第33章 奪液無汗【瘟疫論】より

これまでのあらすじ

前回、前々回は、心胸に邪が留まった場合の病症パターンを学びました。
瘟疫は膜原を起点とし、経や腸胃の邪熱をいかに処理するかが治のポイントとなります。

また心胸に邪が停留することで嘔気も強く起こります。このような病症も急性病においては鑑別の眼と治療の術を身に着けておく必要はあるでしょう。

さて今回は陰虚証のお話です。

(写真・文章ともに四庫醫學叢書『瘟疫論』上海古籍出版社 より引用させていただきました。)

第33章 奪液無汗

奪液無汗

瘟疫下後、脉沈、下證未だ除かれず、再びこれを下して、下後の脉浮なる者は、法當に汗して解す。
三五日に汗得ざる者は、その人預め津液を亡すなり。

時疫、下證を得て、日久しく下を失し、日を逐いて純臭水を下利すること、晝夜十数行。
乃ち、口燥き、唇乾き、舌裂けること断するが如くに致る。
醫者、誤りて、仲景の協熱下利の法と按じ、因りて葛根黄連黄芩湯を與える。
これを服して轉(ますます)劇し。
予を邀(むかえ)て、診し視るに、乃ち熱結傍流なり。
急ぎ大承気一服を與えて宿糞を去ること甚だ多く、色は敗醤の如し、状は粘膠の如く、臭悪は常と異なる。
これ晩に利、頓ろに止む。
次の日、清燥湯一剤を服し、脉尚沈、再びこれを下して、脉始めて浮く。
下證減じ去りて、肌表僅かに微熱を存す。
これ應(まさ)に汗解すべきと雖も汗を得ず。然して裏邪先に盡き、中氣和平なり。
飲食漸く進み、半月の後、忽ち戦汗を作して、表邪方に解する所以。
蓋し下利日久しきに因りて、表裏枯燥の極。飲食すること半月にして津液漸に回り、方に汗を得るべし。

所謂(いわゆる)流を積みて渠 自ら通ずる也。
見るべし、脉浮身熱は汗に非ざれば解せず。
血燥き津枯れるは液に非ざれば汗せず。
昔の人、以(おもえら)く、血を奪えば汗無し。
今以く液を奪えば汗無し。
血と液(津液)は、殊なると雖も枯燥するときは則ち一つ也。

具体的な症例が挙げられています。
セオリー通りなら「陽明腑の邪熱を下し、その後に表に残った邪を発汗にて解除する」と治療したいところ。
しかし、実際には下すべき時に下さず、その後の変証にも誤診誤治をしてしまうという失態をしてしまった…
と、そんな複雑な変証に陥った患者に対し、呉有性先生はどのように診断治療したのか!?が書かれています。
少し長くなりますが、現代文風にしてみましたので読んでみましょう。

【医案 訳】
時疫(瘟疫)に罹患して数日、本来なら下すべき証であるのに下法を施さなかった。
しかし数日後、(下法を行うことなく)水様便が発症。
しかもその回数たるや、一昼夜で数十回。この現象は、陽明腑に蓄積した邪熱が飽和状態となり、患者の正氣が強制的に駆邪することで自然と下痢となったのでしょうか。しかし、この下痢を診て前医は、傷寒論にある協熱利の証だと判断して葛根黄芩黄連湯を処方します。
結果、症状はさらに激化してしまい・・・。
患家はセカンドオピニオンを選択することになります。ここで呉有性の登場です。呉氏の診察では、これは熱結傍流、陽明腑に熱が結滞していると診断し、大承気湯を処方します。
大承気を服用後、悪臭のある粘便を多量に排出します。
陽明腑の実邪を大半を排除した翌日、柴胡清燥湯で調整するも、まだ脈は沈位にあります。
この脈沈は病位を示す沈脈です。
つまりまだ陽明腑に邪実が居座っていると判断します。
ですから処置は再び下法です。

再度下してようやく脈は浮となり微熱などの表証を示します。
ここで本来なら表に残った邪を追い出すのに発汗して解されるはずが、発汗できません。
なぜなら、数十回の水下痢、下法後の宿便と、かなり津液を消費してしまっています。
裏の陰虚もなかなかのレベルに達しているのですね。
そのため、スムーズに発汗に至らずに、半月のタイムラグを経て戦汗を発した後にようやく治癒…となりました。

以上のように、陰分・津液が消耗してしまっていると汗が出て治るはずなのに…というタイミングでも発汗できません。
これが本章のテーマです。

しかし、この症例はなかなか面白いので、もう少し穿って読んでみましょう。

まず「前医はなぜ誤診してしまったか?」も理解しておくべき誤診誤治例といえるでしょう。
「なぜ協熱下利と判断したのか?」
「なぜ黄芩・黄連など清熱薬を含む葛根黄芩黄連湯を処方したのか?」
やはり患者の熱症状「口燥、唇乾、裂紋舌」といった情報から熱実証と判断したのだろうと考えます。

これが平時であれば、陰虚所見ともみれますが、
急性熱病疾患という有事に際しては、実熱所見と誤診しやすいのだろうと考えます。

しかし、やはり問診と分析は重要です。
その前の情報をみると下痢すること昼夜十数回とあります。
度重なる下痢のため、陰虚・津液虚に陥っているのでは?という誤診の可能性も念頭に置きつつ、
強い陽明腑熱証であっても、上記の症状は当然起こり得ます。

①上焦の熱実証 ②陰虚証 ③陽明腑熱 といった3つの選択肢が挙げられますが
呉氏は陽明腑熱が病の本だとして大承気湯を処方しました。

その判断が正しかったのは治癒の過程からみて触れるまでもないことですね。

第32章【下後反嘔】≪ 第33章【奪液無汗】≫ 第34章【補瀉兼施】

鍼道五経会 足立繁久

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