葉天士の『幼科要略』その3 風温について

これまでのあらすじ

前回は伏気に関する内容でした。人体は天と地の間でそれぞれの氣(天氣と地氣)の影響を受けて生活しています。そして天地の運行は“時間”とも言い換えることができます。時間を一年単位で言い換えると四季。四季すなわち四時における人体の気はどのように外界からの影響を受けているのか?このような観点で人体をみることは東洋医学の得意分野ともいえます。
そしてそれは急性熱病でも同じく外界からの影響を受けているのです。

と、このような基本概念を踏まえた上で各季節の氣の性質を学んでいきましょう。まずは春の氣・風温です。

以下に書き下し文(黄色枠)と原文(青枠)を記載します。
『幼科要略』は『温熱湿熱集論』福建科学技術出版社および『葉天士医学全書』山西科学技術出版社を参考および引用しています。
書き下し文に訂正箇所は多々あるでしょうがご容赦ください。現代語訳には各自の世界観にて行ってください。

書き下し文・風温

風温なる者は、春月に風を受く、其の氣已に温
経に謂う、春氣の病は頭に在り(※1)、治は上焦に在り。肺は最も高くに位し、邪必ず先に傷る、此れ手太陰の氣分が先に病むなり。
治を失すれば則ち手厥陰心包絡に入り、血分亦傷れる。蓋し足経も順伝す、太陰から陽明に伝する如し、人皆之を知る。
肺病みて治を失すれば、心包絡に逆伝する、幼科(小児科医)は知らざる者多し。
俗医は身熱咳喘を見て、肺病の上に在ることの旨を知らず、妄りに荊芥、防風、柴胡、葛根を投じて、枳實、厚朴、杏仁、紫蘇、蔔子、山楂子、麦門冬、広皮(陳皮)の属を加入す。輒(すなわち・たやすく)云う、解肌消食と。
痰喘を見て、便ち大黄、礞石滚痰丸を用いる有り。大便数行して、上熱は愈(いよいよ)結す。
幼稚(小児)穀少く胃薄し、表裏苦辛にて化燥し、胃汁(胃陰・胃津)已に傷る。復た大黄、大苦 沈降 丸薬を用いて、脾胃陽和の傷は極に致し、驚癇に陡変す、救うこと莫き者多し。

按ずるに、此の症 風温肺病は、その治は上焦に在り。夫れ風温は、春温にて汗を忌む。
初病に剤を投じるに、宜しく辛涼を用うべし。
若し消導散を雑え入れるは、肺病と渉わり無きのみならず、胃汁を劫尽す。
肺、津液上供するに乏しく、頭目清竅 徒らに熱氣熏蒸を為す。①
鼻は煤の如く、目瞑し或いは上竄して泪無し、或いは熱深く肢厥し、狂躁して溺渋り、胸高氣促する、皆これ肺氣の宣化せざるの征。斯くの時は若し肺薬を以てするには、少しく一味の清降を加え、薬力をして腸中に直趋(趨)することを到らしめず、而して上の痹を開く可し、諸竅自ずと爽なり。
城市の庸医いかんともする無し。僉(みな)云う結胸と。皆 黄連、括蔞皮、柴胡、枳實を用い、苦寒にて直降し、閉塞を致し愈(いよいよ)甚し、斃を告げること甚だ多し。

按ずるに、此の症 初め発熱喘嗽に因り、首(はじめ)辛涼を用い、上焦を清粛す、薄荷、連翹、牛蒡、象貝、桑葉、沙参、梔皮、括蔞皮、天花粉の如し②。
若し色蒼にして、熱勝ち煩渇するは、石膏、竹葉を用い、辛寒清散す、痧症にも亦(また)當に此れを宗とす。
若し日数漸多、邪を解することを得ざるは、黄芩、黄連、涼膈も亦 選用するも可なり。
熱邪、逆伝して膻中に入るに至れば、神昏して目瞑、鼻竅に涕泪無く、諸竅も閉ざさんと欲す、其の勢危急にして、必ず至宝丹、或いは牛黄清心丸を用う。病減じた後の余熱は、只(ただ)甘寒にて胃陰を清養して足れり。

備用方、葦茎湯、清心涼膈散、涼膈散、瀉白散、葶藶大棗湯、白虎湯、至宝丹、清心牛黄丸、竹葉石膏湯、喩氏清燥救肺湯。

庸医と書いて、従来の治法に固執する医と読む

下線部①の文章および以降の内容から、葉天士は胃汁(胃陰・胃の津液)と肺気を非常に重視していたことが分かります。肺気に関しては特に宣発作用により気から精まで、全身の主要器官に行らせる働きを指しています。特に目に関する陰液・潤いを維持する点に肺の宣布作用を当てはめているのは、私にとっては新鮮でした。(※宣布作用は中国医学では使われていない言葉だと思いますが、ここでは敢えて使わせていただきました。)

また城市の庸医のカルテがピックアップされています。庸医とは凡庸な医者のことですが、転じて“従来の治法に固執する医”のことを言っているのでしょう。
その庸医の診断や処方をみると「結胸」と診断し、黄連、栝楼皮、柴胡、枳実を用いています。この記述から、心下の閉塞や胸脇苦満といった腹診所見が推測できます。
主訴は急性熱病であり、心下閉塞(心下痞鞕)、胸脇苦満のような所見から結胸と診断して、苦寒薬にて直降させてしまう…ということっは、胃を傷つけ肺気宣発とは正反対のベクトルに気を赴かせてしまいます。
こうなるともう助けられない状態なのでしょう。「斃を告げる」とは死を告げるの隠語なのでしょう。

従来の治病と葉派医学の違い

このように読むと、「春氣病在頭、治在上焦」や「温邪上受」「風温は春温にて汗を忌む」といった言葉がようやく理解できる気がしてきます。
従来の傷寒論医学にも「治在上焦」という治療戦略がないわけではありません。しかしこれは表位に対する発汗法です。
それに対して、瘟疫温病は口鼻から入るという病理です。発表するには病位に対して浅すぎ、結胸や痞症として治療するには深い…というように、病位に対してジャストな処方が少ないのです。
これは即ち病邪の追い出し口がズレる=誤治ということになります。

葉天士は庸医として批判しているようでもありますが、従来の傷寒論系医学と温病学派との違いを指摘していると思われます。

治療概念のズレとして病位の差異の他にも薬理薬性のズレも知っておくべきでしょう。
この点は比較的よく知られていることだと思いますが、薬性の温と涼の違いです。

葉家医学での基本的な治法として「辛涼薬にて上焦を清粛」します。
桂枝・麻黄のような辛温薬では寒邪には対応できても、温熱邪には不向きなのです。ですから温病学派では辛涼薬を用います。
辛涼薬でも温熱邪を処理できない場合は、辛寒薬にて熱を清し邪を散じます。
さらに病の進行に従い「上焦(または中焦にかけて)清熱」を行い、または涼膈散(※)を用います。
ここからさらに心包に逆伝する病伝ケースも挙げてくれています。上記の各処方から治病戦略を学ぶべきでしょう。

涼膈散について

涼膈散は『太平惠民和剤局方』に記載されています。以下に引用抜粋しましょう。

『太平惠民和剤局方』巻之六 治積熱

涼膈散、治大人小兒腑臓積熱、煩躁多渇、面熱頭昏、唇焦咽燥、舌腫喉閉、目赤鼻衄、頷頬結硬、口舌生瘡、痰実不利、涕唾稠黏、睡臥不寧、譫語狂妄、腸胃燥澀、便溺秘結、一切風壅、并宜服之。

川大黄、朴硝、甘草(爁)(各二十両)、山梔子仁、薄荷葉(去硬)、黄芩(各十両)、連翹(二斤半)
上粗末。毎二銭、水一盞、入竹葉七片、蜜少許、煎至七分、去滓、食後温服。
小兒可服半銭、更随歳数加減服之。得利下住服。

※1;経に謂う、春氣の病は頭に在り(『素問』金匱真言論に謂う「春氣者、病在頭」)

鍼道五経会 足立繁久

■原文 風温

風温者、春月受風、其氣已温。経謂、春氣病在頭、治在上焦。肺位最高、邪必先傷、此手太陰氣分先病。失治則入手厥陰心包絡、血分亦傷。蓋足経順傳、如太陰傳陽明、人皆知之。
肺病失治、逆伝心包絡、幼科多不知者。俗医見身熱咳喘、不知肺病在上之旨、妄投荊、防、柴、葛、加入枳、朴、杏、蘇、蔔子、楂、麦、広皮(陳皮)之属、輒云解肌消食。有見痰喘、便用大黄、礞石滚痰丸、大便数行、上熱愈結。幼稚穀少胃薄、表裏苦辛化燥、胃汁已傷。復用大黄、大苦沈降丸薬、致脾胃陽和傷極、陡変驚癇、莫救者多矣。

按、此症風温肺病、治在上焦。夫風温、春温忌汗、初病投剤、宜用辛涼。若雑入消導散、不但與肺病無渉、劫尽胃汁。肺乏津液上供、頭目清竅徒為熱氣熏蒸、鼻于如煤、目瞑或上竄無泪、或熱深肢厥、狂躁溺澀、胸高氣促、皆是肺氣不宣化之征。斯時若以肺薬、少加一味清降、使薬力不致直趋腸中、而上痹可開、諸竅自爽。無如城市庸医、僉云結胸、皆用連、蔞皮、柴、枳、苦寒直降、致閉塞愈甚、告斃甚多。

按、此症初因発熱喘嗽、首用辛涼、清粛上焦、如薄荷、連翹、牛蒡、象貝、桑葉、沙参、梔皮、蔞皮、花粉(天花粉)。若色蒼、熱勝煩渇、用石膏、竹葉辛寒清散、痧症亦當宗此。
若日数漸多、邪不得解、芩、連、涼膈亦可選用。至熱邪逆傳入膻中、神昏目瞑、鼻竅無涕泪、諸竅欲閉、其勢危急、必用至宝丹或牛黄清心丸。病減後余熱、只甘寒清養胃陰足矣。

備用方、葦茎湯、清心涼膈散、涼膈散、瀉白散、葶藶大棗湯、白虎湯、至宝丹、清心牛黄丸、竹葉石膏湯、喩氏清燥救肺湯。

 

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