難経十七難では二診合参・三診合参を学ぶ

難経 十七難のみどころ

十七難の冒頭は実に素朴な疑問から始まります。
「病になってそのまま死んでしまう人もいれば、治療せずとも自力で治る人もいる。また年月を重ねても治らない人だっている。それは脈診で分かるものなのか???」
脈診をしていれば、いえ脈診をせずとも臨床家ならばこのような疑問を持ったことは数多あるのではないでしょうか?

そして扁鵲先生の答えはYes!です。どのような解が展開されるのか?興味津々で読んでみましょう。


※『難経抄』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

難経 十七難の書き下し文

書き下し文・難経十七難

十七難に曰く、経に言う、病みて或いは死する有り、或いは治さずして自ら愈える有り、或いは年月を連なりて已(いえ)ず。
其の死生存亡、切脈にて之を知るべきや?

然り。
盡(ことごと)く知るべし也。

病を診するに若し閉目し、人を見ることを欲せざる者は、脈は當に肝脈強急にして長なることを得るべし。
而るに反て肺脈の浮短にして濇なるを得る者は死する也。

病、若し開目して渇し心下牢なる者は、脈は當に緊実にして数なるを得る。
反て沈濡にして微なるを得る者は死する也。

病、若し吐血して復た鼽衄血する者は、脈は當に沈細なるべし。
而るに反て浮大にして牢なる者は死する也。

病、若し譫言妄語し身當に有熱すべし。脈は當に洪大なるべし。
而るに反て手足厥逆し、脈沈細にして微なる者は死する也。

病、若し大腹にして洩する者、脈は當に微細にして濇なるべし。
反て緊大にして滑なる者は死する也。

五行の相尅でみる

十七難では五行の相勝(相尅)の病が逆証であることを基に死証を説いています。
本来ならば、肝木の脈証が診られるはずなのに、肺金の脈証が診られる。
これは肝木証に相尅にある肺金の脈証が現れたため金尅木の病態に陥っていることを示しています。

次文も同様の病伝パターンとして心火証に腎水の脈証が現れた水尅火の病態を示し、五行的な逆証例を示しています。

以上の五行の病伝の順逆については五十三難で詳しく説明されています。
また複数の診法合参については十三難にてすでに説かれています。
この十七難で挙げているのは問診と脈診の二診合参、心下牢という情報を加味すると腹診も加えた三診合参です。

問診と脈診の二診合参や、問診・脈診・腹診の三診合参は私自身、臨床で最も多用する診断法です。ですが実際の問診では病理を複層的に分析する必要があるため、五行的な見かただけでは単層的になります。陰陽五行だけでなく多様な生理学と病理学を修めておく必要があります。

深刻な局面こそ陰陽のみかた

一転して次の文からは五行の設定から陰陽の話に切り替わります。

失血した後は陰血を虚損していますので、脈証は沈細と陰脈が現れるはずなのに浮大にして牢の脈が現れます。(ここでいう“牢脈”は沈伏系の脈状ではなく“堅い脈”を表わす言葉であると岡本一抱氏は指摘しており、この説に随います。)
つまりは陰証・虚証であるのに、脈はそれに反して陽証・実証の情報を示している…これは逆証の可能性が極めて高いゾ…と、警戒すべきケースだと説いているのです。
以上の逆証については『霊枢』玉版にある五逆について調べるのも参考になると思われます。

と、このように後半はいくつかの陰陽逆証例を提示しています。
五行から陰陽への話の流れは、陰陽五行を説く難経らしい展開といえます。

また「重篤な病態こそ、複雑な診かたよりもシンプルな陰陽の観点で要所を見極めよ!」そして「脈と証における陰陽の乖離こそ重篤さのステージが上がった可能性がある」との重要な教えでもあると思う次第です。

鍼道五経会 足立繁久

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原文 難経 十七難

■原文 難経 十七難

十七難曰、経言、病或有死、或有不治自愈、或連年月不已。其死生存亡、可切脉而知之耶。

然。
可盡知也。診病若閉目、不欲見人者、脉當得肝脉強急而長。
而反得肺脉浮短而濇者死也。
病若開目而渇、心下牢者、脉當得緊實而数。反得沈濡而微者死也。
病若吐血復鼽衄血者、脉當沈細。而反浮大而牢者死也。
病若譫言妄語、身當有熱。脉當洪大。而反手足厥逆、脉沈細而微者死也。
病若大腹而洩者、脉當微細而濇。反緊大而滑者死也。

 

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