則ち脊折れるが如し。これを反折と云う。

霊枢経脉篇に曰く、督脉の病を生ずる、実するときは則脊強ばり、虚するときは則ち頭重くして、高くこれを揺(うご)かす
これ督脉の別絡なる者に邪気実するときは則ち脊強ばる。蓋し督脉の別は、背膂を挟むが故なり。若しその正気虚するときは則ち背膂の気が弱きが故に頭重きことを覚え、且つ項骨祛(つたなく)して頭高く仰むきて顫揺(せんよう)する也。
脊を挟むの過ある者は之を別るる所に取る也。
過は疾の義なり。凡そ脊を挟むの経に過疾ある者は、これを取るに督脉別れる所の長強穴に於いて治するを云う也。

二十九難に曰く、督脉の病為る、脊強ばりて而して厥す。
厥は逆なり。督脉は長強より上行す。故にその病を為すに、気厥して逆上を致す。王海蔵が曰く、この病、宜しく羌活、独活、防風、荊芥、細辛、藁本、黄連、大黄、附子、烏頭、蒼耳の類を用うべし。
○仲景の曰く、脊強ばる者は五痙の総名。その證、卒に口噤し、皆 反張して而して瘈瘲(けいしょう)す。諸薬 已えずんば、身柱、大椎、陶道の穴に灸すべし。

王叔和が脉経に曰く、尺寸倶に浮、直ちに上り直ちに下る。これを督脉 督の病脉 と為す。腰背強ばり痛みて俛仰することを得ず。大人は癲病 癲癇 小児は風癇 驚癇
又曰く、脉来たること中央、浮にして直ちに上下して動ずる者は督の病 督の病脉 なり。動(やや)もすれば腰背膝寒し、大人は癲、小児は癇に苦しむ。宜しく頂上に三壮 灸すべし。 按ずるに百会穴か。
○又按ずるに仲景金匱要略に云う、痙家の脉、築々として而して弦。直ちに上下して行く、と。蓋し叔和、之に據りて直ちに上下して動ずる云々を発明する者か。

督脈のトリセツ

督脈の根っこはどこ?

督脈は下極の兪に起こるというのが難経や鍼灸甲乙経、十四経発揮の督脈観である。下極の兪とは何ぞや?
岡本氏曰く、下極とは肛門の別名である。(臓腑経絡詳解の大腸腑象より)
下極(肛門)の兪としてみると長強であるという説(丁徳用)、会陰であるという説(滑伯仁)ともに是としてみえる。

但し、一源三岐という考え方では、長強はこの観点に沿わない。体の表面における分岐点としては会陰が適しているとは思える。
李時珍は腎下胞中に起るとしており、胞中から任督衝の三脈が起こるといういう一源三岐の思想を提唱している。

督脈の流注、知ってますか?

督脈の流注と経穴は鍼灸学校一年生で学ぶ。しかし、そのとき覚えた記憶「長強、陽兪、陽関、命門…水溝、兌端、齗交」のシンプルな流注だけでいいのだろうか?国試対策ならそれで充分かもしれない。しかし「長強、陽兪、陽関、命門…水溝、兌端、齗交」の流注は、断片的・表面的な知識に過ぎないということが以上の文から分かるだろう。
奇経とは、東洋医学的な人体観を持たない初学者が表層の経穴を暗記した程度の知識で理解できるものではないのだ。少なくとも道教分野の基本思想や基本知識だけでも備えておく必要があるのではないだろうか。(『王義之の黄庭経』などを参考に)

督脈を臨床で使うには?

督脈に関する奇経の専門知識が無くても、督脈経穴を治療に用いることは容易い。実際に腰陽関や命門、脊中、至陽、身柱、大椎、百會など、臨床で用いる経穴は多いであろう。

しかし考えていただきたい。
以上の督脈流注を読めば、腎や心、陰器や臍、喉、舌本、目、脣、少陰巨陽の中絡などなど、身体の各部位に督脉は連絡している。
これら各部位における病症を診断する際に、督脈の関与はどれくらい考慮に入れているだろうか?
もちろん督脈の病となれば、かなり特殊ではあるが、全く知識を備えていないのと、知識を備えた上で治療の選択から外すのとでは全く次元が異なるのである。

病症で挙げられている大人と小児の比較をわざわざ提示していることも、督脈の特性が理解できるヒントにもなっている。
他にも病症を読むことで、任督衝が一体であることを示唆している記述が散見できる。

 

鍼道五経会 足立

 

 

 

 

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