霊枢 師傳第二十九 の書き下し文と原文と

霊枢 師傳第二十九のみどころ

本篇は黄帝さまの壮大かつ高貴な志から始まっている。「修身斉家治国平天下」を髣髴させるお話である。
これに対し岐伯も大いに賞賛し、治国治民と自治治身における秘訣・要諦を説いている。

そして治身とは未病・既病を治することにも通ず…ということで、その要諦ともいえる順逆について論じているのが本篇の内容である。
本篇は氣の話というよりも、病理分析診断の内容といえる。

【画像】
※『霊枢講義』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

霊枢 師伝第二十九 の書き下し文

霊枢 師伝第二十九
(『甲乙経』巻六 逆順標本末方宜形志大論第二 及び 巻一 五髒六腑陰陽表裏第三、『太素』巻二順養、
『類經』巻十二 論治類 2為治之道順而已矣 及び 巻四 藏象類 29身形候髒腑)

黄帝曰く、余は先師に聞いて心に藏すること有るも、方に於いて著わさず。
余願くば聞きて之を藏し、則りて之を行い、上は以て民を治め、下は以て身を治む、百姓をして病無からしめ、上下を和親し、徳沢を下に流して、子孫に憂い無く、後世に伝えて、終る時有ること無からしむ、聞くこと得るべきか?
岐伯曰く、遠き哉問う也。
夫れ民を治むることと自ら治むると、彼を治むると此れを治むると、小を治むると大を治むると、国を治むると家を治むると、未だ逆にして能く之を治むること有らざる也。夫れ惟だ順のみ。
順なるは、独り陰陽の脈論、氣の逆順に非ざる也。百姓人民、皆な其の志に順(したが)うことを欲する也。

黄帝曰く、之に順(したが)うこと奈何?
岐伯曰く、国に入りては俗を問い、家に入りては諱(いみ・忌)を問い、堂に上りては禮を問い、病人に臨みては便(たよ)る所を問う。

黄帝曰く、病人の便(たよ)ることとは奈何?①
岐伯曰く、夫れ中熱、消癉なるは則ち寒を便り。寒中の属なるは則ち熱に便る。
胃中熱するは則ち消穀し、人をして心に懸りて善く飢えせしむ。臍以上は皮熱す。
腸中熱するは則ち黄を出すこと糜の如し。
臍以下は皮寒し、胃中寒すれば則ち腹脹し、腸中寒すれば則ち腸鳴して餐泄す。
胃中寒、腸中熱するときは則ち脹れて且つ泄する。
胃中熱、腸中寒するときは則ち疾飢えて、小腹痛脹す。

黄帝曰く、胃は寒飲を欲し、腸は熱飲を欲す、両者相い逆すれば、これ便(たよ)ること奈何② 
且つ夫れ王公大人、血食の君は、驕恣にして欲を従(ほしいまま)にし、人を軽んじて之を禁ずること能う無し。之を禁ずるときは則ち其の志に逆らう、之に順えば則ち其の病を加う。之を便(たよ)ること奈何?之を治すること何を先にせん?③
岐伯曰く、人の情は死を悪(にく)みて生を楽しまざること莫し。
之を告ぐるに其の敗を以てし、之を語るに其の善を以てし、之を導くに其の便る所を以てし、之を聞くに其の苦しむ所を以てす。無道の人有りと雖も、悪んぞ聴かざる者有らんや!

黄帝曰く、之を治すること奈何?
岐伯曰く、春夏は先に其の標を治し、後に其の本を治する。秋冬は先に其の本を治し、後に其の標を治する。

黄帝曰く、其の相逆する者に便ること奈何?
岐伯曰く、此に便りとする者は、飲食衣服も亦た寒温に適せんと欲し、寒きに淒愴たる無く、暑きに汗を出だすこと無し。食飲なるも、熱きに灼灼たる無く、寒きに愴愴たる無し。寒温の中に適する、故に氣は将に持して乃ち邪僻に致さざらんとする也。

黄帝曰く、本藏に身形の支節䐃肉を以て、五藏六府の小大を候う。
今夫れ王公大人、臨朝即位の君にして問う、誰か之を捫循して後に答えるか?
岐伯曰く、身形、支節は、藏府の蓋也。面部の閲に非ざる也。

黄帝曰く、五藏の氣を面に閲する者は、余已に之を知る。支節を以て知りて之を閲することは奈何?
岐伯曰く、五藏六府なる者、肺これが蓋為(た)り、巨肩陥咽なるは、其の外に見(あらわれ)るを候う。
黄帝曰く、善し。岐伯曰く、五藏六府は、心之が主と為す、缺盆は之が道と為す、䯏骨餘り有りて、以て𩩲骬を候う。
黄帝曰く、善し。

岐伯曰く、肝は将為(た)らんことを主る、之をして外を候しむる。堅固を知らんと欲せば、目の小大を視よ。
黄帝曰く、善し。

岐伯曰く、脾は衛為(た)らんことを主る、之をして糧を迎わしむる。唇舌の好悪を視て、以て吉凶を知る。
黄帝曰く、善し。

岐伯曰く、腎は外為(た)らんことを主る、之をして遠聴せしむる。耳の好悪を視て、以て其の性を知る。
黄帝曰く、善し。
願くば六府の候も聞かん。
岐伯曰く、六府は胃、之が海為(た)り、骸廣くし、頸大きく、胸を張りて、五穀乃ち容るる。
鼻隧以て長きは、以て大腸を候う。
唇厚く人中長きは、以て小腸を候う。
目下の果大なるは、其の膽乃ち横なり。(※横:あふれる、みちる)
鼻孔の外に在るは、膀胱漏泄す。
鼻柱中央の起きるは三焦乃ち約する。
此れ六府を候う所以の者也、上下三等は藏安く且つ良きなり。

寒熱の便りはいかにみる?

下線部①「病人の便(たよ)ることとは奈何?」

本文を「便=たよる」と読むには、聊か不慣れに感じる人も多いかもしれない。
しかし続く「中熱…は則ち寒を便り。寒中…は則ち熱に便る。」と寒熱でみると分かりやすい。
さらに分かりやすく言い換えると「熱証は寒を便(たよ)り、寒証は熱を便(たよ)る」とすると抵抗感も減るだろう。

さて、この話は寒熱に便るという話は、問診にも治療にも通ずる。
たいていの熱証は寒冷を好むものであり、寒涼の薬を頼りとする(もちろん例外もある)。同様に多くの寒証は温熱を好み、温熱の薬を頼みとする。
もちろん治療に於いては薬のみならず、治法・処置も含まれる。
温熱の治療としては灸治・熨法等の温法があり、寒涼の治療としては『素問』刺熱論の「飲之寒水」「寒衣之」「居止寒處」や水法(灌水など)が思いつくところである。

また寒熱の拠点として腸胃を挙げている点に注目すべきであろう。
腸胃は『傷寒論』では陽明腑証の病位でもあり、また陽明胃は多氣多血の位でもある。また五行の世界観では腸胃・土は中央に位置する。(『傷寒論』においても同様に土は中央との概念である「陽明居中、主土也。萬物所帰、無所復傳」)
さらに腑という位は経と藏の間にあり、やはり中である。中という位置づけは、寒熱の邪が内部で搏ち合う状況を作る上で重要になる。

本文では中央たる存在を示す言葉がもう一つある。
「臍」である。
臍の起点にその上下で寒熱の反応をみて大きく腸胃の寒熱を判断するというのも興味深い視点である。

いずれにせよ、内部で寒熱の搏ち合いを生じやすい部位として腸胃を挙げているが、その寒熱相搏の指標が「飲食」「便(べん)」という形としてあらわれるのも、また腸胃である。
これらの情報を便(たより)として、診断に活用せよとの教えのように見受けられる。

寒熱・陰陽は錯綜するもの

しかし、寒熱をはじめ陰陽というのは複雑に錯綜するのが常である。その複雑性を指摘しているのが「胃欲寒飲、腸欲熱飲、両者相逆、便之奈何」下線部②の黄帝による指摘である。

胃腸の便りとす所見はそれぞれ熱飲・寒飲と異なる。であれば、例えば胃熱腸寒・胃寒腸熱となった場合、どうなるのか(便之奈何)?そして治療するならどちらを先にするのか(治之何先)?といったリアルな問いがなされている。

その治法として、標本の先後が提示されている。しかも春夏と秋冬によって、標本の先後が逆転するようだ。
標本については、『素問』標本病伝論第六十五、『霊枢』病本第二十五また病伝第四十二にて詳しく説かれているので、本篇では割愛したい。

しかし相逆(錯綜)した者の便り、すなわち所見はどうなるのか?
この問いには「飲食衣服、亦欲適寒温」とあり、ここでもやはり問診情報とも治法ともどちらにも通ずるような岐伯の解説が用意されている。

とはいえ、飲食と衣服を挙げているのは非常に意味深く感じる。
これは一見したところ養生指導にもみえるが、よくよく考えると、これは身体の内と外の調整を意味するものであり、推し広げると、治表と治裏を指摘しているとも解釈できよう。
その結果が「寒温中適、故氣将持乃不致邪僻也」とあるように、寒温の正しきを治めることで、内は調和して氣を充たす。そうなれば陰陽虚実の偏差もなく邪の侵入も起こらない、という非常に王道ともいえる結論を述べており、冒頭の黄帝の決意に沿った趣旨の結論が展開されている。

ちなみに下線部③以降は、人間の心理について説かれている。
要約するとこのような文章になるだろうか…。
お偉い人たちは、彼らの欲の趣くままに生活している。飲食不節は勿論のこと、人を軽んずるという点では、自他ともに大切にしない。そんな彼らに順逆是非を説いたところで、彼らが素直に従うはずもない、しかし人の心理は死を恐れ生を楽しみとするものである。その心理に基づいて人を導くには、敗を告げ、善を語り、便る所を導き、苦しむ所を開く。そうすれば無道・無法の人でも従ってくれることだろう。

ちなみに『太素』では「告ぐるに其の馭を以てし、之を語るに其の道を以てし、之を示すに其の便る所を以てし、之を聞くに其の苦しむ所を以てす。」としており、これはこれで文意を理解しやすいと思う。

いずれにせよ、冒頭文の黄帝さまの意思表明から、本篇は為政者のための帝王学としての趣きも強く、上医医国のことばを髣髴させる内容ともいえる。

鍼道五経会 足立繁久

口問第二十八 ≪ 師傳第二十九 ≫ 決氣第三十

原文 師傳第二十九

■原文 師傳第二十九

黄帝曰、余聞先師有心藏、弗著於方。
余願聞而藏之、則而行之、上以治民、下以治身。使百姓無病、上下和親、徳澤下流、子孫無憂、傳於後世、無有終時、可得聞乎?

岐伯曰、遠乎哉、問也。
夫治民與自治、治彼與治此、治小與治大、治國與治家、未有逆而能治之也。夫惟順而已矣。
順者、非獨陰陽脈論氣之逆順也。百姓人民、皆欲順其志也。

黄帝曰、順之奈何。
岐伯曰、入國問俗、入家問諱、上堂問禮、臨病人問所便。

黄帝曰、便病人奈何。
岐伯曰、夫中熱消癉則便寒。寒中之属則便熱。
胃中熱則消穀、令人懸心善飢。臍以上皮熱。
腸中熱則出黄如糜。臍以下皮寒。
胃中寒則腹脹。腸中寒則腸鳴餐泄。
胃中寒腸中熱則脹而且泄。胃中熱腸中寒則疾飢、小腹痛脹。

黄帝曰、胃欲寒飲、腸欲熱飲、両者相逆、便之奈何。
且夫王公大人、血食之君、驕恣従欲、軽人而無能禁之。禁之則逆其志、順之則加其病、便之奈何。治之何先。
岐伯曰、人之情莫不悪死而樂生、告之以其敗、語之以其善、導之以其所便、聞之以其所苦。
雖有無道之人、悪有不聴者乎。

黄帝曰、治之奈何。
岐伯曰、春夏先治其標、後治其本。秋冬先治其本、後治其標。

黄帝曰、便其相逆者奈何。
岐伯曰、便此者、飲食衣服、亦欲適寒温、寒無淒愴、暑無出汗。食飲者、熱無灼灼、寒無愴愴。寒温中適、故氣将持乃不致邪僻也。

黄帝曰、本藏以身形支節䐃肉、候五藏六府之小大焉。今夫王公大人、臨朝即位之君而問焉、誰可捫循之而後答乎。
岐伯曰、身形支節者、藏府之蓋也。非面部之閲也。

黄帝曰、五藏之氣、閲於面者、余已知之矣。以支節知而閲之奈何。
岐伯曰、五藏六府者、肺為之蓋、巨肩陥咽、候見其外。
黄帝曰、善。
岐伯曰、五藏六府、心為之主、缺盆為之道、䯏骨有餘、以候𩩲骬。
黄帝曰、善。
岐伯曰、肝者主為将、使之候外、欲知堅固、視目小大。
黄帝曰、善。
岐伯曰、脾者主為衛、使之迎糧、視唇舌好悪、以知吉凶。
黄帝曰、善。
岐伯曰、腎者主為外、使之遠聴、視耳好悪、以知其性。
黄帝曰、善。願聞六府之候。
岐伯曰、六府者胃為之海、廣骸大頸張胸、五穀乃容。鼻隧以長、以候大腸。唇厚人中長、以候小腸。目下果大、其膽乃横。鼻孔在外、膀胱漏泄。鼻柱中央起三焦乃約。
此所以候六府者也、上下三等藏安且良矣。

 

おすすめ記事

  • Pocket
  • LINEで送る
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントを残す




Menu

HOME

TOP