目次
これまでのあらすじ
前回の『脈経』紹介記事で「脈状の説明に比喩表現がほとんど使われていない点は評価すべき」といった趣旨のことを書きました。その脈状説明にあたるパートが本章の「脈形状指下秘訣」です。本章では24種の脈が紹介されています。
王叔和は24種類の脈象
元代の滑伯仁は30種の脈象(『診家枢要』)
明代の李時珍は27種の脈象(『瀕湖脈学』)
と、このように時代や医家たちにより脈状の分類が異なる点も思想が見え隠れしているようで興味深いです。
※『脉経』京都大学付属図書館より画像引用させていただきました
※下記の黄色枠部分が『脉経』の書き下し文、記事末青枠内に原文を引用しています。
書き下し文・脈の形状 指下の秘訣 第一
脈経巻之一
晋 太醫令 王叔和 編輯
明 晋安 袁表 類校
鹿城 沈際飛 重定
雲林 龔居中 鑑定
脉形状指下秘訣 第一 二十四種
浮脈は之を挙げて有余し、之を按して不足す。手の下に浮かぶ。
芤脈は浮大にして軟、之を按じて中央空にして両辺実す。一に曰く、手中無くして両傍に有り。
洪脈は極大にして指下に在り。一に曰く、浮にして大。
滑脈は往来前却流利す。展転すること替替然として数脈と相い似たり。一に曰く、浮中に力有るが如し。一に曰く、漉漉として脱せんと欲するが如し。
数脈は去来促急なり。一に曰く、一息六七至。一に曰く、数は進の名なり。
促脈は去来数にして、時に一止して復た来たる。
弦脈は之を挙げて有ること無し、之を按じて弓弦の状の如し。一に曰く、弓弦の張れるが如し、之を按じて移らず。
緊脈は数(しばしば)縄を切るの状の如し。一に曰く、転索の常無きが如し。
沈脈は之を挙げて不足、之を按じて有余す。一に曰、重く之を按じて乃ち得る。
伏脈は極めて指を重くして之を按じ、骨に着きて乃ち得る。一に曰く、手下に裁動す。一に曰く、之を按じて定まらず、之を挙げて有ること無し。一に曰く、関上沈みて出でず、名を伏と曰う。
革脈は沈伏に似ること有り。実大にして長微弦。千金翼には革を以って牢と為す。
実脈は大にして長、微しく強なり。之を按じて指に隠れて愊愊然たり。一に曰く、沈浮に皆な得る。
微脈は極細にして軟。或いは絶せんと欲す。有るが若く無きが若し。一に曰く、小也。一に曰く、手下に快し。一に曰く、浮にして薄し。一に曰く、之を按じて盡せんと欲するが如し。
濇脈は細にして遅、往来難く且つ散なり。或いは一止して復た来たる。一に曰く、浮にして短。一に曰く、短にして止。或いは曰く散也。
細脈は小しく微に於いて大にして、常に直細有るのみ。
軟脈は極軟にして浮いて細なり。一に曰く、之を按じて有ること無し、之を挙げて有余。一に曰く、小にして軟、軟は亦た濡に作す。濡なる者は帛衣の水中に在るが如し、軽手にて相い得る。
弱脈は極軟にして沈細。之を按じて指下に絶せんと欲す。一に曰く、之を按じて乃ち得、之を挙げて有ること無し。
虚脈は遅大にして軟。之を按じて不足す、指に隠れること豁豁然として空なり。
散脈は大にして散。散なる者は氣実血虚。表有りて裏無し。
緩脈は去来亦た遅く、小しく遅よりも駛し。一に曰く、浮大にして軟、陰浮 陽と同等。
遅脈は呼吸三至、去来極めて遅し。一に曰く、之を挙げて不足、之を按じて盡きるは牢。一に曰く、之を按じて盡きるは牢、之を挙げて有ること無し。
結脈は往来緩、時に一止して復た来たる。
之を按じて来たること緩にして時に一止する者、結と名づく。陽初めて来動して止まり更に来たる、小しく数にして自ら還ること能わず。之を挙げれば則ち動ず、結陰と名づく。
代脈は来たること数(しばしば)中止す、自ら還ること能わず、因りて復た動ず。脈結の者は生き、代の者は死す。
動脈は関上に於いて見る。頭尾無く、大さは豆の如し。厥厥然として動揺す。
傷寒論に云う、陰陽相い搏つは、名を動と曰う。陽動ずれば則ち汗出て、陰動ずれば則ち発熱す、形冷悪寒す。数脈が関上に見れ、上下に頭尾無く、豆大の如く、厥厥して動揺する者を名づけて動と曰う。
浮と芤は相い類す。洪と相い類す。
弦と緊は相い類す。
革と実は相い類す。千金翼に云う、牢と実は相い類す。
滑と数は相い類す。
沈と伏は相い類す。
微と濇は相い類す。
軟と弱は相い類す。
緩と遅は相い類す。
比喩表現が用いられているのは24脈中の2脈
『脈経』では脈状の説明に余計な比喩表現が少ないと書きましたが、24種の脈の説明で比喩が使われているのは2種。
弦脈と緊脈です。
「弦脈は…之を按じて弓弦の状の如し」と「緊脈はしばしば縄を切るの状の如し」といった表現です。
また比喩ではありませんが、状態を表わす擬態語として「替替然」「愊愊然」「豁豁然」「厥厥然」があるかと思います。
この辺りの抽象的なメッセージは文脈から察するとして、冷静に脈状を伝えているな~と感心するのは濇脈の説明です。
濇脈の説明「竹を小刀で削る」に異議を申し立て
王叔和は濇脈の説明に「(濇脈は)細にして遅、往来難く且つ散なり。或いは一止して復た来たる」としています。
この文には「細」「遅」「散」が登場しますが、これらを脈状としての「細脈」「遅脈」「散脈」として解釈してはいけません。『濇脈は細脈と遅脈と散脈の混合したものだ』なんて解釈してしまうと、濇脈の脈理を見失ってしまうでしょう。
濇脈の脈理とは血氣の渋りです。そのゆえ滑脈と対比関係にあるのです。
血氣の渋りはどのような形で脈に現れるのか?
それが「細」「遅」「散」という濇脈を構成する要素になります。
少し丁寧に説明してみましょう。
「細」とは有形の要素である血の流れが渋ることで、脈の形に現れます。結果的に脈が細くなる傾向になるでしょう。
「遅」とは脈内を流れる血という要素が減少することで、流利が渋ります。その様子を「遅」としています。脈数としての「遅」ではないことは言うまでもありません。
「散」は血という陰分の要素が減少しているわけですから、内向的な脈の力・求心力が低下します。そのため脈の中心が手薄となり「散」という表現が採られています。当然ながらこの「散」は脈の流利を渋らせる要素として働きます。
…と、このように実に丁寧に冷静な言葉で濇脈の形状(脈状)を説明していることが分かります。
「濇脈は竹を小刀で削るが如し」「病の蚕が葉を食べるが如し」「雨が沙に滲みるが如し」などの表現よりもよほど正確な伝達法です。
なぜなら濇脈という脈が有する脈理を正しく言語化できているからです。これが詩的な比喩表現が絡むと、多くの人はその言葉に囚われてしまい、本来把握すべきであった脈理の追及を見失ってしまうのです。
そう考えると、王叔和の仕事は実に評価されるべきだと思いますし、それが証拠として後代の脈診書の多くには本章の「脈形状指下秘訣」の表現が引用されているのです。
鍼道五経会 足立繁久
■原文 脈形状指下秘訣第一
脉経巻之一
晋 太醫令 王叔和 編輯
明 晋安 袁表 類校
鹿城 沈際飛 重定
雲林 龔居中 鑑定
脉形状指下秘訣 第一 二十四種
浮脉、擧之有餘、按之不足。浮於手下。
芤脉、浮大而軟、按之中央空両邊實。一曰、手中無、両傍有。
洪脉、極大在指下。一曰、浮而大。
滑脉、往来前却流利、展轉替替然。與数相似。一曰、浮中如有力。一曰、漉漉如欲脱。
数脉、去来促急。一曰、一息六七至。一曰、数者進之名。
促脉、去来数、時一止復来。
弦脉、擧之無有、按之如弓弦状。一曰、如張弓弦、按之不移。
緊脉、数如切縄状。一曰、如轉索之無常。
沈脉、擧之不足、按之有餘。一曰、重按之乃得。
伏脉、極重指按之、着骨乃得。一曰、手下裁動。一曰、按之不定、擧之無有。一曰、関上沈不出、名曰伏。
革脉、有似沈伏。實大而長微弦。千金翼、以革為牢。
實脉、大而長微強。按之隠指愊愊然。一曰、沈浮皆得。
微脉、極細而軟。或欲絶。若有若無。一曰、小也。一曰、手下快。一曰、浮而薄。一曰、按之如欲盡。
濇脉、細而遅。往来難、且散。或一止復来。一曰、浮而短。一曰、短而止。或曰散也。
細脉、小大於微、常有直細耳。
軟脉、極軟而浮細。一曰、按之無有、擧之有餘。一曰、小而軟、軟亦作濡。濡者如帛衣在水中、軽手相得。
弱脉、極軟而沈細。按之欲絶指下。一曰、按之乃得、擧之無有。
虚脉、遅大而軟。按之不足、隠指豁豁然空。
散脉、大而散。散者氣實血虚。有表無裏。
緩脉、去来亦遅、小駛於遅。一曰、浮大而軟、陰浮與陽同等。
遅脉、呼吸三至、去来極遅。一曰、擧之不足、按之盡牢。一曰、按之盡牢、擧之無有。
結脉、往来緩、時一止復来。按之来緩時一止者名結。陽初来動止更来、小数不能自還。擧之則動、名結陰。
代脉、来数中止、不能自還、因復動。脉結者生、代者死。
動脉、見於関上。無頭尾、大如豆。厥厥然、動揺。
傷寒論云、陰陽相搏、名曰動。陽動則汗出、陰動則発熱、形冷悪寒、数脉見於関上。上下無頭尾、如豆大。厥厥動揺者、名曰動。
浮與芤相類。與洪相類。
弦與緊相類。
革與實相類。千金翼云牢與實相類。
滑與数相類。
沈與伏相類。
微與濇相類。
軟與弱相類。
緩與遅相類。