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いろんな舌証
前章の黒舌から一転して淡紅舌の所見です。
淡紅舌といえば、平の舌証所見の一つにもみえますが、どうやら平の舌証について紹介しているわけはなさそうです。では葉天士が説く淡紅舌について読んでいきましょう。
写真は『温熱湿熱集論』福建科学技術出版社より引用させて頂きました。
以下に書き下し文(黄色枠)と原文(青枠)を記載します。
『温熱論』は『温熱湿熱集論』福建科学技術出版社および『葉天士医学全書』山西科学技術出版社を参考および引用しています。
書き下し文に訂正箇所は多々あるでしょうがご容赦ください。現代語訳には各自の世界観にて行ってください。
書き下し文・舌淡江無色を論ずる
舌淡江に無色なる者、或いは乾して色の営せざる者は、當に是(これ)胃津の傷れて氣の液を化すこと無き也、當に炙甘草湯を用いうべし、寒涼薬を用うべからず。
淡紅舌にして薄白苔は平証を示す舌所見としてよく知られています。しかし本論では淡紅舌にして無色。
無色の舌とはちょっと理解できませんね。では「或いは…」の続きを見てみましょう。
続きには「乾して色の営せざる」とあります。“営せざる色”とは、何を示しているのでしょうか?
「胃津の傷れて氣が液に化すること無き」とあります。
言葉を変えると“胃陰が損耗して氣から液へと化する作用が失調した”状態に陥ったとみることができます。営氣~津液、つまり陽から陰への転化が失調している状態を示していると読み取ります。
「営する」とは営気の働き、「化する」とは胃氣の働きそのものをを言い表しています。即ち「無色」とは営気・胃氣の少なさを象徴する言葉でもあると解釈します。
原文【論舌淡江無色】
舌淡江無色者、或乾而色不營者、當是胃津傷而氣無化液也、當用炙甘草湯、不可用寒涼薬。
この記事で舌苔パートの〆といきましょう。次の【論舌白如粉】に進みます。
書き下し文・舌白なること粉の如しを論ず
若し舌白なること粉の如くして滑、四辺の色の紫絳なる者①は、温疫の病 初め膜原に入り、未だ胃腑に帰せず②、急急に透解す、伝陥して入り険悪の病と為すことを待つこと莫れ。
且つ此の舌の見(あらわ)れる者の病必ず凶を見わす、須らく小心(細心の注意)を要する。
下線部②「温疫の病 初め膜原に入り、未だ胃腑に帰せず(温疫病初入膜原、未帰胃腑)」の文章には、瘟疫病に対する葉天士の病理ストーリーがよく表現されていると思われます。
膜原という言葉は『瘟疫論』(呉有性 著)において概念的な器官として用いられています。呉有性(呉又可)は「経胃交関に当たる」と表現し、経と胃腑の狭間・半表半裏として位置づけています。(『瘟疫論』原病および瘟疫初起を参考に…)
この膜原という概念は『温熱論』にても採用されていますが、葉天士一門では膜原は少し趣きが異なるような印象も受けます。『臨床指南医案』(1764年)から膜原(募原)に関する記述を以下に引用しました。
『臨床指南医案』巻四 嘔吐門(陽虚吸受穢濁氣)より
「…口鼻は汚濁の異氣を受け、先ず募原(膜原)に入る。募原はこれ胃絡の分布、上逆すれば而して嘔吐と為す。
(…口鼻受汚濁異氣、先入募原(膜原)、募原是胃絡分布、上逆而為嘔吐。)」
『臨床指南医案』巻七 痢門(協熱痢)より
「時令暑湿はすべて口鼻よりて受ける。氣鬱すれば則ち営衛はその転運を失し、必ず身熱して無汗。その邪は上より以て中に及ぶ。必ず募原(膜原)を循る。
(潘 時令暑湿、都従口鼻而受。氣鬱則営衛失于転運、必身熱無汗。其邪自上以及中、必循募原(膜原)、致腸胃亦鬱。)」
『瘟疫論』の云う「経胃交関の所」と表現される膜原に比較して、「胃絡分布」という言葉からより胃腑に近い印象があります。
さて、このように募原・膜原をみてみますと「体内に侵入した瘟疫の邪は膜原に至り、さらに胃腑に侵攻する…」といった病伝ストーリーを葉天士は構築しているようです。
本論に挙げた舌証「舌白なること粉の如くして滑、四辺の色の紫絳なる(舌白如粉而滑、四辺色紫絳者)」では、邪が膜原に到るも、まだ胃腑には至っていない状態であると言及しています。
「(舌の)四辺の紫絳」という所見は、膜原に瘟疫が侵入した状態を示すと診立てたのでしょう。
となると、この舌診では舌中央を胃腑に配当し、舌四辺が膜原・募原に相当するという診法ではないかと推測します。
原文【論舌白如粉】
若舌白如粉而滑、四辺色紫絳者、温疫病初入膜原、未帰胃腑、急急透解、莫待傳陥而入為険悪之病。
且見此舌者、病必見凶、須要小心。
凡癍疹初見、須用紙燃照看胸背、両脇、点大而在皮膚之上者為癍、或云頭隠隠、或瑣碎小粒者為疹、又宜見而不宜見多。
按方書謂癍色紅者属胃熱、紫者熱極、黒者胃爛。
然亦必看外症所合、方可断之。然而春夏之間、湿病俱発疹為甚、且其色要辨。如淡江色、四肢清、口不甚渇、脉不洪数、非虚癍即陰癍、或胸微見数点、面赤足冷、或下利清穀、此陰盛格陽于上而見、當温之。
若癍色紫、小点者、心包熱也。点大而紫、胃中熱也。
黒癍而光亮者、熱勝毒盛、雖属不治、若其人氣血充者、依法治之、尚可救。
若黒而晦者必死。
若黒而隠隠、四旁赤色、火鬱内伏、大用清涼透発、間有轉紅成可救者、若夾癍帯疹、皆是邪之不一、各随其部而泄。
然癍属血者恒多、疹属氣者不少。
癍疹皆是邪氣外露之象、発出宜神情清爽、為外解裏和之意。
如癍疹出而昏者、正不勝邪、内陥為患、或胃津内涸之故。
『温熱湿熱集論』(福建科学技術出版社 刊)および『葉天士医学全書』(山西科学技術出版社 刊が、収録の『温熱論』では「癍疹」に関する記載が続きますが、舌苔に関する記載「論白㾦」を続けて、勝手ながら「癍疹」に関しては次回の記事にてとり上げたいと思います。(本文の流れは上記原文を参照してください)
書き下し文・白㾦を論ず
再び(論ず)一種白㾦有り、小粒にして水晶の色の如きなる者、此れ湿熱が肺を傷る、邪出ると雖も氣液枯れる也。必ず甘薬を得て之を補う。
或いは未だ久延に至らずして傷の氣液に及ぶは、乃ち湿が衛分に鬱す、汗出するも徹せざるの故、當に氣分の邪を理するべし。
或いは白く枯れ骨の如きなる者、多くは凶、氣液の竭と為す也。
白㾦という舌所見が再度登場しました。本論では㾦の説明として「小粒にして水晶の色の如き(小粒如水晶色)」とあります。
小さな水泡が舌上にできる…という舌証はみたことがありません。湿熱が肺を傷り氣液が枯れた状態とのこと。
また(病態が長期化していないのにも関わらず)氣液に損傷が及ぶのは、湿が衛分に鬱するからだと言います。
肺の損傷、湿熱…とくれば連想するのは新型コロナウイルス感染症での重篤化された方々の舌証にこのような所見はなかったのでしょうか?と素朴な疑問を抱きます。
原文【論白㾦】
再有一種白㾦、小粒如水晶色者、此湿熱傷肺、邪雖出而氣液枯也。必得甘薬補之。
或未至久延傷及氣液、乃湿鬱衛分、汗出不彻之故、當理氣分之邪。
或白枯如骨者、多凶、為氣液竭也。
鍼道五経会 足立繁久