霊枢 脈度篇第十七の書き下し文と原文と

脈度は気の性質を理解する上で非常に重要なファクターである。
鍼をする上で、何の気に対してアプローチしているのかを我々鍼灸師は理解しなければならない。
本篇では十二経脈と任脈督脈、そして陰陽蹻脈の脈度が記されている。

『霊枢講義』京都大学付属図書館より引用させていただきました。

※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

『霊枢』脈度第十七

書き下し文・霊枢 脈度第十七 (『甲乙経』巻二 脈度第三 、『太素』巻十三 脈度、『類經』巻八 経絡類 17脈度 および 22五臓之氣上通七竅陰陽不和乃成関格)

黄帝曰く、願くば脈度を聞かん。
岐伯答えて曰く、手の六陽は、手より頭に至り、長さ五尺。五六して三丈。
手の六陰は、手より胸中に至り、三尺五寸。三六して一丈八尺、五六して三尺、合して二丈一尺。足の六陽は、足より上りて頭に至る、八尺。六八して 四丈八尺。
足の六陰は、足より胸中に至る、六尺五寸。六六して 三丈六尺、五六して 三尺、合して三丈九尺。蹻脈は、足より目に至る、七尺五寸。二七して 一丈四尺、二五して 一尺、合して一丈五尺。
督脈任脈、各四尺五寸。二四して 八尺、二五して 一尺、合して九尺。凡そ都合、十六丈二尺。
此れ氣の大経隧也。①経脈は裏を為す、支して横なる者は絡を為す、絡の別なる者は孫を為す。盛にして血なる者は、疾くこれを誅す。盛なる者はこれを寫し、虚する者は薬を飲み以てこれを補う。

五藏は常に上七竅を内閲する也。

故に肺氣は鼻に通ず、肺和するときは則ち鼻能く臭香を知る矣。
心氣は舌に通ず、心和するときは則ち能く五味を知る矣。
肝氣は目に通ず、肝和するときは則ち能く五色を辨ず矣。
脾氣は口に通ず、脾和するときは則ち口能く五穀を知る矣。
腎氣は耳に通ず、腎和するときは則ち耳能く五音を聞く矣。

五藏和せざるときは、則ち七竅は通ぜず。
六府和せざるときは、則ち留して癕を為す。

故に邪が府に在れば則ち陽脈和せず、陽脈和せざるときは則ち氣これ留る、氣これ留まれば則ち陽氣盛ん矣。
陽氣大いに盛なるときは則ち陰は利せず、陰脈利せざれば則ち血これ留る、血これ留るときは則ち陰氣盛ん矣。

陰氣大いに盛なるときは則ち陽氣榮すること能わざる也、故に関と曰う。
陽氣大いに盛なるときは則ち陰氣榮すること能わざる也、故に格と曰う。
陰陽倶に盛んなれば、相い榮することを得ず、故に関格と曰う。
関格なる者は、期を盡すこと得ずして死する也。

黄帝曰く、蹻脈安くに起き安くに止まり、何れの氣に榮水するか?②
岐伯答えて曰く、蹻脈なる者、少陰の別。
然骨の後に起こり、内踝の上に上り、直上して陰股を循る、陰に入り、上りて胸裏を循り、缺盆に入り、上りて人迎の前に出る、頄に入り、目内眥に属す、太陽に於いて陽蹻に合して上行す。
氣并して相い還るときは則ち目を濡すを為す、氣榮せざれば則ち目合せず。

黄帝曰く、氣獨り五藏を行りて、六府を榮せざるは、何ぞ也?
岐伯答えて曰く、氣の行ること無きを得ざる也、水の流れの如く、日月の行り休まざるが如く。
故に陰脈はその藏を榮し、陽脈はその府を榮す、環の端の無きが如し、その紀を知ること無く、終わりて復た始まる。
その流溢の氣、内は藏府を漑し、外は腠理を濡す。

黄帝曰く、蹻脈に陰陽有り、何れの脈がその数に當るや?
岐伯答えて曰く、男子はその陽を数え、女子はその陰を数う、當に数うべき者を経と為し、その数うべからざる者を絡と為す也。

脈度篇のみどころ

①気の大経隧

脈度とは経脈の寸法、すなわち気が流行する距離である。
この気の流行距離というのが重要な要素で、東洋医学としての生理学を理解する上で大きなヒントとなる。
気を基にした生理学というのは一般的に思われている以上に精密に規定されているのだ。

気が流れる距離は本篇脈度第十七によって定められている。
気が流れるペース(速度)、時間は五十営篇で述べられている通りである。
つまり経脈内を流れる気(すなわち営気)は定められた流域・領域を、一定の速度・ペースで流れている。

この一定の速度で流行する気というのが重要である。
諸々の条件により、気の流行ペースが変化しては困るのだ。

ある面において不易の性質を持つこの営気を理解することは、鍼法・鍼術を追究する上で非常に重要なヒントとなる。
これは素問・霊枢の各論篇を通じて読み取れることであると考えている。

②蹻脈が栄水する…とは?

本篇には蹻脈の説明が記されている。
蹻脈の始まりと終わり、その流域と具体的に記されている。
特に興味を引くのは「何れの気が栄水するのか」という言葉である。

本文では蹻脈とあるが、実際には陰蹻脈について主に論述されている。
陰蹻とは「少陰の別」すなわち足少陰腎経の別行である。

足少陰腎経の流注は「直なる者は肺中に入り、喉嚨を循り、舌本を挟む。」「支脈は心に絡い、胸中に注ぐ。」(経脈篇)とあり、「直なる者は、舌本に繋がり、復た項に出て、太陽に合す。」(経別篇)

その別行たる陰蹻脈が「胸裏」「缺盆」「人迎の前」「頄」という拠点を通過しつつも「目内眥」に属する。
かつここで太陽にて陽蹻(足太陽の別行)に合流するのである。

本篇本文では特に「目」を重視している。
上行した陰蹻は(陽蹻も)目に於いて合流し、濡潤しているのだ。

目は七竅の一つであるが、なぜ目なのか?
例えば腎経の別行であれば、七竅の一つ耳に連絡してもよさそうなものである。
しかし、この目に蹻脈が連絡することに意味がある。

「気并して相い還る」という言葉も大きなヒントだ。
陰蹻脈(足少陰腎の別行)の気と陽蹻(足太陽の別行)の気が目に於いて并し相還することに意味があるのだ。

この目の重要性は、霊枢の後の篇を通覧すると見えてくると考察している。

営気篇第十六 ≪ 脈度篇第十七 ≫ 営衛生会篇第十八

『霊枢』脈度第十七

■原文 霊枢 脈度第十七

黄帝曰、願聞脈度。
岐伯答曰、手之六陽、従手至頭、長五尺、五六三丈。
手之六陰、従手至胸中、三尺五寸。三六一丈八尺、五六三尺、合二丈一尺。

足之六陽、従足上至頭、八尺。六八 四丈八尺。
足之六陰、従足至胸中、六尺五寸。六六 三丈六尺、五六 三尺、合三丈九尺。

蹻脈、従足至目、七尺五寸。二七 一丈四尺、二五 一尺、合一丈五尺。
督脈任脈、各四尺五寸。二四 八尺、二五 一尺、合九尺。

凡都合、十六丈二尺。
此氣之大経隧也。

経脈為裏、支而横者為絡、絡之別者為孫。

盛而血者、疾誅之。盛者寫之、虚者飲薬以補之。

五藏常内閲於上七竅也。

故肺氣通于鼻、肺和則鼻能知臭香矣。
心氣通于舌、心和則能知五味矣。
肝氣通於目、肝和則能辨五色矣。
脾氣通於口、脾和則口能知五穀矣。
腎氣通於耳、腎和則耳能聞五音矣。

五藏不和、則七竅不通。六府不和、則留為癕。

故邪在府則陽脈不和、陽脈不和則氣留之、氣留之則陽氣盛矣。
陽氣大盛則陰不利、陰脈不利則血留之、血留之則陰氣盛矣。

陰氣大盛則陽氣不能榮也、故曰関。
陽氣大盛則陰氣弗能榮也、故曰格。

陰陽倶盛、不得相榮、故曰関格。
関格者、不得盡期而死也。

黄帝曰、蹻脈安起安止、何氣榮水?
岐伯答曰、蹻脈者、少陰之別。起於然骨之後、上内踝之上、直上循陰股、入陰、上循胸裏、入缺盆、上出人迎之前、入頄、属目内眥、合於太陽陽蹻而上行。
氣并相還則為濡目、氣不榮則目不合。

黄帝曰、氣獨行五藏、不榮六府、何也?
岐伯答曰、氣之不得無行也、如水之流、如日月之行不休、
故陰脈榮其藏、陽脈榮其府、如環之無端、莫知其紀、終而復始。

其流溢之氣、内漑藏府、外濡腠理。
黄帝曰、蹻脈有陰陽、何脈當其数?
岐伯答曰、男子数其陽、女子数其陰、當数者為経、其不當数者為絡也

鍼道五経会 足立繁久

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