第29章 用参宜忌有前利後害之不同『瘟疫論』より

これまでのあらすじ

前回の内容は、瘟疫が解除され始め回復期に移行する際の治療ポイントについて説かれていました。
いくつかの要点を挙げていましたが、特に注意されていたのは、人参や朮の投与に対する戒めが記されていました。

今回は瘟疫の治癒過程における人参の弊害についてより具体的に説明されています。
冒頭部は人参の使用をむやみやたらと否定しているわけではない、という話から始まります。

(写真・文章ともに四庫醫學叢書『瘟疫論』上海古籍出版社 より引用させていただきました。)

第29章 用参宜忌有前利後害之不同

用参宜忌有前利後害之不同(人参を用いるの宜忌に、前利 後害の不同あり)
凡そ人参を忌む所の者は、裏證のみ。
邪、表および半表半裏に在る者にはこれを投ずるを妨げず。
表に客邪有る者は、古方の参蘇飲、小柴胡湯、敗毒散の如き、是なり。
半表半裏の者、久瘧に虚を挟むの如きは補中益気を用いる。
但だ礙(さえぎ)り無く、而も且つ効を得る。
即使(たとえば)暴瘧邪氣、正に盛んなるに、これを投じて當らずも、亦た脹に至らず。
裏證 無きが為なり。
夫れ裏證とは、特に傷寒瘟疫の胃に傳うのみならず、
雑證・氣鬱・血鬱・火鬱・湿鬱・痰鬱・食鬱の類の如くに至るも皆、裏證と為す。
これに投じて即ち脹る者は、蓋し實を以って實に填する也。今、瘟疫を下して後、適(たまたま)暫時の通じ有り、即ち人参を投じ、因りて脹ぜず。
醫者病者、以為(おもえらく)参を用るの後、佳き處を見ざると雖も、然れども禍を為さず、便ちこれが福を為すと、乃ち意の恣(おもうがまま)にこれを投ず。
胃家は通ずるを喜み、塞ぐを悪むことを知らず、下後通ずと雖も餘邪なお在り、再四これを服すときは則ち邪を助け實を填て、前證を復た起こり、禍害随いて至るなり。間(まま)下を失して、以って氣血の虚耗を致す者あり、
邪、盛んなるに因りて数下し、及び大下して虚を挟む者あり、
遂に人参を投じて、當に精神爽慧なることを覚える。
醫者、病者、皆以為(おもえらく)意を得たると明けし。
後日、再三これを投じて即ち変證を加う。

蓋し方にこれを下した後、その胃家の空濶虚に乗じて則ちその補に沽て未だ害を見ず。
餘邪、未だ盡きざるを思わず、意の恣にこれを投ずるときは則ち漸に壅閉を加う。
邪火、復た熾なるに、愈(ますます)投じて變證愈(いよいよ)増すなり。
下後は、邪緩 虚急により、これを以って正を補うの効顕れて邪を助けるの害隠れる也。
前後の利害同じからざる者、これの如きもの有り。

中盤では、下法適応となる裏証の定義について具体的に記されています。
下すべき裏証とは、傷寒の邪、瘟疫の邪が胃腑に病伝した状態だけでなく、氣鬱・血鬱・火鬱・湿鬱・痰鬱・食鬱の類(が腸胃に蓄積していれば)すべて下すべき裏証しています。
このような素体を持つ人に人参などの補気薬を与えると、脹(腹満・便秘などの胃家実証)が起こるものです。
これは実を実さしめるようなものです。

しかし、瘟疫邪を下した後だと、腸胃は通じた後なので“脹”は起こりません。
この反応に、実を実しめた行為ということに気づかないわけです。
「佳きところを見ざると雖も、禍を為さず」とあるように、
補陽薬を服用して、良好な反応は見られないが、悪化もみられない。なので人参を使い続けるわけです。
その結果、実邪陽邪を助けて、再熱や変証を起こすことにつながってしまうのですね。
この辺りの補気補陽の剤を漫然と連投することに対する警鐘はリアルです。

特に瘟疫に対する下法の度合いは、かなり強いようなので、
当然、下法の後というのは胃腑が空虚な状態にあります。
その条件で人参などの補気補陽を行っても、即座にリアクションがみられない可能性が高いのです。

第28章【解後宜養陰忌投参朮】≪ 第29章【用参宜忌有前利後害之不同】≫ 第30章【下後間服緩剤】

鍼道五経会 足立繁久

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