万葉集によむ病の歌 その2 病の本質を垣間みる

悲歎俗道假合即離易去難留の詩

第1回の「沈痾自哀文-山上憶良の悲哀-」に続いて、万葉集特集記事第2弾「維摩経に説かれる病の本質」です。

山上憶良の沈痾自哀文に続いて、萬葉集巻五に収録されているのが「悲歎俗道假合即離易去難留の詩」です。
この作者は記されていませんが、やはり山上憶良の作だとされているようです。

この世に生まれ出会いまた離れて留まり難い…というこの世の無常を悲嘆するという意味の題名ですが、四苦八苦の愛別離苦を連想させるテーマです。
沈痾自哀文と同じく、仏教や儒教の思想が強く反映されているのがわかります。

悲歎俗道假合即離易去難留詩の序(書き下し)


※書き下し文はうまく古文調?にできませんでした。随所におかしな表現があるかもしれませんが、ご容赦の上ご指摘ください。

悲歎俗道假合即離易去難留詩一首并序
俗(よ)の道の假(仮)に合いて即ち離れ去り易く留まり難きを悲歎するの詩竊(ひそか)に以(おもえらく)、釋慈の示教は(釋氏慈氏を謂う)、先に三歸(佛法僧に歸依するを謂う)、五戒を開きて、而して法界と化す。
(一、煞生(殺生)せず。二、偸盗せず。三、邪婬せず。四、妄語せず。五、飲酒せざるを謂う也)
周礼の垂訓、前(さき)に三綱(君臣、父子、夫婦を謂う)、五教を張り、以って邦國を濟(すく)う(父の義、母の慈、兄の友、弟の順、子の孝を謂う)。故に知る、引導は二つと雖も悟りを得るは惟だ一つ也。
但、以(おもえらく)世に恒(つね)の質無く、陵谷更に變(変)わる所以。
人に定(められた)期無し、壽夭の同じからざる所以。目を撃つの間に、百齢は已(すで)に盡(尽)き、申臂の頃(肘を申す頃)に、千代も亦(また)空し。
旦(あした)に席上の主と作すも、夕には泉下の客と為す。白馬走り来たりて、黄泉何をか及ぶ。
隴上の青松は空しく信劔を懸け、野中の白楊(柳)は但だ悲風に吹かれる。是に知る、世俗本より隠遁の室は無く、原野に唯だ長夜の臺(台)有ることを。
先の聖は已(すで)に去り、後の賢は留らず。
如(も)し贖(あがない)免るべき者有れば、古人誰が價(値)の金無し乎。
獨(独)り存して遂に世の終わりを見る者を未だ聞かず。
維摩大士も玉體(玉体)を方丈に於いて疾し、釋迦能仁も金容を雙樹にて掩(おお)う所以。

内教に曰く、黒闇の後に来たるを欲せざれば、徳天の先に至り入ること莫(な)し。
(徳天とは生なり、黒闇とは死なり)。
故に知る、生れれば必ず死有り、死は若し欲せざれば、不生に如(し)かず。
况んや、縦(よ)し始終の恒數を覺(さと)るとも、何ぞ存亡の大期を慮らん。

俗(よ)の道の変化は猶お目を撃つ(が如し)
人の事の経紀は申臂(の頃)の如し
空しく浮雲(と共に)大虚を行く
心力共に盡きて寄る所無し

最後の四行詩、序文も一貫してこの世の無常感を表現しているように思えます。
しかし今回は万葉集ではなく、文中に登場する維摩大(維摩居士)に少しだけ注目したいと思います。

維摩大士が説く病の本質とは

維摩大士(維摩居士)とは、維摩経などに登場する偉い在家のお坊さんとしてしられています。
同じく『万葉集』巻第五 (794)筑前守山上臣憶良挽歌一首にも維摩大士が登場します。

「蓋聞 四生起滅方夢皆空 三界漂流喩環不息 所以維摩大士在于方丈 有懐染疾之患…」
(蓋し聞く、四生※1の起滅は夢のごとく皆空であり、三界※2を漂流すること環の息まざるに喩える。
維摩大士が方丈に在りて、染疾の患いを懐うこと有り…)※1 四生:卵生、胎生、湿生、化生の四分類、全ての生を指す。
※2 三界:欲界、色界、無色界の三界

この文は維摩詰所説経巻中の文殊師利問疾品第五の件(くだり)を示唆する言葉とみうけますが、その一節を以下(下線部)に紹介します。

譬如長者唯有一子其子得病父母亦病。若子病愈父母亦愈
(譬えば、ある者の唯一人の子どもが病を得たら、父母も亦また病む。子の病が癒えれば、父母もまた癒える。)

とあり、病の本質を親子の病を例にして説いています。

維摩経の文殊師利問疾品では、菩薩の病と衆生の病との関係を説いており、その譬えとして上記のような親子の病を挙げております。
菩薩の病の根本的な原因は“衆生への愛”である。しかし、この愛が愛着すなわち執着につながり、執着は病疾を生みます。

上に挙げた維摩経が挙げている“親子の病”の例はまさに実際の臨床でも目の当たりにするケースです。
親子や夫婦、同僚や上司・部下など近しい関係にある者同士、互いに固執し合い病症を作り出す…
そんなスパイラルに陥るケースに、鍼灸師ならば毎日遭遇しているのではないでしょうか。

さらに言うと、治療家と患者の関係においても同様のことが言えます。

治療・治癒を手段・目的としながらも、気がつけば互いに依存し合い、病を生み出す関係に陥ってしまっている…
そんな例もまた実際に有り得ることなのです。

この維摩大士のエピソードは病と向き合う臨床家にとっては大切な教えと言えるでしょう。

第3回「老身重病経年辛苦及思兒等歌-万葉集以前の死生観-」に続きます。

ー鍼道五経会 足立繁久

悲歎俗道假合即離易去難留詩(原文)

以下に原文を載せておきます。(『補訂版 萬葉集』本文篇 佐竹昭広 木下正俊 小島憲之 共著(上写真)から引用させていただきました)

悲歎俗道假合即離易去難留詩一首并序

竊以、釋慈之示教(謂釋氏慈氏)、先開三歸(謂歸依佛法僧)、五戒、而化法界(謂一不煞生、二不偸、三不邪婬、四不妄語、五不飲酒也)。

周礼之垂訓、前張三綱(謂君臣父子夫婦)五教、以濟邦國(謂父義母慈兄友弟順子孝)。
故知、引導、雖二、得悟惟一也。但以世無恒質、所以陵谷更變、人無定期、所以壽夭不同。
撃目之間、百齢已盡、申臂之頃、千代亦空、旦作席上之主、夕為泉下之客。

白馬走来黄泉何及、隴上青松空懸信劔、野中白楊但吹悲風。
是知、世俗本無隠遁之室、原野唯有長夜之臺。
先聖已去、後賢不留、如有贖而可免者、古人誰無價金乎。
未聞獨存遂見世終者、
所以維摩大士疾玉體于方丈、釋迦能仁掩金容于雙樹。

内教曰、不欲黒闇之後来、莫入徳天之先至(徳天者生也、黒闇者死也)。
故知、生必有死、死若不欲、不如不生、况乎縦覺始終之恒數、何慮存亡之大期者也。

俗道變化猶撃目
人事経紀如申臂
空与浮雲行大虚
心力共盡無所寄

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