難経十九難に込められた死生観・生命観

難経 十九難のみどころ

これまでも脈の逆順については複数の難で説かれてきました。この十九難ではこれまでとは異なる逆順について触れられています。

十九難では男女によって平脈が異なると説いています。平脈が異なるということは、異常となる脈の基準も異なる側面があるということです。他の文献には類を見ない男女論から説く脈の逆順、そしてその奥に秘められた深奥な死生観・生命観がこの十九難には説かれています。
がんばって本文を読んでみましょう。


※『難経評林』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

難経 十九難の書き下し文

書き下し文・難経十九難

十九難に曰く、
経に言う、脈に逆順あり。
男女に常有り而して反する者は、何の謂い也?

然り。
男子は寅に於いて生まれる。寅は木陽と為す也。
女子は申に於いて生まれる。申は金陰と為す也。
故に男脈は関の上に在り。女脈は関の下に在り。
是れ以て男子の尺脈は恒に弱く、女子の尺脈は恒に盛ん。
是れ其の常也

反する者 男が女脈を得、女が男脈を得る也。其の病為すこと何如?

男が女脈を得るは不足と為し、病は内に在り。
左に之を得るときは病則ち左に在り。
右に之を得るときは病則ち右に在り。
脈に随いて之を言う也。
女が男脈を得るは太過と為し、病は四肢に在り。
左に之を得るときは病則ち左に在り。
右に之を得るときは病則ち右に在り。
脈に随いて之を言うとは、此れの謂い也。

男女で異なる順逆=寸尺

結論からいうと「男女で異なる脈の順逆」とは寸尺を目安とします。
「男子の尺脈は恒に弱く(男子尺脉恒弱)、女子の尺脈は恒に盛ん(女子尺脉恒盛)」とあるように、男女で寸尺の脈の偏りは異なります。

単純な陰陽論でいうと、陽性の男性は相対的に寸部が強く、陰性の女性は相対的に尺部が強いのです。
また人体の生理学からみても、女性の身体は月経や妊娠・出産を行うため尺部が実することが平となるのはごく自然のことでもあります。

しかし十九難では、男女の脈における(平脈としての)寸尺の偏りを単なる陰陽論ではなく、五行的に展開しています。

寅と申

男子は寅に於いて生まれる。(男子生於寅)
女子は申に於いて生まれる。(女子生於申)

本文では寅・申といった十二支(地支)を提示し、陰陽五行の観点から男女差を示しています。
十二支(地支)は子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥です。
そのうち亥子が水、寅卯が木、巳午が火、申酉が金、丑辰未戌が土に配されます。(下イラストを参照のこと)

木は東方、生発、春陽の性をもつため「寅は木陽と為す」とし、
金は西方、収斂、秋陰の性をもつ故に「申は金陰を為す」と解釈できます。

「生まれ」からさらに婚期にまで遡る

十九難のはなしでおもしろい点は、性差を論ずるために「生まれ」に注目している点です。
そして「生まれ」からさらに婚期にまで遡って論ずるという発想は実に興味深いところです。『難経評林』の註(以下に一部引用)では、婚期と天の氣(天道)とを重ね合わせています。この観点は現代日本人には分かりにくいかもしれませんが、天の道を人の生き方の規範とする思想を前提として古典を読むべきでしょう。他の中国古典文献にもこのような思想がみられます。

『周禮』の一節

男は三十(歳)にして娶らしめ、女は二十(歳)にして嫁がせしめる。

■原文
令男三十而娶、女二十而嫁。

この婚期に関する理由として『白虎通』には身体的な理由と数理的な理由の両面で説いています。

『白虎通徳論』の一節

男三十にして娶り、女二十にして嫁ぐ、陽数は奇、陰数は偶。男は長じ女は幼なるは、陽は舒び、陰は促す。男は三十にて筋骨堅強となり、人の父たるを任ず。女は二十にて肌膚充盛となり、人の母たるを任ず。合して五十と為るは大衍の数に応じ、萬物を生ずる也。

■原文
男三十而娶、女二十而嫁、陽数奇、陰数偶。男長女幼者、陽舒、陰促。男三十、筋骨堅強、任為人父。女二十、肌膚充盛、任為人母。合為五十、応大衍之数、生萬物也。

以上のような身体面・数理面に加えて、難経注釈書では天道・暦法と回転(方向)の要素も加えて解説しています。

婚期からさらに生命誕生にまでさかのぼる

十二支の初めとなる「子」は北方・坎にして「天一(水)の生ずるところ、万物の始まるところ」としています。その始めとなる「子」を起点として地支を、男子は陽である左に回転し、女子は陰である右に回転します。回転数は男女それぞれの婚期(年数)です。

子(ね)より男は30回左旋、女は20回右旋することで、巳(み)の位にて出会います。『難経評林』では「巳の位は正に陰陽の分なり」としています。
岡本一抱は『難経本義諺解』にて「巳の位…女是(ここ)に於いて嫁するとす。嫁娶の所を即ち懐娠の地とす。」と記しています。男女それぞれの歳数で以て左旋右旋することで、巳の位に出会います。
その出会う位である巳を妊娠、新たな生命誕生の場所としています。

しかし生命誕生とはいえ、まだ妊娠の段階です。そこからこの世に産まれ出るには十月十日(とつきとおか)を要します。
男子であれば十月の回数だけ左旋して寅の位にあたります。
女子であれば十月の回数だけ右旋して申の位にあたります。
『難経評林』の図ではその回旋する存在を「胎氣」と示した表現は秀逸であると思います。

『難経本義諺解』の文をそのまま引用すると以下の通りです。
「嫁娶の所を即ち懐娠の地とす。故に巳より孕(はらま)れて亦左へ数(かぞえ)ること十は寅の位に当る。男子の生まれる所なり。故に男は寅に生ずと為す。又、巳より孕れて右へ数ること十は申の位に当る。女子の生る所なり。故に女は申に生ずと為すなり。十とは十月の数なり。右行左行は陰陽の道なり」

左右と陰陽に秘められた死生観・生命観

右行左行(右旋左旋)は陰陽の道としています。
陰陽の道、そして左右といえば『素問』陰陽応象大論の言葉「陰陽者天地之道也(陰陽とは天地の道なり)」「左右者陰陽之道路也(左右とは陰陽の道路なり)」です。

左右は陰陽の道すじ、陰陽は天地の道すじです。その陰陽左右に従って人は生きるべし…とのメッセージが含まれていると読み取ることができます。

余談ですが、男女と左旋右旋の関係はかの「古事記」にも記されています。伊邪那岐(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)の国生み伝説のあの話です。難経と日本神話は関係がある!なんてことを言うつもりは毛頭ありませんが、左右と陰陽の法則は神話と古典にみてとれるとここではまとめておきましょう。

さて、十九難はもちろん一難から通じて『難経』に秘められたテーマには天地の氣と人の氣の相応・和することの重要性があります。
とくに本難は死生観に関する内容であり、これまでの「死」をテーマとした内容と一転して「生」に関わる内容でした。
そして人の生・誕生だけでなく、その源である嫁娶にまで天地の数理に相応させたセオリーとして大いに見直すべき内容だと思います。

また男女で右行左行(右旋左旋)が異なる点は脈診にも大いに反映する思想であります。

難経評林の註文の一節

天道の行りたるや、冬至の後、子より巳に至るまでを陽と為す。夏至の後、午より亥に至るまでを陰と為す。
故に人の元氣は必ず子に於いて始まる。
子は坎位に居する、天一の生ずる所、萬物の始まる所也。

男子は子より左行すること三十にして巳に至る、陽也。故に三十にして娶(めと)る。
女子は子より右行すること二十にして巳に至る、陰也。故に二十にして嫁(とつ)ぐ。
則ち此れ巳の位とは者、正に陰陽の分也。

巳より懐娠して、男子を娠するは、巳より左旋すること十月にして寅に生れる、陽木と為す也。
女子を娠するは巳より右旋すること十月にして申に生まれる、陰金と為す也。
寅木は火を生ず、火生じて寅に在り、而してその性は炎上す。故に男脈は関の上、寸部に在る也。
申金は水を生ず、水生じて申に在り、而してその性は流下す。故に女脈は関の下、尺部に在る也。

是男脉在関上、則尺脉恒弱。
女脉在関下、則尺脉恒盛、乃其脉之常也。
是之謂順也。
苟與此而反者、則男子寸脉本盛、而見於尺。尺脉盛者、女脉也。
非男得女脉而何。
女子尺脉本盛、而見於寸。寸脉盛者、男脉也。
非女得男脉而何。
此其所以為逆也。
逆順之脉、不出手常反之間、而君子可以無惑矣。

■原文
天道之行也、冬至後従子至巳為陽。夏至後従午至亥為陰。故人之元氣必始於子。
子居坎位、天一所生、萬物所始也。
男子従子左行三十至巳、陽也。故三十而娶。
女子従子右行二十至巳、陰也。故二十而嫁。則此巳位者、正陰陽之分也。
従巳懐娠、男娠自巳左旋十月、而生于寅、為陽木也。
女娠自巳右旋十月、而生於申、為陰金也。
寅木生火、火生在寅、而性炎上、故男脉在関上寸部也。
申金生水、水生在申、而性流下、故女脉在関下尺部也。

是男脉在関上、則尺脉恒弱。
女脉在関下、則尺脉恒盛、乃其脉之常也。
是之謂順也。
苟與此而反者、則男子寸脉本盛、而見於尺。尺脉盛者、女脉也。
非男得女脉而何。
女子尺脉本盛、而見於寸。寸脉盛者、男脉也。
非女得男脉而何。
此其所以為逆也。
逆順之脉、不出手常反之間、而君子可以無惑矣。

鍼道五経会 足立繁久

難経 十八難 ≪ 難経 十九難 ≫ 難経 二十難

原文 難経 十九難

■原文 難経 十九難

十九難曰、経言、脉有逆順。男女有常而反者、何謂也。

然。
男子生於寅。寅為木陽也。女子生於申。申為金陰也。
故男脉在関上。女脉在関下。是以男子尺脉恒弱、女子尺脉恒盛。是其常也。
反者男得女脉、女得男脉也。其為病何如。

然。
男得女脉為不足、病在内。左得之病則在左。右得之病則在右、随脉言之也。
女得男脉為太過、病在四肢。左得之病則在左。右得之病則在右、随脉言之、此之謂也。

 

おすすめ記事

  • Pocket
  • LINEで送る
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントを残す




Menu

HOME

TOP