診家枢要を記した滑伯仁

『診家枢要』の著者、滑伯仁は元代、14世紀の人です。名は壽、字(あざな)が伯仁、号を攖寧生(えいねいせい)。
『診家枢要』の他にも『十四経発揮』『難経本義』といった鍼灸師にとって縁の深い医書を記しています。

ちなみに日本の江戸期に出版された『診家枢要』には攖寧生の自序(己亥の歳 1359年のもの)があります。この攖寧生自序は中国本の『診家枢要』には記されていないようです(※1)。
何故なのか?理由は分かりませんが少し興味深いものがありますね。日本版の『診家枢要』の最後には攖寧生 伝(朱右 著)が記されています。

「攖寧生傳」では滑伯仁は、儒学を韓説先生に、素問・難経を主とした医学を王居中から、そして鍼灸学を高洞陽から学んだとあります。それぞれの師について詳しくは知りませんが、その学びを基盤として『難経本義』や『十四経発揮』を著しました。
また、張仲景や劉完素(1200年頃没)、李東垣(1251年没)の医学を学んだとあり、傷寒論医学、劉氏李氏の学説の影響を受けたと「攖寧生伝」にはあります。滑伯仁は13世紀の人ですから、当時の最先端の医学(いわゆる金元医学の一部)を学んだと言えるでしょう。

また儒学を学んだとありますが、滑氏の号「攖寧生」この攖寧という言葉は『荘子』大宗師篇にみられます。
南伯子葵と女偊の問答で攖寧という言葉が出てきますが、この点から滑伯仁は、儒学・医学のみならず、老荘思想を学んだとも予想できるのでは?とも考えるのですがいかがでしょう。
写真は『十四経発揮和語鈔』に記される滑伯仁のプロフィール

鍼道五経会 足立繁久

「脈象大旨」に続きます。

《参考資料》
※1;宮川隆弘. 診家枢要について:日本医史学雑誌,第 63 巻第 2 号(2017)(リンクはコチラ

念のため「攖寧生自序」を以下に付記します。

天下の事、これを統るに宗有り、これを会する元有り、言簡にして盡し、覈にして当る、斯を至ると為す矣。
天下の道、百家に於いて散じ、方技に流れ、方技の流れ、医より大なるは莫し。医の要、脈より先なるは莫し。
浮沈の不同、遅数の異状、陰と曰い陽と曰い、表と曰い裏と曰う。
抑(そもそも)亦 対待を以て名象と為す焉。名象有りて統会有り矣。
高陽生の七表八裏九道は、蓋し鑿鑿たる也。
脈の明を求めて、脈の晦を為す。
或る者が曰う、脈の道は大なり、古人の言も亦夥し。猶 及ば弗るを懼れて、欲此の統会を以てこれを該せんと欲するが如し。既に太簡ならずや。
嗚呼、至微なる者は脈の理にして、名象著す、統会寓す。
その会通を観て、以ってその典礼を知るは、君子の能事なり。
これに由りてこれを推すときは則ち流を泝り源を窮める。此れに因りて彼を識り、諸家の全きことも、亦遺珠の憾無き矣。巳亥首夏二日 許昌 滑壽 識

書き下し文は『早稲田大学図書館 デジタルアーカイブ』の攖寧生 自序を参考にしています。

中文資料による序とはやはり違いが見受けられます。

天下之事、統之有宗、會之有元、言簡而盡、事核而當、斯為至矣。
百家者流莫大於醫、醫莫先於脉、浮沈之不同、遅数之反類、曰陰曰陽、曰表曰裏。
抑亦以対待而為名象焉。有名象而有統会矣。
高陽生之七表八裏九道、蓋鑿鑿也。
求脉之明、為脉之晦。
或者曰、脉之道大矣?古人之言亦夥矣。猶懼弗及、而欲以此統会該之、不既太簡乎。
嗚呼、至微者脉之理、而名象著焉、統会寓焉。
観其会通、以知其典礼、君子之能事也。
由是而推之、則潮流窮源、因此識彼、諸家之全、亦無遺珠之憾矣。

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