『脾胃論』の飲食労倦の傷る所より始めて熱中と為すの論

脾胃論 飲食労倦所傷始為熱中論 のみどころ

東垣鍼法について調べよう!と思い立ち、最初の記事を書いたのが2021年7月の『脾胃論の「凡そ治病、當に其の所便を問うべし」』でした。
あれからほぼ一年…。
ようやく形になり、めでたく『中医臨床』2022年6月号に「東垣鍼法から陰火学説を考える 前篇」が掲載されることとなりました。

『中医臨床』発売に先駆けて、原稿のメモ書きに書き出していた『脾胃論』の該当章(東垣鍼法の文が記載されている章)の書き下し文・原文を記事にしてアップします。

もちろん『中医臨床』の記事「東垣鍼法から陰火学説を考える」のネタバレにはなりませんので、安心してください。


※画像・本文ともに『脾胃論』(足立鍼灸治療院 蔵)より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

脾胃論 中巻 飲食労倦所傷始為熱中論 の書き下し文

書き下し文・『脾胃論』中巻 飲食労倦の傷る所より始めて熱中と為すの論

古(いにしえ)の至人、陰陽の化を窮め、生死の際に於いて究む、著す所、内外経(黄帝内経・黄帝外経)に悉く言う。
人は以て胃氣を本と為す。蓋し人は水穀の氣を受けて以て生きる。
所謂(いわゆる)清氣、栄氣、運氣、衛氣、春升の氣は皆な胃氣の別称なり①。夫れ胃は水穀の海と為す。飲食は胃に入り、精気を遊溢し上りて脾に輸す。脾氣は精を散じて、上りて肺に帰す、水道を通調して、下りて膀胱を輸す。水精は四布し、五経は並び行く。四時に合して、五臓、陰陽、揆度を以て常と為す也。
若し飲食失節し、寒温不適なれば、則ち脾胃は乃ち傷れて、喜怒憂恐し元氣を損耗する。既に脾胃の氣衰え、元氣は不足して心火独り盛んとなる。心火とは陰火也。下焦に於いて起こり、其の系は心に繋がる。心は令を主とせず、相火が之に代わる。相火は下焦包絡の火、元氣の賊也②
火と元氣とは両立せず、一つ勝てば則ち一つ負くる、脾胃の氣虚するときは則ち腎に下流す。陰火は得て以て其の土位に乗じる。
故に脾證始めて得るときは則ち氣高して喘す、身熱して煩する、其の脈は洪大にして頭痛む、或いは渇して止まず。其の皮膚は風寒に任ぜずして寒熱を生ず。
蓋し陰火上衝すれば則ち氣高く喘して煩熱す、頭痛を為し、渇を為して、脈洪なり。
脾の氣下流して、穀氣の升浮することを得ざらしむ。是れ春生の令の行わざれば則ち陽以て其の榮衛の護り無きときは則ち風寒に任ぜず、乃ち寒熱を生ずる。
此れ皆な脾胃の氣の不足の致す所也。

然して外感と風寒の得る所の証は、頗る同じくして実は異なり。
内、脾胃を傷るは乃ち其の氣を傷る、外、風寒に感ずるは乃ち其の形を傷る。
其の外を傷るは有余と為し、有余には之を瀉する。
其の内を傷るは不足と為し、不足には之を補う。
内傷不足の病は、苟しくも誤認し外感有余の病と作して、反て之を瀉すれば則ち其の虚を虚する也。実を実して虚を虚する此れの如し、死者は医が之を殺すのみ。

然るときは則ち奈何?
惟だ當に辛甘温の剤を以て、其の中を補い而して其の陽を升らすべし。甘寒以て其の火を瀉すれば則ち愈るなり。

経に曰く、労する者には之を温め、損する者には之を温む。
又云く、温能く大熱を除く。大いに苦寒の薬を忌む、其の脾胃を損ずればなり。脾胃の証始め得るときは則ち熱中す。
今、始め得るの証の治を立てる。

補中益気湯
黄芪(病甚しく、労役 熱甚しき者は一銭)、甘草(已上各五分、炙る)、人参(蘆を去る。三分、嗽有れば之を去る)、已上の三味は湿熱・煩熱を除く聖薬なり。
当帰身(二分、酒焙乾、或いは日乾す、以て血脈を和する)
橘皮(白を去らず、二分或いは三分。以て導氣す。又能く元氣を益す。諸甘藥を得て乃ちす可し。若し独り用いれば脾胃を瀉する)
升麻(二分或いは三分。胃氣を引き上騰させて其の本位を復する。便ち是れ春升の令を行う)
柴胡(二分或いは三分。清氣を引く少陽の氣を行らせ上に升する。)
白朮(三分。胃中の熱を除く。腰脊間の血を利する)
右(上記)件の薬を㕮咀し、都(すべて)一服に作する。水二盞を煎じて一盞にまで至る。氣弱氣盛を量り、病に臨みて水盞の大小を斟酌す。柤を去り食逺く稍(やや)熱服す、傷の重き者の如きは二服を過ぎず而して愈ゆ。若し日久しき者は、權を以て加減法を立て之を治せよ。

以下、加減法・・・(中略)・・・

調経論に云う、血は陽に并し、氣は陰に并す。乃ち炅中と為す。血は上に并し、氣は下に并すれば心煩し、惋して喜(しばしば)怒る。
又云く、其の陰に於いて生ずる者は、之を飲食居処、陰陽喜怒に得る。
又云く、所労倦する所有り、形氣衰少し、穀氣盛んならず、上焦は行らず、下脘通ぜず、胃氣は熱し、熱氣は胸中に熏ずる。故に曰く、内熱すと。陰盛んなれば内寒を生ずる、厥氣は上逆し、寒氣は胸中に積みて瀉さず。瀉せざれば則ち温氣去りて寒は独り留まる。寒独り留まるときは則ち血は凝泣す。血凝泣すれば則ち脈は通ぜず。其の脈は盛大にして以て濇なり。故に寒中と曰う。

▸先に熱中の証を病む者は、衝脈の火、二陰の裏に附き、之督脉に傳う。督脈は第二十一椎の下、長強穴、是れ也。足太陽膀胱の寒氣と督脈に附経を為す。其の盛なるや巨川の水の如く、疾きこと奔馬の如く、其の勢い遏むべからず。
太陽寒氣は細細として線の如し。太陽の寒氣、逆し上行して、頂に衝き、額に入り、鼻尖に下り、胸中に於いて手太陽に入る。
手太陽は丙、熱氣也。足膀胱は壬、寒氣也。壬は能く丙を尅する。
寒熱が胸中に逆する故に脈は盛大なり。其の手太陽小腸の熱氣、膀胱の経に交入すること能わざる者、故に十一経の盛氣、胸中に於いて積む。故に其の脈は盛大なり。
其の膀胱(の氣)逆行、盛はこれ極む③。子は能く母をして実せしむる。手陽明大腸経は金、即ち其の母也。故に燥旺す。其の燥氣、子の勢いを挟む。故に脈濇にして大便通ぜず。此れを以て言う、脈盛大以て濇なる者は、手陽明大腸脈也と。

黄帝鍼経に、胃病む者は腹脹し、胃脘當心而痛上支両脇、膈咽不通、飲食不下、三里を取り以て之を補う④

▸若し此の病中一証を見れば、皆な大いに寒し、諸々の甘酸薬を禁ず、上に已に之明らかなり。

胃気とは?陰火発生の機序とは?

下線部①「清気、栄気、運気、衛気、春升の気は皆な胃気の別称なり」
これと同様の記述は『内外傷弁惑論』弁陰証陽証にても確認できます。「元気、穀気、栄気、清気、衛気、生発諸陽上升の気、これらは胃気の異名、その実は一つなり。」とあり、このフレーズから李東垣の人体、生気観が分かります。まずはこの観点を基盤として李東垣の世界を俯瞰する必要があります。

下線部②は李東垣が提唱する陰火の発生機序を丁寧に記してくれています。また“心火”は心包にあった火ではなく、まずは下焦において起こる火であることを明言しています。
この上焦に存在した火なのか?なんらかの理由で下焦にて生じた火なのか?を明確にすることで陰火の理解は大幅に異なるでしょう。陰火についての私の考察は「陰火学説を素霊難および脈診の観点から考察する」(『中医臨床』通巻165号 Vol.42-No.2 に掲載)を参考にしてください。

陰火発生機序の概略をまとめますと「脾胃虚損」→「中気不足(胃気枯渇)」→「心火独盛(陰火発生)」に至ります。そこからさらに「脾胃氣虚則下流於腎」「陰火得以乗其土位」「陰火上衝」といった各段階に発展します。

しかし今回のテーマは東垣鍼法ですので陰火発生機序に触れるのはこれくらいにしておきましょう。

補中益気湯の各生薬

補中益気湯の役割りはその名の通り「中焦を補い気を益す」ことです。その効能おいて主たる薬能を発揮するのが、人参・甘草・黄耆でしょう。
しかし本文には橘皮・升麻・柴胡の薬能に興味深いことが書かれています。「導氣」「胃氣を引き上騰させて其の本位を復す」「春升の令」「清氣を引く」といった語句がこれに当たります。

とくにこの「導気」という言葉は『霊枢』五乱篇に登場する鍼術用語です。
ここからも李東垣が鍼という気を繊細に扱う医術を解しながらも、湯液学に応用しようとした姿勢を伺い知ることができます。

ちょこっとメモ・膀胱経と小腸経の違い

下線部③は陰火や東垣鍼法とは直接関係ありませんが、ちょこっとメモを…。
「その膀胱(経の気の)逆行、盛はこれ極む」とありますが、前述の「手太陽小腸熱気、不能交入膀胱経」とある通り、通常は経脈流注に従って営気は逆流しません。しかし「與足太陽膀胱寒氣為附経督脉。其盛也、如巨川之水、疾如奔馬。其勢不可遏。」とあるように膀胱経は督脈と並走しているため、その流れや勢いが強いのです。この点が小腸経とは異なるところです。太陽膀胱経には逆流しやすい性質(むしろ特性というべきか)があるというのは意味深です。

東垣鍼法に用いられた一文

下線部④「黄帝鍼経に、胃病む者は腹脹し、胃脘當心而痛上支両脇、膈咽不通、飲食不下、三里を取り以て之を補う。」
これは『霊枢』邪気臓腑病形第四からの引用ですが、霊枢の文と少し違う点もあります。この違いが李東垣の鍼法の奥深さを示す布石でもあるのです。

さて、この一文は『鍼灸聚英』の東垣鍼法に引用されています。
『えっ!?この章から引用されているのって、、、この一文だけ?』と思うくらい、本章本論からはたった一文だけの引用です。

このようにしてオリジナルを読むと分かると思いますが、
後代の『鍼灸聚英』では東垣鍼法として整理され収録されていることが、本当に李東垣が伝えたかった鍼法なのか?と疑問に思えるのです。(ちなみに東垣鍼法という名称も後代につけられました)

切り取られたホンの一部分だけをみて、すべてを理解したつもりになる…今の時代もよくあることです。
古典を読む以上、そして医学医術に携わる以上、そのような愚を犯さないよう、このように丁寧に(とはいえ所々私も省略していますが…)鍼法記載の章を記事にするわけです。

鍼道五経会 足立繁久

原文 『脾胃論』中巻 飲食労倦所傷始為熱中論

■原文 『脾胃論』中巻 飲食労倦所傷始為熱中論

古之至人、窮於陰陽之化、究乎生死之際、所著内外経悉言。人以胃氣為本。蓋人受水穀之氣以生。所謂清氣、榮氣、運氣、衛氣、春升之氣、皆胃氣之別稱也。夫胃為水穀之海、飲食入胃、遊溢精氣上輸於脾。脾氣散精、上帰於肺、通調水道、下輸膀胱、水精四布、五経並行。合於四時、五藏陰陽揆度、以為常也。
若飲食失節、寒温不適、則脾胃乃傷、喜怒憂恐損耗元氣。既脾胃氣衰、元氣不足而心火獨盛。心火者陰火也。起於下焦、其系繋於心、心不主令、相火代之。相火下焦包絡之火、元氣之賊也。

火與元氣不両立、一勝則一負、脾胃氣虚則下流於腎。陰火得以乗其土位。
故脾證始得、則氣高而喘、身熱而煩、其脉洪大而頭痛、或渇不止、其皮膚不任風寒而生寒熱。
蓋陰火上衝、則氣高喘而煩熱、為頭痛、為渇、而脉洪。
脾之氣下流、使穀氣不得升浮。是春生之令不行、則無陽以護其榮衛、則不任風寒、乃生寒熱。
此皆脾胃之氣不足所致也。

然而與外感風寒所得之證、頗同而實異。内傷脾胃乃傷其氣、外感風寒乃傷其形。傷其外為有餘、有餘者瀉之。傷其内為不足、不足者補之。内傷不足之病、苟誤認作外感有餘之病、而反瀉之、則虚其虚也。實實虚虚如此、死者醫殺之耳。

然則奈何。
惟當以辛甘温之剤、補其中而升其陽、甘寒以瀉其火、則愈矣。

経曰、勞者温之、損者温之。又云温能除大熱。大忌苦寒之藥、損其脾胃。脾胃之證始得則熱中。今立治始得之證。
補中益気湯
黄芪(病甚、勞役熱甚者、一銭)、甘草(已上各五分炙)、人参(去蘆三分、有嗽去之)、已上三味、除濕熱煩熱之聖藥也。
當歸身(二分、酒焙乾、或日乾、以和血脉)
橘皮(不去白、二分或三分。以導氣。又能益元氣。得諸甘藥、乃可。若獨用瀉脾胃)
升麻(二分或三分。引胃氣上騰而復其本位。便是行春升之令)宛
柴胡(二分或三分。引清氣。行少陽之氣上升。)
白朮(三分。除胃中熱。利腰脊間血)
右(上記)件藥㕮咀、都作一服、水二盞煎至一盞。量氣弱氣盛、臨病斟酌、水盞大小。去柤食逺稍熱服、如傷之重者不過二服而愈。若日久者、以權立加減法治之。

以下、加減法

調経論云、血并於陽、氣并於陰。乃為炅中。血并於上、氣并於下。心煩、惋喜怒。
又云、其生於陰者、得之飲食居處、陰陽喜怒。
又云、有所勞倦、形氣衰少、穀氣不盛、上焦不行、下脘不通、胃氣熱、熱氣熏胸中。故曰、内熱。陰盛生内寒、厥氣上逆、寒氣積於胸中而不瀉。不瀉則温氣去寒獨留、寒獨留則血凝泣。血凝泣則脉不通。其脉盛大以濇。故曰寒中。

▸先病熱中證者、衝脉之火附二陰之裏、傳之督脉。督脉者、第二十一顀下長強穴、是也。與足太陽膀胱寒氣為附経督脉。其盛也、如巨川之水、疾如奔馬。其勢不可遏。
太陽寒氣細細如線、逆太陽寒氣上行、衝頂、入額、下鼻尖、入手太陽於胸中。手太陽者丙熱氣也。足膀胱者壬寒氣也。壬能尅丙。寒熱逆於胸中、故脉盛大。其手太陽小腸熱氣、不能交入膀胱経者、故十一経之盛氣積於胸中。故其脉盛大。其膀胱逆行、盛之極。子能令母實。手陽明大腸経金、即其母也。故燥旺、其燥氣、挟子之勢。故脉濇而大便不通。以此言脉盛大以濇者、手陽明大腸脉也。

黄帝鍼経胃病者腹脹、胃脘當心而痛上支両脇、膈咽不通、、飲食不下、取三里以補之。

▸若見此病中一證、皆大寒、禁用諸甘酸藥、上已明之矣。

 

おすすめ記事

  • Pocket
  • LINEで送る
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントを残す




Menu

HOME

TOP