万葉集によむ病の歌 その3-万葉集以前の死生観-

新年号記念「万葉集特集」も最終回

・令和の『万葉集』記事特集も、
その1「沈痾自哀文-山上憶良の悲哀-」
その2「悲歎俗道假合即離易去難留詩-維摩大士が説く病の本質-」
と続きましたが、今回はその3「老身重病経年辛苦及思兒等歌」です。
四苦である「生老病死」その中の老いと病をテーマにした歌であります。

そして万葉集特集もここで一旦 最後の記事となります。

老身重病経年辛苦及思兒等歌(書き下し文)

肉体は老いていき病も重なり年を経るたび辛苦は増す一方。
自分の死後、遺される子(兒)らを思うと不安でならない…そんな心情を「老身重病経年辛苦及思兒等歌」では表現しています。

例によって書き下し文を以下に挙げておきます。

老いの身に重い病と年を経て辛苦及び兒(児)を思う等歌七首(長一首短六首)

霊剋(たまきはる)、内の限りは(瞻浮州の人、壽一百二十年なり)
平らけく 安くもあらむを 事もなく 裳無くもあらむを
世間(よのなか)の 憂(う)けくと辛(つら)けく いとのきて
痛き瘡(きず)には 鹹塩を 灌ぐちふがごとく
益々(ますます)も 重き馬荷に 表荷打つと いふごとの如(ごと)
老いにてある 我が身の上に 病おと 加えてあれば
晝はも歎かひ暮(く)らし 夜はも 息つきあかし
年長く 病(や)みし渡れば 月累ね 憂れえ吟(さまよ)ひ
ことことは しななと思えど
五月蠅(さばえ)なす さわぐ兒(児)らを 打棄(う)つてては 死には知らず
見つつあれば 心はもえぬ
かにかくに 思い煩(わずら)い ねのみしなかゆ

痛き傷(瘡)口に塩をぬる、とか、痩せ衰えた馬が引く荷にさらに重荷を載せるといった具体的な表現が、当時の人たちの苦悩、懊悩を伝えているようです。

ことことは 死ななと思えど
さばえなす さわぐ子ら うつてては 死には知らず
見つつあれば 心は燃えぬ。
かにかくに 思い煩い 音のみし泣かゆ

(現代語訳)
いっそのこと死にたいと思ってみても
うるさく騒ぐ子ども達を打ち捨てて死ぬわけにはいかず
子どもらをじっと見つめていると、熱い想いがこみあげてくる。
とにかく思い悩んで 声をあげて泣くばかり

これは上段の長歌の最後の四行ですが、老いた身に病が加わり自分の生涯のみならず、子どもたちの身を案じる親心が切々と綴られています。

反歌

反歌

なぐさむる 心はなしに 雲隠り 鳴き往く鳥の 音のみし鳴かゆ(898)
奈具佐牟留 心波奈之尓 雲隠 鳴往鳥乃 祢能尾志奈可由

術(すべ)もなく くしくあれば 出で走り いななと思えど 子(こ)らにさよりぬ(899)
周弊母奈久 苦志久阿礼婆 出波之利 伊奈々等思騰 許良尓佐夜利奴

富む人の 家の子らの 着(き)るみなみ 腐(くた)し棄(す)つらむ 絁綿らはも (900)
富人能 家能子等能 伎留身奈美 久多志須都良牟 絁綿良波母

麁妙(あらたえ)の 布衣をだに きせ難(かた)に かくや歎かむ せむ術(すべ)を無(な)み(901)
麁妙能 布衣遠陁尓 伎世難尓 可久夜歎敢 世牟周弊遠奈美

水沫(みなわ)なす 微(もろ)き命も 栲縄(たくなわ)の 千尋にもがと 慕(ねがい)くらしつ(902)
水沫奈須 微命母 栲縄能 千尋尓母何等 慕久良志都

倭文手纒(しつたまき) 数にも在らず 身には在れど 千年にもがと 意(おも)ほゆるかも(903)
倭文手纒 數母不在 身尓波在等 千年尓母何等 意母保由留加母

(去る神龜二年、これを作る 但、類を以て故に更に茲に載せる)

万葉集の歌から想う死生観

一番目の(898)の歌
なぐさむる 心はなしに 雲隠り 鳴き往く鳥の 音のみし鳴かゆ

この「雲隠り」とは、隠れる=亡くなる、つまり死を暗示する言葉でもあります。
また「鳴き往く鳥」も、地上に居る人からみると外の世界に旅立つことができる存在として羨望の想いを込めた言葉でもあると考えられます。

そして最後の二首にある言葉
「千尋にもがと ねがいくらしつ」(902)
「千年にもがと おもほゆるかも」(903)
千尋、千歳と、いかに境遇を嘆こうとも、千年もの長生を願うのはいつの時代も万国共通というべきか、
それとも不老不死を是とする道教思想の影響を受けている山上憶良の歌風といえるのかもしれません。

それまでの日本の死生観が古事記などに記されているようなものであったとすれば、またこれとは違ったものになるのかもしれません。

この疑問に関しては本居宣長が「秘本玉くしげ」別巻にて次のような言葉を記しています。

新日本古典籍データベースより引用させていただきました『玉くしげ』(本居宣長 著)(国文学研究資料館所蔵)

「さて世の人の貴きも賤しきも善きも悪しきも悉く死すれば必ずかの豫美の国にゆかざることを得ず。いと悲しき事にてぞ侍る。
かように申せば、ただいと浅きにして、何の道理もなきことのやうには聞ゆれども、これぞ神代のまことの傳説にして妙理の趣したるところなれば…」と記しています。
口語訳についてはこちらのページが参考になります。

本居宣長は『古事記』『万葉集』をはじめとする国学研究の第一人者(国学の四大人)のひとりでありますから、万葉集以前の日本の死生観として参考にできる言葉であると思います。

さて、このように歌を考えるに、現代の感覚に馴染んでしまった我々が古典の世界の人々の境遇と心情を理解するのには、当時の社会情勢や医療・食事…など様々な条件に配慮が要ることが分かります。
そしてこれは万葉集に限らず、医学文献も全く同じことが言えます。

ただ古典文献を読むだけで治療を深く理解するのは難しいことでしょう。
当時の生命観、生体観、病理観の理解を深めようとし、歩み寄ることができる…このような資質は伝統医学を理解するためには必要です。

これは人との接し方とも同じとも言えるでしょう、どちらも配慮が必要だと思うのです。

ー鍼道五経会 足立繁久

以下(『補訂版 萬葉集』本文篇 佐竹昭広 木下正俊 小島憲之 共著(上写真)から引用させていただきました)

老身重病経年辛苦及思兒等歌七首(長一首短六首)

霊剋、内限者(謂瞻浮州人壽一百二十年也)
平氣久 安久母阿良牟遠 事母無 裳無母阿良牟遠
世間能 宇計久都良計久 伊等能伎提
痛伎瘡尓波 鹹塩遠 灌知布何其等久
益々母 重馬荷尓 表荷打等 伊布許等能其等
老尓弖阿留 我身上尓 病遠等 加弖阿礼婆
晝波母歎加比久良志 夜波母 息豆伎阿可志
年長久 夜美志渡礼婆 月累 憂吟比
許等々々波 斯奈々等思騰
五月蠅奈周 佐和久兒等遠 宇都弖々波
死波不知 見乍阿礼婆 心波母延農
可尓可久尓 思和豆良比 祢能尾志奈可由

反歌

(898)奈具佐牟留 心波奈之尓 雲隠 鳴往鳥乃 祢能尾志奈可由

(899)周弊母奈久 苦志久阿礼婆 出波之利 伊奈々等思騰 許良尓佐夜利奴

(900)富人能 家能子等能 伎留身奈美 久多志須都良牟 絁綿良波母

(901)麁妙能 布衣遠陁尓 伎世難尓 可久夜歎敢 世牟周弊遠奈美

(902)水沫奈須 微命母 栲縄能 千尋尓母何等 慕久良志都

(903)倭文手纒 數母不在 身尓波在等 千年尓母何等 意母保由留加母(去神龜二年作之、但以類故更載於茲)

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