反関の脈『切脈一葦』その4

『切脈一葦』これまでの内容

1、序文
2、総目
3、脈位
に続いて反関に入ります。


『切脈一葦』京都大学付属図書館所蔵 より引用

反関の脈とは?

反関(はんかん)の脈とは、正規の橈骨動脈のルートを流れず、脈が橈骨の横側を流れる状態をいいます。経脈のルートで言うと、肺経ではなく大腸経のエリアを流れる脈をいいます。

意外と反関の脈を持つ人は少なくありません。臨床でも反関の脈を診た経験を持つ先生方も多いのではないでしょうか。
ちなみに私の2番目の子どもは両手ともに反関の脈を持ち主でした。

【反関】
平人の脈、転じて他処に移る者あり、定処なしと雖も多くは関骨の外面に見(あらわ)る。故にこれを反関の脈と云う。
片手反関の者あり、両手反関の者あり、半分転ずる者あり、みな転ずる者あり、内に転ずる者あり、外に転ずる者あり。魚際に上る者あり、臂に入る者あり。
本位絲の如くにして、別に一脈本位より大なる者あり。本位絲の如くにして、中に一粒珠の如き者あり。
これみな禀賦の脈道にして転変同じからずと雖も、常位に見(あらわ)れる脈と異なることなし。
唯 その状自ら常位に見(あらわ)れる脈の和暢なるが如くならざるあり。
或いは大病の後、打撲の後、驚恐の後に変じて反関と為る者あり。
既に常となるときは禀賦の反関と同じ。
平人、片手に脈無き者あり、両手に脈無き者あり。人迎の脈無き者あり。跌陽の脈無き者あり。
これみな脈道、肉中に潜伏する者にして反関の類なり。
平人脈なき者、手を覆いて診するときは、脈出る者あり。手を仰むけにして診するときは沈、手を覆いて診するときは浮なる者あり。
これまた反関の類なり。
もし平生脈ある者、病に因りて脈なく、手を覆いて診するときは脈出る者は未だ絶脈に非ず。手を覆いて診しても、脈出ざる者は絶脈なり。

脈診は、手首の橈骨動脈の部位を診るのが通常です。
(掌側の親指側、茎状突起と長掌筋腱の間と言うのでしょうか、解剖学的に詳しい方に任せます)

しかし、実際の脈は正規の場所に現れないケースもあるのです。
「脈が定まった場所に必ず在るとは限らない」これは気口九道脈診をしていても分かることです。

また反関の脈にも、様々な形状があるともここでは書かれています。

また「本位絲の如くにして、別に一脈本位より大なる者あり」これもしばしば見受けられるケースですね。
本位(本体の脈)は糸の如く細々としていて、別の部位に本体よりも大きくあらわれている反関の脈がある。

ですから、この寸口脈の脈状を診て虚証だと判断しては誤診誤治となるのです。

ちなみに、私の限られた経験上ではありますが、反関の脈は総じて洪大脈のような太く力強い脈状を呈するケースが多いですね。
そしてその場合、寸口脈が糸のようにか細く沈んだ、有るか無いかのような脈であるケースも多いです。

そしてもう一つ、中莖氏の主張で興味深いのは「手を覆いて診する」という点ですね。

通常(広義の)寸口脈を診ても脈は触れられず。
しかし、手の向きを変えると脈の現われるという現象は今後も現場で確認する必要があると思います。
そして、その現象が意味することも考察するべきですね。

また「通常は脈がある者、病に因りて脈なく…」の現象とは違いますが、類似の症例を診たことがあります。

通常は反関の脈で、寸口部の脈は触れられない。しかし体調を崩すと、寸口部に脈が現れ、反関の脈は弱まる…といった脈位の変化です。
この症例は我が子のケースですが、この子が病気になるたびに同じ現象を確認しました。

反関脈は吉兆の脈!?

反関の脈の解釈で興味深いものに岡本一抱の『医学正伝或問諺解』が挙げられます。

前述の中莖暘谷氏の説は臨床的・実践的な反関脈論でしたが、以下に紹介する岡本一抱氏の説は対照的に観念的な反関脈論です。


写真:医学正伝或問諺解の巻六


京都大学付属図書館所蔵 より引用

「これ妻が夫の位に乗ずと為す地天交泰、生成無病の脉。…(略)…地天交泰し、陰陽交通するときは生化能く全し。故にこの反関の脈は生成無病の脈のみ、凶候非ず。…」

本来、肺経(陰経)の位置に流れている脈が、陽明経(陽経)上に流れる現象が反関の脈である。
これは陰が陽に乗じる、つまり妻が夫に乗じる形となるこの状態を、乾下坤上とみなし地天泰の卦と同じであるとし、吉兆の脈であると岡本氏は言っています。

ここで誤解してはいけないのは、「反関の脈だと病気にならないのか!?」と安易に思いこんだり、無思考で批判してはいけないと思うのです。

もちろん、反関の脈を持つ人も病気にはなります。反関の脈を持つ我が子も何度も病気になりましたし、来院される患者さんが反関の脈であった…という時点で何らかの病・体調不良になっているのです。

ですから、岡本氏で「無病の脈」「凶候ではない」という評価は「反関の脈を脈証とみていない」ということですね。

脈証となると弁証を活かさなければいけません。即ち診断のための情報です。

脈で吉凶をみるということ

しかし、岡本氏の言う反関の脈は卦でみています。脈による吉凶を占うということ、つまりは脈占です。
何と言っても脈は死生吉凶の法(難経一難)なのですから。

病者の過去と現在の状態を診、将来の予後を判定するのが医療面の脈診。
相手の過去現在を観て、未来をどのように判断して生きるべきか?その指針を示すのが占です。

占いだからと言って、軽くみてはいけないのです。

ちなみに私は脈から占う脈占を臨床では行っています。脈占術です。

脈占の結果を基に患者さんにアドバイスすることもあれば、その内容を伏せることもあります。
(ほとんどの方には内緒でみていますけどね)

しかし、脈占を行うことを知っている人たちは治療を受けつつも
「今日はどんな脈でしたか?」
「職場でこのような問題が起きているけど、どう対処したらいいですか?」
なんて聴いてきます。
もちろん、その内容に納得されて、、脈占結果をメモしたり写真に撮って帰ったりしてます。

・・・と、ここまで書くと怪しくなるのでここまでとしますが、また機会があればその内に許容範囲内で紹介するかもしれません。

『切脈一葦』の総括記事はコチラ

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鍼道五経会 足立繁久

 

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