難経六十三難では井栄兪経合の縦の関係を学ぶ

難経 六十三難のみどころ

前章六十二難では原穴(とくに陽経の原穴)がテーマであった。而して本六十三難では井栄兪経合が主役である。
井穴・栄穴・兪穴・経穴・合穴は五兪穴とも呼ばれ、鍼灸学生の頃から暗記する必須知識でもある。

しかし六十三難の内容では、まず井栄兪経合システムに五行理論を加えたことを明言している。そしてトップにある井穴が木の性質を帯びることを示している。


写真:稲の発芽
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

難経 六十三難の書き下し文

書き下し文・難経六十三難

六十三難に曰く、十変に言う、五臓六腑の栄合は皆な井を以て始と為す者は何ぞ也?

然り。
井は東方の春也。
萬物の始めて生ずる、諸々蚑行し喘息し、蜎飛、蠕動す。
當に生ずるべきの物は、春を以て而して生ぜざること莫し。
故に歳数は春に始まり、日数は甲に始まる。
故に井を以て始と為す也。

なぜ井穴が始めなのか?

本難ではまず「十変」という言葉が登場する。難経十難においても「十変」が登場した。
十難における「十変」とは「一脈変じて十変と為す」の十変であるが、本六十三難の「十変」はそれとは異なる。
『難経評林』『難経抄』では「古経の篇名である」としている。『難経本義諺解』も同じ意見である。

さて、その古の経典(の篇)『十変』には「陰経陽経の栄合はすべて井穴から始まる」と記されているという。
言い換えると「手足の経絡はすべて井穴から始まる。それは何故か?」
そんな問いから本難は始まる。

本文中にある「五臓六腑の栄合」とは陰経陽経の井穴・栄穴・兪穴・経穴・合穴のことである。これら井栄兪経合の順序において井穴を初めとするのはなぜか?という問いである。
この問いに対して、井穴は東方・春であると最初に答えている。
東方と春は共に五行における「木」に相当する。
すなわち東方は“方角”と春は“暦”であり、空間と時間の二軸で以って井穴は万物の始まりに相当するということを明示している。

『霊枢』では井栄兪経合にそれぞれ「出・溜・注・行・入」の性質を示し、さらに「井木」という表現を用いていた。この表現に対して『難経』六十三難ではさらにもう一歩踏み込んだ説明を試みている。続いて本文をみてみよう。

小さな陽のメタファー

「蚑行」「喘息」「蜎飛」「蠕動」これらの言葉は実相における“兆し”を列挙している。
蚑行とは虫の這い進むさまであり、喘息とは生き物たちの息づかいであり、蠢動する気配である。
蜎飛蠕動、これは仏教用語にもあるようですが、上記と同様に地中地表の生き物たちがひそかに活動を始める様子を表している。
この虫という小さな生物にフォーカスを当てている点も注目すべきである。“陽”を表現するのなら、馬や鳥や龍などいかにもな生き物をメタファーに使えばよいものを、わざわざ上記のような表現を採っている。しかし、そのことに意味があるのだ。
つまり地中や地表という“陰の位”において虫という“小さな陽”すなわち少陽が動きを始めているということを示唆していると読み取ることができる。

二十四節気・七十二候に譬えると

万物の始まりや発生に際して「蚑行」「喘息」「蜎飛」「蠕動」という言葉・表現を用いることに親しみを感じる。これらの表現はあくまでも“兆し”であるのだ。

兆しという意味では、二十四節気における「啓蟄(けいちつ・3月6日ごろ)」、七十二候における「蟄虫啓戸(すごもりのむしとをひらく)3月5日頃」「菜虫化蝶(なむしちょうとなる)3月15日頃」といった表現が近しいと思われる。

現代人にとっては、目に見えて起こる事象しか認めない(理解できない)と、そんな感覚が主流になりつつあるが、本来は目に見える程に物事が起こり変化してしまってからでは遅いのである。

このことは草花(特に穀物・野菜)や昆虫などを育てているとよく分かると思う。特に一年サイクルで生を全うする生き物は時間にシビアだ。一年のスパンで成長のスケジュールがインプットされているのだから当然でもある。
そのため農家の方々は作物を育てるために暦を重視するようである。

個人的な話で恐縮だが、先年より稲(イネ)を育てている。稲といっても広い水田ではなくメダカの飼育容器に作った小さな田んばであるが…。


写真:稲穂が出始めた。ミニ田んぼにて。この稲は種籾から育てているので愛着がある。

しかし、それでも色々と実感できたことがある。田んぼ(土)の準備、発芽、田植え、肥料、水の調整…どれをとっても暦(時間・日照時間と温度)が最も大きな要素・条件であると実感できた。これは私にとって実に大きな収穫であった。
現代人の感覚だと、少々の遅れは後から努力で取り戻せる・巻き返せると思っているが、自然や農業はそうはいかない場合が多々ある。当たり前であるが時間は巻き戻せないのだ。

この感覚を知ると、二十四節気や七十二候の意味も自ずとその解釈の仕方が変わるであろう。

春と甲・一年と一日

そして後半には歳数(春)および日数(甲)という言葉が登場する。

春という言葉は既出であるにも関わらず、再度提示することに意味があると思われる。言うまでもなく春は“木”を示す季節であり、井穴の性質は木に属することを示している。

しかし東方には触れず、春をわざわざ再登場させることに意味がある。春という季節を示す言葉を用いることで、時間をベースにした周期・周回を強調しているのであろう。このことは春だけでなく甲(きのえ)を加えている点からも明らかである。

更に言うと、甲を加えることで、一年周期ではなく24時間周期であることを強調しているのであろう。なぜなら井穴を含む氣の周回リズムは一年周期ではなく、24時間周期を最小単位としているからだ。

鍼道五経会 足立繁久

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原文 難経 六十三難

■原文 難経 六十三難

六十三難曰、十變言五藏六府、榮合皆以井為始者、何也。

然。
井者、東方春也。
萬物之始生、諸蚑行喘息蜎飛蠕動、當生之物、莫不以春而生。
故歳数始於春、日数始於甲。故以井為始也。

 

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