第42章 妄投補剤論【瘟疫論】より

これまでのあらすじ

前回から薬理論シリーズがスタートしました。破気薬を用いる際の診断と治療の注意点について書かれていました。

主客を弁えて診断することの重要さが伝わる内容でしたね。
今回も補剤の使用における薬論論です。

(写真・文章ともに四庫醫學叢書『瘟疫論』上海古籍出版社 より引用させていただきました。)

第42章 妄投補剤論

妄投補剤論

邪、有りて除かれざるに、淹纏して日久しければ、必ず尫羸(おうるい)に至る。(尫:おう、よわい)
庸醫、これを望みて輒ち補剤を用い、殊に知らず、邪無ければ病まず。
邪 去りて、正氣 通ずることを得る。
何ぞ虚の復せざるを患わんや。

今、補剤を投じて、邪氣益々固く、正氣日に鬱す。
轉(ますます)鬱して、轉熱し、轉痩せて、轉補し、轉鬱する。
循環して已まず。
乃ち骨立して斃れるに至りて、猶言う、参幾許(いくばく)かを服して、これを補するも、及ばざるときは天数なりと。
病家止一人を誤り、醫者は終身悟らざれば、人を殺すこと算えること無きを知らず。

呉氏の憤りが感じられる章ですね。

そもそも病というのは病邪あってのもの、いくら補ってもそれは根本的な解決にはならないのです。
ましてや瘟疫病は外邪が侵入しておこるものです。
補法がいかに的外れな行為なのか?分からないのでしょうか???
外邪性疾患なのに、虚から回復できない…そんな消耗性疾患であろうはずがないでしょう?

・・・と、かなり怒気が感じられる章です。それだけに文字数も少ないですね。
呉氏はあまりクドクド怒らないタイプだったのかもしれません。

外邪による病態に対して、補剤を投与してもその反応が強くなるばかり。
さらに熱化し、熱が長期化すれば、患者の体力は消耗し、痩せてしまう…。
痩せたのを見て、また補剤を投与する…といった誤治のループを繰り返し、
挙句の果てに「これだけ補薬を服用しても治らなかったというのは患者の寿命だったのだ…」とのたまう医者がいる。
医者がこの誤治からを学ばないと、無数の患者を死なせてしまうことになるぞよ、と強く戒めています。

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