これまでのあらすじ
いよいよ本章で上巻の最終章です。
冒頭文、補瀉を用いるも、先後、多少、緩急をいかに使い分けるべきか?
これは鍼灸治療であっても、急性病であっても、慢性病であっても同様に大事なことです。
本章のテーマは「乗除」。瘟疫の診断と治療における“掛け算”と“割り算”について症例を交えて詳解されています。
(写真・文章ともに四庫醫學叢書『瘟疫論』上海古籍出版社 より引用させていただきました。)
第50章 乗除
乗除
病に純虚、純實有り。
補に非ざれば即ち瀉なり。何ぞ乗除有らん。
設し、既に虚し且つ實する者に遇えば、補瀉間(まま)用いるに、當に孰(いずれ)をか先にし、孰れをか後にし、少に従い多に従い、緩にすべく急にすべきかを、詳らかにし、その證に随いてこれを調うべし。
呉江の沈音来の室、少して寡となり。素より鬱怒多くして吐血の證有り。
歳に三四発、吐後即ち已みて、他證有ること無し。
蓋し、事を為すを以てせざる也。
三月の間、病並びに舊證に非ず、但、小(わずか)に発熱し、頭疼、身痛、不悪寒にして微かに渇す。
夫れ悪寒して渇せざる者は、乃ち風寒に感冒せり。
今、不悪寒して微かに渇する者は疫なり。
第二日に至りて、舊證大いに発し、吐血 常より勝れり、更に眩暈 加わり、手振るい、煩躁し、種種の虚状、飲食進まず。且つ熱漸に加重す。
醫者病者、但 吐血を見て、以て舊證復発と為す。
それ疫の為なるを知らざる也。
故に発熱を以て、認めて陰虚と為す。
頭疼、身痛を認めて血虚と為す。
未だ吐血せざるの前一日 已に前證有りて、吐血の後に加わる所の證に非ざるを察せざる也。
諸醫、補を議して、余に可否を問う。
余 曰く、失血 虚を補う、權宜(権宜)は則ち可なり。
蓋し吐血する者は、内に結血有りて、正血が経に歸すること能わず、吐する所以也。
結血、牢固なる、豈に能く吐せんや。
能くその結を去りて、中に阻無し、血自ら経に歸する、方に発せざるを冀(こいねが)う。
若し吐後、専ら補する。補するときは則ち血満つ。既に満ちて歸せざれば、血、上従(よ)り溢れる也。
設し寒涼を用いば、尤も誤れり。
補剤を投ずる者は、只、目前の虚を顧みて、参を用れば、暫く効あるも、病根を抜去すること能わざる。日後、又 発する也。
況や又、疫を兼ねれば、今は、昔の比に非ず。
今、疫に因りて発す。血、脱するを虚と為す。
邪在りて、實と為す。これ虚中に實あり。
若し、補剤を投じて始めは則ち實を以って、虚を填じ、その補益に沾(うるお)さん。既にして實を以って實に填する。
災害立ちどころに至らん。ここに於いて暫く人参二銭を用いて、茯苓歸芍を以ってこれを佐し、両剤の後、虚證、咸(みな)退き、熱は六七を減ずる。
醫者、病者、皆謂う、参を用いて効を得ると。
均しく速やかに(人参補剤を)進むことを欲す。
余、これを禁ずるも、止まず。乃ち意を恣にして、続けて進む。
便ち心胸煩悶し、腹中和せず、積氣有りて噦を求めれども、これを得ざるが若くを覚える。
この氣、時ならずに上升し、便ち嘔を作さんと欲す。
心下を過ぎること難く、遍體舒びず、終夜寐(寝)ず、按摩搥撃を喜(この)む、これ皆外より有餘を加わるの變證なり。
然る所以の者は、止、三分の疫ありて、只、三分の熱に應ず。
適(たまたま)七分の虚有りて、経絡枯澁し、陽氣内陥す。
故に十分の熱有り、分かちてこれを言えば、その間、これ三分の實熱、七分の虚熱なり。
向には則ち本氣空虚にして、邪と搏たず、故に有餘の證無し。
但、虚して邪に任ぜず。
惟、懊憹、鬱冒、眩暈するのみ。
今、補剤を投ず。これを以って虚證咸(みな)去り、熱六七を減じ、餘す所の三分の熱は、實熱也。
乃ちこれ病邪の致す所にして、断じて人参の除くべき者に非ず。(人参が除くべき熱ではない)
今、再びこれを服して、反て疫邪を助け、邪正相搏つ。
故に有餘の變證を加う。
因りて少しく承気を與えて、これを微利して、而して愈える。
按するに、この病、設し利薬を用いざれば、宜しく静養数日するべし。亦た愈ゆる。
その人、大便一二日に一解するを以って、則ち胃の氣の通行して、邪氣、内に在りて、日に胃氣に従い、下り趨る。故に自ら愈えることを知る。
間(まま)大便自ら調うて愈ざる者、内に灣糞有りて、穏曲して行かず。これを下して、宿糞 極臭なる者を得て、病始めて愈える。
設し、邪、未だ去らざるに、意を恣にして参を投ざば、病乃ち益々固く、日に久しく除かれず。
醫、形體漸に痩せるを見て、便ち指して祛證と為す。愈(いよいよ)補して、愈危うく、死する者多し。
これ要するに、眞の祛證は、世間 従来 窂有
今、祛證を患う者、皆 これ人参補薬 醸成す。
近代の参、價すること金の若し。服せる者、便ならず。
これ以ってこの證、貧家に死せざる多く、富む室に死する也。
今回の症例は長文ですね…。
沈さんのご婦人の医案です。
沈婦人は元々、吐血を持病に持っていました。(一年に3,4回も血を吐くって…)
そんな沈婦人が疫病に罹ってしまいます。
疫病罹患二日目に舊證(旧証・旧症)の吐血を発症します。しかし、今回は普段よりも激しい吐血のようです。
さらに虚証の諸症状も加わり、徐々に発熱もみられます。
しかし、初っ端から吐血から始まったので、疫病のインパクトは薄れてしまい、
旧症(吐血)の再発と診断され、発熱は陰虚熱だとみなされます。
諸症状はすべて疫の影響によるものなのだが…と呉先生は歯噛みしています。
そもそも吐血を起こすことも、内に血が結ぼれているためです。
吐血を治するにしても、この内結する血を利さないと根本解決にはなりません。
しかし、大量に血液を失っているので、補血が治療のファーストチョイスに詮議されます。
失った血を補うのは大事だが、補血を過ぎると、溢れた血はまた吐血の要因になり得ます。
この補の加減は微妙を極めるのです。
補血に加えて、人参などで補気補陽しようものなら、さらに邪を助け簡単に熱化してしまう…というのは第42章「妄投補剤論」でも指摘されています。しかも、人参は補気薬であって、邪を駆逐する薬ではありません。
一見、熱が下がったようにみえても、それは人参の薬能ではないのです。
しかし、熱が下がったように感じた患者や周囲の医者は、そのエビデンスを根拠に人参配合の薬を継続しようとします。
「実を以て虚を填する」のは良いが「実を以て実を填する」ことは避けたいところですが、
案の定といいましょうか…そのまま誤治に走ります。
しかも、今回は疫を罹患しているという非常事態に陥っており、
尋常ではない“旧病による虚”と“疫病による実”が入り混じった状態なのです。
これに加えて、誤治による熱が加わります。
本文中では、疫による“三分の熱”と、経絡枯渋による“七分の虚”、これにより“十分の熱”を生じる、とあります。
これを言い換えれば「三分の実熱」と「七分の虚熱」です。
実熱と虚熱、本来の病としての熱と誤治による熱と…
熱病であれば、このような実熱虚熱の表現になりますが、これが我々鍼灸師の診療であればどうでしょう?
本来、症状として痛みなのか?誤診誤治のせいで起こった痛みなのか?
痛みではなく、他の症状に言い換えても可だと思います。
常常自身に置き換えて読むと古典は大いに勉強になります。
補足ながら…最後の一文もなるほどですね。
当時の人参は、金ほど高価な生薬だったらしく、皆こぞって人参を重宝したようです。
そして、このような人参を服用し、補気補陽した結果、熱化して疫熱を悪化させて死に至るケースがみられたようですね。
そして皮肉なことに、高価な人参を服用できる裕福層に死亡者は多く、貧家には死亡者は少ないという傾向がみられたとのこと。
今も昔も人の考えることは変わらないな~…と思わされるお話です。
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鍼道五経会 足立繁久