霊枢 根結第五の書き下し文

根結篇に書かれている氣のこと

今回の根結篇では、命門、五十営、鍼の徐疾浅深、光などがキーワードである。
氣について理解を深める情報が満載の篇である。

『霊枢講義』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

『霊枢』根結第五 法音

岐伯曰く、天地相感じて、寒暖相移ろい、陰陽の道、孰(いず)れが少なく孰れが多きか?
陰道は偶にして、陽道は奇なり。
春夏に於いて発すれば陰氣少なく、陽氣多し。陰陽不調にして、何をか補し何にをか寫さん?
秋冬に於いて発すれば陽氣少なく、陰氣多し。陰氣盛んにして陽氣衰う、
故に茎葉は枯槁し、溼(湿)雨下りて帰す、陰陽相移りて、何をか寫し何をか補さん?
奇邪離経して、数えるに勝(た)うべからず、
根結を知らざれば、五藏六府、関を折り枢を敗し、開闔して走り、陰陽大いに失い、復た取るべからず。
九鍼の玄、要は終始に在り。
故に能く終始を知れば、一言にして畢わる。
終始を知らざれば、鍼道咸(みな)絶えん。
太陽は至陰に根ざし、命門に結する者、命門は目也。①・・・・・(中略)・・・・・一日一夜五十營、以って五藏の精を營す。②
数に應ぜざる者、名を狂生と曰う。
所謂(いわゆる)五十營とは、五藏皆 氣を受けて、その脈口を持つ、その数を数うる也。
五十動にして一代せざる者、五藏皆氣を受く。
四十動にして一代する者、一藏に氣無し。
三十動にして一代する者、二藏に氣無し。
二十動にして一代する者、三藏に氣無し。
十動にして一代する者、四藏に氣無し。
十動に満たず一代する者、五藏に氣無し、これ予め短期す。
要は終始に在り、所謂五十動にして一代せざる者、以って常と為す也。以って五藏の期を知る。
これ予め短期する者、乍(たちま)ち数、乍ち踈なり。黄帝曰く、逆順五體とは、人の骨節の小大、肉の堅脆、皮の厚薄、血の清濁、氣の滑濇、脈の長短、血の多少、経絡の数を言う。
余已にこれを知るなり。これ皆布衣(ふい)匹夫の士也。
夫れ王公、大人、血食の君は、身體柔脆にして、肌肉は軟弱、血氣は慓悍滑利、それ刺の徐疾、浅深、多少、これと同じきを得るべきか?③
岐伯答て曰く、膏梁菽藿の味、何ぞ同じかるべきや?
氣滑すれば即ち出ること疾く、その氣濇なれば則ち出ること遅し。
氣悍なれば則ち鍼は小にして入ること浅く。
氣濇なれば則ち鍼は大にして入ること深し。
深ければ則ち留めんと欲し、浅ければ則ち疾からんことを欲す。
これを以ってこれを観れば、布衣を刺す者は、深くして以ってこれを留め。大人を刺す者、微にして以ってこれを徐かにす。
これ皆、氣の慓悍滑利に因る也。黄帝曰く、形氣の逆順は奈何?
岐伯曰く、形氣不足、病氣有餘、これ邪が勝つ也、急ぎてこれを寫す。
形氣不足、病氣不足、これ陰陽俱に不足する也。これを刺すべからず。
これを刺せば則ち不足を重ねる、重ねて不足すれば則ち陰陽竭きる。
血氣皆盡き、五藏空虚にして、筋骨髄枯れ、老者は絶して滅す、壮者も復さざるなり。
形氣有餘、病氣有餘はこれ陰陽倶に有餘するを謂う也。急ぎその邪を寫し、その虚實を調える。
故に曰く、有餘する者はこれを寫し、不足する者はこれを補え、これこの謂い也。

故に曰く、これを刺すに逆順を知らずは、眞邪相い搏つ。
満ちてこれを補うときは、則ち陰陽四溢し、腸胃充郭し、肝肺内瞋し、陰陽相錯する。
虚してこれを寫すときは、則ち経脉空虚し、血氣竭枯し、腸胃㒤辟し、皮膚薄き者は、毛腠夭膲し、之と予に死を期す。

故に曰く、用鍼の要、陰と陽とを調えることを知るに在り。
陰と陽を調え、精氣乃ち光り、形と氣とを合し、神を内に藏さしむ。④
故に曰く、上工は氣を平にし、中工は脈を乱し、下工は氣を絶して生を危うくす。
故に曰く、下工は慎まずんばあるべからず也。
必ず五藏の變化の病、五脈の應、経絡の實虚、皮の柔麤を審らかにして後にこれを取る也。

命門は目にある説

「太陽は至陰に根ざし、命門に結する。命門は目なり」との記述。
内経以降、この説は医学方面では伝承されていないように思える。

『難経』では右腎命門説を提唱し、後代の命門学説の発展の基礎となったと言われる。
三十六難「…腎両者、非皆腎也。其左者為腎、右者為命門。命門者、諸神精之所舎、原氣之所繋也。故男子以藏精、女子以繋胞。…」
三十九難「謂腎有両藏也。其左為腎、右為命門。命門者、謂精神之所舎也。男子以藏精、女子以繋胞。其氣與腎通。…」

道教系では『黄帝外景経』には「上に黄庭あり、下に関元あり。後に幽闕あり、前に命門あり」といった記述が伝えられている。
書の世界では有名な王義之の作『黄庭経』を参考にされると良いだろう。

命門は目にあるという説に近い考えは『霊枢』のこの後の篇にも登場するので、そこで触れたいと思う。

一日一夜にして五十営

鍼灸師にとって、この生理学は非常に重要である。

全身を栄養する氣が営氣である。
この話を知る鍼灸師はたくさんいるが、その営気が24時間における運行の法則を持つことを理解している鍼灸師は少ない。

これを電車に譬えると…路線は知っているが、運行時間を知らないということである(ん?譬えが上手くないか?)
この時間という要素は非常に重要である。

古代中国医学は、時間を重視し、治療に組み込んだ節がある。この点において非常に優れた医学だと感心する。
複数の人体バイオリズムを理論化し、実用化に挑戦した医学だといえよう。
それを現代の我々が理解しようとしないのは、なんとも勿体ない限りである。

詳しくは五十営篇などで後述しようと思う。

現代日本人は王侯貴族なみ…

王侯や大人(ようはエライ人)は、その体は弱く脆く、そのため血気の反応も敏感である。
となれば、この条件を考慮して鍼の刺激も調整するべきである…といった記述がある。

氣の動きに対して、鍼法の使い分けが端的に表現されている点に注目したい。
鍼法の鍵となるポイントは「徐疾」「浅深」「多少」である。

また「慓悍滑利」という表現は『素問』痹論『霊枢』営衛生会篇、邪客篇などでは衛気の性質を表わすが、
ここでは衛氣のみを限定して示すものではないと考える。

光とは

精氣は光である。
生命力の有無は、光・色・彩・艶でみるのだ。

これは『素問』脈要精微論にて詳しい。
脈要精微論でいう「精明」と同篇にある「命門」とはどこか共通点を感じる。

そして形と氣が調和し合わさることで神が安定し藏されるのだ。
有形と無形が和合することそのものが、まさに「陰陽不測之謂神」である。
上工の治療は「気」を調和させることを手段とし、その結果として「精」や「神」を安定させることを目標とする。
まさに「上守神」「上守機」である。

形氣と病氣の違い

本篇には形氣と病氣の言葉が出てくる。(本篇以外にも)

張介賓は「容貌(望診)が不足(虚)、神氣病氣は皆有餘しているようにみえたとしても、これ外は虚証に似て内は則ち実証である。邪氣勝也。當に急にこれを寫すべし。」と言っている。
張志聡は「形氣とは、皮肉筋骨の形氣をいう。病氣とは三陰三陽の経氣をいう、邪が病ませる所を為す也。病氣の有餘不足とは、陰陽血氣の実虚である。これ形氣と病氣の分別と雖も、然るに重ねて病氣の有餘不足に在り。」という。

個人的には張氏の意見が好ましいと思う。もう少し私の言葉で脚色すると、形氣とはその人その人体の持つ氣である。病氣とは正邪相争が起こっている場所の局地的な正邪の気の趨勢を言っているのだと考える。
全体の素体として虚証の傾向であっても、局所的には実証である、ということはよくあることだ。この場合は瀉法を行う。

実際の臨床診断では、患者の素体と病態を分けて複層的に虚実・寒熱・氣水血…を鑑別する必要がある。単純な虚実だけでは診断にならない。この点で形氣と病氣を区別している根結篇の記述は実に実践的な教えだと思われる。

張介賓曰、貌雖不足而神氣病氣皆有餘、此外似虚而内則實、邪氣勝也。當急寫之。
張志聡曰、形氣、謂皮肉筋骨之形氣。病氣、謂三陰三陽之経氣、為邪所病也。病氣之有餘不足者、陰陽血氣之實虚也。此雖分別形氣病氣、然重在病氣之有餘不足。

邪気臓腑病形篇第四② ≪ 根結篇第五 ≫ 壽夭剛柔篇第六

岐伯曰、天地相感、寒暖相移、陰陽之道、孰少孰多?
陰道偶、陽道奇。
発於春夏陰氣少、陽氣多、陰陽不調、何補何寫?
発於秋冬、陽氣少陰氣多、陰氣盛而陽氣衰、故茎葉枯槁、溼雨下帰、陰陽相移、何寫何補?
奇邪離経、不可勝数、不知根結、五藏六府、折関敗枢、開闔而走、陰陽大失、不可復取。
九鍼之玄、要在終始、故能知終始、一言而畢、不知終始、鍼道咸絶。
太陽、根于至陰、結於命門者、目也。
・・・・・(中略)・・・・・
一日一夜五十營、以營五藏之精、不應数者、名曰狂生。
所謂五十營者、五藏皆受氣、持其脈口、数其至也。五十動而不一代者、五藏皆受氣。
四十動一代者、一藏無氣。
三十動一代者、二藏無氣。
二十動一代者、三藏無氣。
十動一代者、四藏無氣。
不満十動者、五藏無氣、予之短期。要在終始、所謂五十動而不一代者、以為常也。
以知五藏之期、予之短期者、乍数乍踈也。黄帝曰、逆順五體者、言人骨節之小大、肉之堅脆、皮之厚薄、血之精濁、氣之滑濇、脈之長短、血之多少、経絡之数、余已知之矣。
此皆布衣匹夫之士也。
夫王公大人血食之君、身體柔脆、肌肉軟弱、血氣慓悍滑利、其刺之徐疾、浅深、多少、可得同之乎?
岐伯答曰、膏梁菽藿之味、何可同也?
氣滑即出疾、其氣濇則出遅。氣悍則鍼小而入浅。氣濇則鍼大而入深。深則欲留、浅則欲疾。
以此観之、刺布衣者、深以留之。刺大人者、微以徐之。此皆因氣慓悍滑利也。黄帝曰、形氣之逆順奈何?
岐伯曰、形氣不足、病氣有餘、是邪勝也、急寫之。
形氣有餘、病氣不足、急補之。
形氣不足、病氣不足、此陰陽俱氣不足也。不可刺之。
刺之則重不足、重不足則陰陽竭、血氣皆盡、五藏空虚、筋骨髄枯、老者絶滅、壮者不復矣。
形氣有餘、病氣有餘、此謂陰陽倶有餘也。急寫其邪、調其虚實。
故曰、有餘者寫之、不足者補之、此之謂也。故曰、刺之不知逆順、眞邪相搏。
満而補之、則陰陽四溢、腸胃充郭、肝肺内瞋、陰陽相錯。
虚而寫之、則経脉空虚、血氣竭枯、腸胃㒤辟、皮膚薄者、毛腠夭膲、予之死期。故曰、用鍼之要、在於知調陰與陽。調陰與陽、精氣乃光、合形與氣、使神内藏。
故曰、上工平氣、中工乱脈、下工絶氣危生。故曰下工不可不慎也。
必審五藏變化之病、五脈之應、経絡之實虚、皮之柔麤、而後取之也。

鍼道五経会 足立繁久

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