衛生宝鑑の症例を一部紹介

『衛生宝鑑』(羅天益 著)の症例を2例紹介する。ひとつは1266年のもの。もうひとつは1268年のものである。
これら2症例は当会講座の教材に使用したものであり、本記事では詳しい解説は避ける。またより詳しい解説については『中医臨床』6月号に論考を提出しているので、興味のある方は『中医臨床』173号(6月発刊予定)をご覧いただきたい。


※『衛生宝鑑』画像は京都大学付属図書館より引用させていただきました。

※以下、黄枠内が書き下し文。記事末の青枠内が原文です。

国信副使、覃公中(四十九歳)、至元丙寅(1266年)の春、臍腹は冷え疼き、完穀不化、足胻は冷えて厥逆し、皮膚不仁、精神困弱に病む。その脈を診するに沈細にして微脈である、大熱甘辛の剤を以て投じ、及び灸治すること気海に百壮、三里二穴に各三七壮(二十一壮)、陽輔各二七壮(十四壮)。このような治療を行った。
三日後、葱熨を以て(するも)、灸瘡は皆な発せず。復た前穴に前の壮数のように灸治するが、また発せず。十日後、灸後の瘡はまたさらに膿を作せず、瘡口はどれも乾いたままであった。

癸丑歳(1253年)の初め、予は随朝承応、冬は瓜忽都地面に屯(駐屯)していた。(その際に)竇子声(竇漢卿)先生に鍼を学んだ。穴腧について詢(しらべる・たずねる)に因りて、曰く、凡そ鍼を用いる者は気至らざれば効かず、之に灸して亦た発せざるは、大抵の場合、本気は空虚であり、膿を作すること能わず。
その養する所を失し、更に不慎を加えた故に、邪気が之に加わったのだ。病は必ず退かず。異日、鍼灸科忽教授の語るに因り、また以て然りと為す。…(後略)…

☞  「灸之不発」

国信副使覃公中四十九歳、至元丙寅春、病臍腹冷疼、完穀不化、足胻寒而逆、皮膚不仁、精神困弱。診其脈沈細而微、遂投以大熱甘辛之剤、及灸気海百壮。三里三穴各三七壮、陽輔各二七壮。
三日後、以葱熨、灸瘡皆不発。復灸前穴依前壮数、亦不発。
十日後。瘡亦更不作膿、瘡口皆乾。癸丑歳初、予随朝承応、冬屯于瓜忽都地面、学鍼于竇子声(竇漢卿)先生。因詢穴腧、曰、凡用鍼者気不至而不効、灸之亦不発。大抵本気空虚、不能作膿、失其所養故也。更加不慎、邪気加之。病必不退。異日因語鍼灸科忽教授、亦以為然。
至元戊辰春、副使除益都府判、到任未几時、風疾。半身麻木、自汗悪風、妄喜笑。又多健忘、語言微渋。医以続命湯復発其汗、津液重竭、其証愈甚、因求医還家。日久神気昏憒、形容羸痩、飲食無味、便溺遺失、扶而後起、屡易医薬、皆不能効。
因思『内経』云、陽気者若天与日、失其所則折寿而不彰。今因此病、而知子声(竇漢卿)先生之言矣。或云、副使肥甘足于口、軽暖足于体、使令足于前、所為無不如意、君言失其所養、何也。
予曰、汝言所養、養口体者也。予論所養、養性命者也。且覃氏壮年得志、不知所養之正、務快于心、精神耗散、血気空虚、因致此疾。
『霊枢経』云、人年十歳、五臓始定、血気已通、其気在下、故好走。二十歳血気始盛、肌肉方長、故好趨。三十歳五臓大定、肌肉堅、血気盛満、故好歩。四十歳五臓六腑十二経脈皆大盛以平定、腠理始疏、華栄頹落、髪頗斑白、平盛不揺、故好坐。五十歳肝気始衰、肝葉始薄、胆汁始減、目始不明。六十歳心気始衰、善憂悲、血気懈惰、故好臥。七十歳脾気始衰、皮膚已枯。八十歳肺気衰、魄魂散離、故言善誤。九十歳腎気焦臓枯、経脈空虚。百歳五臓皆虚、神気皆去、形骸独居而終矣。蓋精神有限、嗜欲無窮、軽喪性命、一失難復、其覃氏之謂歟。

☞ 口眼喎斜(顔面神経麻痺)の症例

太尉忠武史公、その年六十八歳、至元戊辰(1268年)十月初めに於いて、聖安寺の丈室中に於いて国師に侍り、煤炭火の一炉が左側辺に在った、遂に面熱を覚える、左頬には微かに汗有り。師及び左右にいる諸人は皆な出るも、(大尉忠武史公は)左頬の疏緩に因り、風寒を被り之を客した。右頬が急し、口は右に喎した(ゆがんだ)、脈は浮緊を得て、これを按じて洪緩である。
予は医学提挙(官職名)忽君吉甫の伝科鍼灸を挙げ、先ず左頬上に灸する。地倉穴に一七壮、次に頬車穴に二七壮を灸す、後に右頬上に熱手にて之を熨する。升麻湯加防風、秦艽、白芷、桂枝を以て(議する?)、風寒を発散し、数服にして愈える。
或る人の曰く、世の医師は多く場合は続命湯等薬を以て之を治するが、今(羅氏)は升麻湯加四味を以て治した、その理は安んぞ在りや?
対て曰く、足の陽明経は鼻に於いて起こる、交頞の中、鼻外を循り、上歯中に入る。手陽明経は亦た下歯中を貫き、況んや両頬などは皆な陽明に属する。升麻湯は乃ち陽明経の薬、香白芷も又た手陽明の経を行る。秦艽は口噤を治し、防風は風邪を散じ、桂枝は表を実して栄衛を固して、邪をして再び傷さしめること能わず、此れその理也。夫れ病が標本経絡の別に有るは、薬に気味厚薄の味有り。病の源を察して、薬の宜を用いれば、其の効は桴鼓の応なるが如し。経絡の過ぎる所を不明にして、薬性の所在も知らざれば、徒らに一方を執り、無益なることを惟(おも)わず、而して又これを害する者多し。学者宜しく之を精思すべし。
秦艽升麻湯は中風、手足陽明経の口眼喎斜、悪風悪寒、四肢拘急を治する。
升麻、葛根、甘草(炙)、芍薬、人参(各半両)、秦艽、白芷、防風、桂枝(各三両)
以上を㕮咀し、毎服一両。水二盞、連須葱白三茎・長二寸、一盞に至るまで煎じ約し、渣を去り、稍(やや)熱服す。食後に服薬畢(おわり)、風寒処を避けて臥し、微汗出を得れば則ち止める。

☞ 原文

太尉忠武史公、年六十八歳、于至元戊辰十月初、侍国師于聖安寺丈室中、煤炭火一炉在左側辺、遂覚面熱、左頬微有汗。師及左右諸人皆出、因左頬疏緩、被風寒客之。右頬急、口喎于右、脈得浮緊、按之洪緩。
予挙医学提挙忽君吉甫伝科鍼灸、先于左頬上灸地倉穴一七壮、次灸頬車穴二七壮、後于右頬上熱手熨之、議以升麻湯加防風、秦艽、白芷、桂枝、発散風寒、数服而愈。
或曰、世医多以続命湯等薬治之、今君用升麻湯加四味、其理安在?
対曰、足陽明経起于鼻、交頞中、循鼻外、入上歯中。手陽明経亦貫于下歯中、況両頬皆属陽明。升麻湯乃陽明経薬、香白芷又行手陽明之経。秦艽治口噤、防風散風邪、桂枝実表而固栄衛、使邪不能再傷、此其理也。夫病有標本経絡之別、薬有気味厚薄之味、察病之源、用薬之宜、其効如桴鼓之応。不明経絡所過、不知薬性所在、徒執一方、不惟無益、而又害之者多矣。学者宜精思之。
☞秦艽升麻湯方・・・

鍼道五経会 足立繁久

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