第22章 戦汗『瘟疫論』より

これまでのあらすじ

前回は発斑と戦汗の概論的な章でした。
本章では戦汗について詳しく解説します。

(写真・文章ともに四庫醫學叢書『瘟疫論』上海古籍出版社 より引用させていただきました。)

第22章 戦汗

戦汗
疫邪、先に表に傳し、後に裏に傳う。忽ち戦汗を得、経氣輸泄して、當に即ち脉静、身涼く、煩渇して、頓除すべし。
三五日の後、陽氣漸積して、飲食勞碌を待たず、或いは反復する者あり、
蓋し表邪已に解し、裏邪は未だ去らず、纔(わず)かに発熱を覚え、これを下して即解す。
疫邪、表裏分傳し、裏氣壅閉すれば、汗下に非ざれば可ならず。
これを汗下して、未だ盡さざるは、日後、復熱す。當に復下し復汗すべし。
瘟疫の下後、煩渇減し、腹満去りて、或いは食を思いて味を知るは、裏氣和する也。
身熱未だ除かれず、脉浮に近きはこの邪氣、経に拂鬱として、表は未だ解せざる也。當に汗を得て解すべし。
未だ汗を得ざるは、柴胡清燥湯を以ってこれを和す。
復た汗を得ざる者は、漸に従いて解する也。苛くその汗を求むべからず。應(まさ)に下すべきに下を失すれば、氣消え血耗す。
既に下して戦汗を作せんと欲す、
但、戦(戦慄)して汗せざる者は危うし。
中氣の虧微を以って、但だ能く降陥して升発すること能わざる也。
次日、當に復た戦(戦慄)することを期すべし。
厥回り汗出る者は生く、厥回らず汗出ざる者は死す。
正氣脱してその邪に勝たざるを以って也。
戦して厥回りて、汗無き者は、眞陽尚在りて、表氣枯涸する也。漸癒せしむべき也。
凡そ戦して復せず、忽ち瘥する者は、必ず死する。
痓する者は、身は尸の如く、牙関緊し、目上視す。
凡そ戦は、擾動するべからず、但、温覆すべし。
擾動するときは則ち戦して中止するも、次日當に復戦することを期すべし。
戦汗の後、復下して、後に二三日を越して、反して腹痛止まざる者は、滞下を作さんと欲する也。
論ずること無く、已に積を見るも、未だ積を見ざるも、芍薬湯に宜しい。

芍薬湯方・・・白芍薬(一銭)、當歸(一銭)、檳榔(二銭)、厚朴(一銭)、甘草(七分)
水薑煎じ服す。裏急後重には大黄三銭を加え、紅積には芍薬を倍にする。白積には檳榔を倍して煎服する。

表位にある熱病を解除するには発汗が定法です。

ここで理解しておきたいことは、発汗とは体が勝手に汗を出すのではないということです。
自身の体に意識を向ける機会が少ないと、つい忘れがちですが、
発汗や発熱とは、正氣がはたらくことで邪氣を汗と共に体外に追い出す現象です。

正氣が主として働きますので、その正氣の強弱によって、発汗に至るまでの過程に差異があります。

戦汗とは戦慄(震え)を起こして発汗する現象です。
この戦汗を起こすには相応の正氣と邪氣の条件設定が必要です。

戦慄とは“大いに震えることで外邪を排除する”ということ。
シンプルな表位設定ではなく、ある程度の深い層に居る邪氣を表層へと持ち上げる時に起こす症候といえるでしょう。
(この設定を『傷寒論』弁脈法では“本虚”と表記しています。※以下に条文を引用)

深層から表層に邪氣を持ち上げるには相応のエネルギーが必要です。
その相応のエネルギーを発揮発動させることで、戦慄して発汗させる二段階の駆邪プロセスが可能となるのです。

また、文中には「戦して汗せざる者は危うし」とあります。
これは正氣を発奮・発動させ戦慄を起こしたものの、発汗にまで至らない場合は、邪氣を駆除できていません。
正氣を消費し、邪氣は残存するという危険な状態に陥った可能性が高いといえるのでしょう。
中氣が充足するのを待って、翌日にまた戦汗が起こることを視野に入れるべきとしています。

また、表層の一つ下から邪を持ち上げるという動きは、いわば内托や内発の動きともいえるでしょう。
伏邪が主に関与する瘟疫だからこそ、戦汗という現象には注目を要するのです。

さて、戦慄して発汗するという治癒転機にもいくつかの分類があります。
『傷寒論』辨脉法には、戦汗・不戦而汗出、不戦不汗出といった治癒転機を説いています。

①戦汗のメカニズムは上記の通り。

②不戦而汗出は、戦慄せずに汗出して癒えるパターン。
これは外邪が表層に侵入した設定ですね。つまりは悪寒発熱の麻黄湯証や桂枝湯証といえます。

③不戦不汗出は、戦慄も起こさず、汗も出ずに癒えるパターン。
事前に発汗や吐下、もしくは血を失うようなイベントが起こっていて、
裏の陰分(津液)を消耗しているケースです。
この裏虚の程度は①の“本虚”よりも裏虚の質が強いので、激しく震える戦慄までは起こせません。
邪氣に対して激しい戦闘行為は起こさず、なんとか穏便にいつの間にか治っていた…というイメージですね。
高齢者の発熱の治癒転機に多いでしょう。

この治癒転機のパターンからも、その人の素体が分かるのです。
問診によく使う知識ですね。

問曰、病有戦而汗出、因得解者、何也。
答曰、脈浮而緊、按之反芤、此為本虚、故當戦汗而汗出也。其人本虚、是以発戦。
以脉浮、故當汗出而解也。若脉浮而数、按之不芤、此人本不虚。若欲自解、但汗出耳、不発戦也。
(問うて曰く、病に戦慄して汗出て、因りて解するを得る者は、何ぞ也。
答えて曰く、脈浮而緊、これを按じて反って芤、これを本(もともと)虚と為す、故に當に戦汗して汗出るべき也。
その人は本(もともと)虚なるため、これを以って戦慄を発する。
脉浮を以て、故に當に汗出て解する也。
若し脉浮而数、これを按して芤ならず、この人は本(もともと)不虚である。
若し自解せんと欲するときは、但だ汗出るのみ、戦慄を発せざる也。)

問曰、病有不戦、而汗出解者、何也。
答曰、脉大而浮数、故知不戦汗出而解也。
(問うて曰く、病に不戦(戦慄せず)して汗出て解する者あり、何ぞ也。
答えて曰く、脉大而浮数、故に戦慄せずして汗出て解するを知る也。)

問曰、病有不戦、不汗出而解者、何也。
答曰、其脉自微、此以曾発汗、若吐、若下、若亡血、以内無津液、此陰陽自和、必自愈、故不戦、不汗出而解也。
(問うて曰く、病に戦慄せずして汗も出ずして解する者あり、何ぞ也。
答えて曰く、その脉自ずと微、これ曾(かつて)発汗し、若しくは吐し、若しくは下し、若しくは亡血することで、以って内に津液無し、
これ陰陽自和して、必ず自ずから愈る。故に戦慄せず、汗も出ずして解する也。)

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鍼道五経会 足立繁久

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